第3章 ガルシアの悲劇③
「来るぞッ!」
銃声が鳴り響く。
痛みにも耐えた。適性もあった。武器のとりつけが無事に終わり、ガルートとしての身体が機能してきたふたりは、両国の戦が始まった途端、すぐに戦場に駆り出されていた。それから何年か。
「…敵国のガルート…同胞は殺したくねぇが、ここを抜け出せるまでは仕方ねぇからな」
エルはその辺を割りきっているようだった。オルディアのソードマンともみくちゃになっているアンティアのソードマンを、容赦なく撃つ。彼は銃や刀剣、そういった能力に長けていた。一方レスは。
「あああ!」
建物から飛び降り、上からアンティアの兵士を狙う。
「!」
驚いて避けた兵士は、さらに驚いた。
「…ガキ…?」
「誰が!」
レスは剣を振り上げ、再び高く跳躍する。腕力では到底敵わない大の大人を、素早さで翻弄し、急所を斬ることにより、多大なダメージを与えていった。
「…こんなガキに…!」
大抵の兵士はそう言って、息絶える。つまらないものだ。皆同じことしか言わない。
レスはどちらかと言えば接近戦に長けていたが、当然まだそれを完璧に駆使するには至らなかったので、銃による援護を主としていた。
たまに思う。レスが生きたいと願い、必死に駆け回る、砂埃の舞う戦場。死と隣り合わせの極限の状況。ふと空を見上げると、青く美しく、太陽は輝いている。
途端に虚しくなるのだ、全てが。
同じ人間が、下らないことで相手を見下したり、簡単に殺したり、する。死んだら皆何もなくなるのに、それを恐怖する感覚すら、麻痺して消える。
死を恐れない人間がいるなんて嘘だ。生きたい。生きたい。生きたい。だからこんなに切実に、虫けらのような子供でさえ、戦うのだ。理不尽に投げ出された戦場で。
生きるために。
空はもう灰色にしか映らない。
「うあッ!」
エルの悲鳴が聞こえた。
「エル!!」
レスは兵士達の目を掻い潜り、エルの元に駆け寄る。
「エル…!大丈夫か!どこを…」
「ッ」
確認するまでも無かった。脇腹をおさえるその手は、みるみる赤くなってゆくのだから。
「エル…」
「げほっ…レス…大丈夫だ!」
「なにが!」
エルがいなくなる。ひとりになる。その光景が脳裏をかすめた。
汗と泥、そして血にまみれた手で、下手に傷口は触れない。こうしておろおろしている間にも、弾丸は頭上を飛び交い、剣を交える鋭い金属音も止まない。
どうしたら。
戦う時以上の恐怖など無いと思っていた。だが大事な人の命が目の前で消えようとする時、人はここまでに、迫りくる孤独に怯えるのかと、気付いた。
「…くそッ」
誰か助けて、とは叫ばない。情けをかける者はここにはいない。自分より身長のあるエルを抱えるだけでも大変だ。さらに安全なところに移動するとなると、その間に狙われる、または流れ弾に当たる可能性が大。
途方に暮れると。
「ガキ!こっちだ!」
見上げた先には大きな掌がある。
茶髪の、汚れた顔の男。何故慈悲をかける。疑問の声を上げる前に、彼はエルを背にのせ、レスの手を引き、跳躍した。
「ああ…傷は浅いな。軽くかすっただけだ」
戦場から少し離れた廃屋の陰で、男は包帯を取り出した。慣れた手付きで気を失ったエルに巻いていく。
…落ち着いて見てみると、まだあどけなさが残る少年だ。15歳といったところか。オルディアの第一軍…最も秀でた兵士達の集団…の証であるバッジが、胸元に輝いている。
「…お前、なんのつもりなんだよ!」
レスが声をあらげると、少年が笑う。
「『お前』じゃなくて、フォルテだ」
「ど…どうでもいいんだよ。笑ってるなよ。『お前』、俺達を助けるなんて、頭がおかしい」
「なんで」
「…お前達にとったら、俺達なんて、いくらでも代わりのある道具だろ」
レスは五体満足のフォルテの身体を見た。しかも第一軍所属…レスにとっては、雲の上の人のような立場を持っている、『上司』に当たる。
フォルテが悲しそうな顔をしたように見えて、レスは目を擦った。フォルテはエルに包帯を巻き終え、そっと横にした。
「…そう思う奴が大半だろうな…でもオレは…お前らみたいな、本当に小さなガキが、戦ってるのは…単純にすごいと、思うし。それに、お前らと同い年くらいの弟が、いるはずなんだ」
「…はず?」
「ああ」
フォルテは頷く。
