1-3 魔王の実技演習
「今日は実技演習を行う。皆、発動機はちゃんと持ってきたな?」
先生の問いかけに、返ってくるのは歓喜の声だ。
炎弾や鎌鼬など、平常では扱えない攻撃魔法を容赦なく使えるとなればご機嫌にもなるだろう。
そんなありふれた魔法さえ使えない私としてはどうでもいいことだけど。
「比留間と峯岸は第二実験室へ行け。学長が雑用係を欲している。他は実習室に」
「はい」
「了解しました」
先生の言葉に頷き、比留間君と二人立ち上がる。
「可哀想になぁ。魔法が使えないからって雑用たぁひでえもんだ」
「ああ、全く。俺らもああはならねえよう気をつけねえとな」
クラスメイトの言葉が棘のように胸に刺さるが、特に気にはならない。
「行きましょう、比留間君」
「随分とやる気があるな。いいぞ、その熱意こそ誉れだああ待て待てそう引っ張るな肘が伸びる」
苦笑する比留間君の声が聞こえたが、それも無視して足を早める。
我ながら浮き足立っている。
雑用は、嫌いじゃない。
「やぁ、よく来てくれましたね」
失礼します、と頭を下げた私に学長、犀塔和人は柔和な笑みを見せた。
年は二十五歳。
比留間君と同じくらいの長身に、学生にすら見て取れる若々しい容姿とは裏腹な、燃え尽きた灰を思わせる髪色。
深い藍のサングラスにシルバーリングといったアクセサリーと真っ白な白衣がひどくアンバランスな、我が校のトップにして魔法学の元帥と呼ばれる怪物だ。
「ケーキを買ってありますから一緒に食べましょう。瀬良さんからどうぞ。レディーファーストです」
「え、いや、あの、授業中なんですが」
「魔法で作ったということにしましょう。ええ、調理実習と思えば」
「え、ええと..............」
初手から飛ばしていらっしゃる。
どうしたものかと困り果てる私の肩を、比留間君がぽんと叩き、前に出る。
「お心遣いありがたいが、遠慮させてもらおう」
さすが男の子、たまには頼りになる。
「いや、瀬良は昨日特大のパフェを一人で食べ切ってな。お年頃なのだよ」
さすが比留間君。死ねばいいのに。
「ああ、そういうことですか。どうも昔から女心に疎いもので」
「セクハラで訴えてもいいでしょうか? 二人とも」
「では、このケーキは損害賠償ということで」
そう言って箱ごと手渡される。
「時間固定の魔法をかけてあります。フォークが触れた瞬間解けるようにしてありますから、いつでもお召し上がりください」
「..............学長、時間固定に関する論文に覚えがないのですが」
「瀬良さんにそう断られると思ったので頑張って作りました。徹夜です」
「そうですか、徹夜ですか。お疲れ様です」
まだ世界の誰もがなし得ていない魔法を保冷剤程度で代用の効く場面のためにたった一日で。
そうですかそうですか。
「技術方面の就職も諦めた方がいいかもしれないわね..............」
「こんな化け物ばかりではあるまい。諦めてはそこで就活終了だろうに」
「妥協的な意味でね」
小さくため息を吐く私に、学長はやや慌てた様子で口を開く。
「だ、大丈夫ですよ瀬良さん。魔法開発以外にも発動機開発や魔法解析があります。瀬良さんは非常に優秀ですから、 ぜひとも開発職に就職していただけると私が助かります」
「魔道元帥の助けになれるとはとても思えないのですが..............」
「そのようなことはありません。今からでもお願いしたいくらいで。..............ここ二週間家に帰れていないので、嫁が、その」
「あぁ..............」
そういえばこの前学園まで押しかけられてたなぁ。
「世間話もいいが、そろそろ授業と行こう学長。時間も限られている」
「そ、そうですね。失礼しました瀬良さん」
「い、いえ、お気になさらず。愚痴でしたらいつでもお聞きします」
「有難うございます。ぜひとも頼らせていただきます」
