第2章 ザルグ①
レスはオルディア国民のガルートである両親の元に生まれた。
ガルートは大陸屈指の戦闘民族であったが、アンティア・オルディアの国民としてごく自然に紛れていた。だが中には未だ誇り高く、両国どちらにも属さない、独立した自治区も存在した。それがガルシアの村である。ガルシアの村のガルートの血は濃く、その戦闘能力は、国に属し血を薄めてきた他のガルートの、比ではないとされた。
レスの母はガルシアの村の出身であった。アンティア・オルディアの国境に位置するガルシアの村に、オルディアの関所を越え、幼いレスを連れて何度か里帰りしていた。
セイラともその時知り合っていた筈だ。セイラは母の友人の子供だった。記憶には殆ど残っていないが、なんとなくセイラにいじめられていたような気がする。
当時は戦争の火蓋は正式には切って落とされていたわけではなかったが、両国の小競り合いが日に日に激化していたのは、誰の目にも明らかだった。
そんな中、ガルシアの村からの帰還の際に、両国の戦にはちあわせしたのだ。ガルートの子も幼ければ無力。母はレスを庇って、大勢の兵士を相手にあえなく死に、レスは左腕を失った。生死をさ迷った後、とあるオルディアの兵士に拾われた。そして連れて行かれた場所が、ザルグ実験場。4歳の出来事である。
オルディアは来るべきアンティアとの本格的な戦争に向けて、技術の開発に躍起になっていた。ずっと東の異国から火薬が伝わり、火砲が発明された。それを最初に実用化したのはアンティアだった。脅威的なスピードで接近戦を行うソードマン達へは銃は殆ど意味をなさないが、それ以外において、やはり銃は画期的であった。ならば、とオルディアが目をつけたのが、戦地で身体の一部を失った兵士だったのだ。
失われた部位に武器をとりつける。要するに、義手と武器を掛け合わせる。そうすれば喪失を再び取り戻し戦場に立てる…たとえ本人がそう望んでいないとしても。様々の理由で、 オルディアは道徳観念も資金もお構い無しに、新技術の開発に没頭した。
血と鉄の臭いと呻き声。牢獄のような寝所と、失敗して『処分』されていく人。レスの当時の記憶はそれに尽きる。いつ自分の番がくるか。もし失敗したら。生きているのに墓場にいるような。
ただ出会いがあった。それは奇跡の出会いであるが、同世代のエルという少年とは、すぐに打ち解けた。エルは住んでいた村がアンティアとオルディアの小競り合いに巻き込まれ、両親を失ったそうだった。そして自らは右足と右手を失った。当然ながら両国を恨んでいた。毒吐きの上、感情の起伏が激しい。エルはいつか反乱を起こすのだと言った。子供とは思えないその眼光に、レスは怯えたものである。
なんの偶然か、堪えきれないほどの苦痛の果てにレスの『左腕兼銃』が取り付けられたのは、アンティアとオルディアの戦争が開始した年であった。僅か5歳。成長に応じて付け替えられるように、肩と神経を繋ぐ鉄板を取り付け、それを介して腕をつける。腕は重く、動かすのも辛い。指はきちんと5本ある。それが不充分ながらにも動くのには少し驚いた。ではどこが銃なのかと思って腕を触ると、肘部分から手の甲にかけて、なにか筋のようなものが通っているのがわかった。まじまじ見ると、少しだけ鉄が浮き出ている。肘部分から弾を補充し、そこを通って弾が発砲されるのだった。手のひら側の手首に小さな引き金がある。レスはまさに天才的な速度でその腕に馴染み、駆使していった。
信じられないことではあるが、オルディアは武器機械を取り付けた者が戦地で役に立つかを調べるために、そのままレス達を戦場に投入した。戦争は開始され、容赦のない両国の殺し合いの中に、レスは身を置くことになる。幾度となく生き残ったのは、奇跡であった。そのうちエルも軍に介入し、ふたりは何度も生命の危機を掻い潜り、戦った。見上げる空はいつでも灰色。…そして悲劇は起こった。
ガルシアの村を、アンティアとオルディアは意図的に戦場に選び、殲滅を試みた…ガルシアの村の悲劇である。
†
「待たせたかしら」
その声を聞いて、振り返る。レスの後ろにはセイラがいた。
宿舎の屋根の上、早朝。約束通りにレスはセイラに会いに来たのである。高地に立地するアンティアの王城から、城下の街が見える。東の空はかすかに白み始め、空気は少し冷たい。
「いや、待ってない。よく屋根まで来れたな、見張りは?」
「そんなもの、いてもいなくても同じだわ。私だってガルートなのを忘れて貰っては困るのよ。壁だって登れるわ」
