3 出番のない管理人さん
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イルファーンは今日もまた、二区と三区の境界線でインデュラと落ち合った。
暑い最中だというのに、インデュラは涼しげな表情で手を振っている。白い肌に汗一つ浮かばないのは、周囲の精霊を使役して、気温を下げているからなのだろう。
インデュラの淡い緑色の髪は、母親――ラクシュミ譲りだった。つまり彼女も、精霊使いだということである。
イルファーンはそんなインデュラに手を振り替えし、愛想笑いを浮かべた。
本来ならば、美貌と才知を併せ持った貴族に想いを寄せられているのだから喜ぶべきだが、イルファーンは未だ彼女の真意が分からなかった。
(どうも、裏がある気がするんだよな……)
そもそもインデュラの行動は、どんな些細なことでも目的がある。
となると自分に対する好意など、何かしらの目的を達する為の過程に過ぎないのでは?
もし仮にあったとしても、それは男性に対する好意ではなく、所有物か、或いは動物に対するものと同様のものであろうと推測できる。
イルファーンだって馬鹿ではないのだ。その程度の事は、簡単にわかった。
だが、それでも彼はインデュラに反発することが出来ない。
そもそも貴族と一代戦士では身分が違い過ぎるということもあるが、何よりイルファーンは、ある一言によって完全に支配されていた。
「そなたに魔族の血が入っておること、既に承知しておる。精霊どもが騒ぎよるゆえな」
二十年前の魔王侵攻による爪痕が未だ深い、ここ――ルガル王国において、“魔族の血”は忌避されるものだ。何より純然たる魔族は、決して軍籍に入れない。身分が奴隷だからである。
イルファーン自身は魔族と人間のクォーターだから問題ないのだが、それを証明できる者は“精霊使い”だけだった。
――つまりインデュラがイルファーンを「魔族だ」と断言すれば、それを否定する術をイルファーンは持たなかった。なにしろインデュラの母こそがルガル王国最高の精霊使い、ラクシュミなのだ。
そうなると彼女に匹敵する精霊使いに自らの存在を立証してもらわない限り、イルファーンは魔族と断定されることとなる。
だからイルファーンとしては、現状――食虫植物に絡め取られた虫、といっても過言ではない状態だった。
「イルファーンよ。暗い顔をして、一体どうした? 私のような超絶美少女が、毎日迎えに来ておるのだ。我が世の春を謳歌する佞臣のように、媚び諂った笑顔でも浮かべぬか」
手を振るインデュラは、相変わらず麗しい。彼女は両親とも五英雄で、本人は美貌まで兼ね備えているのだから、イルファーンとしては呆れるほど生まれの違いを感じてしまう。
世界はかくも不公平だが、しかしそれが当然とされる世界に生きているからイルファーンには、卑屈になるより他の感情が芽生えない。
とはいえ天然なのか嫌味なのか、インデュラの言葉はイルファーンを常にイラっとさせる。
三区から二区へ至る門をくぐると、イルファーンは服に付いた埃を払うフリをして、彼女を軽く無視してみた。
「む? 何とか言わぬか」
二区と三区の境界には壁があり、所々に門がある。門は常時開放されているから見通しは良いが、三区から二区に入る者は大体において羨望の眼差しで見られた。
何せ二区と一区は、ルガル王国における支配階級が暮らす地域だ。そこへ足を踏み入れるということは、彼らと接点をもっているということ。一般庶民やスラムの住民からすれば、垂涎の的だ。
そしてダンバード学院が二区にある意味合いは、そこへ通う生徒達に、特権階級としての誇りと責任感を認識させる為なのである。
ともかく門をくぐり二区に入ると、早速イルファーンは片膝を地に付き、インデュラの手の甲へ軽くキスをした。いつまでも不貞腐れている訳にはいかない。身分差は歴然であり、彼女がその気になればイルファーンのボサボサ頭など、すぐにも愛しい胴体にさよならを告げるだろうから。
