SF作家のアキバ事件簿251 アキバ征服
ある日、聖都アキバに発生した"リアルの裂け目"!
異次元人、時空海賊、科学ギャングの侵略が始まる!
秋葉原の危機に立ち上がる美アラサーのスーパーヒロイン。
ヲタクの聖地、秋葉原を逝くスーパーヒロイン達の叙事詩。
ヲトナのジュブナイル第251話「アキバ征服」。さて、今回もアキバが未だ秋葉原だった頃の物語。異なる世界線の種族の間で大戦争が勃発?
宿敵"頭巾ズ"は、特殊な音波で秋葉原からヲタクを消し、無人の街を占領します。ところが、そこへ"リアルの裂け目"を通り、別の世界線からの侵略が…
お楽しみいただければ幸いです。
第1章 反攻作戦
高速バスは、首都高速を疾駆する。
深夜と早朝のあいだの時間帯。
高速道路は不思議なくらい空いている。
タイヤがアスファルトをなぞる音。
それだけが、一定のリズムで続く。
窓の外には、同じようなビルの窓が流れる。
光っている窓と、暗い窓が延々と続く。
乗客は5人。
誰も話さない。
全員が黒いガウンを羽織っている。
バスの天井灯に照らされて、顔色は不自然に白い。
運転手だけが、時々バックミラーを見る。
だが、その視線は乗客と交わることがない。
ただ1度だけ、後部座席の幼女が口を開く。
「あとどれくらい?」
運転手は答える。
「24分38秒」
幼女は、それ以上何も言わない。
その膝の上に小さな金属ケースが置かれている。
鍵はかかっていない。
ただ、誰も触らない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷のバックヤード。
やわらかい朝の光が差し込む。
キッチンでは、鍋がぶくぶくと音を立てている。
「さぁできたわよ!」
スピアの声が響く。
「お豆のフリースター。高橋ハラミのレシピよ」
ふたを開ける。
湯気が上がる。
「どう? テリィたん。冷めちゃうわよ」
僕を呼びに来ようとする。
来なくてもいいのに、と僕は思う。
ホールでは、ミユリさんが頬杖をついている。
まるで長い夢から覚めたばかりの人みたいな顔。
マリレがキッチンから出てくる。
「ジュースと一緒に流し込む?」
「そうね」
ミユリさんは言う。
2人は同時に立ち上がる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
高速バスはカーブを曲がる。
高架の向こうに、アキバの輪郭が見え始める。
朝の空は、まだ灰色だ。
後部座席では、古い地図が広げられている。
紙の地図だ。赤い丸が描かれている。
ひとつだけ。
その横に小さく書かれた文字。
アキバ。
後部座席の高身長女が、ようやく口を開く。
「先生。本当にここで良いのですか?」
誰に聞いたわけでもない。
けれど前の席の幼女が答える。
「ここが始まりだから」
高身長女は頷く。
その意味を知っている者の頷き方だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「またスピアの実験メニューね」
マリレが言う。
フォークを手に取って、皿の中を覗き込む。
「食べたくないって顔に描いてあるわよ」
「描いてある?」
ミユリさんが言う。
「かなり」
少し沈黙がある。
キッチンの向こうで、スピアが何かを落とす。
「大丈夫ー?」
エアリが声をかける。
「OKよ!」
元気な声が返ってくる。
その間に、マリレが声を落とす。
「ねえ姉様」
ミユリさんは答えない。
「最近元気ないけど」
フォークを指で回しながら続ける。
「もしかしてテリィたんを避けてる?」
ミユリさんはしばらく考えてから言う。
「早く忘れたいだけよ」
「何を?」
ミユリさんは少しだけ視線を落とす。
「異なる世界線の人類を絶滅させたことを」
朝の食卓には、少し重すぎる言葉だ。
それでも誰も驚かない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
高速バスは、須田町の料金所を抜ける。
後部座席の幼女が金属ケースを撫でる。
まるで猫を落ち着かせるみたいに。
「起きてる?」
誰かが聞く。
「まだ」
幼女は答える。
「でも、もうすぐ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
エアリがジュースを差し出す。
「はい」
ミユリさんは受け取る。
グラスの中で氷が鳴る。
「本当にそれだけ?」
マリレが聞く。
ミユリさんは1口飲んでから言う。
「それだけよ」
少しだけ笑う。
「安心して」
そのとき玄関の方で、遠くエンジンの音がする。
気のせいかもしれない。
誰もまだ、それを気にしていない。
けれど…
その朝、首都高を降りた1台の高速バスが、
ゆっくりと秋葉原へ向かっている。
そしてそのことを、
まだ、知る者はいない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
高速バスは、秋葉原駅の近くで止まる。
まだ朝は早い。
店のシャッターは半分閉まっている。
中央通りにはそれほど人はいない。
それでも電気街は確かに動いている。
コンビニのドアが開く音。
遠くで走るトラック。
信号の電子音。
いつもの秋葉原だ。
幼女は席から立ち上がる。
「ここでいいわ」
運転手は何も言わない。
ただエンジンを切る。
静けさが落ちる。
後部座席の高身長女が窓の外を見る。
「思ったより普通の街ね」
「普通の街ほど"裂け目"が隠れているものよ」
幼女はそう言う。金属のケースを開く。
中には、手のひらサイズの装置があった。
3つのダイヤル。
古い時計みたいな針。
太めの人妻風がノートを閉じる。
「半径は?」
「3km」
「観測できる分岐は17」
幼女はダイヤルを回す。
カチ
カチ
カチ
音だけが小さく響く。
「ヲタクは死なないわ」
彼女は言う。
「ただ、ちょっと別の場所へ行くだけ」
双子がイヤホンを外す。
電気街を見ている。
幼女が最後のダイヤルに触れる。
「30秒」
誰も動かない。
メイド服の女の子がチラシを配り出す。
インバウンドが萌え看板の写真を撮っている。
どこにでもある朝の光景だ。
幼女が言う。
「5」
ダイヤルを押す。
「4」
信号が変わる。
「3」
自転車が横切る。
「2」
バスの中で、誰かが息を吐く。
「1」
装置の中央のランプが、青く光る。
音はしない。爆発もない。
ただ…
街の音が、消える。
完全に。
メイドが消える。
サラリーマンが消える。
自転車も。
トラックも。
信号の電子音も。
すべて、ふっと消える。
まるで世界が一瞬まばたきをしたみたいに。
そして。
秋葉原には、誰もいなくなる。
風だけが吹く。
ポスターが揺れる。
横断歩道を、ビニール袋が転がっていく。
幼女は窓の外を見る。
「成功」
誰もいない中央通り。
ビルのスクリーンが、アニメのCMを流している。
高身長女が言う。
「全部消えた?」
太めの人妻風がノートを開く。
少し考えてから答える。
「…全部ではないわ」
幼女が振り向く。
「何人?」
太めは窓の外を見る。
空っぽのアキバを。
それから言う。
「数人」
幼女は少しだけ笑う。
「いいわ」
装置を閉じる。
「ゲームは、そこからが面白いの」
そしてバスのドアが開く。
無人の秋葉原に、
最初の1歩が踏み出される。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
高速バスのドアが開く。
最初に降りたのは高身長女だ。
何も言わず、中央通りを見渡す。
いつもなら人で埋まっている中央通り。
今は、まっすぐ遠くまで見える。
信号はまだ動いている。
赤から青へ。
青から赤へ。
誰もいないのに。
幼女がバスから降りる。
アスファルトに靴の音が小さく響く。
風が吹く。
どこかの店のポスターが、ぱたぱたと揺れる。
「静かですね、先生」
高身長女が言う。
幼女は頷く。
「街は、まだ夢を見ているだけ」
中央通りのスクリーンではアニメのCMが流れる。
元気な声で、誰かに何かを宣伝している。
でも、その声を聞く人はいない。
太めの人妻風がノートを開く。
「時空遷移、成功」
