13 管理人さんに関する認識の相違
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すっかり辺りが暗くなっても、管理人が戻らない。それだけではなくシャクティも戻らないから、イルファーンはヒノデソウのエントランスで忙しなくうろついていた。
じっとしていると気分は暗澹とするし、動いていれば焦燥感にかられる。どうしてみた所でイルファーンは、精神状態を良好に保てそうもなかった。
「バハールさん! パンツなんか被ってないで! ミドリさんが心配じゃないんですかっ!?」
一方、エントランスのソファーに座る、筋骨隆々とした上半身裸の男――バハールは、ちゃっかりミドリのパンツを頭に被っている。
やはり紳士の嗜みとして、貰った女子のパンツは被らねばならないのだ。それは礼儀であり、礼を失すれば即ち、友を失う。
「心配? 俺が? あの管理人を? ぷっ! そもそもこれは、あの管理人のパンツだぞ?」
「笑ってる場合じゃないでしょう!? ていうか変態か? 変態なのかっ!?」
イルファーンは余りのことに驚愕した。まさかあの管理人のパンツを嬉々として被る男が存在するなど、信じられない。
とはいえ、よく考えたら美人に見えなくもない管理人だ。需要はあるのかもしれない、と、イルファーンは唸った。
しかしそんな純粋な少年をあざ笑うかのように、バハールは口の端を吊り上げている。
「俺が変態? 違うな。類稀なる紳士だぜ?」
バハールの言ってることは、ムチャクチャだ。これが世界屈指の戦士だなどと、信じたくない気持ちで一杯のイルファーンは涙目になった。
「これが竜殺しのバハールなんて……嘘だ。嘘だと言ってくれ。精霊さま……そ、そうだ。だいたいどうしてそんな有名な人が、こんなアパートに……」
「あ? 俺があのバハールだ、間違いない。金がねぇのは、竜を殺しても金にならねぇからに決まってんだろう? だから暇な時に傭兵やってんだよ」
そんな事情だったなんて、世知辛いよ――と思いながら、イルファーンは放心している。
口から魂が抜け出しそうなイルファーンの肩をポンと叩き、バハールはさらに言葉を続けた。
「――とはいえ心配といえば、心配だ。だってあの管理人だぜ? 飲みすぎて帰ってきたら、誰がアレの面倒を見るんだ。俺はゴメンだぜ?」
パンツを被っておいて、よく言う――と、咄嗟に思ったイルファーンは、しかし考えた。
(ん? パンツを被っても、酔った女に手は出さない? あ、これは確かに紳士かも)
そしてここで愕然としたイルファーンだ。もはやバハールのペースに嵌っている。これはマズイ。軌道修正が必要だろう。
「も、問題が違いますよ! 聞いてませんか? ミドリさんは今、殺人鬼の家に行ってるんですよ! シャクティと一緒に! このことが心配じゃないんですかって、そういうことですっ!」
「殺人鬼? そうだったのか? ふむ――シャクティちゃんも一緒か、へぇー。でもだったら何でお前、行くのを止めなかったんだ? 知っていたんだろうに」
「そ、それはっ! 俺には事情があって――……それよりバハールさんは、聞いてないんですかっ!」
「聞いてないな。そもそも管理人は、随分と嬉しそうに出かけていったしな。ところでソイツは、魔王やら魔竜王やらよりも強いのかね?」
「いや、そこまでは――人間ですし。ただ貴族なんで、色々と面倒なんです」
イルファーンの答えを聞いたバハールは、つまらなそうに鼻を鳴らす。そして思い出したようにミドリのパンツの匂いを嗅いだ。
「ハイエルフってのは、急に成長するんだぜ? 多分ミドリは、本当の意味でもうすぐ大人になる」なんてことを、クンクンしながら言っている。
やはりコイツは変態だ。しかも並のヤツじゃない――と断じたイルファーンは、僅かに後ずさった。しかし勇気を振り絞って声を発する。
「今はそんなこと、関係ないでしょう?」
「まあ、そうだな。
――そんなに心配なら俺がその殺人鬼の所へ行ってやってもいいが、なあイルファーン。お前は俺に、何をくれる?」