ひしっと手を握られる。よほど追い詰められているようだ。魔道元帥を追い詰める嫁..............。
「..............」
ふと気がつくと、比留間君がじっ、とこちらを見ていた。
「..............何?」
「いや..............なんでもない」
「そう..............」
なんでもないならやめてほしい。心臓に悪い。
「青春ですね」
学長五月蝿い。
きっと睨むと、学長は誤魔化すように弱々しく微笑んで、ぱんと手を叩いた。
「では、始めましょうか。有馬くん、瀬良さん」
「ああ」
「はい」
頷き、有馬くんは実験室の中央へ向かい、私は学長の隣へ。
「―――[[rb:肯定する > 繋げ]]」
詠唱と同時、室内に所狭しと並べられた機材に光が灯る。
これら全てが今から比留間君の挙動を観察し、逐一データ化する。
「器量測定、算出。器量1248。内存在核保有領域、672。魔法実行用領域、576」
計測が始まる。
魔法とは、器を用いて物事の存在を肯定し、具現化させる奇跡の法だ。
その仕組みはコンピュータのプログラムに近い。
元々、器というHDDが存在し、その中に存在核と呼ばれるOSが存在する。このOSが人間個人の存在を肯定しこの世に現界させており、またこのOSによって魔法というプログラムが走る。
行使に伴う容量の消費は魔法によって様々であり、緻密で広範囲に渡る魔法であればあるほどデータが大きく容量を食うとされている。
プログラムというとプログラムを動かす効率を示すメモリの概念が存在するが、それは個々人の適性に依るところが大きく、治癒魔法を行使する際に擦り傷を十秒かけて治す者もいれば骨折を一秒足らずで回復させる者もいる。そこは向き不向きとなっている。
人々は器量から存在核の領域を抜いた魔法実行用領域を用いて魔法を扱うわけだが、元々の器量や存在核の大きさに個人差があるため、器が小さかったり、私のように器こそそれなりに大きいものの存在核が大きいなどといった理由で魔法行使に十分な容量を持たない者も幾らか存在する。
器量を増やす方法も存在し、それが根幹となって魔法律を支えていたりするのだが、大抵は諦め、一般人として道を歩むことを選ぶ。
私のようにしつこく食い下がっているものは、そういない。
さて。
ここまでの話で矛盾に気づいた人もいるだろう。
割れ皿。
そう呼ばれていたはずの男が、魔法行使に十分な容量を持ち合わせていることに。
「では、有馬くん」
「了解した」
学長のGOサインに頷きを返し、それから私をチラ見して、比留間君は目を閉じた。
「瀬良さん、計測を」
「はい」
キーボードを鳴らし、設定を調整、彼専用の計測器を組み上げる。
「瀬良」
「何?」
「..............見惚れるなよ」
くっ、と笑ってから、
「―――[[rb:同調 > シンクロ]]」
小さく、自嘲するように告げた。
刹那、その体躯が橙に燃え上がる。
「器量、存在核保有領域、ともに変化なし。魔法実行領域、使用率27%」
「魔法解析、検索..............該当データ一件。身体強化・序。効果、対象の肉体強度を一割程度上昇」
「肉体強度というレベルではありませんね、やはり」
存在核はOSであり、人類は皆同様のOSを持っていた。
そのため開発される魔法もそのOSの規格に合わせたものであり。
それ故、仕様が異なったOSがそれらの魔法を実行した場合、本来ではあり得ないものが具現化される。
ただの肉体強化で体躯が燃え上がるように。
どういうわけか、比留間君の存在核は他の人々のそれとは大きく在り方を変えていたのだ。
「幾つか魔法を使ってもらえますか? 炎系のを」
「実験室炎上するが大丈夫か」
「予算はあるので」
「学長、そういうことじゃないです」
「この前ボヤ騒ぎになったのを忘れたか」
「そうでしたそうでした。何のためにこんなところでこそこそやっているのかという話になりますね」