電子ペンを走らせる。
「残留ノイズ、数名」
幼女が聞く。
「近い?」
人妻風は少し考える。
「まだ遠い」
幼女はそれ以上気にしない。
通りを歩き始める。
秋葉原は、不思議な形でそのままだ。
店の前にはメイドのチラシが落ちている。
自販機のライトはついている。
ゲームセンターからは電子音が漏れている。
誰もいないのに。
高身長女が先に進む。
ゲームセンターのドアを開ける。
中には無数のゲーム台が並んでいる。
画面はついたままだ。
キャラクターが勝手に戦っている。
デモプレイだ。
コインを入れる人間がいないまま延々と続く。
高身長女が、台を軽く叩く。
「まだ生きてる」
もう1人が言う。
「街もね」
幼女は中央通りの真ん中で立ち止まる。
空を見上げる。
ビルの隙間の空は、朝の色だ。
「"リアルの裂け目"は近いわ」
高身長女が聞く。
「先生、どうしてわかるのですか?」
幼女は少し考える。
「匂い」
それだけ言う。
また歩き出す。
横断歩道を渡る。
そのとき、風が強く吹く。
歩道に置かれていた看板が倒れる。
ガタン、と音がする。
その音は、無人の街では少し大きすぎた。
全員が同時に振り向く。
「今の」
高身長女は言う。
幼女は止まらない。
「ノイズよ」
太めの人妻風がノートを見る。
「1人」
少し間を置く。
「いいえ。2人」
幼女が笑う。
小さく。
「いいわ」
振り向く。
空っぽの中央通りを見渡す。
「鬼ごっこにしましょう」
そして言う。
「この街には、まだヲタクが残っている」
風がもう一度吹く。
遠くのビルのガラスに、何かが一瞬映る。
人影のようなもの。
でも次の瞬間には、もう消えている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
最初に気づいたのは、音だ。
「静かすぎない?」
エアリが言う。
御屋敷のドアを開けたまま、通りを見ている。
確かに静かだ。
アキバの朝は、本当ならもう少しうるさい。
トラックの音。
店のシャッター。
どこかの店の音楽。
でも今は、風の音しかない。
ミユリさんが外に出る。
ゆっくりと、通りを見渡す。
「人がいないわ」
その言葉は、誰もが思っていたことだ。
通りには車が止まっている。
コンビニの前には自転車が倒れている。
でも…
誰もいない。マリレが歩き出す。
中央通りに出る。
いつもなら人でいっぱいの交差点だ。
信号は普通に動いている。
赤。
青。
でも渡る人はいない。
「これ、冗談?」
マリレが言う。誰も答えない。
エアリがスマホを取り出す。
電波はある。
ニュースも普通に更新されている。
「世界は普通に動いてる」
エアリが言う。
「でも秋葉原だけが…」
言葉を探す。見つからない。
スピアがコンビニのドアを押す。
ウィーンという音。
中に入る。
「店員さーん」
返事はない。
おにぎりの棚はそのまま。
コーヒーマシンはまだ温かい。
レジには、買い物かごが置かれている。
誰かが途中まで買い物をヤメたみたいだ。
「これ、ホラーね」
スピアが言う。
マリレは外に立ったまま、通りの奥を見る。
中央通りがまっすぐ伸びている。
その先まで、誰もいない。
まるで映画のセットみたいだ。
そのとき。
遠くで何かが倒れる音がする。
カラン。
全員が振り向く。
「今の」
エアリが言う。
ミユリさんは何も言わない。
ただ、空を見上げる。
ビルのスクリーンでは、アニメのCMが流れる。
元気な声。
明るい音楽。
でも通りには誰もいない。
その音だけが、空っぽの街に響いている。
ミユリさんがゆっくり言う。
「街が…」
少し間を置く。
「抜かれてるわ」
誰もその意味を聞かない。
なんとなく、わかったからだ。
スピアが通りの向こうを見る。
「ねえ」
指差す。
「誰かいるわ」
全員がそちらを見る。
中央通りの遠く。
人影がいくつか歩いている。
ゆっくりと。まっすぐこちらへ。
マリレが目を細める。
「…あれ」
少し笑う。
「敵じゃない?」
風が吹く。
ポスターが揺れる。
空っぽの秋葉原の真ん中で、
2つのグループが、ゆっくりと近づいていく。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
中央通りには、誰もいない。
信号は変わる。スクリーンは光る。
自販機のファンが小さく唸っている。
でも人間だけがいない。
その通りの真ん中に、僕たちは立っている。
ミユリさんが一歩前に出る。
そのとき、マリレが言う。
「来るわ」
遠くの交差点。人影が4つ。
ゆっくり歩いてくる。
急ぐ様子はない。
まるで散歩でもしているみたいだ。
風が吹く。
誰かの落としたチラシが、道路を転がる。
僕たちは動かない。
相手も動かない。
距離が、少しずつ縮まる。
100m。
90m。
80m。
スピアが小さく言う。
「あの幼女ね」
その言葉の通りだ。
先頭を歩いているのは、幼女だ。
黒いガウン。
黒い革靴。
その後ろに、黒いガウンの女たち。
中央通りの真ん中で、2つのグループが止まる。
距離は20m。
メイド vs 黒ガウン。
信号が変わる。
青。
でも誰も渡らない。
幼女が言う。
「こんにちは」
声はよく通る。
ミユリさんが答える。
「ずいぶん大胆なことするのね」
幼女は肩をすくめる。
「街を借りただけよ」
マリレが言う。
「ヲタクを全部どこかに飛ばして?」
幼女は少し考える。
「そうとも言えるし、違うとも言える」
風がまた吹く。
ポスターが大きく揺れる。
高身長女が前に出る。
「先生」
幼女は手を軽く上げる。
止まれ、という合図だった。
高身長女は止まる。
幼女はミユリさんを見る。
じっと。
「あなた」
少し首を傾ける。
「ノイズね」
ミユリさんは答えない。
その代わり1歩前に出る。
「この街で何を探してるの?」
幼女はすぐに答える。
「"裂け目"」
短く言う。
「"リアルの裂け目"よ」
スピアが笑う。
「つまり、観光?」
幼女は首を振る。
「帰り道」
沈黙が落ちる。
空っぽの中央通りに、風だけが通る。
高身長女がガウンを脱ぎ捨てる。
赤のミニスカ付きビキニのリンコス。
対するヲタッキーズは全員メイド服だ。
メイド vs 女子プロレス?
マリレが言う。
「来るわよ」
ミユリさんが小さく言う。
「わかってる」
幼女は微笑む。
「鬼ごっこ、始めましょう」
その瞬間。
空気が変わる。
誰もまだ動いていないのに、
戦いはもう始まっている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
風が止む。
誰も動かない。
中央通りの真ん中で向き合う2つのグループ。
遠くのスクリーンでは未だアニメのCMが流れる。
元気な声が、空っぽの街に響く。
幼女が言う。
「最後に聞くわ」
小さな声だ。
「あなたたちは、この世界線に残るの?」
ミユリさんは答える。
「当たり前でしょ」
幼女は頷く。
「そう」
その瞬間。
高身長女が、腕を振る。
何もない空間に、一本の線が走る。
見えない刃。
ビルの看板が、音もなく真っ二つになる。
遅れて、金属が落ちる音が響く。
ガァン…
それがゴングだ。
マリレが叫ぶ。
「来る!」
太めの人妻風が1歩踏み込む。
その足が地面についた瞬間、重力が歪む。
アスファルトがめくれる。
僕たちの身体が、一斉に地面に押し付けられる。
見えない手に掴まれたみたいだった。
マリレが歯を食いしばる。
「重力…!」
エアリが横に跳ぶ。
その場所を、空間の刃が通り抜ける。
アスファルトが一直線に裂ける。
車が、まるで紙みたいに切れる。
マリレが前に出る。
「どいて!」
両手を広げる。
音波が爆発する。
ドンッ!
空気の塊が前方へ叩きつけられる。
高身長女が後ろへ吹っ飛ぶ。
ガウンが激しく揺れる。
それでも彼女は倒れない。
幼女は1歩も動かない。
ただ、見ている。
「面白いわ」
小さく言う。
ミユリさんが前に出る。
風が巻き上がる。
彼女の周囲の空気が震える。
「ここは通さない」
幼女は首をかしげる。
「でも、貴女。パワーを失ってるのょね?」
その瞬間。
中央通りのマンホールが、突然弾ける。
ガコン!
