14 勘違いされる管理人さん
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囚われの乙女こと管理人コンドー・ミドリは、とりあえず手足を拘束する荒縄を引き千切ることにした。
何しろ彼女は腐っているハイエルフ――もとい、腐ってもハイエルフだ。
ハイエルフの特徴といえば、類稀なる敏捷性といわれるが、それを可能とする根本は、チートの如き筋力と、無駄なほどの頑健さを誇る肉体にある。
なので「むぐぐぐ……」とミドリが顔を真っ赤にしながら両腕に力を込めると、縄は“ブチブチ”と音を立てて切断された。
次に両足も同じ要領で解放に成功すると、ミドリは漸く隣の少女の悲惨な状況に目を瞬かせる。
「うむ、酷いのう。お主、何日、風呂に入っておらんのじゃ? 臭いぞ」
身も蓋もない言い草である。何より酷いポイントは、断じてそこではないはずだ。
「うう、私だって好きでこんな所に居る訳じゃ……」
「あ、そういう趣味の人ではないのか。それはすまぬ。ドMなのかと思っておった」
ミドリは勘違いをしていた。この期に及んでパドマがドMだと思っていたのだから、最低の脳をしている。これでハイエルフだなどと、色んな人に謝るべきだ。
「……エム? なんのこと? お願い、ここから出るなら、私も……助けて……助けて下さい」
「む? バラバラにされるのではないのか? わしは嫌じゃが」
「そんなこと、言わないで……」
少女の懇願に、ミドリは舌なめずりをする。
困った者を助ければ、感謝の印が見込めるはずだ。そしてそれは、酒をおいて他に無い。
「じゅるり。ふむー、仕方がないのう。助けてやるから、今度酒を寄越すのじゃ」
「じゅるり!?」
思わずミドリの反応を反芻してしまったパドマだが、どうやら助けてくれそうなのでホッとしている。
もしかしてヴィグラムより酷い人かもしれない――と覚悟したが、どうやらそれは杞憂だった。
再びミドリは荒縄を掴み、引き千切ってゆく。パドマが解放されるのに、それ程の時間は掛からなかった。
しかしパドマは立ち上がることが出来ない。何故なら数週間に及ぶ監禁生活で、すっかり足腰の筋肉が落ちていたからだ。
パドマはよろよろと寝台の上に座り、虚ろな目で周囲を見渡す。それからまじまじと自分の身体を眺め、深い溜息を吐いた。
肋骨の浮き出た彼女の身体では、もはやヴィグラムも欲情しないだろう。だから痛めつけることに走ったのだろうが――それが更なる嗜虐に繋がったのだから、悪循環もここに極まっている。
その結果、ヴィグラムは傷のない身体のシャクティやミドリを欲した。そういうことだったのだ。
ミドリは、「ほら、もう助けたから知らん」とばかりに部屋をうろつき、壁を拳で殴っている。
この時、ミドリは些か焦っていた。
自分のことはどうとでも出来るが、シャクティと離れ離れになってしまったことはマズイ。
インデュラやイルファーンに「任せよ」などと言っておきながら、「やっぱり守れませんでした」では済まされないのだ。廃エルフには、廃エルフなりの意地がある。
とはいえ正直なところ、「酒に酔って潰れて縛られてました」なんてことがばれたら、ラクシュミに何をされるか分からない。それが一番恐かった。
「あらあらー。ミドリは本当に縛られるのが好きねぇー」なんて言われて、またも鎖でぐるぐる巻きにされてしまう。
いくらハイエルフでも、鉄の鎖は引き千切れない。その辺を考慮するラクシュミは、本当に最低だと思うミドリだった。
ちなみにミドリは、壁を殴って音の違いを探している。先が空洞だったら破壊して脱出するつもりだから、はっきり言ってブラブフ並の脳筋と言っても過言ではない。
一方で扉から出ようと思わないのは、あえてのことだ。扉は鋼鉄製なので、きっと壁より頑丈だろう。ミドリだって足りないなりに、脳みそをフル稼働させているのだ。
しかし、そもそもここは地下である。
つまり四方をいくら探っても、煉瓦の壁の先には冷たい土の音しか聞こえない。
――やっぱりミドリはアホだった。
(これでは、逃げられぬぞ)
いよいよミドリが困っているとき、パドマが幾度目かの歩行練習の果てに、転んで床に肘をぶつけていた。
