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プロローグ1

 夜の紺色に染まった森は薄暗く、木々にぶら下がっている葉っぱが怪しくそよいでいる。人によって踏み固められた山道の先に、隠れるようにたたずむ一軒の小屋が、二つの満月に照らされている。そこで、小さな産声が響き渡った。

 声を聞いた、歳もまちまちな三人の男性たちは、構えていた各々の武器を下げて、後ろにある部屋の扉を振り返った。少し間をおいて、勢いよく扉を開け放った女性と目が合った。焦りを隠しきれない彼女の表情に、一同が息をのむ。

「どうした」

 小柄な男がかすれた声で訊ねた。女性は彼を見やると、か細い声で状況を伝えた。

「双子、なんです」

 その事実に驚き、彼らは互いに顔を合わせ「まさか」「信じられない」と、戸惑いの言葉を口にした。異様なざわめきの中、布でくるまれた小さなものを抱えた年配の女性が姿を現した。

「この子が、双子の兄の方です」

 男性たちがおずおずと、彼女の抱える赤ん坊の元へと近づいていく。赤ん坊の薄い皮膚はまだ赤く、しわだらけの顔に、うめくような声を発している。緊張し続けていた彼らに、穏やかな笑顔が広がっていく。

「もう一人はどうした」

「いえ、まだ……」

 女性が振り返った先の部屋の中では、未だに痛みをこらえる悲鳴と、励ましの言葉がこだましていて、男たちは、その痛々しい雰囲気から目を伏せて後退った。

「こちらは心配ありません。大丈夫、順調ですから」

 強い眼差しで答える女性に、

「すまない。出産のための十分な環境を与えてやれなくて」

 と、手に持った武器を強く握りしめて、中年の男が呟いた。

「双子が生まれるのは、いつ以来なんだ?」

「確か、二百年ほどは、そのような記録はありません」

 今日、生まれ来る赤ん坊は特別な存在だ。それなのに双子とは、ほぼ前例のないことである。先の見えない事態に、小屋の中に沈黙が落ちる。

 困惑した青年が、ふと窓の外に目を向けたそのとき、森の中で何かがうごめくのを認めた。そして、沈黙を吹き飛ばす大きな音とともに玄関のドアが突き破られ、様々な軽装の鎧を纏った兵士が七人ほどなだれ込んできた。

 いきなりの襲撃に、小屋の中の人々は咄嗟に反応できないまま立ち尽くす。武装した兵士たちは屋内を見回し、年配の女性が抱える赤ん坊を見つけると、

「いたぞ!」

 と、外の仲間にも聞こえる声量で叫んだ。

 兵士たちは赤ん坊に向き直り、ガチャガチャと鎧を鳴らしながら押し寄せてくる。そこに、中年の男が、装飾が施された槍を握りしめて駆け出した。一人の兵士が彼の前方に躍り出て、左手に持った盾で男を突っぱねた。男ははじき返され、天井を仰ぐ。

「貴様ら、卑劣だと思わないのか! その赤ん坊は、まだ何もしていないんだぞ」

 床に転がりながらも訴える男に、なおも立ちふさがる兵士がくぐもった声で答えた。

「だが、これからするんだろう。だから、その前に手を打っておくという、長の決定だ」

 頭全体を覆う兜の隙間から、鋭い眼光を放ちながら、兵士は続ける。

「こんなこと、オレたちだって不本意だ。だが、オレたちの街を守るために必要なんだ。頼むから、抵抗しないでくれ」

 兵士の背後で、突如、若々しい声が飛んできた。

「戦争に負けるからって、やっちゃいけないことってもんがあるだろうが!」

 重々しい空気に逃げ腰になっていた青年が、意を決して叫んだ。がたいのいい兵士がその言葉を聞き、足を踏み鳴らしながら青年に近寄ってから、低い声で告げた。

「おい、若造。おまえも、戦争を『風習』とでもいう口か? 統治という旗のもとにオレたちの地域は常に不自由を強いられてきた。おまえたちアマルテアの人間は、戦争なんてただの歴史としか思っていないだろうがな、オレたちにとってはそんな枠には収められないんだよ。負けた地域では、そう簡単に戦争っていうもんを割り切れないんだよ」