宙を跳ぶマンホール。
地下から、冷たい空気が吹き上がる。
全員の動きが止まる。
幼女だけが笑う。
「ほら」
静かに言う。
「"裂け目"への入口」
暗い穴が、中央通りの真ん中に開いている。
地下へ続く階段。
見たことのない古い構造。
アキバの地下に遺跡などあるはずはない。
それでも、そこに遺跡はある。
幼女が1歩前に出る。
ミユリさんが立ちはだかる。
2人の距離は、3m。
風が強く吹く。
ポスターが空を舞う。
幼女が言う。
「どいて」
ミユリさんは首を振る。
「お断り」
沈黙。
それは1秒も続かない。
次の瞬間。
2人が同時に動く。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
中央通りの真ん中で、向き合う2人。
周囲ではすでに戦いが始まっている。
マリレの超音波が空気を叩き、金属がひしゃげる。
高身長女の見えない刃が萌え看板や車を切り裂く。
それでも、この場所だけは妙に静かだ。
幼女がミユリさんを見上げる。
「久しぶりね」
ミユリさんは眉を動かす。
「ほとんど、はじめましてだけど」
「そういうことにしてるだけ」
幼女は笑う。
風が吹く。黒いガウンの裾が揺れる。
「あなたは忘れてる」
幼女は続ける。
「でも私は覚えてる」
ミユリさんの周囲の空気が震え始める。
アスファルトの小石が浮き上がる。
「名前」
幼女が言う。
「レイラ」
その瞬間、空気が爆発した。
ミユリさんの周囲から、見えない電撃が放たれる。
ドォン
地面が砕ける。
中央通りの白線が粉々に飛ぶ。
しかし幼女は動かない。
電撃は彼女の手前で、
まるで見えない壁に触れたみたいに止まる。
空気が歪む。
幼女が指を一本立てる。
「遅い」
指が軽く動く。その瞬間、
ミユリさんの動きが止まる。
完全に。
風も止まる。
落ちていた紙も、宙で静止する。
時空が、切り取られている。
幼女だけが動ける。
彼女はゆっくり歩く。
止まった世界の中を。
ミユリさんの前に立つ。
顔を覗き込む。
「これが私の力」
小さく言う。
「時空停止」
ミユリさんは動けない。
でも…
目だけが動く。幼女を見る。
その目を見て、幼女が少しだけ驚く。
「…あら」
時間が、震える。
ピシッ
空間に小さなひびが入る。
ミユリさんの指が、わずかに動く。
幼女の目が細くなる。
「色恋に狂ってパワーを無くしたんじゃないの?」
ミユリさんの足元のアスファルトが砕ける。
止まっていた小石が落ちる。
時空が、少し流れ出す。
ミユリさんが言う。
ゆっくりと。
「効きが…」
息を吐く。
「甘いわ」
その瞬間。
電気エネルギーが爆発する。
中央通りのガラスが一斉に割れる。
ビルの窓が震える。
衝撃波が広がる。
幼女が後ろに跳ぶ。
初めて距離を取る。
「なるほど」
楽しそうに言う。
「ノイズって、こういうこと」
ミユリさんは両手を広げる。
周囲の空気が渦を巻く。
マンホールの蓋が浮き上がる。
信号機が曲がる。
見えない重力の嵐だ。
「この街で」
ミユリさんが言う。
「好き勝手はさせない」
幼女は首を傾ける。
それから、少しだけ笑う。
「でもね」
指を鳴らす。
パチン
その瞬間。
地下の穴から、強烈な光が吹き上がる。
中央通りが震える。
幼女が言う。
「もう遅いの」
ゆっくりと。
「"リアルの裂け目"が開き始めた」
ミユリさんが振り向く。
地下の階段の奥。
暗闇の中で、何かが回転している。
巨大な螺旋。
見たことのない構造が現れる。
時空そのものが、渦を巻く。
幼女が1歩前に出る。
「だから」
静かに言う。
「この戦い、もう無意味なのよ」
しかしミユリさんは動かない。
むしろ、少し笑う。
「それはどうかしら」
その瞬間。
遠くでマリレが叫ぶ。
「ミユリ姉様!後ろ!」
時空が歪む。
次の瞬間、戦場にもう一つの力が落ちてくる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
地下に降りる階段は、思ったより古い。
コンクリートの角が丸く削れている。
誰かが長いあいだ歩き続けた跡みたいだ。
ミユリさんが先に降りる。
その後ろを、僕が続く。
上ではまだ戦いの音がしている。
金属がぶつかる音。ガラスが砕ける音。
でも階段を降りると、それは急に遠くなる。
まるで別の世界線の出来事みたいだ。
地下は冷たい。
少し湿った空気の匂いがする。
階段の下に、広い空間があった。
そしてその中央に…
それは、ある。
巨大な螺旋。
直径は20mくらい。
金属か石か、よくわからない素材でできている。
ゆっくり回転している。
音はない。
それでも、空間が低く唸っているのがわかる。
螺旋の内側には、空がある。
夜空みたいな黒。
その中に、無数の光が流れている。
星ではない。
流れている。
川みたいに。
エアリが小さく言う。
「…なにこれ」
誰も答えない。
マリレが一歩近づく。
空気が揺れる。
足元の砂が、重力を失ったみたいに浮き上がる。
「これが」
彼女が言う。
「"リアルの裂け目"?」
ミユリさんは黙って見ている。
無限に続く螺旋の奥。
黒い空間の向こうで、何かが動く。
影。巨大な影だ。
でも形はわからない。
スピアが言う。
「向こう、何かいる」
そのとき。
螺旋の中で光が強くなる。
流れていた光が、一瞬逆流する。
時空が歪む。
低い振動が足元から伝わる。
ドン
心臓の鼓動みたいな音だった。
また。
ドン
マリレが後ろを見る。
「これ、開いてる」
もう一度、音。
ドン
トンネルの奥から、風が吹く。
冷たい風。
知らない場所の匂いがする。
海の匂いにも似ているし、
鉄の匂いにも似ている。
幼女も降りてくる。
後ろに手下の女子プロレスラーたち。
彼女はトンネルを見る。
懐かしいものを見るみたいに。
「やっぱり秋葉原にあったんだわ」
静かに言う。
ミユリさんが振り向く。
「何をする気?」
幼女は答える。
「帰るだけ」
輪の中央を指差す。
「向こう側に」
その瞬間。
トンネルの奥で、何かが動く。
今度ははっきり見えた。
影ではない。腕?
巨大な腕のようなものが、
黒い空間の奥でゆっくり伸びてくる。
誰も動かない。
マリレが小さく言う。
「ねえ」
声が少し震えている。
「あれ」
少し間。
「あっちからも来てない?」
螺旋の光が、さらに強くなる。
時空が鳴る。
ドン
ドン
ドン
そして次の瞬間…
"向こう側"から、
"何"かがこちらの世界へ手を伸ばす。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
トンネルの光が、ゆっくりと濃くなる。
黒い時空の奥底から伸びてきた腕は、
やがて全体の輪郭を連れてくる。
最初に見えたのは、ヒールだ。
細く、鋭い。
金属でできた長いピンヒール。
それがトンネルの縁に触れる。
カン。
乾いた音が地下空間に響く。
次に、脚。2人分の。
黒い装甲のようなブーツが太腿まで伸びている。
装甲は切れ込みがあり、白い肌が覗く。
ゆっくりと、その2人は、こちら側に歩み出る。
光が歪む。
まるで時空が2人の重さに耐えきれないみたいに。
長いマントがトンネルの中から流れ出てくる。
深い紫色。
内側は血のような赤。
そして最後に顔が現れる。
仮面。
口元だけが開いている。
銀色の仮面には、角のような装飾が左右に伸びる。
地下空間の空気が一段冷たくなる。
"彼女達"は、周囲を見回す。
まるで舞台に立つ主演女優のように。
ゆっくりと両腕を広げる。
「…あら」
声は低く、滑らかだ。
「ここが秋葉原?」
ヒールがもう一歩前に出る。
カン。
幼女が少し眉を動かす。
「予定より早い」
"彼女達"は、その声に視線を向ける。
仮面の奥で、微笑む気配。
「久しぶりね」
1人は言う。
「"3つの太陽"の子供たち」
2人のマントがふわりと広がる。
その下のコスは、戦隊ものの悪の女幹部みたいだ。
黒いボディスーツ。
胸元には金の装飾。
肩には鋭いアーマー。
腰には細い鞭のような武器。
2人は、ゆっくりそれを取り出す。
パチン。
軽く振る。
鞭が空気を裂く。
音だけで、時空が震えている。
ミユリさんが1歩前に出る。
「あなた誰?」
女は顔を傾ける。
「名前?」
少し考える仕草をする。
「そうね」
指を唇に当てる。
「あなた達の世界で言うなら」
少し笑う。
「"悪の女幹部"かしら」
「双子のね」
2人が続けて言う。その瞬間…
螺旋の光がさらに強くなる。
彼女の背後に、巨大な影が
いくつも動いているのが見える。
軍隊?
"こちら側"へ来ようとしている。
双子が交互に言う。
「本来なら」
「この世界線は」
「無人の予定だった」
幼女を見る。
「あなた達の装置でね」
幼女は無言。
双子は肩をすくめる。
「でも、まあ、いいわ」
ミユリさんを見る。
僕たちを見る。
ゆっくり微笑む。
「人がいる方が」
鞭がしなる。
「征服のし甲斐があるもの」
双子が超音波で歌い出す。
背後の闇が割れる。
巨大な飛翔体が1体"裂け目"から飛び出す。
地下が揺れる。
双子は、高らかに宣言する。
「さあ始めましょう」
鞭を振る。
パァン!