「何って――」
「ミドリさんは俺に、パンツをくれたぜ? だから今、俺はあの人の頼みごとを聞いている最中だ」
「ん……じゃ、じゃあ、俺もパンツを……」
イルファーンは赤面しつつ、ズボンに手をかけた。バハールが茶を口から零している。ダバダバ――と音を立てて、テーブルの上が水浸しになった。
「い、いらねぇ。と、とにかくミドリさんは、俺に留守番を頼んで出かけて行った。となれば俺は、ここを守るだけだ。だけだったら、だけだ。――だが、そういえば」
いらないと言われて、少しだけホッとしたイルファーンだ。しかし竜殺しとして名高いバハールに状況を見てきて貰うということは、これで断念せざるをえないだろう。
ともかくも腰帯を再び止めつつ、イルファーンは続くバハールの言葉を待った。
「出かける前に管理人がな、こんなことを言っていたぞ。『イルファーンが帰ってきたら、わしは虎穴に入ってくるゆえ、万が一の時はかねての予定通りに頼む――と伝えてくれ』ってな」
「え?」
この時、ようやくイルファーンは先日ミドリが言っていたことを思い出した。『“闇の三ムフールタ”を過ぎても戻らないときは、インデュラに知らせろ』
ミドリは確かにそう言っていた。それこそが、助けを求めるものではなかったか? そして丁度今が“闇の三ムフールタ”だった。
「なんか思い出したかい?」
二つの穴から覗くボサボサの髪を掻きながら、バハールが呆れている。そして言葉を続けた。
「ま、あの人の言うとおりにしてりゃ、大体のことは解決するさ。まずは、信じるこった」
イルファーンは首を傾げて、バハールの言葉を訝しむ。信じるに足る要素が、ミドリの単身痩躯に詰まっているとは思えないのだ。
しかし反論する時間は無い。こうしている間にも、闇の三ムフールタが過去の世界へと旅立っている。
急いで準備を整え武器を携えるとイルファーンは、ヒノデソウの裏にある厩舎に向かった。
彼の武器化バングルはチャクラムだから、一応剣も腰に持っておきたいのだ。
それにしてもカチャカチャと音を立てる腰の剣に、イルファーンは少しだけ情けない気持ちになる。
(シャクティなら、剣など持ち歩かなくてもよいのに。俺のバングルは――使い勝手がなぁ)
厩舎では、三頭の馬が仲良く草を食んでいた。そのうちの一頭――一番大きく、ミドリがどう頑張っても一人で乗れない馬を選んでイルファーンは跨った。
これらの馬は、ヒノデソウの住民なら誰でもが乗る権利を持っている。ただし、利用する度にお金を取られるから、あまり使いたくないイルファーンだ。
とはいえ今は仕方がない。背に腹は代えられない状況なのだから。
後に英雄王と呼ばれるイルファーンも、今はまだ若輩の身。大小さまざまなチャクラムを無限に作り出して中距離無双を誇るのは、まだまだ先のことだった。
◆◆
褐色の馬が疾風の如く駆け去ると、三区の薄汚れた街路に砂埃が立ち上る。蹄の音が夜の街に響き渡り、時折住民が五月蝿そうに顔を覗かせた。
「うるせぇ! 夜に馬なんぞ走らせるんじゃねぇ!」
本来ならこのような時分に三区から二区に入るのは、多少手間取るだろう。しかし、普段からインデュラと連れ立って歩いているイルファーンのことは、門衛も覚えてくれていた。
「インデュラさまのところへ行きたいのだけど――」
イルファーンがこれだけ言うと、兵士はニヤニヤしながら「身分の低い愛人ってのも、大変だな」などと言って寄越す。もちろん道は通してくれたが、どこか彼は不本意だった。
こうしてイルファーンがインデュラの邸に到着すると、彼女は完全武装で姿を現した。さらには百人からの私兵を従え、臨戦態勢を整えている。
意味がわからず口をパクパクとさせるイルファーンは、しかし同時にこの状況を頼もしく感じた。これなら最悪の場合でも、ヴィグラムの邸に突入できる。
「これは……?」
「決まっている。お前が来たということは、ミドリさまが戻らんのだろう?」
「そ、そうです。シャクティも」
「ならば、状況は整った――イルファーン、私を酷い女だと思うか?」
「ど、どういう、ことですか?」