「インデュラさま。今日もご機嫌麗しゅう」
「イルファーン、相変わらず他人行儀な。そのような挨拶は不要、と申したであろう。――私の言う通りにしておれば、決して悪いようにせぬ。私は別に、そなたを苦しませようと思っている訳ではないのだ。それを、まだ信用せぬのか?」
(さっきと言っていることが、全然違う)――というのがインデュラのデフォだ。イルファーンもだんだん慣れてきた。
(もしかして、無視された事を気にしたのか? いや、そんな、まさか……)
「信用しない訳じゃないですけど、シャクティとなるべく離れていろとか、口をきくな――なんて意味が分かりませんし」
立ち上がりながら、イルファーンは苦笑した。そして二人は歩き始める。周囲には、五人の護衛と一頭の白馬がいた。馬はもちろんインデュラのものだが、彼女はイルファーンといる限り、自らの足で街路を歩く。
どうやら馬で学院に通わない――通えないイルファーンに気を使っているようだ。
そんな二人が歩く街路は、全てが石畳。その下はコンクリートで固められて、水捌けを考慮した傾斜まで付いている。
三区の街路と比べれば、まさに雲泥の差だ。街づくりからして王都は、一区と二区を特別扱いしていたのである。
インデュラが歩きながら、真面目くさった口調でイルファーンに問う。
「――そなた、シャクティに惚れておるのか?」
「そんな訳じゃ……だけど彼女は幼馴染みですし……」
「幼馴染など、元来敵ではないか? なぜそのように仲良くしようとする? その辺りが、私には理解できんぞ」
「敵? は? ――俺からすれば、そっちの価値観が分からないですよ」
「まあいい。どちらにしろ目的を果たしたらそなたを解放するし、礼もする。ゆえに暫くの間、現状で我慢してくれ」
インデュラの言葉にイルファーンは目を見張った。やはり彼女には目的があったのだ。それが分かれば、色々と事態が進展する気もする。
「目的? 目的って何ですか? 言ってくれなくちゃ、協力だって出来ませんよ」
「――もういい、黙れ、ダーリン!」
「ダーリン!?」
当初、ニコニコと会話をしていたインデュラは、眉根に皺を寄せた。元来短気な彼女は、長々と問答を続けることが嫌いなのだ。
そんな訳で簡単に「閉店ガラガラ」「シャッター、ピシャリ」をされたイルファーンは、烈火のような眼を向けられつつ、「ダーリン」と呼ばれたのだった。
畢竟――ますます意味が分からない。
ともかくインデュラは貴族の中において、もっとも王族に近い存在の一人だ。その前で一代戦士に過ぎないイルファーンなど、象の前の蟻に等しい。
インデュラが口を開かなくなったとなれば、あとは無言でダンバード学院を目指すのみである。
――――
ダンバード学院は、三つの球形屋根を持つ巨大な建物だ。
王都イル・マンディへ着いた当初こそ、アパートメント・ヒノデソウを巨大な建造物だと思っていたイルファーンだが、学院の校舎を見た後では、あれはどちらかと言えば廃墟に近いモノだと、認識を改めざるを得なかった。
インデュラと仲良く見える登校をしたイルファーンは、軽く会釈をすると彼女に別れを告げた。教室へ入る為だ。
「では、勉学に励めよ、ダーリン」
「ダーリン!?」
またもダーリンと呼びかける緑髪碧眼の少女に、イルファーンは腰が砕け散る。「なんだこれ? 本当に好意があるのか?」と、うっかり勘違いしそうだ。「ダーリン」と言うときだけ、インデュラの声が甘やかに変わる。
「なにこれ? 不思議っ!?」
そう思うイルファーンは、やはり思春期の少年である。
しかしインデュラの両目には烈火の如き強い意志が浮かんでいるし、表情に甘さなど微塵も無い。
(やっぱり、なにこれ?)