時空が裂ける。
「アキバ征服を」
その言葉のあと、
地下遺跡は一瞬だけ静まり返る。
そしてマリレが、小さくつぶやく。
「…あー」
みんなを見る。
「これ、めちゃくちゃ面倒なやつ来たね」
ミユリさんがため息をつく。
「私、超能力が戻ってないのに」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
地下空間は、深く息を吸い込んだみたいに
静まり返る。
そして次の瞬間、すべてが一度に動き出す。
最初に聞こえたのは、靴音だった。
地上から。
硬いブーツがコンクリートを叩く音。
ドン
ドン
ドン
規則正しい。
軍隊の足音だ。
双子の女幹部がゆっくり顔を上げる。
「…騎兵隊でも呼んだの?」
階段の入り口にピンクの装甲メイド服が現れる。
先頭の兵士がヘルメットのバイザーを下ろす。
メイド?カチューシャをつけた女子だ。
赤い光が点く。
背中には銃口がラッパ型に開いた突撃銃。
肩には拳のような弾頭付き鉄パイプを担ぐ。
その後ろに、同じピンクの装甲メイド服たち。
20体ほど。全員、腕章。
全員がメイドなのか?
装甲の肩には、謎のアニメキャラ、韓流アイドル…
しかし武装だけは本物だ。
先頭の指揮官?が低い声で言う。
「こちら腐女子突撃旅団」
ヘルメット越しに僕たちを見る。
「秋葉原防衛ラインを確認」
ミユリさんが小さく息を吐く。
「"ヲタクの嵐"って何?」
双子は、その様子を眺めている。
顔を見合わせ、楽しげに笑う。
指揮官が前に出る。
肩に担いだロケットランチャーを構える。
「敵性時空勢力を確認」
照準が双子へ向く。
ピンを抜くと鉄パイプに照準器が起きる。
「排除する」
女幹部が軽く拍手する。
パチ
パチ
「素敵」
心の底から楽しんでる双子。
口を開き何か歌い出す。が、声は聞こえない。
「こういうの大好き」
その時"裂け目"の奥に巨大な飛翔体が現れる。
黒い巨大蛾。まさか…モスラ?
「キングギドラに敗れたモスラを回収し、
モラル崩壊を招くヲタク文明を破壊するため
"メカモスラ"として降臨させたわ」
負けじと重い足音が"裂け目"を揺らす。
ドン
ドン
ドン
「全隊!」
ピンクの装甲メイド服が一斉に膝をつく。
ロケットランチャーを構える。
「対時空兵器モード!」
ミユリさんが両手を広げる。
微かに時空が歪む。
マリレが叫ぶ。
「超音波いくよ!」
幼女たちも一斉にプロレス技の構え。
エアリが僕の横で言う。
「テリィたん」
僕を見る。
「今日は」
少し笑う。
「この世界線、運命の日ね」
そして次の瞬間。
指揮官が叫ぶ。
「撃て!!」
地下空間が、光で埋まる。
ロケット弾が飛ぶ。超音波が爆発する。
時空から現れたメカモスラが咆哮する。
そして、その中心で高笑いする双子。
時空大戦争の始まりだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
光の爆発は、いくつも同時に起きている。
地下遺跡の天井が震える。
ロケット弾の閃光が、白く瞬く。
装甲メイド兵が音波銃を乱射する。
女子レスラーたちが、双子に殺到する。
地下遺跡は、ほとんど戦場だ。
しかし、それも長くは続かない。
世界線と世界線の戦争は、
いつもそうだ。
突然始まり、
そして、突然終わる。
双子はその中心に立っている。
幼女達を蹴散らしながら超音波で歌い続ける。
ロケット弾が1発、双子の足元で爆発する。
噴煙が上がる。
だが煙が晴れると、彼女は同じ場所に立っている。
少しだけ、つまらなそうな顔で。
鞭を肩に乗せる。
「…今日はここまでね」
低く言う。
巨大蛾が螺旋時空の方へ向きを変える。
装甲メイド兵たちが歓声を上げる。
そのとき。
双子が指を鳴らす。
パチン。
"リアルの裂け目"の光が変わる。
渦巻いていた黒い空間が、静かに収束する。
最初にメカモスラが飛び込む。
ミユリさんが叫ぶ。
「逃がさない!」
紫の電撃が飛ぶ。
しかしその直前で、時空が折れる。
双子は、もうそこにいない。
彼女たちは、回転する螺旋の縁に立っている。
マントが風にそよぐ。
仮面の奥で、こちらを見ている。
「悪くなかったわ」
鞭を軽く振る。
時空が裂ける。
「でも」
少し笑って2人、声を合わせる。
「ラジオ体操第2.5のレベル」
背後で、時空トンネルがゆっくり閉じ始める。
双子は最後に言う。
「覚えておきなさい」
地下遺跡に静かな声が響く。
「この世界線は、いずれ私たちのものになる」
少し間。
「また来るわ」
そして双子は振り向く。
マントが翻る。
ヒールの音が"裂け目"の奥へ遠ざかる。
カン
カン
カン
最後の光が消える。
"リアルの裂け目"が閉じる。
地下空間は、急に静かになる。
硝煙が漂っている。
割れたコンクリート。
超古代の"科学センター"の廃墟だ。
装甲メイド兵たちがヘルメットを外す。
一斉に息をつく。
マリレが言う。
「…終わった?」
ミユリさんはしばらく黙っている。
それから静かに言う。
「ええ」
地下から遠く深い青空を見上げる。
「今日のところはね」
遠くでサイレンが鳴り始める。
そして秋葉原は、何事もなかったかのように、
また、ヲタクの街へと戻って逝く。
第3章 コニィ!
御屋敷のバックヤード。
いつもより少し静かだ。
ホールには、コーヒー豆と洗剤の匂いだ。
それがこの街の日常だ。
コニィは床に横たわっている。
肩で荒い息をしている。
顔の外皮装甲は、焼けた金属みたいに黒ずむ。
人間の火傷にも似ているけれど、どこか違う。
もっと機械的で、もっと生物的だ。
「オフィスに連れてきて」
ミユリさんが言う。
声は落ち着いている。
まるでいつもの閉店作業みたいだ。
エアリとマリレが、コニィの両側にしゃがみ込む。
「重いわね」
「当たり前でしょ。装甲だもの」
二人は肩を貸して立ち上がらせる。
そのまま2Fのオフィスへ運んでいく。
ミユリさんは、バスタブの蛇口をひねる。
お湯が落ちる音が、オフィスに柔らかく広がる。
「まず服を脱がせなきゃ」
その言葉を聞いた僕は、何となく気まずくなり、
扉の外で立ち止まる。
半開きの扉の隙間から、少しだけ中が見える。
コニィは椅子に座らされている。
エアリがメイド服を脱がせている。
そのときだった。
僕の鼻先で、扉が勢いよく閉まる。
バン。
向こう側から、ティルの声。
「ここから先は男子禁制よ」
たぶんパワーを使ったんだと思う。
扉はびくともしない。
中では、水の音が続いている。
しばらくしてから、エアリの声が聞こえた。
「これでいいわ。
たぶん外皮装甲に栄養が足りてないのよ。
だからこうなる」
マリレが何かをつつく音。
「見てこの太もも。缶詰のハムみたい」
少し間があって、コニィが言う。
「ハムで悪かったわね」
声は弱っていたが、ちゃんと毒づいている。
そのあと、お湯が大きく揺れる音がした。
たぶんバスタブに入れたんだと思う。
エアリが腕を組む気配。
「装甲の外側から養分を与えてみたらどうかしら」
少し考えるような間。
「どれか吸収するかもしれない」
マリレが言う。
「そうね。ものは試しよ」
棚を開ける音。
「ビタミンとかミネラルとか」
「誰か何かのタブレット、持ってる?」
スピアの声が、すぐに返ってくる。
「あるわよ」
ガチャガチャと、バッグの中を探す音。
「胃腸エキスにカルシウム、
それから…すっぽんエキス」
誰かが小さく笑う。
スピアは続ける。
「これは生理痛の薬」
少し間。
「もう何でもいいわ」
そして彼女は言った。
「全部入れちゃえ」