「そ…それは無理だろ」
苦笑したところで、改めてセイラを見る。本当に、女とは成長するとこうも変わるものか。認めたくはないが女性として美人の部類だろう。しかも言葉遣いですら、どこのだれだと突っ込みたくなるような。
「…義足、なんだな」
「ええ。やっぱり逃げるときに、見つかってやられてしまったわ。なんとか生き延びてアンティアにたどり着いたから、義足はアンティアのものなの。武器の機能もない」
「なら良かった。…エルはどうしてる」
「幼い頃の計画通りに」
少し、ぞっとした。エルの憎々しげな、影の落ちる金の瞳が頭を過る。
計画。セイラが伝えたかったのはやはりそのことだ。
「やっぱりお前、エルとずっと繋がってたんだな…」
「流石に王城侵入は彼にも不可能だから、私が入隊して情報を流す役割を担ったの」
「…そうか…」
セイラはレスを探るような目付きで見ていた。聞きたいのだろう。レスが今の居場所についてどう考えているのか。
「…クラウディオ王子様の従者は、どうなの?」
セイラは予想通りのことを喋った。
「…どうって、何が」
「とぼけないでよ。随分親しげじゃない。あの仲が作り物とは思えないわ。あなたそんなに器用じゃないでしょ。大体何で…」
セイラは一旦台詞を切った。不意に暗い表情になり、口元には嘲笑のようなものが浮かぶ。
「何で、…穢らわしい…王族の従者なんてやっているのよ」
レスはうつむいた。そのまま答える。
「…ガルシアの村で、ひとり生き残った時に、拾われた」
「それで今までほいほい一緒にいたわけ?」
「違う。俺も、クラウディオの近くにいることで、多くの情報を手に入れることが目的だった」
「今もよね?…ううん、そうは見えないのよ。…私は昨日会った瞬間あいつを斬り殺したくなったのに、あなた何ヘラヘラしてるの?本当に…殺ろうと思えば殺れるのよ、今日にでも」
「やめとけ」
意図せず強い声が出た。例え話だと分かってはいたのに、つい真剣になった…。セイラはビクッとする。レスの押し殺した声の芯に、しかし強い意志と憤りを感じたのだ。
「…やめとけ。あいつは見かけによらず強い。…多分お前より」
「な、なによ…随分肩持つのね」
それきりセイラはクラウディオの話題を終いにした。
ただ、レスの気持ちをとことん疑っているようだったので、付け足しておく。
「俺だって子供の頃に地獄を生きた。あの時誓ったことは今だって変わってない。お前らが計画を実行するなら、俺だって加担しない理由なんてひとつもない」
「…加担どころか、あなたは鍵よ」
セイラの発した言葉に少し怯む。
「少なくともエルも私もそう思ってるわ。あの日から、今まで。あなたはむしろ計画の幹部よ」
「期待に添えられるかは分からないが、やれるところまではやる」
そこでようやく少し納得したようだった。レスに近付き、小声で囁く。
「…なら第一に、王子から次の計画を聞き出して。どうせ近々分かるでしょうけど、あなたが一番早く分かるでしょ。また明日の早朝、ここで落ち合うわ」
「…で」
レスは小声で呟いた。
日は昇り、朝の宿舎の広間。食事を摂る兵士達でガヤガヤと賑やかだ。3つある長テーブルの右端の奥がレスの定位置だが、何故かその隣に、セイラが腰をかける。
「普段はあまり接触しない方が良いだろなんで隣に座るんだお前馬鹿か!」
「五月蝿いわね、昨日剣を交えたんだから知り合いでもおかしくないでしょ!」
「朝食わざわざ一緒に摂る男女なんてここには滅多にいねぇよもしいるとしたらそれは恋人同士と人は呼ぶ」
「いいじゃないもうそれで!ここ女が少ないのよ!男がむさいのよ!あーもうやってらんない」
「おーまーえー」
終始ひそひそした応酬を繰り返すレス達は、既に何人かの注目の的であるが、気がつかないのは本人達ばかりである。と、さらにセイラの横に、誰かがどかっと座った。
レスとセイラが驚き見やると、それはフォルカーである。
「おま…フォルカー」
「おはようレス。朝からいちゃいちゃするからに」
「ちげぇぇぇ」
フォルカーはセイラを見つめると、微笑んで…というよりも自動的に頬が緩んだように見えたが…挨拶をした。
「おはよう、君、噂の新兵だよね、オレはフォルカー。レスとは友達。スナイパーだ、よろしく。レスと知り合いなの?」
セイラはきょとんとしていたが、すぐに笑顔になり、答えた。
「おはようございます。私、セイラといいます。レスさんとは昨日手合わせさせていただいたので、親しくなったの」
お前誰だよ!