インデュラの心情を理解できないイルファーンは、愛想笑いを浮かべて「それじゃ、また――愛しの君よ」と言ってみた。そうすることが礼儀だと思われたからだ。
「ちっ、気持ち悪い。調子に乗るな、下民がっ! 私に二度とそのような口をきくでないないぞ。耳が腐るわ!」
が――結果は散々である。ゴミを見るような視線を寄越し、踵を返したインデュラは、早足に去ってしまった。
そう――イルファーンとインデュラのクラスは違うのだ。故に二人は、ここで別れなければならない。何故ならクラスが成績順で分けられているからだった。
最上位クラスのインデュラに対してイルファーンのクラスは第二位だから登校時はここで別れ、帰る時に、また合流するのである。
やはりどれほど内情が歪でも、傍から見れば恋人にしか見えない二人だった。
◆◆
「もう! なんで先に行っちゃうのよ! ただでさえ最近は物騒なのに! 先々月に一人、先月だって一人、バラバラにされた死体が見つかってるのよ! しかもこの学院の生徒で! 今月だって隣のクラスの子が行方不明みたいじゃない! 私みたいな美少女、きっとすぐに攫われちゃうわ! だからイルファーン! 貴方がちゃんと守りなさいよ!」
始業の鐘が鳴る直前、シャクティがイルファーンの机に”バン”と手を付きながら怒っている。けれどざわつく教室の中では、さほど目立たない。
シャクティが言っているのは、ここ数ヶ月の間に王都で起きた「美少女誘拐殺人事件」に関してだ。殺された二人は共にダンバード学院の女生徒で、東と西の三区で死体が発見された。
バラバラにされた死体が見つかった――などと言えば猟奇的だが、実際のところ、三区や四区のスラム街では、よくあることだ。
例えば野犬に食いちぎられていることもあるし、住民同士の喧嘩の果て――という場合もある。何よりこの地区には、野党崩れが多く住んでいるから「油断すれば殺される」など日常茶飯事なのだ。
とはいえこうも連続でダンバード学院の生徒が殺されると、作為的なものも感じる。だから生徒たち――特に三区に住むしかない元平民以下の一代戦士達は、恐怖を感じているのだった。
だからイルファーンも、シャクティの言い分はよくわかる。自分だって、彼女のことが心配なのだから。
「な、なんで俺がお前を守らないといけないんだよ! 大体お前のバングルは、僕より戦闘向きだろ! 戦ったって滅多に負けないんだから、平気だよ!」
しかし怒ったようにそっぽを向いたイルファーンは、ぎゅっと目を瞑っていた。
本当は、こんな行動など取りたくない。別にシャクティを嫌いになったわけでは無いのだ。ただ、インデュラの命令に背けば、校内に自分が魔族だという噂をばら撒かれるだろう。
そうなれば自分の未来は消えて、故郷の母を悲しませることになるから、イルファーンは感情を殺して耐えるしかなかった。
だけど、もしもシャクティが攫われたら――そう考えるとイルファーンの胸は締め付けられる。
「イルファーン、いくらなんでも、そんな言い方はないんじゃないか? シャクティに謝れよ」
そっぽを向いて、目を瞑っていたイルファーンに声を掛けてきたのは、クラスで主席のヴィグラムだった。
ヴィグラムは成績優秀で武芸全般に秀でた、文武両道を絵に書いたような少年だ。加えて輝くような金髪と、深い海のような藍色の瞳を持っている。しかも長身であり、家は代々アジュメールの代官を輩出する貴族の名門。比較するならインデュラの家より下だが、それは今でこそだ。
もともとインデュラの家が極度の成り上がりだから、格式で云えばヴィグラムの家の方が上だろう。つまり、この国の上層部に位置する階級である。だからもちろん、クラスにおける信頼は誰よりも厚かった。
もっともそれは、ヴィグラムの表の顔だ。
