ナマ部というかイモムシ部
キュウリはそれからも様子を見に来て、俺に指示をしていった。
俺はキュウリの信託を受け、畑の後片付けをしなくてはいけない。
俺がせっせと動いている姿にキュウリは言った。
「そんなに張り切る必要無いと思うけどねぇ」
うっせえ、チンタラ働くのは俺の性根に合わねえ。
その日のうちに仕事は終わった。
次に何をすべきかとキュウリに尋ねたところ、何も無い、と言う。
この地方では冬に相当の積雪がある。
やることといったら、その直前に冬野菜の収穫を行うことのみらしい。
俺は愕然とした。
つまり恐ろしいことに、もはや活動する必要が無いのだ。
一方、柔道で鍛えたこの体は無駄にエネルギーを持て余していた。
俺は一呼吸置いてキュウリへの質問を少し修正した。
何かやっておいたほうが良いことは無いか、と。
キュウリはうーん、と唸りながら、
「じゃあ、今のうちに稲藁でも運んでおく?」
この町はクソ田舎だ。
N高の周囲には何も無い。
四方を完全に田んぼに囲まれている。
俺はグランドの裏に案内された。
そこにも当然田んぼがある訳だが、
途中のあぜ道のわきにワラが積まれていた。
キュウリはそれをひょいと掴むと、
俺に投げてよこした。
「これ、そこの一輪車に積んでぇ。持ってくから」
藁は敷き詰めておけば雑草の生長を妨げ、
放り投げておけば、なんかわからん養分が土に染み込んでいく魔法の道具らしい。
勝手に持ってっていいのかと聞くと、毎年もらってるから大丈夫との事。
藁を積んでいると、近くから野球部の練習の声が聞こえてくる。
(ああ、あいつらがんばってんな……)
自慢じゃないが、俺はこれでスポーツ全般が得意だった。
この体格が有利に働いているのは事実だとしても、
体を動かすことそのものが好きだったというのは大きい。
柔道部を退部した後、俺は野球部の友人から勧誘されたりした。
お前なら来年絶対レギュラーになれると、その友人は力説したが、俺は断った。
俺はスポーツすること事態は好きだが、運動部というものが苦手なのだ。
勝つためだけの厳しい練習、運動部特有の先輩後輩の上下関係。
それらに意味を見出せなくなっていたのだ。
現に、勢いに乗って柔道部をやめた後にもそれほどの後悔は無かった。
野球部の勧誘を断ったのも自然な流れといえる。
そして今、バットがボールを打ち返す乾いた音を聞き、
俺の中に、もやもやした感情が芽生え始めていた。
このままでいいのかという、なんともいえない焦燥感である。
(どうしようもないヘタレだな……)
山田に見透かされれば間違いなく、馬鹿め、と一笑に付されるだろう。
「これでラストぉ」
物思いにふける俺を、気の抜けたキュウリの声が現実に引き戻した。
そうだ、今の俺はスポーツ少年ではなく、
ナマ部というなんかよくわからない部活の部員なのだった。
見れば一輪車には山盛りのワラが乗っかっていた。
「これくらいあれば一年は余裕で持つよぉ」
俺から言わせれば一年どころか一生藁には困らなそうだった。
一輪車を押して部室に戻ろうと、180度ターンをしたとき、俺の視界に何かが入り込んだ。
藁を敷き詰めてあった地面で、何か動いている。
「キュウ……先輩、これって」
「ああ、これ」
キュウリはそれを摘んだ。ウネウネと動く白いイモムシだ。
「カブトムシの幼虫だねぇ」
先ほども言ったとおりN高は四方を田んぼに囲まれているが、
さらにその向こうには山がすぐそこに迫るほどのクソど田舎なのだ。
そこらの林からブーンと飛んできた野良カブトムシも、
飛んでる途中もうこのN高でいいやと投げやりな気持ちになったのだろう。
この藁の下に大量の卵を産んだ。
で、そいつらが一斉に孵化したわけだ。
居るわ居るわ。
悪夢のような光景というべきか、それともちょっとした壮観というべきか。
しかし俺も昔に幼虫の現物を見たことがあるが、こいつはちょっと様子が違う。
「カブトムシの幼虫って、こんな小さかったッスか?」
俺の知っているカブトムシの幼虫は、もっと丸々と太ってデカかった。
目の前に居るこいつらは体長が5センチくらいしかないが、この倍はあった気がする。
「ああ、こいつら幼虫の状態でも脱皮するからね。大きくなるのは多分これからだよ」
こいつらはこのまま藁の下で暮らし越冬するのだそうだ。
俺は閃いた。
「先輩、俺、こいつら飼ってみます」
俺は常日頃、同情している人間がいる。
全国区で通用するような学力があるのに、
進学校の多数あるA市まで通学するのが困難なため、
もうこのN高でいいやと妥協してしまっている学生達である。
地方都市の現実だ。
不運にもN高付近に生まれたばっかりに、である。
同様に、この幼虫達に同情した。
親が同じような感覚でN高で妥協した結果がこれだ。
どう見ても生息密度が高すぎる。
そして餌の3分の1ほどを俺らに持っていかれてしまった。
多数は越冬する前に死ぬ。
不運にもN高付近に生まれたばっかりに、である。
この幼虫の中にも、
将来恐ろしく強いエリートカブトムシに進化する奴が居るかもしれない。
そんな逸材達が日の目を見ずに、N高という舞台で無為に死んでいくのを哀れむのだ。
「ふうん、まあいいかもねぇ。こいつら世話するの簡単だし」
俺の提案にキュウリは簡単に頷いた。
積んでいた藁を圃場にブン投げると、水槽を持ち出して引き返した。
幼虫にとってこの短時間ですら天日にさらされる行為は、こうかばつぐんらしい。
すっかりバテて動かなくなってる奴が多数見られる。
あまり数を多くしないほうが言いというキュウリの助言を、俺はしぶしぶ受け入れ、
とにかく元気のいいエリート候補生だけを選抜して持ち替えることにした。
冷静に考えてみると、キュウリの発言は的を得ていた。
そもそもこいつら、目に付く範囲だけで100匹くらい居やがった。
全部持ち帰っていた場合、ナマ部はカブトムシ部へと進化していただろうな。
それでも水槽には20匹くらいの幼虫が収まることになった。
来年の夏、こいつらが一斉に羽化し、スイカにかぶりついている様子を俺は想像した。
なかなか楽しくなりそうだ。
カブトムシの幼虫入り水槽を机にセットすると、キュウリは言った。
「それじゃ僕はそろそろ勉強にもどるよぉ。じゃあねぇ」
こうしてキュウリはナマ部を去っていった。
思えば奴には世話になった。
そして俺は正真正銘のナマ部長になったわけだ。
キュウリがいなくなって、やることも無くなった俺は、毎日『水戸黄門』の再放送を見ていた。
水戸黄門シリーズでは、やはり東野英治郎が秀逸だな、などと
つらつら考えていると、準備室のドアをノックする音が聞こえた。
俺は思わずイラッとした。
あと5分もすれば黄門がどや顔で印籠を出すところだったのである。
どうせ山田あたりが『天才テレビ君』でも見に来たのだろう。
そう思って不機嫌なツラでドアを開けると思いもしない人物が居た。
「……あ、生野君」
俺の苦手な川田だった。