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N高徒然記  作者: 電球
8/8

イモムシと乙女心と秋の空

 

「よう川田、何か様か?」


意表を突かれた動揺を見せぬよう、俺は努めて冷静を装った。


「……」


問いかけに返事は無い。

川田は相変わらず糾弾してくるような鋭い視線で睨んでくる。

やはりこいつは俺の天敵のようだ。

ヘビに睨まれたカエルさながら、俺の肝っ玉はすっかり縮み上がってしまった。

相手の沈黙にビビるあまり、ようやく出た言葉は若干上擦る。


「とりあえずさ、入れば?」


言ったものの、非常に気が進まない。




なによりもまず川田を刺激してはいけない。

動機はともかく非常に紳士的な俺は、部室に入った川田に椅子を差し出す。

奴はそれに腰掛けると相変わらず不機嫌そうなツラで部屋を見回した。

隠れ家をゲシュタポに検分されている気分だ、クソが。

年中不機嫌そうな川田のツラから、中身まで実際不機嫌かどうかを判じるのは微妙なところだが、

そういう負のオーラを発しているのはヒシヒシと感じる。

俺は奴の視線を避けるように斜め向かいに座ったが、相変わらず川田は押し黙ったままだった。

さて、どうしたものかと思案していると、


「このテレビ……」唐突に川田はテレビを指差した。

俺は条件反射で思わず立ち上がる。「あっ、はい、スンマセン!」


よし決めた。

俺は卑屈なまでにへりくだることにした。

川田が何をしに来たかは予想できないが、どうせ俺をなじりに来たかなんかだろう。

触らぬ神にたたりなし。触ってきた神には土下座しろ。

面倒が起こる前に謝ろう。


「邪魔ッスね。消しますよ」

「あ、いや……さ。水戸黄門、私も毎日見てるんだ」


ほう、なかなか渋い趣味だ。

しかし油断してはいけないと俺の参謀司令部は念を押す。

世間話して警戒を解かせて、弱点をみせたら”ガッ”と来る作戦かもしれん。


「あっ、はい! じゃあ自由に見てって下さいッス!」


水戸黄門はちょうど佳境だった。殺陣のシーンが始まっている。

しかし、川田は大勢の悪党共と格闘するスケさんよりも俺の方に矛先を向けた。


「生野君、面白いわね、その口調」


やはり棘のある響きだ。


「いつもの調子でいいよ」


そうか、へりくだるのはやめよう。男らしく。

そして俺は頭を下げた。ヘタレらしく。


「あーいや、あのさ、わかったよ……それより悪かったな、いつかのこと。

おれ頭悪いから空気読めなくてよ、ちょっと馴れ馴れしかったよな、うん」


川田は眉をしかめる。

ひぃ、ごめんなさい。


「え?謝るのうちのほうだけど。今日そのために来たし」


何?孔明の罠か?

俺は警戒を解かずに川田の話を聞いた。


「あれさ、うちの勘違いだったんだ……ごめんね。

あのときついカーッとなっちゃって……。

生野君柔道やってた人だから手加減無しでやったんやけど。

あ、そうじゃなくて、えーと……」


川田はしどろもどろになって話をしていた。

幾分冷静になって観察する余裕ができてきた俺は、あることに気がついた。

川田には関西弁の訛りがある。それも中途半端な感じに。

N高では関西弁を喋る生徒はめったに見ない、というか居ない。

慎重に言葉を選ぶかのように川田の話は続く。


「そんで話、聞いたよ。……生野君、柔道部やめたんだってね。

それ、私のせいだよね、やっぱ」


あーなるほどね。そういうことか。

俺はやっと納得した。

本日、川田が醸し出す負のオーラは、”悪いことしちゃった許して的オーラ”だった訳だ。

まったく実に分かりにくい。

言われなければいつもの、”機嫌悪いから近寄るな的オーラ”と区別つかねえ。

……でも待てよ。

こいつは少し勘違いしているようだ。

俺が柔道やめたのは半分は俺の意思で、のこり半分は山田の阿呆の責任だしな。

川田にブン投げられた件はきっかけに過ぎない。

俺は株を上げようと川田に弁明した。


「いや、ねーよ。俺柔道やめたのは俺自身の問題だから。

あの事件関係ないって」


「いやでも、それでも私、生野君に酷いことしたから……」


ごめん!


そう言うと川田は頭を下げた。

へえ、良い所あるじゃねえか。

俺はこいつを少し見直した。


「分かった。じゃあ、これで”あいこ”な。イモムシ女の発言はノーカンっつーことで」


俺がそう言うと川田は顔を上げた。

無愛想だった表情には変化が出ていた。

信じ難いことに目を細め、顔をほころばせたのだ。

しかも、へっ、とか、ふふん、とかそういう笑い方じゃなく、

普通ににこっ、とした笑いだった。

こいつがこういう表情をしたのを始めて見た気がする。



……あれ?



喉に魚の骨が刺さったような妙な違和感を感じた。

何かがおかしい。何だこのモヤモヤ感?

いまだかつて女にモテた試しが無い俺は、自らの置かれたシチュエーションに戸惑いつつも、

原因を探るため、現在の状況を出来るだけ客観視することに集中した。

今、目の前に居やがるのは確かに俺の天敵の川田のはず。

しかしどうしたことか、今やいつもの刺々しい雰囲気が緩和されている。

それが違和感の正体か?