本来彼は、第一位のクラスで充分通用する成績である。けれどあえて第二位のクラスにいるのは、自分が常に一番でいないと気がすまない性格だからだった。
要するに学年トップのクラスで一番を目指すのではなく、自分が一番になれる場所に居座る――それが彼の人となりだ。
さらに彼は自身の力と家柄を武器にして、学院の美少女達へ片っ端から声を掛けている。いや、それは学院だけに留まらず、ありとあらゆる美少女に声を掛けていた。
中には彼に犯され捨てられた少女も多い。もちろん彼女達は傷つくが、口止め料のようなものを貰えば、誰もが口を閉ざすしかなかった。
そんな有様だから一部貴族達の間では、殺人事件に巻き込まれた二人も彼の手が付いている――という噂もあるほどだ。
それでも彼が表立って事件に関して疑われないのは、少女達を殺すメリットがないからだ。何より彼には男女とも、貴族の取り巻きが多い。今回殺されたり行方不明になっている少女達は、全員が一代戦士だから、疑う方が不自然だった。まして死体が、三区で見つかっているのだから。
それに何より、これが彼の仕業だとすれば、明らかに不祥事となる。仮にそうであれば、彼は家柄故に、全てをもみ消すことが出来るだろう。
彼の家には、百人からの戦士達が抱えられている。奴隷まで含めれば千人以上の軍勢を動かせるのだから、死体など、バラバラどころか痕跡すらかき消すことが出来るはずなのだ。
シャクティにすれば、彼の黒い噂など耳に入りようも無い。身分の違う雲の上のような存在に声を掛けられて、むしろ今はビックリしていた。
「あ、いいんです、ヴィグラムさま。イルファーンとは幼馴染だし、別にケンカなんてしょっちゅうだから――」
シャクティが慌てて両腕を前に出し、交差させて振っている。強大な権力を持つ家の子――ヴィグラムにわざわざ仲裁される程の事ではないし、第一、首を突っ込んで欲しくもない。
「そうはいかないよ、シャクティ。イルファーンがキミを邪険にする理由は、インデュラに見られたくないからなんだ。キミと仲良く話しているところを見られたら、彼女に愛想をつかされてしまうからね!」
「は!? 別にそんなんじゃ……」
言葉を発しようとして、イルファーンはうろたえた。本心を言えば、「いっそ愛想を尽かしてくれ! 頼む、インデュラさま!」と思うが、どういう理由であれ、インデュラに「シャクティから離れろ」――と言われていることは事実だ。そしてそれを、口にするわけにはいかない。
「え――?」
だからヴィグラムの言葉に、シャクティは驚いた。そしてイルファーンの顔を覗き込む。思わず目を背けてしまったイルファーンに、彼女は涙ぐんだ。
シャクティはイルファーンの事が好きだった。
漠然と――このまま結婚するのだろう――とも思っていた。そのくらい、心が通じていたはずだ。それが何だ――イルファーンは全然違ったんだ。
そう思ったら、シャクティの目からは自然と大粒の涙が零れ落ちた。
「なんだ、やっぱりそうなんだ。噂は聞いていたんだよ? イルファーンがインデュラさまと最近、仲がいいって。ちゃんと教えてくれれば、私――私だってそんな――……」
シャクティはユラユラと自分の席へ戻ってゆく。彼女は席につくと指で目尻を拭い、ゆっくりと息を吐いた。
イルファーンは目を見開き、ヴィグラムを睨む。瞬間、ヴィグラムの藍色の瞳が、嘲笑の色を浮かべていた。
ヴィグラムは踵を返すと、シャクティの席へ行った。そして彼女の肩に優しく手を乗せ、微笑んで見せた。
「シャクティ。いくら幼馴染でも、恋人という訳ではない。イルファーンが感情的になるのも悪いが、キミもあまり彼にかかわり過ぎてはいけないよ……ああでも――辛ければ、僕がいつでも話し相手になるからね――」
始業の鐘が鳴り、ゆったりとした白いローブを着た教師が教室に入ってきた。これで会話は終わったが、イルファーンはこの日、悶々と一日を過ごしたのである。