軽く笑い、それから学長は比留間君に水や風の肯定を促す魔法を使わせた。
ただの水鉄砲が炎剣と化し、そよ風は鬼火となる。
「エラーが起きて爆発しないのが逆に怖いですね」
「そんなさらっと怖いこと言わないでください学長」
「最悪の場合は私が守りますから。あ、有馬くんに助けてもらえるから大丈夫ですね申し訳ありません」
「その時爆発してると思うんですが当人」
「こう、爆炎の向こうから歩いてくる、みたいな」
「爆炎もついてきますよね本人爆発してますし」
「はは、ちょっとしたキャンプファイヤーみたいですね有馬くん」
「ああ、よく言われた」
言われたんだ..............。
「焚き火代わりにしたはいいものの温度のない焔だからな、まるで温まらずしまいには徳用カイロにも劣ると罵倒されたものだ」
「散々ね」
「その点瀬良はいい。私自身が暑苦しいから気にならないし、何より綺麗だと言ってくれた」
「ちょっ..............」
「おや、惚気ですか?」
「..............素直な感想です。他意はないです」
本当に綺麗なのだ、あの橙は。
泣けてくるような、鮮やかな黄昏。
「どこでもキャンプファイヤーと名を改めるためにも早急に研究を進めろ、和人。お前の才能を信じている」
「言われずとも。あなたの協力によって解析が進めば、器量はあるのに魔法を扱えないという事態も解消できるかもしれませんし」
「そこの貧乳も、今よりずっと魔法が使えるようになるかもしれない。そうだろう?」
「おや、口の悪い。貧乳ではなく砂山と言いなさい有馬くん」
「構いません、学長。言わせてあげてください」
「なるほど、Sと見せかけてMでしたか」
「法廷で会いましょう」
「クッキーの缶がありますのでどうぞお持ち帰りください」
罵倒など慣れ切ったものだし、何よりよほどのことがない限り人をバカにしない彼があんな安っぽい戯言を吐くのは決まって照れを隠そうとしている時だけだ。
「..............」
先ほどのお返しとして、精一杯嬉しそうな顔で「気づいているぞ」と伝えてやる。
「..............」
スッと視線が逸らされ、代わりに髪先の焔がふわりと揺れた。
可愛らしい。
「いい時間ですね。終わりにしましょうか」
ぱん、と学長が手を叩き、機材から光が失われる。
「お疲れ様です、二人とも。珈琲を淹れますから座っていてください」
手で示されたソファーに二人して腰掛け、部屋を出ていく学長を見送る。
相変わらずよく沈むソファーだ。人としてダメになりそうになる。
「..............」
それとなく詰めた距離に、比留間君は一瞥を向けた後、特に気にした様子もなくそっぽを向いた。
これ幸いとばかりに、彼の隣を味わう。
まだ一月しか経っていないというのに、随分と慣れてしまったものだ。
「..............ありがとう、比留間君」
「何の話かまるで分からんな」
「そう。なら分からなくてもいいわ」
「..............」
文句ありげに眉根を寄せ、しかし何も言わない比留間君。
「ここだと随分口数が減るわね。緊張しているの?」
「授業中だ、私語は厳禁だろう?」
「それに、まぁ、なんだ。緊張もしているのだろう」
「そうなの?」
「ああ」
頷き、比留間君は自嘲気味に口の端を歪めた。
「..............あの焔は、私の熱意そのものだからな」
「..............綺麗だったと、思うけれど。今日も」
「そう言ってもらえると、ありがたい。お前からだと尚更」
「そうなの?」
「そうだとも」
「..............そう」
小さく頷き、緩む頬を見られまいと他所を向く。
顔が痛い。
今まで使われていなかった表情筋が動いているからだろう。
「..............」
それとなく触れた手のひらの、柔らかな感触に心地よさを覚える。
優しく握り返され結ばれたつながりは、学長が帰ってくるまで絶たれなかった。