1 お酒と管理人さん
◆
コンドー・ミドリはハイエルフである。
彼女の野望は、ここ――ルガル王国政府の転覆だ。その理由は多々あれど集約するなら、この一言に尽きた。
「我が身の不遇は、ひとえに王国のせいじゃ!」ということ。要するに、単なる逆恨みである。
ただ――どういう訳か、コンドー・ミドリが王都に住み着いて以来二百年、王国の基盤は磐石だった。
とはいえ、二百年のうち全てが全くの平和に過ぎたわけではない。小さな反乱騒ぎや王族同士の内乱などは、幾度もあった。ただ、その度に、何らかの勢力が動き、隠密裏に平和が取り戻されていたのだ。
その中でも王国における最大の危機が、今から二十年前にあった。
廃墟であった北の地下迷宮から、見た事も無い魔物が大挙して現われたのだ。また、その魔物達を率いる魔王も、屈強を極めた。
さらに魔王は近隣の魔族達を集め、自らの配下と為し国家を建設。真っ向からルガル王国と覇権を争ったのである。
ルガルの将軍達は次々に討ち取られ、劣勢を強いられたルガル軍は、いよいよ王都まで後退を余儀なくされる。そして名のある戦士達の誰もが魔王に挑み、誰もが散っていった。
「もはや王国も、これまでか――」
「いや、陛下! まだ我等にはアジュメールが残されております! かの地で捲土重来を!」
「しかし――かの地では伝来の制度を保つことが出来ぬ」
「この際、致し方ありますまい……!」
これには国王さえも肩を落とし、大臣達も王都を捨てる決意を固めるしかなかった。そして東西大陸交易の要衝、アジュメールに遷都しようかという運びにまで至った時分である。「名も無き五人の冒険者が、魔王を討ち取った」という報せが王宮へ齎されたのだ。
王は喜び、急ぎ、五人の冒険者達を王宮へ招聘した。そして彼等はそれぞれ、その名を国中へ轟かせたのである。
一人は黒髪碧眼、長身の最強剣士ゴーダム。
一人は赤髪緑眼、百発百中の弓使いアニラ。
一人は茶髪茶眼、豪腕の巨漢、斧使いプラブフ。
一人は緑髪碧眼、優しき精霊使いラクシュミ。
そして最後の一人は――「お腹が痛いのじゃ。迷宮は冷えるのじゃ!」と言って魔王を倒したら、そそくさと家に帰った人。なので当然、王宮にも姿を現さなかった。
あれから二十年の月日が流れた現在――
ゴーダムはアニラを妻とし、現在では王国宰相を務めている。
ブラブフはラクシュミを妻とし、現在では王国戦士団の団長だ。
そして幻の五人目の正体は現在に至るまで、杳として知れない。
ともかく――名も無き五人の冒険者が魔王を撃退し、彼等が位人臣を極めてゆく物語は、民衆がもっとも好むサーガだ。
そして物語は最後に「――そして風に乗り去った五人目は――ハイエルフの女王」と、締められるのだった。サーガとは、常に美化されるものである。
――――
「へっくち」
かつて魔王を倒したうちの一人であるミドリは現在、王都イル・マンディの南三区にある、小さな集合住宅の管理人をしている。
一応絶滅危惧種に認定されそうなハイエルフなのだが、その正体がバレることもなく、あまつさえ五英雄の一人だと知られることもなく、ごく普通に生活をしているのだ。
しかも南三区といえば、厳格な身分制度が敷かれたこの国において、基本的には平民以下の者が多く暮らす地域だ。つまるところ、貴族や王族であれば、滅多に訪れることのない貧民街。
要するに六割の平民と三割の解放奴隷、そして一割の戦士階級が暮す界隈。スラムの一歩手前といえる場所に、である。
「ふぁあ……あ……」
大して広くも無い部屋で、簡素な木製の寝台を軋ませながら上半身を起こしたのは、金髪の麗人だった。けれど彼女は大口を開けて欠伸をしたかと思うと、”ぶっ”と特大のオナラをする。
それから胡坐をかいて、髪をボリボリと掻きながら、枕元に置いてあるだろう眼鏡へと手を伸ばす。
「めがね、めがね……」