レスは心の中で叫んだ。女とはそういうものだろうが、にしても、誰だ。パンをかじりながら頭を抱える。
セイラは一瞬レスを見て、フォルカーに向けた笑顔とは全く対照的な、ハッと人を見下す笑みを見せた。殴りたかった。
「レスお前…抜け駆けかよ」
「誰が。抜け駆けするならもっといい女とする」
「レスさん…そんな風に思っていたのね…」
「レースーてめぇ!セイラさんの何が不満なんだ!この野郎やったらぁ」
「頼むからお前らふたりとも黙ってくれ!」
こんな会話を朝食にするのはいつぶりか。いつもはひとりか、フォルカーとふたりだから、あまりに賑やかで複雑な気分になってくる。
と、フォルカーがふと真面目になり、レスに尋ねた。
「お前、今日の予定は」
「あー…」
「俺達は召集かかってるけど、お前はいつもと同じでクラウディオ王子の所だよな?」
「まぁ、一応従者だからな」
セイラが微かに反応した。フォルカーには分からないようにレスに目配せをしてくる。早朝に話したことを訴えているのだ。レスは小さく頷き、パンの最後の一欠片を口に押し込む。
「セイラさん、昨日レスと会ったってことは、もう王子には会ったんだ?」
「ええ」
「王子、統率者としてのオーラがすごかったでしょ。ほんとに遠い人なのに、レスといる王子はすごく近くに感じるんだ。兄貴みたいでさ。実はふたりは兄弟じゃないかって噂もあるくらいだよ」
「………」
セイラがレスを見た。その表情には疑いが見てとれる。折角上手いこと言ったのに、またこいつは掘り返しやがって、と、レスは内心フォルカーを恨んだ。
ここはさっさと去るべきだ。レスはそそくさと食器を重ね、席を立つ。
「…俺、行ってくるから」
「おお」
逃げるように後にした食事の席から、セイラの視線をまだ感じる。
「…クラウディオ」
部屋の外から声をかける。返事はない。再度繰り返すが、全く無反応なので、静かに扉を開けた。
最初に執務机に散らばる書類が目に入った。執務室の東の奥へと歩いていき、部屋と部屋とを仕切る赤いカーテンを開くと、そこは寝室である。ベッドにクラウディオが横たわっていた。
服は寝間着ではないので、既に一回起きて仕事をした後、小休憩をとろうとしてそのまま寝たのだろうというのは、あらかた予想がつく。
顔色が悪い。死んだようにぐっすり寝入っている。一体どのくらいしか寝ていないのか。どこかには国のことは全て宰相に任せ、自分は楽をする王がいるというが、この王子はまさにその対極を行くのだろう。
「…おい」
声をかけると、一瞬にしてはっと上体を強張らせ、起こした。息が荒い。レスの姿を認めると、全身の力を抜く。
「…レス…お前か」
「何か嫌な夢でもみてたか」
「あぁ…見ていたような気はするが…それ以前に俺は寝ていたんだな」
赤の髪をかきあげ、立ち上がる。
「今何時だ」
「まだ朝だぞ」
「…そうか、こんな格好をしている場合じゃないな」
クラウディオは言い放ち、執務室に移動すると、椅子に無造作に掛けてあった正装である上着を羽織る。
「ぼーっと見てるな、お前も仕度しろ」
「…は、いや、どこに行くんだ」
「父上に謁見する」
しばし唖然とした。
「え…いやいや」
「お前の正装なら、丁度注文していた新しいのが届いたからそれを着ろ。ほら」
クラウディオが指差したのは、ソファにかけてある服だった。それを手に取ると、隊長級の者が着るのと同じ服だというのが分かる。それを眺めていたが、はっとしてクラウディオに向き直った。
「国王に謁見だって、何で昨日のうちに言わなかったんだよ」
「言ったらお前、準備でもするのか」
「…いや…しねぇけど」
心の準備と言う柄でもない。
「父上に戦況を報告する。昨夜、遅くに別部隊の報告がきた。一昨々日陥落させた砦を拠点に、オルディア部隊と複数ヵ所で戦闘し、こちらが優勢。だから作戦を変えた」
クラウディオはレスが正装に着替えるのを待ち、着替えたのを確認すると歩き出した。
「昼に兵士達に召集をかけている。朝のうちに父上に許可を頂き、隊長格と話して指示をあおぐ必要がある」
レスはクラウディオの一歩後ろをついていく。
兵士はいくつかの部隊に分かれる。なるべく均一の強さになるよう仕分けられた第一部隊から第三部隊。そして、選り抜きの国王直属隊。その全てが同時に様々な箇所で、国王直属隊の隊長…つまり国王の指示通りに、戦う。実際のところ、現在の国王直属隊の隊長はクラウディオであるので、クラウディオが全ての隊を動かすこととなっている。砦陥落の戦の際は第二部隊と国王直属隊が結託という形をとったが、クラウディオはよっぽどの時でないと部隊同士の協力を好まない傾向にある。
「第一部隊、第三部隊、そして我が直属隊が結託し、次の作戦に移ります」
だから、クラウディオが官僚や軍の隊長格達の前で、王にそう言った時、レスは少なからず次の作戦の重要さを悟った。