転機
午後の授業を終わらせるチャイムが鳴ると、俺はようやく狭い穴倉を抜け出した。
外は光で溢れていた。
眩しい。
俺は山田を哀れんだ。
あんな密閉された地下室に年がら年中篭っていたら、
頭がおかしくなってしまうのも無理はない。
その足で武道館へと向かった。
そして部長の姿を見かけるなり、頭を下げた。
「部長、柔道部辞めさせて下さい!」
○
暗がりの中で聞き取りにくい声が響く。
「実はこの方法が一番手っ取り早くて現実的だ。
生野、柔道部長に退部届けを出したまえ
川田の勧誘に失敗しました。責任をとらせてください、と。」
山田は言った。
「今回の件で一番非常識なのはその柔道部長だ。
奴の頭を少し冷やす必要がある」
ランタンに照らされた影はいっそう濃くなる。
まさに陰謀をめぐらす大悪党の如く。
「君は仮にも期待の新人なのだろう?
おそらく部長は引きとめようとするはずだ。
そこに君は止めを刺すように言う。
本来、部の看板を背負うべき自分が柔道部に泥を塗った。
自分が退部することで川田との件は私闘となるので、
柔道部に迷惑が掛からなくなる、とな」
「ああ、なるほど……って、
じゃあ俺は柔道部を辞めなきゃいけねえってことかよ!?」
俺がノリツッコミをすると、山田は平然と答えた。
「そうはならない。
いかに柔道部長が馬鹿でも、君の一言で己を省みて自分の愚かさに気がつくからだ。
こんなくだらない一件で部員を減らすような真似は流石にしないだろう。
そして君の真摯な姿勢に部長はじめ部員皆は感心し、君の評価はむしろ上がるのだ」
ああ、言われてみれば、そうかもしれないな。
いや、俺の演技力をフル活用すれば、きっとそうなる。
俺は今日始めて山田に感謝した。
○
「部長、柔道部辞めさせて下さい!」
部長は目を白黒させていた。
俺は山田との打ち合わせどおり、川田の勧誘に失敗したので責任をとるという旨を伝えた。
「い、生野……」
返事に窮する部長に対し、
俺はできるだけ誠実そうに、そして心から申し訳ないフリを装って続けた。
「部長、俺は昨日ハッパかけられたことを、
午後の授業サボってずっと考えてたんス。
俺はだんだん自分が情けなくなっちまったんスよ……。
毎日こうやって部長に鍛えてもらってるっていうのに川田に投げ飛ばされて、
みんなの顔に泥を塗っちまったんス。
……俺は頭悪いなりに考えたんスよ。
俺さえ退部すれば、川田との件は柔道部とは一切関係なくなるんスよ。
そうすりゃ、部長も皆も今回の件で陰口たたかれる筋合いはねえ。
俺は男ッス。
責任取らせて欲しいッス!」
俺は再び頭を下げる。
決まった。
ドラマのワンシーンのような台詞に我ながらシビれた。
俺は皆から一目置かれ、柔道部内での地位は確固たるものになるに違いない。
「……そうか。すまなかったな」
部長の声は今にも消え入りそうなほどかすれていた。
目には涙を浮かべている。
「お前の気持ちはよく分かった、生野。
……本当に残念だが、仕方がない。
お前の退部を、許す!」
柔道部長は計り知れないほどの大馬鹿だった。
「……おい、おい!」
目を開けるとランタンに照らされた貧相な悪魔の顔があった。
「書籍を枕に寝るな!本への侮辱だ」
俺は、漫画をめくっている途中、どうやら山岳部室で眠りこけてしまったらしい。
謝る俺に山田の憎まれ口は続く。
「大体、君はいつまで居座るつもりだ!?今日で三日連続で来ているじゃないか!!
僕としても見目麗しい美少女ならともかく、君のようなムサい大男とこんな狭い部屋にいつまでも押し込められている状態は御免こうむりたいのだ。あいにく僕にはその気はないのでね」
柔道部をクビになった日から、俺は授業後の時間を持て余した。
行き着いた場所がここであった。
「でもよ、山田。俺がここにいるのはお前のせいだろ。
お前の言うとおりに動いたぜ俺は。そしたら、これだよ」
俺は自分の首に手を当てた。
「自分の行動の責任を他人のせいにする。まさに馬鹿の典型、最低だな、君は」
皇帝並に尊大な山田は自分の非を決して認めない。
俺は憤慨して寝返りをうち、奴に背を抜ける。
背後からため息が聞こえた。
「……仕方がない。君の移住先を決めてやる。君のためじゃなく、僕のためにな」
俺は奴の発言を無視した。
「心配するな。冗談抜きで優良物件だ。なにせテレビ見放題だからな。僕がまだこの部屋を見つけていなかった時、そこに在籍しようかと考えていた程の物件だ」
テレビ付きの優良物件?
物件=部室という意味か?
興味が沸いてしまった俺は悔しいが顔をあげた。
「それって、どっかお勧めの部活があるってことか?」
山田は頷く。
「ナマ部だ」
2011/10/20プロローグ改変しました。
話の内容に変更はありません