第2章 ザルグ③
「外壁の守りは崩れた。入口である扉を突破して、第一部隊・第二部隊は、現在侵入を開始。位置関係も報告通りだ。…直属隊!」
クラウディオの凛とした声が響く。ザルグが見下ろせる丘の上、クラウディオのすぐ横に控えるレス、そしてクラウディオに向き合うようにして並ぶ兵士の中、セイラとフォルカー等の面々の表情は、明らかに緊張で堅い。
「…ここ数日間、戦い続けてようやくここまでこぎ着けた。無論多くの犠牲者が出た。…言わなくても分かるな」
太陽はもう沈もうとしている。暗闇に包まれて行く空。クラウディオの剣は、輝きを放って、確かに空を刺す。
それに呼応して、スナイパーは銃を、ソードマンは剣を。それぞれ手にかけた。
空気が止まる、刹那。
「必ずザルグを落とせ」
クラウディオの声を聞くや否や、全員が雄叫びを上げ飛び出した。
ザルグがあるに相応しい、茶色の渇いた土地を蹴り、ザルグの城壁へと向かう。オルディア側の援軍が来る様子はない。
「肩は」
下手したら舌を噛む速度で走りつつ、クラウディオはレスに尋ねた。レスは素っ気なく返す。
「何ともない。心配するならもっと別のことしろ」
フッと、クラウディオが笑うも、途端に顔を引き締めた。
正面、ザルグ城壁部分に、数十のスナイパーが銃を構えて見下ろしているのが見えたからである。
「スナイパー!」
クラウディオの合図で、直属隊のスナイパーも構える。城壁の上に銃口を向け、正確に狙いを定める。レスも左腕を構えた。
距離はどんどん縮まる。壁の上と下で対峙するアンティア軍とオルディア軍。互いに引き付け。
オルディア軍が、発砲しようかという一瞬。
ソードマンが跳ぶ。スナイパーの背を踏み台に、高く跳躍した。その高さは裕に城壁を上回る。驚き戸惑うオルディア兵士達の表情を刹那認め、ソードマン達は城壁の上に着地する。マントが靡く。間髪入れずに剣を引き抜き、オルディア軍に向けて突き立てた。その間にもスナイパーはどんどん壁内に侵入する。
レスは目に見える深緑の兵服…つまりオルディア兵を片っ端から薙ぎ倒し、道をつくる。クラウディオ、そしてセイラが側にいるのをちらりと横目で確認した。
ザルグ内部では激しく兵達が剣を交えている。目にもとまらぬ速さだ。自軍を撃ちかねない速さなので大抵のスナイパーは躊躇する。…つまりスナイパーとは、戦闘開始時の遠隔距離によってのみその兵力を削ぎ、ソードマンの道を切り開く役割を担う。ただし直属隊のスナイパーは訳が違った。…全く動じることなく引き金を引く…彼らは全ての感覚を注ぎ、味方と相手の動きを見極める。そして多少のリスクを背負いつつも相当の正確さで発砲するのである。まさに直属隊…国内最強の訓練された兵。
「レス…あれか」
城壁上のオルディア兵をあらかた狩り尽くし、クラウディオはザルグ内のとある建物を指差した。西には駐屯兵の基地、東には煉瓦で出来た重厚な建物…かつての被験者の宿舎である。そして北側にふたつの建物…。左側が武器の製造所、右側があの憎き、非人道的技師達の、本拠地であった。陰鬱な雰囲気を放つ、呪われた塔のような建物。
オルディア軍がそこを取り囲み、守りを固め、突破は難しい状況となっている。
「ああ…、…」
レスは頷きつつ唾を呑み下した。かつて、被験者として生死をさ迷った場所だ。今は戦場と化してはいるが、エルとふたりで歯を食い縛った日々が、あまりに鮮明に思い出されて、口元を押さえた。眼鏡の技師。今でも顔を覚えている…奴がいるのだと想像するだけで身体中の血が沸騰しそうになる。