錠剤が何個もお湯に落ちる音がした。
ポチャン。
ポチャン。
静かな音だ。
それからスピアが、少しだけ声を落として言う。
「…恋敵だけど」
短い沈黙。
「助けなきゃね」
その言葉に、メイドたちが小さく頷く気配がした。
扉の外で、僕はしばらく立っていた。
バックヤードの時計は、静かに針を進めている。
秋葉原の夜は、まだ終わっていない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
オフィスのバルコニーに出ると、
夜の空気は思ったより冷たい。
僕は望遠鏡を三脚に据え、
無人のパーツ通りをゆっくり見渡す。
秋葉原は、まるで舞台の幕が突然下りたあとの
セットみたいだ。誰もいない。
それだけなのに、どこか現実味が薄い。
車は何台も路肩に止まっている。
交差点では2台がぶつかったままだ。
バンパーが外れて斜めにぶら下がっている。
信号はまだ点滅している。
青から赤へ。
赤から青へ。
けれど、その意味を受け取る人間はいない。
僕は小さく息を吐く。
「パーツ通りには誰もいない」
独り言みたいに言う。
「"頭巾ズ"は、どこに隠れているんだ」
そのとき背後の扉が開いた。
スピアが出てくる。
バルコニーの明かりの下で、
彼女は少し疲れた顔をしている。
僕は望遠鏡から目を離さずに言う。
「彼女、助かるのかな」
スピアは柵にもたれる。
「わからないわ、テリィたん」
夜風が彼女の髪を揺らす。
僕は少しだけ振り返る。
「スピア、ずいぶん親しくなったんだな」
彼女は眉を上げる。
「何が?」
「マリレだよ」
僕は肩をすくめる。
「取られてもいいのか?」
スピアは少しだけ笑う。
でもその笑いは短い。
「私の私生活に口出ししないで」
静かに言う。
「もう貴方の彼女じゃないのよ」
僕は望遠鏡の焦点を少し調整する。
遠くの交差点がくっきり見える。
「しかし」
僕は言う。
「マリレが敵と百合とはな」
スピアは一瞬、真顔になる。
それから僕の手から望遠鏡を奪い取る。
「マリレとコニィは百合じゃないわ」
きっぱり言う。
望遠鏡を覗き込む。
「マリレの相手は私」
そして付け加える。
「私にも見せてよ、望遠鏡」
彼女はレンズの向こうをしばらく黙って見ている。
「…本当に誰もいない」
小さく言う。
「街が抜け殻みたい」
その言葉は、どこか正確だ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そのころ、オフィスのバスタブでは
別の種類の沈黙がある。
ティルが腕を組んで立っている。
目の前の湯船にはコニィ。
さっきまで死にかけていたはずなのに、
今はお湯をちゃぷちゃぷと揺らしている。
頬の装甲も、ほとんど元に戻っている。
ティルが眉を細める。
「ねぇ」
少し間。
「やけに回復が早くない?」
コニィは目をそらす。
ティルは続ける。
「まさか、都合が悪くなると、
苦しいふりをしてただけじゃないの?」
さらに1歩近づく。
「演技だったわけ?」
腕を組み直す。
「質問に答えてもらいましょうか」
コニィはお湯を手でぱしゃぱしゃと揺らす。
ティルが言う。
「"頭巾ズ"は秋葉原に何をしたの?」
コニィは肩をすくめる。
「マジ知らないわ」
ティルは無言でバスタブの栓に手をかける。
ゆっくり引き抜くジェスチャーをする。
コニィが悲鳴を上げる。
「やめて!」
両手で栓を押さえる。
「それだけは…お願い!」
ティルは平然としている。
「秋葉原にいた人間はどこなの?」
少し間。
「まさか、全員死んだんじゃ…」
コニィは激しく首を振る。
「違うわ」
息を整えてから言う。
「宇宙では、時空は多次元で存在してるの」
みんなが黙る。
コニィは続ける。
「きっと"頭巾ズ"は秋葉原を多次元状態にした」
エアリがすぐに言う。
「わかるように言って」
コニィは考える。
それから言う。
「時差のある場所を、一緒にするようなもの」
少し間。
「でも人間の体は、それに耐えられない」
お湯の水面が揺れる。
「だから消えたの」
マリレが小さく聞く。
「どこへ?」
「みんなはどこへ行ったの?」
少し間。
「まさか死んだってこと?」
そのときスピアが、バスタブの栓に指をかけた。
「…あら」
ゆっくり言う。
「手が滑って栓が抜けそうよ」
コニィが慌てる。
「わからないわ!」
必死に言う。
「別の世界線で存在してるのかも!
違う時空に移動させられただけだし!」
ティルが割り込む。
「みんなは元に戻れるの?」
コニィは目を閉じる。
「わからない。マジで知らないの」
今度はスピアが栓を抜くふりをする。
コニィがまた叫ぶ。
「やめて!」
エアリが静かに聞く。
「コニィ。みんなは無事なの?」
コニィは顔をしかめる。
「そんなの知らない」
マリレが言う。
「私たちは街の外にいたんだけど」
コニィはそれを聞いて、ゆっくり頷く。
「その分」
小さく言う。
「きっと、時間を稼げたんだわ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「その分、時間を稼げたってどういう意味?」
スピアはそう言いながら、
ミユリさんと一緒にホールへ降りていく。
ミユリさんは立ち止まらずに応える。
「命拾いしたって意味でしょ」
その声は静かだが、
あまり良い種類の静かさではない。
その時。
ホールの奥、照明の陰に、誰かが立っている。
マスクをつけた女子レスラー。
黒いガウンを脱ぎ捨てる。
肩幅が広く、筋肉の線がはっきりしている。
スピアは一瞬だけ固まる。
そしてすぐにキッチンへ逃げる。
床を滑るようにして扉へ飛び込む。
しかし次の瞬間、足首を掴まれる。
「っ—!」
床に引き倒される。
そのままズルズルとホールへ引きずり出される。
レスラーの握力は、まるで鉄みたいだった。
そのとき、銃声。
パン。
レスラーの背中が弾ける。
後ろに立っていたのはラギィ警部だ。
煙の立つ拳銃を構えている。
レスラーは一度、ぐらりと揺れる。
そして—
何事もなかったように立っている。
スピアが叫ぶ。
「そいつ"頭巾ズ"だから!」
その言葉が終わる前に、レスラーは振り向く。
次の瞬間、ラギィ警部のカラダが宙に浮く。
ドン。
壁に叩きつけられる。
「警部!」
男の声だ。
どこから現れたのか、カレルが駆け寄っている。
警部の肩を揺する。
レスラーはその様子を一瞬だけ見て踵を返す。
扉を蹴り開ける。
夜の通りへ走り去る。
店の中には、突然の静けさが戻る。
スピアが息を整えながら立ち上がる。
ラギィ警部を見て、言う。
「警部…ねぇ」
声が少し震えている。
「大丈夫? 起きられる?」
ラギィは、目を閉じたままだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
コニィは、ホールのボックスシートに
寝かされている。
クッションに体を沈め、まだ少し顔色が悪い。
ミユリさんがテーブルの向こうに立つ。
「コニィ」
静かに言う。
「"頭巾ズ"を倒す方法はあるの?」
コニィは天井を見たまま言う。
「私達を殺すのは簡単よ、ミユリ姉様。
彼女たちとプロレスして勝つの」
エアリが眉をひそめる。
「…プロレス?」
コニィは頷く。
「マスクを剥ぎ取るのよ。
外皮装甲の封印密閉が効かなくなる」
そして言う。
「それで死ぬわ」
メイドたちの間に、ため息が広がる。
誰かが言う。
「どーしてもプロレスしなきゃいけないの?」
誰も答えない。
ミユリさんが話を戻す。
「幼女のトキナは?