 凄みをつけた語り口に、青年は思わず閉口した。

 先頭の兵士が、赤ん坊を抱える女性の前で立ち止まった。

「そういうことだ。私たちは今度勃発するであろう戦争に勝利し、本当の自由を得る。だから、黙ってその子を渡してくれ。その子に危害は加えない。ただ、今度の戦争に関わらせないだけだ」

 震えながら呆然と立ち尽くす女性から赤ん坊をゆっくりと奪い取ると、兵士たちはあっという間に外へと飛び出した。その姿を目で追っていた青年は、強く歯を食いしばるのとともに勢いよく立ち上がり、同じく森へと駈け出した。

「おい! どこに行く!」小柄な男が声を張り上げる。

「決まってるでしょう! 追いかけて、あの子を取り返すんですよ。あいつらは一本道しか知らないでしょうが、オレは森の中の道にも詳しい。抜け道を通れば追いつけます!」

 そう叫んで、木々の中へと姿を消した。

 足早に駆ける兵士の一行は、クリュメネ断崖沿いの山道を下っていた。この崖は昼間でも底が見えないこともあってか、崖下は異なる世界につながっているなどの、想像の域をでないような噂が絶えない。真意を確認しようと、いくつかの調査団がこの崖を調査したことがあったが、この地の途方もない広さと深さに計画は頓挫し、中断されている。そのたびに採取される新種の植物、生物は、この一帯を神秘性と恐ろしさで包むこととなった。夜ともなれば、崖下には一層深い闇がたちこめる。

 兵士の誰もが、拭いきれないやりきれなさを表に出しつつも、無言のままこの地を過ぎ去ろうとしている。

 後方を走る兵士が、崖とは反対側、鬱蒼と生い茂る木々の隙間に人影を見た。その人物が先ほどの小屋にいた青年であることを察知し、声を張り上げた。

「木の影! 誰かいるぞ!」

 先頭に立つ、赤ん坊を抱えた兵士がその声を聞き、咄嗟に立ち止まり、首を振った。その瞬間、真っ黒い影が自らに覆いかぶさった。兜が発する金属音が周囲に鳴り響く。勢いに押され、赤ん坊を抱きかかえたまま兵士は地面に転がされた。

 腕の中にいる赤ん坊を確認し、頭をもたげると、眉間にしわを寄せて睨みつけてくる青年がいた。額からは濁った血が流れ出している。そのケガを気にも留めずに、彼は赤ん坊に手を伸ばしながら叫んだ。

「オレだって、一端いっぱしのアマルテアの軍人だ! 国を守るため、その子を守るためになんだってするさ!」

 危険を感じ、倒れている兵士がその手を払おうと腕を振り回したとき、ふと何かが空回りするのを感じた。嫌な感覚に寒気が走る。急いで体を崖側へとよじると、月の明かりの届かぬ闇の向こうへと落ちていく白い姿が見えた。まさしく、赤ん坊を包む布そのものだった。

「うあああ!」

 先に青年が叫んだ。岩の先端を掴み、覗き込むように白い影を目で追う。そして、小さく消えていく赤ん坊を、視覚できなくなるまで見据え続けた。

 横にいた兵士は声にならない悲鳴を上げ、顔を手で覆っていた。青年と同じく崖下に目をやり、左右に首を振って赤ん坊の姿を探した。落ちたものは別もので、赤ん坊自体はまだ近くにいるのではないかと願いながら。

 後続の兵士たちは、突如起きた青年の襲撃に混乱していたが、すぐに落ち着きを取り戻し、先にいる二人を見やった。ただならぬ気配と下を覗く二人の様子、そして見当たらない赤ん坊から事態を察し、彼らの中でもどよめきが走る。

 青年と兵士たちは互いを責めることはしなかった。ただ、空虚な沈黙だけが満ちていく。しばらくして、兵士たちはおずおずとその場を後にし、青年は起こったことを他の者たちに伝えるため、首をうつむけたまま山道を上り始めた。

 断崖で唸る風が周辺を駆ける中、二つの月は徐々に輪郭を薄くし、山の向こうから赤く染まる陽光がクリュメネ断崖を照らし始めた。

 そして、陽の明かりが山中の小屋へと伸びたころ、もう一つの魂が産み落とされた。こだまのような小さな声が、森の中を響き渡る。


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