言い表しようのない怒り。植え付けられた恐怖。当時の哀しみ。様々な感情が入り交じる。
「おい、レス」
クラウディオが声をかける。
「大丈夫か」
「…大丈夫だ」
答えると、クラウディオは心配そうな表情は残しつつ、ぐっと顎を引く。視線の先には、技師のいる塔があった。
「…逃げ道があるかもしれないからな…一刻も早く内部に入る必要がある」
頑なに、技術を守り抜く姿勢を見せるオルディアだ。万一を考え、技師用の抜け道を造っている可能性がある。捕らえたところで技師が口を割るかも解らないが。
「レス…一気に突破する。援護しろ」
「…」
「返事は」
塔まではある程度距離があり、多くの兵が戦闘している。そこを突っ切ろうというのだ。…クラウディオの赤髪は殊に目立つ。
だがこの王子は言ったところで聞かないだろう。レスは嘆息して、剣を鞘に収めた。代わりに左腕を、構える。肩に瞬間的に鋭い痛みが走った。
「…了解」
その言葉と同時に、クラウディオはひらりと飛び降りた。壁には相当高さがある。仮にもガルートの混血…その肉体は強靭だ。赤髪が兵士達を薙ぎ倒し、どんどん塔との距離を縮める。レスは細心の注意をはらった…クラウディオに斬りかかろうとする輩は、通常の人間なら狙いすらできないだろう距離から、撃つ。
弾を入れ替え、次から次へと撃ち続ける…クラウディオが塔まであと少しだという距離で、レス自身も城壁から飛び降りた。目尻にセイラが頷いたのが見えた。
耳元を風が切る音。着地の衝撃にも脚は持ちこたえ、むしろそれを弾みに勢い良く飛び出した。視界に入る深緑は、なりふり構わず斬りつける。クラウディオの赤髪が前方に見えた…すぐ前に、塔がある。塔を取り囲むオルディア兵と、それを破らんとするアンティア兵で、場は混乱を極める。だが、クラウディオのすぐ左に、飛び出してきた体格の良い男の影があった。
「!」
レスが驚いたのと、クラウディオがその男の剣を受け止めたのは同時だった。
男は全く怯まずにクラウディオにさらに一撃をくらわす。その攻撃の仕方は、剣で斬りつけるというより棍棒で殴るようだ。
ゾッとした。クラウディオはまたも男の剣を受ける。暫し剣を交えた状態で睨み合っていた両者の均衡は、男がクラウディオの剣を力任せに横に流し、腕を斬りつけたことで破れた。鮮血が迸る。
「クラウディオ!!」
レスは叫んだ。脚で地面を蹴りあげ、跳躍する。そのままふたりの頭上から、男とクラウディオの間を別つように、剣を降り下ろす。
「レス!」
クラウディオと男は同時にレスの存在に気がついた。だがその直後にはレスの剣がふたりの間を別っている。
男は驚きの顔でレスを見た。クラウディオはレスを睨む。レスは口を開いた。
「…こいつは俺がやる」
レスの赤の瞳がクラウディオを見た。久しぶりにこんなに濃い赤の瞳を見たと、クラウディオは思った。
「駄目だ俺がやれる…そもそもお前肩」
「クラウディオ。ふざけるなお前は王子だ。護衛が庇われてどうする…やるべき事を考えろ。早くオルディア兵を突破して塔の中に」
クラウディオは刹那迷ったようだった。だがすぐに、頷く。
「…頼んだ」
レスは答えずに男を見る。
男はもはや塔の突破に向かったクラウディオは意に介さず、興味津々といった様子でレスを見ている。
「…誰かと思ったら『アンティア最強』か」
低い声である。
「そう呼ばれるのは嫌いだ」
「王子を、斬り殺してやろうと思っていたのだが…」
「お前はあいつには勝てない」
「なら何でそんなに血相変える」
「久し振りにあいつの血を見たからだ。だが結果的にはお前はあいつに勝てない。…俺には当然勝てない」