星が輝く空の下、戦の前に昂ぶる馬を御しながらイルファーンの赤い瞳を見据えるインデュラは、不思議そうに目を瞬いた。
「事情を知れば、ミドリさまが何かしらの手を打って下さると、私は信じていた。恐らく今頃はパドマを確保し、或いは他にも何か重大なものを見つけていらっしゃるだろう。だから私は安心して、ヴィグラムの邸に乗り込むことが出来るのだ。
――こうしてミドリさまが、私に大儀を与えて下さったから」
「は? ミドリさんが? ――まったく意味が分かりません。彼女はお酒を楽しみにしていただけですけど……あ、お菓子も。だいたい今だって、ミドリさんは捕まってるんじゃないですか? それで心配だから、俺……」
「ふふ――お前にも真意を告げておらんのか。まったくミドリさまは、いつもそうだ。付いて来るがいい、イルファーンよ。お前にも、ミドリさまの真実を見せてやろうではないか」
まるでミドリのことを、何事も告げずに敵地へ向かう世紀末救世主か何かと勘違いしているようなインデュラの口ぶりに、イルファーンは戸惑いを隠せない。
しかしインデュラがそこまで信奉するのだから、もしかしたらミドリは凄いのかもしれない――とも思い始めている。
実際に最強系バングルを使っているし、考えてみたらそれで単なる管理人という方が不思議だ。
「は、はい」
というわけでイルファーンは強引に自分を納得させて、頷いた。
もちろん実際のミドリは、今のところ寝台に括りつけられている。確かにパドマの所在と生存こそ確認したが、その代わり自分の生存が危うくなるという愉快な事態になっているから、差し当たりインデュラの期待は裏切っていた。
――――
夜の街路を、インデュラと共に軍勢の先頭に立ってイルファーンは進む。向かう先はヴィグラム邸だった。
手綱を握る手に力がこもってしまうのも、仕方が無いことだろう。もしも戦闘が行われるなら、これはイルファーンにとって初陣ということになる。武者震いもするというものだ。
「そう固くなるな、ダーリン」
「ダーリン!?」
こんな時でも純白の衣服を着てダーリンと呼ぶ、もはやインデュラの気持ちが分からないイルファーンだ。だから怪訝そうにイルファーンは、彼女の横顔を見た。
気の強そうな太い眉と釣り上がった目こそ恐いが、夜の中で浮かび上がるその美貌は、イルファーンにとって憧れるに足る姫君の姿だ。何としても彼女を守らねば、と思う。
「巻き込んで、悪かったな」
イルファーンに見られていることを自覚してか、顔をプイと逸らしてインデュラが謝る。
イルファーンはハッとした。
今、間違いなく自分に対して貴族たるインデュラが、謝罪の言葉を口にしたからだ。
イルファーンは思わず馬から落ちそうになった。しかし鐙に力を入れてなんとか踏みとどまると、務めて冷静な声を出す。
「いや、これも俺を護るためだったと聞いています。それにインデュラさまは言ったじゃないですか。従っていれば、悪い様にはしない――って。だ、だ、だから――別に謝罪なんていらないです」
「私を――信じてくれていたのか?」
逸らしていた顔をイルファーンに向けて、インデュラが目を見開いている。
夜の中でもそこだけが晴れ渡った空の様に、真っ青な瞳がイルファーンの顔を覗き込んでいた。
思わずイルファーンはその美しさに見惚れてしまう。
別に最初から彼女を信じていた訳ではない。むしろ今でも半信半疑だが、そうだとしてもインドゥラの一途さは尊ぶべきものだとイルファーンは思った。
だからこそシャクティだけを見ていた彼の瞳が本当の意味で今、初めてインデュラに注がれたのである。
「インデュラ――」
イルファーンの口を衝いて出た言葉に、敬称は含まれなかった。そして二人は暫し、馬上で見詰め合う。
「ぶ、無礼者っ! 私を呼び捨てにしたければ――相応の武勲を立てて貴族に列せよっ! この腐れ下郎がっ!」
頬を桃色に染めたインデュラが、再びそっぽを向く。しかしその罵声はいつもより歯切れが悪く、イルファーンはどういう訳か彼女が励ましてくれているように思えたのだった。