どんなパワーを使えるの?」
コニィはゆっくり指を上げた。
そして自分の頭を指す。
「あなたたちが出来ることは、だいたいできる。
でも一番怖いのはここ」
エアリが聞く。
「頭?」
コニィは頷く。
「人の頭の中に入れるの」
ホールが静かになる。
「その中身を奪う」
記憶とか、考え方とか」
マリレが言う。
「頭脳簒奪?」
「YES。その人の人格ごとね」
ラギィ警部が、壁にもたれたまま言う。
声は少しかすれている。
「どこか安全な場所に避難しましょう。
ここは、身を隠すには観光名所過ぎるわ」
ミユリさんはすぐに頷く。
「タイムマシンセンターね。
元は巨大本営の防空壕だった場所よ。
まずそこに避難する」
そしてラギィを見る。
「それからラギィとヲタッキーズで
"頭巾ズ"を迎え撃つ」
そのときだ。
カレルが口を挟む。
「俺は?」
みんなが彼を見る。
ミユリさんは一瞬も迷わない。
「貴方は、いいわ」
短く言う。
「信用できないから」
バッサリ切り捨てる。
ホールの空気が少しだけ冷える。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
パーツ通りの角。
ミユリさんはしばらく動かずに立っている。
アキバは、まだ空っぽのままだ。
自動販売機の光だけが、静かに点いている。
「目立たないように数人ずつ行って」
ミユリさんが言う。
「ラギィ、OK?」
ラギィ警部は通りの向こうを1度見てから頷く。
「そうね。OK」
すぐに続ける。
「マリレ、カレル。コニィを頼むわ。先に行って」
マリレは軽く手を上げた。
「OK」
それからカレルを見る。
「let’s go」
2人はコニィを両脇から抱えた。
コニィは、まだ完全には歩けない。
3人は飛び出す。
パーツ通りを横切る。
まるで市街戦で狙撃兵を警戒する、
分隊長のような足取りだ。
コニィの足が少しもつれる。
マリレが支える。
カレルは通りの向こう側を見張っている。
やがて3人はタイムマシンセンターに辿り着く。
マリレが手をかざす。
超能力が働き、カチ、と小さな音。
扉が解錠される。
3人はそのまま中へ滑り込む。
扉が静かに閉まる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ミユリさんが振り返る。
「テリィ様たちが最後です」
少しの間。
「大丈夫?」
僕は通りを見ながら答える。
「多分」
ティルが小さく会釈する。
「お先に失礼」
少し微笑む。ラギィ、ミユリさん、ティル。
3人が順にパーツ通りへ飛び出す。
僕とエアリはその背中を見送る。
エアリは腕を組んでいる。いつもの癖だ。
「大丈夫か、エアリ」
エアリは少し考えてから応える。
「お願いよ、テリィたん」
顔は通りの方を向いたままだ。
「何も聞かないで。
私のしたいようにさせてくれない?」
僕はしばらく黙っている。
そして頷く。
「わかった」
エアリは小さく息を吐く。
「私1人で行ってトキナを探すわ」
僕はすぐに言う。
「それはダメだ」
エアリは振り向く。
「テリィたん」
少し困った顔で言う。
「トキナの狙いは私なのよ」
僕は眉をひそめる。
「どういう意味だ?何があった?
1人で行動するなんて危険すぎるだろ」
エアリは少しだけ目を伏せる。
それから言う。
「そうね。わかったわ」
僕は腕を組む。
「そう考え込むなょ。
ちょっちパーツ通りを見てくる」
それから言う。
「安全を確認したら行こう」
僕は角から身を乗り出す。
無人の通りをゆっくり見渡す。
看板。駐車した車。割れたガラス。
何も動いていない。
「パーツ通り、異常なし」
僕は振り返る。
「先に行け」
そして気づく。
そこにエアリはいない。
僕はしばらくその場に立ちすくむ。
意味が追いつくまで、少し時間がかかる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
路地裏の小さな噴水。
その周りを、エアリはゆっくり歩いている。
ここにも人影はない。
噴水の水だけが静かに落ちている。
そのとき、音がする。
モーターの音?
エアリは足を止める。
路地の奥で、リモコンカーが走っている。
黒い小さなオモチャの車だ。
高速バスの前をぐるぐる回っている。
操縦している人影はバスの陰か。
エアリは静かに近づく。
様子をうかがう。
そのときだ。リモコンカーが突然方向を変える。
一直線にエアリの足元へ走ってくる。
コツン。
足にぶつかる。エアリは振り向く。
そこに、リモコンを持った少女が立っている。
トキナ。
小さなレスラーマスクの口元が動く。
エアリを見て、ゆっくり名を呼ぶ。
「レイラ」
秋葉原の夜は、まだ終わらない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
"タイムマシンセンター"の展示ホール。
紫色の光は、どこか海底を思わせる。
人の気配がなく、空気だけがゆっくり循環する。
天井の高い空間の中央に模型のタイムマシン。
その前のソファに、コニィは横たわっている。
顔色はひどく悪い。
まるで、長いあいだ別の季節に
置き去りにされていた果物のようだ。
皮膚の表面は乾き、疲れきっている。
スピアがコップを差し出す。
「水を持ってきてあげたわ。
またお風呂を用意するから、それまで辛抱して」
コニィはゆっくりと首を振った。
「私はもうダメ。死ぬんだわ」
その言葉は劇的ではない。
ただ事実を報告するみたいに淡々としている。
マリレが1歩前に出る。
「馬鹿なこと言わないで。死なせたりはしない。
助かる方法があるはずよ」
コニィはしばらく黙っている。
それから小さく息を吐き、マリレを見る。
「わかってるなら教えて」
マリレの声は低く、しかし揺らぎない。
コニィはゆっくりとうなずく。
その仕草は、まるで古い約束を
思い出したときのようだ。
「でもきっとあなたは嫌がるわ、マリレ」
「だから、言って。何なの?」
展示ケースのガラスが、紫の光を反射している。
遠くで機械の冷却ファンが回る音がする。
コニィは目を閉じ、それから静かに言う。
「"リアルの裂け目"よ」
その言葉が空気の中に落ちると、
部屋の中の重力が、ほんの少し増す。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
"タイムマシンセンター"のオフィス。
薄い蛍光灯の光の下で、
カレルは苛立ったようにスマホを投げる。
「市外通話も不通だ」
プラスチックのデスクの上で、
スマホは乾いた音を立てて滑る。
スピアはパソコンの画面を見つめている。
眉を寄せたまま、何度もグラフを拡大する。
カレルが背後から覗き込む。
「これ、超音波を拾うアプリなんだけど、
グラフの波形を見て。
まるで妨害電波が出たみたいに、
ある時点から平坦になってるのよ」
「それはいつだ?」
「今朝の10時半」
カレルは短く息を吐く。
「それは秋葉原からヲタクが消えた頃だ」
部屋の空気が少しだけ重くなる。
「もし超音波によって電磁場が形成され、
その影響で秋葉原が無人になったとしたら、
発生源を絶てば良いってことかな」
スピアは肩をすくめる。
「ええ。発生源を探し出して、
超音波を断てば…みんな元に戻るかも」
そのとき扉が静かに開く。
ラギィが立っている。
「カレルと2人で話したいんだけど」
スピアは一瞬2人を見てから、
椅子を引いて立ち上がる。
「また説教でもしに来たのか?」
カレルは机に寄りかかったまま言う。
ラギィは首を横に振った。
「私が冤罪で起訴されそうになった夜、
あなたが私に何をしたかを覚えている?」
「ぬいぐるみを貸した」
ラギィは小さく笑った。
「落ち込んだ私を助けてくれた。
大事なぬいぐるみを貸してくれたの。
ミユリ姉様の元カレなのに、
なんて優しい人なんだって思った」
カレルは顔をしかめた。
「昔話はもういいよ」
その瞬間だった。
ラギィの膝が崩れた。
「警部!」
カレルが駆け寄る。
「大丈夫か?しっかりしろ」
ラギィは床に手をつきながら、かすかに笑う。
「あなたは優しい。
部屋を貸すようになってから、
毎日が驚きだったわ」
息が浅い。
「なのに私は、
秋葉原でヲタクになっていくあなたを
理解できなかった」
彼女はゆっくりと顔を上げる。
「ごめんね」
カレルは言葉を失う。
ラギィは最後に、はっきりと告げる。
「あなたはヲタクよ」
それから、くるりと振り向く。
次の瞬間、彼女の姿は緑色の歪んだ光に包まれる。
ぐにゃりと時空が曲がり、
まるで水に溶けるようにして、
ラギィの輪郭が崩れる。
そして、消える。
オフィスには静寂だけが残る。
カレルは、ただ立ち尽くしている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「エアリ、いた?」
地下室へ降りる階段で、ティルが僕に声をかける。
彼女のメイド服は胸の深い谷間をチラ見せする。
こういう状況でも彼女はアピールを忘れない。
「マリレは?」
「裏にいるわ」
僕はうなずく。
「ティル…」
そのときだった。
腕を組んでいたスピアが振り返った瞬間、
時空が歪んで、覆面レスラーが現れる。
高身長女だ。
次の瞬間、スピアは見えない力に弾き飛ばされる。