「どこから来る自信だ?オレはザルグ駐屯兵団隊長、オ…」
「名乗る必要もない」
レスは遮り、笑った。
「成程そうは見えないが…お前が隊長だと言うなら…さっさと殺す」
レスと男が剣を構えた瞬間、塔の前のアンティアとオルディアの抗争も激化した。
男の剣は、その体格を活かした重みのあるものだ。軽く受け止めることも、受け流すことも出来ない。ただでさえこの体格差、それにプラスしてレスは両手も満足に使えない分、圧倒的に不利である。
「生意気な口を利いておきながら」
男はせせら笑い、また剣を振り降ろした。容赦なくレスを襲う重量の剣。レスは、途端に高く跳躍した。
ガルートとしての身体を余すところなく駆使する。当然のことのように思えるが、レスが強いひとつの理由だ。幼い頃からの戦闘経験。ガルートとしての筋肉、五感の能力を最大限に引き出す方法は全て実践で学んできた。
男の頭上を越える跳躍をしたことに、男が気付いた。が、その頃には既に、レスは地面に降り立っている…その位置は男の背中をとる。
「鈍い」
レスの呟き。剣ははらわれた。男の背中が赤く染まる。
「…っぐ…」
男の巨躯がよろめいた。
斬った感覚としては、浅い。軍服越しの男の身体には、鍛えぬかれた固さがあった。足りない、とレスは瞬時に悟った。
「この…」
怯みは一瞬であった。男の剣が横に一閃される。
「!」
慌てて後退りするが、僅かに左頬が裂けた。だが自分の流れ行く血に構う暇は無い。
横目に見る塔の前の状勢は、先を行ったレス達を追った直属隊が次々に加わり、アンティア優勢に傾いている。その中に目立つ銀髪のポニーテール…セイラだ。
レスはすかさず左腕を男の頭に突きつけ、呟く。
「あの薄汚い技師共はまだ中にいるのか」
「…はっ」
男は背世羅笑った。
「答えるか。自分の目で確かめろ」
「…」
剣を振ることはしない。ただ、柄の部分でみぞおちを殴ると、男はよろめき、後ろに倒れた。
「レス!」
こんなに大勢の中でも聞き取れる。セイラの甲高い声が響く。見るとアンティアの兵士達が、塔の中に侵入を開始しているところである。
レスは人を薙ぎ倒しつつ、すぐさまセイラのもとに駆け寄り、その傍らで呟いた。
「そろそろか」
セイラは血で濡らした頬を手で擦り、口角を上げた。
「そうよ、痛い目見せてやる」
わあああ、と声が交錯するこの場で、レスの心は震えていた。もう少しだ。
剣を塔の入り口に向け、兵士達を鼓舞するクラウディオの姿はすぐに目につく。あれだけ目立っていて殺されないのが不思議だ。
「この塔の中に…」
レスが呟いた直後である。
「はははははは!」
頭上から甲高い笑い声が響いた。鳴り響くファンファーレ。この場に不釣り合いなその音に、全員が塔を見上げた。
塔の上方、バルコニーのような場所。曇った空に輝くトランペット。
それを持つ眼鏡をかけた白衣の男。年齢不詳を匂わせる、まるっきり狂人の笑みは、全員をぞっとさせた。
「あれは…」
セイラが全身を這い上がってくる嫌悪感をそのままに、目を細める。
レスにはわかった。
ザルグの技師の幹部。
「お前らぁ、騒がしくするんじゃないよ!」
耳障りで、尚且つ笑い声の交ざる声で言い放つ。
静まる戦場。
横目で窺うと、クラウディオは、腰の銃に手をかけていたが、躊躇した末、
「撃つなよ!」
と叫んだ。
「そうそう!そうでしょ!アンティアの君達、私達の秘密が知りたいんだもんね!下手に撃てないでしょ!賢明だなぁ王子様。資料は燃やした。技術は私の頭の中にだけある!それにね、こっちからも君達の命狙ってるからさぁ」