否、それは確かに信じがたいことだが何も問題は無い。

鬼の目にも涙と言うが、ドライアイスの如く冷酷な女傑川田も、

俺の男気と寛大さに触れ、思わず心揺さぶられたといったところだろう。

もっとも俺にとって同年代の女子の心中というものは、

先週捕まえたカブトムシの幼虫が何考えてるのかと同じくらい推し量るのが難しく、真相は分からんが。

しかし目の前の川田は明らかに先程より機嫌がいいのも確か。

今回に限れば当たらずとも遠からずという自信はある。

では違和感とは何か?

どうやらそれは川田の方では無く、俺の方にあるようだった。

……俺?俺の中?

川田との会話で俺の中で何かが変化した……?

そんな脳内会議にお構いなく、川田のおしゃべりは続いた。

いまや教室では見せたことが無いほど口が軽くなっている。


「水戸黄門、終わっちゃったね。うちね、帰宅部だから家帰ったらやることなくって。

ついこれ見ちゃうんだ」


ほう。エロゲーだとこれは何かのフラグだな。


「ああ、そういやここテレビ見放題なんだわ」

「ええ、嘘!?」


川田はやけに食いつきがいい。


「ホントだって。俺なんかさ、毎日”いいとも”見てるんだぜ。

昼休み、俺教室いねえだろ? 飯もここで喰うし、ずっとここに居るわけよ」


へえ、羨ましいなと川田は呟く。


「私ね、ほら……友達居ないから。昼休みとか、手持ち無沙汰なんだ」


まあそれは知っている。そしてそれは明らかにお前に原因がある。

おもわず口に出そうになった言葉をぐいと飲み込んで、俺は少し考えた。

驚いた。こんなことをあの川田がカミングアウトしてくるとは思いもしなかった。

これは良い機会と、思い切って少しばかり突っ込んだ質問をした。

前から不思議に思っていたことだ。


「あのさ、なんでお前って何でいつもあんな無愛想なの?」


お前のその雰囲気独特で怖いんだよ。

だから友達できねーんだよ。

こうして話せば普通なのに。


「無愛想……だよね、やっぱり。……でもさ、うち目立ちたくないんだ」


目立ちたくないから無愛想を装うということか。

こいつもこいつなりに苦労していたんだなと初めて気がついた。


「つーか俺投げ飛ばして啖呵切った時点で目立ちまくりだけどな」

「だよね」


川田は自嘲的に言うとまた笑った。


――ああ?

やべえなこれはおい。


ここに来て俺は今までの違和感の原因をすっかり理解することが出来た。

やはり俺は山田の言うとおり馬鹿だった。

俺はようやく認識した。

川田かわいいな、と。


次の瞬間、俺は意を決していた。

一世一代の大勝負に出ることにしたのだ。


「川田」「ん?」

「いっそナマ部に来れば?」


俺は心の中でガッツポーズをした。

頭上からド派手なスポットライトの光と盛大なファンファーレがそそがれてくる。


やったな、俺!

これでいい!

いや、むしろこれがいい!


心の中の俺達は皆一様に俺に惜しみない拍手と喝采を送る。

ここはカーネギーホールかよ? と思わず突っ込みたくなるほどいつまでも鳴り止まないそれに、

英雄となった俺はステージ上でゆうゆうと手を振って応える。

視線をステージの端っこに向けるとなぜか山田が居やがる。

卑屈気味に背中を丸め、臍を噛む奴の姿が見える。

俺はツカツカと歩み寄ると奴の肩に手をおいた。

振り返ってこちらを見た貧相な顔に向かって吐き捨てる。


ざまああっ!!!! 阿呆めっ!!!!


俺は奴を見下ろしてほくそ笑んだ。


ごめんなぁ、山田。

ほんっと、お前には悪いと思ってるよ。

でも俺、これから川田と一緒にバラ色の部活動生活送っから!!



……いやいやいやいや落ち着け俺。

今現在、あの阿呆のことはどうでもいい。

千載一遇のチャンスなんだ。

これはモノにしない手は無い。

死ね、死ね! 山田、死ね!

俺のために死ね!

俺は意識の世界から山田を葬り去ることに集中した。


「んー、でもうち、ナマ部ってどういうものなのか、なんも知らんな」


現実の世界に引き戻されると川田の声が響いてきた。

独特のその口調も聞き手の意識一つで天使の声にもなりうるものだ。

いやぁ何も問題ないのだよ川田君。


「俺だって一週間前までそうだったぜ」


俺は生物部には部員が一人(つまり俺)しか居ないこと、

部のモットーが”自由”であることを告げた。


「お前人嫌いなのはなんとなく分かるけどよ、

ここなら誰に気を使う必要も、さらさらねーし」

「んー」


川田は腕を組んで真剣に考え込んでいる。

よしよし。もう一押しだ。

俺が勝利を確信したとき思わぬ反撃が来た。


「じゃあさ、ナマ部って、今何やってるん?」


核心を突かれて俺はうろたえた。

マズい、実にマズい。

水戸黄門を見るのが日課とは言えん。

しかし、実際のところ、何もやること無いし……。

追い詰められた俺は閃いた。

そうだ、アレがある。


「ちょっと待ってな」


そう言って椅子から立つと、俺は隣の実験室に駆け込んだ。

戻ってくると、手のひらの上に乗せたものを川田に見せた。


「ほら、見てみ」


俺の手の上では、この前捕獲したカブトムシの幼虫 がクネクネと元気に動いていた。


「い……ッ!?」


はい、俺は気づきませんでした。

川田が硬直する様子を。


「いやああああああああ!!!!!!!!」


川田は猛ダッシュでナマ部室を出て行った。

そして彼女が生物部員になることはついに無かったのだ。



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