しかしそれより早く、影が飛ぶ。
マリレだ。
背後からのライダーキックが炸裂する。
覆面レスラーの身体は灰になって舞い散る。
「"頭巾ズ"が来たわ」
マリレは息を整えながら言う。
「ここはもう危険よ。カレル、ラギィは?」
「もういない」
僕は振り向く。
「どういう意味だ」
「俺の目の前で消えた」
地下室の空気が凍る。
スピアが静かに言う。
「"頭巾ズ"の世界線や、
メカモスラを操る双子の世界線が混線して、
私たちの世界線を侵食しているのよ」
誰も何も言わない。
「だから"覚醒"していないヲタクから
順番に消えて逝く」
彼女は肩をすくめる。
「次は誰かしら」
カレルはスマホを拾い上げ、アプリを開く。
「多分、超音波はこのポイントから出てる」
地図を指差す。
「俺が行って止めてくる」
「おいおい、待てょ。1人じゃ危ない」
僕は止めたが、カレルは首を振る。
「テリィたん。今まで秋葉原じゃ
お前の命令に従ってきたつもりだ。
でも今度だけは別だ」
彼は静かに続ける。
「それでラギィやスピアや、
みんなが消えずに済むなら俺は行く」
こんなカレルは初めてだ。
「腐女子たちが明日を迎えられるなら俺はやる」
振り向くと、ミユリさんがうなずいている。
マリレとカレルに寄り添うようについていく。
「待て」
僕は言った。
「逝くなら地下アイドル通りを通れ。
そっちの方が安全だ」
カレルは振り返り、短くうなずいた。
「わかった」
「気をつけろ」
スピアが笑う。
「こういう湿っぽいの、あなた嫌いよね」
彼女はマリレの前に立つ。
「またすぐ会えるわ」
「そうかしら」
「絶対よ」
短いハグ。それから離れる。
僕は言う。
「僕達も裏道から脱出だ」
ティルが首をかしげる。
辺りを見回す。
「エアリは?」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
"頭巾ズ"の高速バス。
エアリは、両手首を吊り革にかけられている。
腕を上げたままの姿勢で座席の前に立つ。
まるで、何かの罰ゲームだ。
メイド服の袖口がずれ、白い手首がむき出し。
傍らのトキナは、エアリを眺めてから言う。
「あなたがこっちへ寝返るのはわかってたわ。
でも、今さら遅いのよ」
少し首を傾ける。
さらに、車内の奥から声がする。
「代わりに、その目玉をくり抜いてあげるわ」
粉になって消えたはずの高身長女だ。
「待って。私は取引しに来たのよ」
エアリの言葉に眉を上げるトキナ。
「取引? 何を差し出すつもり?」
「私よ」
その言葉に、トキナは小さく笑う。
エアリの顔を覗き込む。
「考えが甘いお姫様なのは昔からね。
お勉強より宝石が好きなお姫様。
いまのあなたは、ただの囚われの身なのよ」
エアリは黙ったまま、
ほんの一瞬だけ高身長女を見る。
トキナはその視線に気づく。
「あなた、席を外して」
「先生。信じられない…
まさかこんな女の言葉を信じるんですか?」
「それ以上言わせないで」
トキナの声は静かだ。
しかし、そこには逆らえない何かがある。
「外に出て。今すぐ」
高身長の女は肩をすくめる。
「はいはい」
そう言って、乗降ドアから外へ消える。
車内に残ったのは、トキナとエアリだけだ。
トキナは腕を組む。
「続けて」
エアリはゆっくり息を吸った。
「あなたに会って、眠っていた記憶が目覚めたの」
トキナは何も言わない。
「私たちの過去のこと。
あの頃…私たち、とても楽しかった」
少しだけ微笑む。
「ほとんど百合だったし」
トキナは小さくうなずく。
「そうね」
エアリの声は静かだ。
「だから私はあなたに会いたくて来たのよ。
ホントに」
吊り革が、かすかに揺れる。
次の瞬間、見えない力が作用する。
エアリの手首を支えていた吊り革が外れる。
エアリの体が前に崩れる。
2人は、そのまま抱き合う形になる。
勢い余って座席に倒れ込む。
その瞬間、ドアが開き高身長の女が駆け込む。
彼女は何も言わず、片手を軽く上げる。
見えない力がエアリの体を弾き飛ばす。
エアリは座席に叩きつけられ、動かなくなる。
気を失ったようだ。
トキナは顔をしかめる。
「何をしてるの」
高身長の女は肩をすくめる。
「余計な真似をしないで。
こんな状態じゃ口を割らせるのも無理だし」
トキナは苛立ったように息を吐く。
「先生」
高身長の女が言う。
「次はどうします?」
トキナは少し考える。
そして、あっさりと言う。
「もちろん皆殺しよ」
高身長の女は満足そうにうなずく。
軽くトキナの肩を叩き、通路の奥へ歩いて行く。
座席では、エアリが静かに気を失ったままだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
夜の首都高は、遠くまで続く川のようだ。
ピンクのキューベルワーゲンは、
その流れの上を静かに滑っていく。
ハンドルを握るカレルは、
前を見たまま言う。
「きっとうまくいくさ」
助手席のマリレは黙っている。
後部座席ではミユリさんが両手を膝の上で組む。
2人はメイド服だ。
「カレル」
ミユリさんが静かに言う。
「やっぱり引き返して。このままじゃダメよ」
カレルは何も答えない。
「テリィ様に、
私たちのこと誤解されたままだもの。
てっきり私を止めてくださると思ったのに…
結局、さよならも逝わず仕舞い」
ハンドルを切りながら、カレルは短く言う。
「今は、それぞれやるべき仕事をするんだ」
ミユリさんは涙ぐむ。
「それで誤解も解けるかしら」
「きっとわかってくれるさ」
そのときだ。
車内に、かすかな音が響く。
ガラスの奥で氷がひび割れるみたいな不思議な音。
マリレが振り返る。後部座席は…空っぽだ。
「ミユリ姉様?」
誰もいない。
シートベルトだけが、ゆっくり揺れている。
マリレは小さく息を吐く。
「消えたわ」
カレルは驚いて聞き返す。
「ミユリは"覚醒"したスーパーヒロインだろ?
それも秋葉原で最強の。彼女も消えるのか?」
マリレは窓の外を見ながら言う。
「姉様は…確かに"覚醒"してた。
でも最近、著しくパワーが落ちてたの」
少し間を置く。
「テリィたんと色々あって…」
それ以上は言わない。
ただ悲しそうに首を振る。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
中央口のバスターミナル。
マリレがピンクのワーゲンのドアを開け外に出る。
夜風がメイド服の裾を揺らす。
「ミユリ姉様がいないと…私、何もできないわ」
カレルは運転席から降り、肩をすくめる。
「落ち着くんだ、マリレ」
デタラメな方向を指さす。
「ミユリも、みんなも必ず戻ってくる」
バスターミナルには高速バスが停まっている。
「きっと、あのバスで超音波を発信してるんだ」
マリレは眉をひそめる。
「超音波って、発生するものなの?」
カレルは苦笑する。
「俺を見るなよ。大学じゃ落ちこぼれだったんだ」
マリレは腕を組む。
「とにかく私としては、
ヒューズを飛ばせば良いと思うのよ」
どっちもどっちだ。
「そうか!ヒューズだ!」
「ブースターケーブルとか、ある?」
「オフコースのさよならさ」
トランクを開けながらカレルは言う。
その瞬間、高速バスのドアが開いて、
ラテン系の派手なコスプレ女が走ってくる。
高速バスの運転手だ。
目が異様に光り、何ごとか叫んでいる。
「お許しを、ダイバダッタ様」
カレルも叫ぶ。それぞれの神に加護を求める。
「さあ、かかってこい!」
カレルが動く。
一瞬で間合いを詰め、女運転手の腕を掴む。
体をひねり、路面に叩きつける。
マリレがブースターケーブルを振るう。
鈍い音。女のカラダは灰になって飛散。
灰になって、風に舞う。
緑色の歪みが、ゆっくりと広がる。
「…カレル?」
マリレが振り向く。カレルの輪郭が崩れて逝く。
彼は驚いたような顔をしたあとポツリとつぶやく。
「ラギィ…」
それだけだ。次の瞬間。
カレルは時空の歪みに吸い込まれ、消える。
バスターミナルには、マリレ1人だけだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
神田リバー沿いの古アパート。
入り口の石段にコニィは座り込んでいる。
夜風が冷たい。足音が近づく。
サングラスをかけたトキナが立っている。
「あなたが見つかったって聞いて、
直接会いに来てあげたわ」
コニィは顔を上げる。
「もう走れないほど弱ったのね」
「近寄らないで」
コニィは低い声で言う。
嘲笑うトキナ。
「あなたはいつも社交界の花形だった」
ゆっくり近づく。
「あいつらとも、お友達になったの?」
しゃがみ込み、コニィの顔を覗く。
「そのお友達はどこにいるの?答えて」
コニィは吐き捨てる。
「アンタなんかと話す気はないわ」
トキナは少しだけ肩をすくめる。
「そう来るなら仕方ないわ」
次の瞬間、彼女の指がコニィの頭を掴む。
アイアンクロー。強烈な力。
コニィが悲鳴をあげる。
「あら?今朝の朝食は卵だったのね」
トキナは淡々と続ける。
「それから"タイムマシンセンター"で、
私たちから盗んだ外皮装甲を蒸着したのね?」
「やめて。お願い…」
「もっと役に立つ情報はないかしら」
コニィの意識が遠のく。
その奥で、誰かの声が響く。
"そうだ!イケメン喫茶に行こう!"