そこでレスは初めて、大型の銃の銃口を下に向ける兵士達が、技師の隣にいることに気付いた。
「…あの銃の威力は大砲に等しいぞ…」
レスが悔しさに技師を睨み付ける。
「燃やしたなんてはったりだわ…」
セイラは呟いた。
「楽しいねぇ!ぞくぞくするよ!どうしたの王子様!」
身動きがとれないクラウディオ。当然ではあるが、その状況に甘んじて妥協できるような人物ではない。焦りが全身から滲み出ている。
奇妙なトランペットを吹き鳴らし、技師は言う。
「あ、オルディアの君達も、王子様殺そうとして動いたら、撃つからね」
まさにそうしようとしていたオルディアの兵士達が、はっと身を固めた。
技師は続けた。
「だって私は!王子様と一対一で戦ってみたいからさ!」
技師は両手を虚空に掲げる。その拍子にトランペットが手から滑り落ち、「あ」と身を屈め…。
「阿呆」
その隙を見逃さず、レスは言い捨て、地を蹴った。
「!レス」
心配するセイラの声がもう遠い。高く高く跳躍したレスを、いくつもの弾丸が狙うが当たらない。風を切る音だけしかレスの耳には入らない。塔のわずかな窪みに足をかけ、バルコニーへと接近すると。
技師の顔が恐怖で歪んだ。
彼の唇が「きさま」と動くのを、レスは至って冷静に見詰める。
「レスかあああ!私達の神の力を集結させた技術を否定した愚か者!寝返りやがってさぁ!貴様が我等唯一の汚点!消え去れぇぇ!」
技術の両端にいた兵士が銃口を完全にレスにセットした。
レスは深く息を吸い、再度壁を蹴る。兵士達がその速さに戸惑う間に、剣を引き抜きつつ、バルコニーの手刷りに着地する。
ひくっと、技師が顔を歪め、レスのことを見た。死を覚悟した完璧な静寂が、その表情にあった。
レスは一瞬で思考を巡らせる。万が一にでもこの技師の言うことが本当ならば、こいつを殺せば技術は手に入らなくなる…そもそも本来のこの襲撃の目的は、『技師を捕らえること』である。
剣に込める力を加減しようとしたところ。
上空で、風を切る音がした。
レスは反射的に飛びずさる。
それとほぼ同時に、太い投剣が技師の身体を貫いた。
脇に控えていた兵士は驚き、銃を放り投げて中に引っ込む。そしてレスは、飛び散った血を拭い、上空を見上る。
バルコニーより更に上。塔の天辺から見下ろす少年がいた。
雲の切れ目から陽が覗き、彼を照らすライトのようにも見える。
深い色の瞳にくすんだ髪の色。黒の軍服。右の義手と右の義足はそのままに。
「ゴミの処理を躊躇ってんじゃねぇぞぉレス」
不躾で汚い言葉を躊躇なく喋る彼との久し振りの再開は、血に染まることになった。
「そいつらのまやかしの技術が『神の力』だって言うんなら、俺達ガルートの力は神すら揺るがすもっと大きな『世界の全て』だ」
叫び、天辺から飛び降りたエルは、レスの隣…バルコニーの上に降り立ち、そう吼えた。
レスは下を見下ろす。
喜びを露にするセイラ。
そして、静かにレスだけを見るクラウディオ。
レスは目をそらした。エルに「予定と違う」と言うと、「目立ちたかったからな」などと馬鹿な答えがかえってくる。
「ザルグ陥落は、我等がガルートの革命軍にとっての礎とさせてもらうぜ!オルディアの奴等は皆殺しだ。アンティアにも渡さねぇ」
いつの間にか、城壁に、黒の軍服を着た者達がずらりと並んでいるのに気付いた両国の軍は、戸惑い、狼狽える。
エルは不適な笑みを浮かべ、手を前に降り下ろし、『前進』の合図を送った。
彼こそが、生まれながらのカリスマ。言葉巧みな指導者なのだ。