哀れな生き物を見る目つきでパドマを見たミドリだったが、床に鳴った肘の音には驚いた。
“ゴン”
妙に床が響く。下が全て土であるなら、このような残響音は出なかったであろう。ミドリは「むむっ!」っと唸り、ポシェットから赤の団子を取り出した。
「痛ったぁー……って、こんな時に貴女、お団子なんかっ!」
恨めしそうにパドマが呻く。ミドリは「ちゃうわい! これは武器じゃ!」とおかんむりだ。
「出よ、炎の剣っ!」
ミドリが手を翳すと、紅い団子が見る間に剣の形となった。鍔の部分に炎の意匠が施された、煌びやかな剣だ。その大きさはミドリの半分以上。長剣と言っていいだろう。彼女が持つには、些か大きすぎるくらいだ。
「ひっ、ホントだ……!」
パドマは尻餅をつきながら口元に手を当てている。逃げ出したいのに身体が動かない、といった状態だ。
炎の剣をおもむろに床へ突き刺し、ミドリはグリグリと揺らす。
驚くべき事に炎の剣は、簡単に床へ刺さっていた。しかも刀身の周囲が高熱の為か朱色の輝きを放ち、ドロドロと溶け始めている。
「危ないぞ、離れているのじゃ」
驚きおびえるパドマに、下がるようミドリは言った。
パドマは頷きつつ自らのバングルを実体化させて寝台のシーツを切り裂き、身体に巻きつけている。
流石に全裸は恥ずかしかったようだ。そして壁際まで下がると、じっとミドリの様子を覗っていた。
暫くすると床が崩れ、ミドリとパドマはさらに下の部屋へと落ちた。
逃げようと思って、さらに下層へ行ったミドリだ。
ついでにシャクティも探しているつもりだが、彼女がいるのは四阿だったはず。だとすれば、下へ行く意味は皆無である。
「ふうむ、おかしいのう。さらに下へ来てしまったか」
ヴィグラムの隠し部屋から落ちたミドリは、信じられない事を口にしている。
側で見ていたパドマとしては、
「自分で穴を掘ったんじゃない! どこがおかしいのよ!」
と、憔悴しきった肉体に鞭打ち突っ込みたいほど。ふざけるのも大概にして欲しかった。
◆◆
ミドリ達が落ちた地下二階にあたるこの部屋は、書斎といってよい内装だ。部屋の左右を囲む本棚には様々な書類がファイリングされている。
正面にある黒檀の机には、ミドリが「なんじゃ?」と興味を示すような書類が乗っていた。
書類の内容は、アジュメールにおける通行税の比率である。そしてミドリが「なんじゃ?」と言ったのは、酒に関する記述が載っているものだった。
そう。ミドリは酒に関する事のみ、目敏いのだ。
元来ルガル王国において酒はご法度。それなのに税が科されていること事態がおかしい。しかも税率が六割とは、これいかに? ってなものだ。
ついでに金貨の金含有率に関する書類も見つけ、ミドリは首を傾げていた。
「これでは闇市に出回る酒が高騰するわけじゃ……それに金貨――金の含有率三パーセントでは、単なるメッキではないか」
ミドリの歪んだ正義感と義侠心が燃え上がり、これを何とか利用できないかと見えない算盤を弾く。その様は傍から見て、明らかに小悪党の皮算用だ。
「これはスブーシュのものか。だとすればヤツは職権の乱用をしておる。とはいえアジュメールにこれ程酒が流れ込んでおったとは。
それに金も重要じゃな。残りの九十七パーセントをスブーシュがもっておる、ということに他なるまい。
これを上手く利用すれば、わしの手元に酒と金がわんさと入るのではないか……? うひ、うひひ……」
机の上に置かれた数枚の書類を捲ったミドリは細い顎に指を当てて、どうしたものかと首を捻っている。
スブーシュを傀儡としてアジュメールの代官に留め、自らが背後で操る――これだ。これがいいぞ、絶対に。
ミドリが目をクワッと見開いた。もう、無敵の未来しか見えてこない。
「ふ、ふはは! アジュメール代官スブーシュ! その悪行、このわしがしかと見破ったわっ!」
そんな時、ガチャリと音がした。そして背後の鉄扉が開き、男の野太い声が室内に響く。
「ほう? 流石だな。まさか息子の趣味を隠れ蓑にして、私の書斎に国王の犬が紛れ込んでおるとは」
ミドリはビックリして三十センチほど浮いた。まるで驚いた時のリスみたいだった。
脳内で計算は出来たが、詳しい計画表はまだない。それなのに脅して操るべき対象と会ってしまうのは、時期尚早というものだ。