それは…僕の声だw
トキナは眉をひそめる。
「イケメン喫茶?」
少し考える。
「おかしな人たちね。男が行って楽しいの?」
コニィは苦しそうに笑う。
「アンタなんか…
テリィたんに殺されれば良いのよ」
トキナは少し黙ってから感心したようにつぶやく。
「よっぽど仲良くなったのね」
そして言う。
「ねぇコニィ」
彼女はコニィの顎を指で持ち上げる。
「貴女、他にも何か隠してるでしょ?」
コニィは息を荒くする。
「それは…」
「話すのよ」
「いやっ」
再び、アイアンクロー。
そのとき、遠くでマリレの声が響く。
"ねぇコニィ。
私たちにもしものことがあった時に備えて
貴女に"時空トンネル"のありかを教えるわ。
でも誰にも言わないで。誓える?"
トキナの目が細くなる。
「"時空トンネル"って、超古代文明が築いた
"リアルの裂け目"のコトでしょ?」
トキナは驚いたように笑い、さらに力を込める。
「素晴らしいわ。
トンネルの場所を教えてよ」
その瞬間だ。
コニィは自分の顔にアイアンクロー。
爪が皮膚を引き裂く。
そして。
彼女のカラダは、粉のように崩れる。
風に散る灰。
トキナはそれを静かに見ている。
やがて、小さく感心したように言う。
「見事な引き際だわ」
第4章 エピローグ
パーツ通り。僕達3人は並んで歩く。
「コニィの行方は?」
マリレは肩をすくめる。
「見当もつかないわ」
「今頃は"頭巾ズ"に合流してるカモ」
ティルは、へそ出しメイド服だ。
僕の御屋敷には少し場違いな格好。
そのとき、路傍に人影が見える。
エアリだ。
ビルにもたれるようにして倒れ、気を失っている。
僕が駆け寄る。
「エアリ!どうした?」
軽い咳払い。振り向くと…トキナがいる。
高身長女はじめ、ぞろぞろと"頭巾ズ"が集合。
「こんにちは」
トキナはそう言って笑う。
"頭巾ズ"のレスラー達は、落ち着かない様子で、
カラダのアチコチをボリボリ掻いている。
そして、僕達をゆっくりと取り囲む。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
同時刻。マリレは謎の発信器の前に立つ。
手にはブースターケーブル。
発信器の小さなランプが明滅している。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
芳林パークのジャングルジム。
僕とティルとスピアが縛られている。
トキナが僕の前に立つ。
指で僕の前髪を持ち上げる。
「情けない顔ね」
静かに言う。
「かつては兵士たちの運命を
コインで決めていた"ヲタクの王"なのに」
マジか。エラい嫌な奴だな、僕は。
「よりによって"ヲタクの王"が
超古代文明が築いた"時空トンネル"の
ありかを教えてくれるとはね」
肩をすくめる。
「それも私達が追放した女に漏らすなんて。
口が軽いのはプロレスラー失格ょ」
おいおい。僕は女子プロレスはやらないょ。
「その点コニィは立派だったわ。
秘密を守るため、自らの命を絶った」
ティルは鉄柱に頭を預け、溜め息を漏らす。
「ああ、コニィ」
トキナは、ふと笑う。
「その髪型、素敵ね」
ティルを指差す。
「イケてるわ」
胸の深い谷間も褒めとけょ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一方、高速バスの中では、
マリレがケーブルをバッテリーにつないでいる。
だが、発信器の表面はツルツルで、
うまく接続できズにいる。
「いやーん」
思わず声が出る。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「最後に1つ聞かせて」
トキナは執拗だ。疲れを知らない幼女のように。
「"時空トンネル"はどこ?」
トキナが尋ねる。
僕は首を振る。
「教えられない」
「それは困ったわ」
振り向くトキナ。
その瞬間、見えない力が僕達を襲う。
縛られたまま、カラダが引き裂かれるような痛み。
悲鳴が響く。
「わかった!」
マックスが叫ぶ。
「案内する!だから僕のメイドに手を出すな!」
「だめよ、テリィたん」
ティルが叫ぶ。
トキナはゆっくり首を振る。
「貴方には失望したわ、テリィたん。
昔の君は雲の上の人だったのに」
上から目線で僕を見下ろす。
手を伸ばし、アイアンクロー。
僕の頭に指が食い込む。
「どうせ死ぬのよ。楽な死に方を選べば?」
え。僕は死ぬのか?
そのとき、視野の中の全てが
"光のビッグバン"に包まれて逝く。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
マリレは、ケーブルを首輪のようにかけ、
小さな発信器を相手に格闘中だ。
次の瞬間——
緑色の渦が生まれ、時空がぐにゃりと曲がる。
その真ん中で発信器が爆発する。
白い煙。
その瞬間。アキバを覆っていた緑のモヤが、
音もなく消え去る。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
トキナのアイアンクローが僕の頭に食い込む。
「ぎゃー!」
僕ではない。絶叫したのはティルだ。
トキナが振り返る。そこには…
巨大な炎の柱が噴き上がっている。
僕達を取り囲んでいた"頭巾ズ"が後ずさる。
炎の中から何かが舞い上がる。
鶏?次の瞬間、すべてが炎に包まれる。
「雅楽忍法"火の鶏"!」
ティルが叫ぶ。そして後に残ったのは、
宙に舞う白い皮膚の破片だけだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「…一体何があったの?」
スピアは、キョトンとしている。
僕は静かに答える。
「僕たちを助けてくれたんだよ」
ジャングルジムに縛られていたはずの体は、
いつのまにか自由になっている。
ティルが僕に抱きつく。
巨乳をグリグリ推しつけてくる。
「結局、レイラって誰?」
僕が尋ねるとティルは小悪魔みたいに微笑む。
そして、答えを語らない。
芳林パークにお掃除ボランティアが集まる。
人々は、黙々と白い灰を掃いている。
いつもと同じ、何気ない裏アキバの風景だ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
僕の御屋敷。
カウンター席で皿をつつくカレル。
「これ、まだ凍ってるよ」
カウンターの向こうのスピアが笑う。
「あらマジ?すぐ解凍するわ」
そのとき扉が開き、
ラギィ警部が入ってくる。
カレルの肩を叩く。
「おはよう。元気?」
「まぁね。警部は?」
ラギィはオレンジジュースを飲み干す。
「気分は最高よ」
「それはよかったね、警部」
「マジ良かったわ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
窓の外では、インバウンドの高速バスの前で、
ミユリさんとマリレがハグ。
それを少し離れたところから、
僕が見ていると、ティルが隣に来る。
「炎の幻覚を見せようと思ってやったの」
ティルは言う。
「そしたら、本物が噴き出ちゃった」
声は、少し震えている。
「私、自分が怖いわ」
僕は空を見上げる。
「また出来ると思う?」
ティルは、小さく首を振る。
メイド服の下で巨乳の深い谷間が揺れる。
「でも、やりたくないわ」
そのときだ。
ティルとぶつかりそうになりながら、
真っ赤なスケボーが通り抜ける。
ティルが振り返る。
「今の、トキナ?」
スケボーは遠ざかり、やがて見えなくなる。
僕とティルは、黙ってその方向を見ている。
風が吹き、萌え看板がかすかに鳴る。
おしまい
今回は、海外ドラマによく登場する"人の消えた街"をテーマに、異なる世界線の種族が、無人の秋葉原を舞台に大戦争を繰り広げるスペクタクル編を描いてみました。
テンポ重視で説明を排し、文学的比喩を意識した、SFで直木賞を狙う習作となっています。
海外ドラマでよく舞台となるニューヨークの街並みを、オケの本番があり、すっかり足が遠のいた秋葉原に当てはめて展開しています。
秋葉原を訪れる全ての人類が幸せになりますように。