眼鏡は中々見つからなかった。癇癪を起こした彼女は、「ふむー!」と怒りながら立ち上がる。随分と勢いが強かったのだろう。彼女の頭に乗っていた眼鏡が、ポロリと寝台の上に落ちてきた。黒い太縁眼鏡だった。
「ああ、そういえば昨日、本を読みながら寝たのじゃ」
再びベッドの上で胡坐をかいた彼女――コンドー・ミドリは、寝台の横で伏せられた本を見つめる。本はうず高く積まれた本の山の頂で、背表紙を上に向けていた。
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「うへへ」
本のタイトルを見たらムラムラしてしまった彼女は、つとその隣に置かれた酒杯に眼を向ける。酒杯もまた、うず高く積まれた本をテーブルにしていた。
どうやら彼女は昨夜、エロ本をツマミに一杯やりながら眠ってしまったらしい。彼氏いない暦二百六十年の彼女にとってエロ本は、大切な夜のお友達なのである。
そして彼女にはまた、無二の親友がいた。そう――酒である。酒は百薬の長であり人類の友だが、ハイエルフにとっては、かけがえのない親友だったのだ。
「おお、友よ、わしを待っておったのか!」
少し頭が重いが、友の頼みは断れない。
コンドー・ミドリの脳内では、酒が「友よ、飲み干してくれたまえ!」と叫んでいた。
こうなれば、もうすぐ仕事の時間ではあるが――致し方ない。ミドリは酒杯の中身を、急いで喉へ流し込む。
「友よ、ごちそうさま」
つまりコンドー・ミドリは、廃エルフなのである。
――――
午前七時二十分。二〇二号室の住人、イルファーンが早い足取りで階段を下りてきた。
コンドー・ミドリはハイエルフらしい、やや横に伸びた長い耳をヒクヒクとさせて、足音の主を特定する。
「む、バハールか。あやつ、いつの間に帰ってきたのじゃ?」
もちろん廃エルフには、足音で人物を特定する機能など備わっていない。当てずっぽうに言っているだけだ。しかも――正解だったら酒を飲もう。そうしよう、などと考えている体たらくだった。
ちなみにミドリは緑色のジャージを着て、胸元に“コンドー・ミドリ”と書かれた名札をぶら下げている。管理人としての嗜みだ。
左腕に巻いた黄色地の腕章には、黒い文字で“美人管理人”と記載されていた。大切なことは“美人”という文字。それ以外は、飾りである。
ミドリはエントランスの鍵を開ける為に、住居兼管理人室をフラフラと抜け出した。そこでちょうど、二階から一階に到達したイルファーンと鉢合わせになる。
「あ、おはようございます」
「ちっ、イルファーンではないか。見誤った罰として、酒を飲まねば」
どうやらミドリは、不正解でも酒を飲むらしい。
そんな彼女は迎え酒が深酒に進化しているので、とても酒臭い。ハイエルフといえば口臭はフローラルの香りだというが、ミドリからはどぶろくの匂いがした。
けれどそれすら気にならないのか、俯き加減のイルファーンは軽く会釈すると、早足に出かけてゆく。
ミドリは彼の背中に目を留め、「朝から、わしの様な絶世の美女を目にしたのじゃ。少しは欲情せぬか……」と、口を尖らせていた。
抱きつかれた時の反応を三パターンほど用意していたのに、全てが台無しだ。ミドリは「むふー!」と唸っている。
そんなミドリは、金糸の様な長い髪とブルーサファイヤの様な瞳を持つ、麗しいハイエルフだ。けれど――目の下にある隈が、どうしても消えない。それが悩みの一つの――うら若き二百六十歳の乙女だった。
ちなみに他の悩みは伸びない身長や、ちっとも大きくならない胸――などなど、主に幼児体系を未だに脱せないことをミドリは気にしていた。
傍から「体は子供、頭脳は老人! 一周回って、見た目通りの廃エルフ!」などと揶揄されるたび、
「わしはハイエルフじゃ! 産業廃棄物ではないのじゃ!」
――と喚く。もちろん皆、生暖かい目で彼女を見て溜息をつくだけ。誰も彼女が本当に“ハイエルフ”だと、信じる者はいなかった。
そう――かつて共に旅をした、四人の英雄たち以外は――