「なっ……! わしが犬じゃと! 何を言う。わしはなんと、ハイエルフじゃ! 控えよ、頭が高い、この長耳が目に入らぬかっ!」
しかし、そんなことよりも犬と言われて、ミドリはおかんむりだ。ぷんすこー! といった趣で振り返る。当然、余り恐くない。
しかしミドリを油断無く見つめる壮年の男は、冷静に距離を測っているようだった。
「その耳――対魔特殊部隊だな。まさか王国最強の部隊が出向いてくるとは思わなんだわ。ハイエルフというからには――その統領であろう。ゴーダムめ、抜け目無い……」
「ぬ、ぬう?」
対魔特殊部隊など聞いた事も無いミドリだ。
いつの間にかゴーダムがそんなものを組織していたとは驚きだが、少なくとも彼女には一切関係ない。
そんなことより、せっかくこれから揺すったりたかったりしようと思っていた相手と、いきなり険悪ムードだ。
どうやって仲直りしたら、末永く良好な関係が保てるであろうか? ミドリは「ここが思案のしどころじゃ……」と出来もしないことを考えている。
そして彼女は“やれやれ”と思いながら、こめかみに指を当てていた。
「まあ、待つのじゃ。まず酒のことじゃが――」
そう、大切な事は酒に関する交渉。密輸させている事を黙っている代わりに、ちょっとだけ分けてもらえればミドリはそれで万々歳だ。ニヤニヤが止まらない。
「――さすがに目敏いな。酒の密輸を見抜くか。こうもあっさり見破られるとは、死んで貰うしかあるまい」
「へっ? いや、そういうことでは……!」
いきなり「死んでもらおう」なんてビックリなミドリだ。むしろ酒のことしか見破っていないのに。
ともかく人間は知恵の生き物。まずは話し合いありきだろうと考えたミドリは、根気よく次の書類を突きつけた。
「慌てるな、話を聞くのじゃ。――次にこの金貨じゃがの、金の含有率がおかしいのじゃ。お主、大分儲けておるじゃろう? な? な?」
そしてミドリは、またしても逆効果な事を言っている。
「まったく――何処までも目敏いっ!」
スブーシュは口元を引き締め、眉間に皺を寄せていた。
スブーシュは長身で、褐色の肌の持ち主だ。藍色の髪に紅玉で飾った白ターバンを巻きつけ、豪奢な金糸を散りばめた半袖の衣服を着ている。
言うなれば、いかにも貴族と言った風体の男だ。有体に言って、とても迫力がある。
対峙するミドリと比較するなら、まさしく獅子と兎と表現できるほどだ。
その一方で、兎たるミドリは困惑している。
このままでは、みすみす酒の仕入先を失ってしまう。上手くすれば三十年くらい無料酒にありつけるかもしれないから、いつになく必至だった。
「ま、まて、スブーシュ卿、お主は少し勘違いをしておる。わしは密偵ではないし、今日はお主の息子に呼ばれて酒を――ではなく、菓子を食いに来ただけの客じゃ。
ただ――おぬしの息子、ヴィグラムは、少し悪戯が過ぎるようじゃの。その辺さえしっかりしてもらえれば、わしは別に――くふふ、分かるじゃろ? なぁ、なぁ?」
ミドリは一生懸命に悪そうな表情を作る。
しかし今日のミドリは目の下に隈などなく、単に美貌の少女が口の端を吊り上げている――といった体だ。
アイスブルーの瞳を細めたミドリの表情は、それはそれは冷淡に見えたらしい。
「ほう――流石は対魔特殊部隊の統領。随分と嗜虐的な性格だな。私に息子を殺し、自害せよと――そういうことか?」
という訳でスブーシュはミドリのこれを、権力を背景にした脅しと見て取った。
「は? まてまて、そんなことは申しておらぬ!」
まったく話に乗ってこないスブーシュに、いよいよミドリの焦りが頂点だ。このままでは野望が潰えてしまう。といっても野望を抱いてから、まだ数分ほどしか経っていないが。
「では、一体何だと言うのだ? 背後に息子を破滅に追いやる生き証人を庇い、私の罪状たる書類を服に仕舞い込んでおきながら――」
そういえば、確かにミドリは「脅迫材料ゲットー!」とばかりに書類の束を掴んでポケットに入れた。そして怯えたパドマは、常にミドリの背後で震えている。
ミドリは「んあっ!」と声を発したが、もはや後の祭だった。
スブーシュが、敵意をむき出して顔を歪める。そして二歩下がって背中を入り口の扉に付けると、浪々とした声で彼は唱えた。