「母親が随分昔に、ガルートである親父のもとを去って、アンティアに逃げたことは知ってたんだけどな、最近風の噂で、向こうの普通の男との間に子供がいるって、聞いたんだ。その噂が本当なら、オレに弟がいるはずなんだ」
「へぇ…」
「そいつは田舎の村で平和に暮らしてるらしい。だから…そいつのこと想うと、お前らのこと放っとけなくてな」
「………」
「…おかしいとは思うんだ。お前らガキは守られる立場なのに、そんな鉄つけられて、戦わされてる。死んでも何も思われない。そんなの許すやつは人じゃないよな。本当はアンティアと戦うのだって、…」
馬鹿だ。レスは心の中で呟いた。
甘い。こいつはいつか死ぬ。誰かを信じて、誰かに裏切られて。甘さが戦いでも油断を招き、殺されてしまうだろう。
「う…」
「エル!」
「お、目が覚めたか」
エルがゆっくりと瞼を開く。そして、フォルテを見留めると、はっと右腕を突き出した。銃はすぐに発砲できる形だ。
「エル!」
「…おいレス、こいつはなんだ…?」
明らかに疑っている…場は緊迫する。フォルテの顔がいたって冷静なのに、レスは驚いた。
「落ち着けガキ」
「誰がガキだ!」
「血の気が多いと早死にするぞ」
「黙れ!」
フォルテとエルのやりとりを見て、レスは戸惑う。言い争いをする度に包帯がどんどん赤くなるのを見て、声を張り上げた。
「止めろエル!そいつがお前に包帯巻いてくれたんだ…どんな理由があろうとも…それは事実だ」
エルはグッと堪えて、銃を下げた。ただ、フォルテを睨み付けたままだ。
「…信用はしねぇぞ。てめぇらみたいなのが、何の見返りもなしに、俺達のこと助けるなんて、有り得ねぇんだからな」
「…ああ、それで構わない」
フォルテがまた悲しそうな顔をするのを見て、レスは何故だか胸が痛んだ。
「…あ、そうだ…」
フォルテが不意に発した言葉に、ふたりは目を見開く。
「実は、見返りを期待しているんだ、オレは」
-…明らかに今思い付いただろう。
レスはため息をついた。フォルテは続ける。
「今、第一軍では、とある噂が流れている。…近いうちに、ガルシアの村で、戦いをするということだ」
「なっ…!」
レスは驚きのあまり、フォルテの服に掴みかかった。
「なんだよ、それ…!」
「そのままだよ」
エルは真剣な瞳でフォルテの言葉を待つ。
「あの村のガルートの力は尋常じゃない。それは両国にとって驚異だ。また、今まで誇りをかけて両国に属さなかった彼等を、今更引き入れることは望めない。…我々は、ガルシアの村のガルートが、第3勢力になることを恐れているんだ。なるべく早めに始末した方が良いという結論は両国に共通する」
「…それはつまり…」
フォルテの服を掴んだレスの手は、どんどん青くなる。
「偶然戦場となったと装い、ガルシアを包囲する。まともに戦ったら、負けるに決まっている。奇襲をかけて、なるべく接近戦は避け…村のガルートを殲滅するんだ」
空気が凍った。
「…俺の母の故郷は…ガルシアだ…」
レスが呟くと、エルがはっとした。
「…親戚も、幼馴染みも、いる…」
「そうか」
フォルテが真摯に頷く。
「なんで…そんな酷い…」
「レス」
フォルテはレスの肩を掴む。名前を呼ばれ、レスは顔を上げる。フォルテは笑っていた。…それは、どうしようもない現実を目の前に、それでも立ち向かおうとする、笑顔だ。
「同じガルートとしてさ、やっぱそれ聞いて良い気持ちはしないんだよ。…オレは第一軍。機密情報を多く手にしている。だからこそ、離脱したら直ちに見つけ出され、殺されてしまう。…けどお前らなら、ガキだし、小さなリスクでこのことをガルシアの村の者に伝えられる」
-…一見すると、これを実行して、いちばん危険なのは、レスとエルのふたりだ。しかし、事前にガルシアの村の者が逃げたら、何者かが機密をもらしたと疑われる…。当然、いなくなったところを誰かに見られていたとしたら、捕らえられるのはレスとエル。どちらかひとりでも口を割ったら、すぐにフォルテに辿り着く。待つのは死罪のみであろう。
それでもこの『見返り』を実行せよと、この男は言うのか。
エルでさえも、食い入るようにフォルテの榛色の瞳を見詰める。罠だと疑うこともせず、ただ耳を傾ける。
「…いいか、お前ら。これは『上司命令』だ」
フォルテが言い放つ。
全身が震えるような思いがした。
確かに崇高な何かが、目の前にあった。
レスとエルは顔を見合せ、小さく頷いたのである。
†