「石よ」
その刹那――スブーシュの左腕にあるバングルが輝く。
金色をした腕輪の複雑な意匠に、鮮やかな梵字が浮かび上がる。それと同時に部屋の絨毯が盛り上がって、すぐにミドリ達の目の前が石の壁になった。
「ええいっ、なんなのじゃ、分からず屋めっ!」
スブーシュとの間を石の壁に遮られたミドリは、地団駄を踏んで悔しがっている。
「ふはは……残念だったな、対魔特殊部隊の統領よ。お前の敗因は、私個人の力量を舐めていたこと。いかに貴様等が王国最強の武威を誇ろうと、自然系バングルの前には如何ともしがたいであろう。
――押し潰されて、死ねっ!」
「ああ、もうっ! じゃからわしは、対魔特殊部隊なぞ知らんちゅーに。なんなのじゃ!」
ここまで来るとミドリは怒り始めた。余りに自分の思い通りに事が運ばないと、癇癪を起こすのだ。この辺り、幼児と大差ない管理人である。
「あああ、対魔特殊部隊さまっ! 大変ですっ! これ、石のバングルですっ! 自然系バングルだわっ! どうするのっ!?」
そしてミドリの身分を勘違いする人が、ささやかながら増えていた。
「じゃからわしは単なる管理人じゃと……! あ? 石?」
ブンブンと両手を振り回して怒るミドリの前に、石の壁が迫っている。
パドマはもはや、恐慌状態だった。
何しろ武器系のバングルを授かるだけでも、戦士の資格を得るのだ。最強系に次ぐ自然系の力となれば、想像を絶する。
とはいえ――この状況を打開するなど、ミドリにとっては造作もないこと。
ミドリは眼鏡を外し、ジャージの中のシャツにぶら下げる。
万が一眼鏡が石に当たって、割れでもしたら大変だ。ミドリはモノを大事にする派だった。
ミドリは床に刺したままだった炎の剣を構えると、軽く幾度か振った。
剣閃が朱色の残滓を残して宙を舞う。すると石の壁は容易く斬れて、人が通れる程度の四角い穴が開いた。
「また、つまらぬものを斬ってしまったのじゃ……」
そう言いながら穴から抜け出したミドリだったが――その先もやはり石に囲まれていた。もはや部屋全体が狭まっていると言っていいだろう。先程開けた天井の穴も、丁寧に石で塞がれている。
これは、単に前面の壁だけが迫っていると勘違いしていたミドリの失敗だった。
“ゴゴゴゴゴゴ”
上下左右から、石の塊が迫ってくる。パラパラと小石が落ちて、ミドリとパドマの体に当たった。
「ぬお? ……周囲から丸ごと石が迫っておるぞ? 部屋が狭くなっておる。こりゃあ、わしらを押し潰す気じゃのう」
「いやあああああ……! だからさっき、そう言ってたじゃないですかー!」
パドマは肉体の憔悴も忘れて、ミドリの肩を掴んでブンブンと振っている。ミドリは頭をガクガクと揺らされながら、ジャージの腕を捲りバングルを発動させた。
「黙るのじゃ、パドマ。わしには、この腕輪があるから大丈夫じゃ」
中空に浮かぶ赤褐色の瓶を指差し、ミドリが誇らしげに胸を張る。しかしパドマは目尻を吊り上げ、泣きながら怒っていた。
「そんな瓶を出して、どうするんですかっ! それ、酒瓶じゃないですかっ!」
「じゃからこれ、便利なのじゃ」
「それって死ぬ前にお酒飲んでおこうとか、そういう理由で出したんですかっ! いいですよ、付き合いますよっ! どうせ死ぬんならねっ!」
なにやら本当に死を覚悟したパドマは、ここまで来ると逆に元気になっていた。
ミドリは首を傾げ、「そうか?」と言って、とりあえずパドマにどぶろくを一杯差し出しすことにした。
ついでに自分も一杯、飲んでおこう。あ、もう一杯。
石の壁が迫っているが、そこは超水圧で支えながら――
「これ、スルメじゃ。美味いぞ」
「え、気持ち悪い――ホントに美味しいんですか?」
「嘘などつかん、ほれ」
「あ、ホントだ……あ、お酒も美味しい……なんでこれが、禁止されてるんだろう……」
ふんわりほろ酔いとなったパドマは、こうして恐怖から解放された。
しかし恐怖から解放されてみると、危機的状況である今が、とても面白くなってしまったパドマである。
「あはははは! 止まってる、止まってる! どぶろくで石が止まってるぅー!」
ミドリは、(酒癖の悪い女に酒を与えてはいかんのぅ)と、自分を棚に上げ、考えたのであった。




