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作者: はあと

自分を悪人だと思ったことがなかった。

むしろ、逆だった。

自分は「よくやっている」と思っていた。


 夜の取調室で、若い女が泣き崩れるのを見ても、胸は動かなかった。

 罪悪感がないわけじゃない。

 ただ、それよりも先に“秩序”があった。


 世の中は、弱い。

 感情で揺れるし、簡単に混乱する。

 だから誰かが、線を引かなきゃいけない。


 ——自分がやっているのは、その線引きだ。


 首を絞めるとき、私は相手の顔を見なかった。

 見れば、余計なものが入り込む。


 代わりに考えるのは、いつも同じことだった。


 この女は、ニュースになる

 ニュースになれば、警察は動く

 警察が動けば、予算が出る

 人員が増える


 ——つまり、守られる人間が増える。


 自分は、犠牲を生んでいるのではない。

 犠牲を「使っている」だけだ。


 それが、彼の倫理だった。

大学生、都内公園で死亡

警察は自殺と判断、事件性なしとして捜査終了

【東京・12月某日】

今月上旬、都内○○区の△△公園で腹部に刃物による傷を負った男性の遺体が発見された件について、警視庁は本日、亡くなったH大学三回生の金森〇〇さん(21)について自殺と判断し、捜査を終了したと発表した。

警察によると、遺体は園内のベンチ近くで発見され、腹部には一本の深い刺創が確認された。凶器とみられる刃物は遺体のすぐそばに落ちており、争った形跡や第三者の関与を示す痕跡は認められなかったという。

また、担当警官への聞き取り調査の結果、金森さんが一人で公園に入る様子が確認されており、警察は「外部からの介入は考えにくい」としている。



警察が自殺と結論づけたことで、この件は幕を閉じたかに見えた。

しかし、金森と親しかった同級生の一人は、その判断に強い疑念を抱いていた。


——捜査終了。


 そんな簡単な言葉で片づけられる死じゃない。


鮎川が向かったのは、大学から離れた古い住宅街だった。

 目的地は、駅から十分ほど歩いた先にある、二階建ての木造アパート。


 外壁の塗装は剥がれ、階段には誰かが捨てた空き缶が転がっている。

 郵便受けにはチラシが溢れ、住人がまともに管理している気配はなかった。


 二階の突き当たり。

 ドアには表札もなく、マジックで殴り書きされたような文字だけが残っている。


 南川


 呼び鈴は壊れていた。

 仕方なくドアを叩くと、しばらくして鍵の外れる音がした。


「なんだ君は」


 隙間から覗いた男の目は、警戒心に満ちていた。

 年齢は二十代後半。無精ひげと、よれたスウェット姿。


「……寒い。入れ」


 部屋の中は、さらにひどかった。

 床には本と空き缶、古いレシートが散乱し、窓際には読みかけのミステリー小説が山のように積まれている。


 だが、その中に置かれたノートと、壁に貼られた新聞の切り抜きだけが、異様に整っていた。


「で?」


南川は床に胡坐をかき、無造作に煙草をくわえた。

 灰皿代わりの空き缶に火をつける。


「俺に何をしに来た。宗教の勧誘なら帰れ」


「……金森の件です」


 その名を出した瞬間、南川の指が止まった。


「誰だ、それ」


 鮎川は一瞬、言葉を失った。


「ニュース、見てないんですか」


「見ない。興味のある事件しか追わない主義でね。

 それに最近は、ニュースよりフィクションの方がよくできてる」


 南川は鼻で笑った。


「だから、最初から説明しろ。君の友達がどうなった」

鮎川は喉を鳴らし、簡潔に状況を語った。

 十二月の公園。腹部の刺創。警察の自殺判断。捜査終了。


「……切腹ごっこか」


 南川は冷めた口調で言った。


「大学生にしては、芝居がかってるな」


「でも、この事件おかしいんです」


「根拠は?」


 鮎川は一瞬ためらったが、覚悟を決めた。


「……凶器が、ないんです」


 南川の目が細くなった。


「ニュースじゃ、そばに落ちてたって言ってたが」


「それは“そう発表されているだけ”です」


 南川は煙を吐き、黙って続きを促した。

 警察の内部資料にも、凶器の管理番号が存在しない」

「正式な押収記録がないんです]


「なんで学生のお前がそんなことを知ってる」


「それは…言えません」


南川はしばらく黙り込んだまま、天井を見上げた。


「つまり君は、友達は殺されたと?」


「はい」


「で、警察はそれを見逃した、と」


 鮎川はうなずいた。


「……面倒な案件だ」


「結論から言うと――自殺だな」


 その言葉に、鮎川は思わず立ち上がった。


「は?」


「自殺。警察と同じ判断」


 南川はあっさり言い切った。

 まるで、今までの話をすべて無意味だと断じるように。


「ちょっと待ってください!

 凶器がないって言ったじゃないですか!」


「言ったな」


「だったら——」


「それでも自殺だ」


 南川は煙草を指で弾き、灰を空き缶に落とした。


「切腹“風”の刺創。争った形跡なし。

 防犯カメラもクリア。警察が手を引いた」


 淡々と条件を並べる。


「これ以上、素人が首突っ込む理由がない」


「……本気で言ってるんですか」


 南川は鮎川を見た。

 その目は、先ほどまでの胡散臭さとは違っていた。


「逆だ」


「え?」


「本気だから言ってる」


「いいか。

 凶器が消えてる時点で、他殺の可能性は真っ先に浮かぶ」


 鮎川の心臓が跳ねた。


「じゃあ——」


「だが、それを追うのは面倒くさい」


 南川は即座に遮った。


「警察が自殺で幕引きした事件をひっくり返すには、

 時間も金も、何より“覚悟”が要る」


 そして、少しだけ声を落とす。


「……下手をすれば、死人が増える」


 部屋に沈黙が落ちた。

 窓の外で、風が古いサッシを鳴らす。


「だから俺は言う」


 南川は立ち上がり、鮎川を見下ろした。


「これは自殺だ。君は友達の死を受け入れて、普通の大学生に戻れ」


 鮎川は、唇を噛みしめた。


「……それでも?」


 南川の眉が、わずかに動いた。


「それでも、俺が調べたいって言ったら?」


 南川は一瞬だけ黙り、ふっと笑った。


「その時は——」


 彼はコートを掴み、部屋の電気を消した。


「君が”私”と“面倒”を全部引き受ける覚悟があるかどうか、だな」


 闇の中で、その言葉だけが残った。




△△公園近くの交番裏にある、仮設の捜査詰所。

 暖房の効きが悪く、書類の紙まで冷えていた。


「……で、結局“自殺”で押し切ったわけですか」


 小林刑事(45)が、机に置かれた報告書を指で叩いた。

 その向かいで、近藤刑事(60)は黙ったまま缶コーヒーを啜っている。


「上はそれでいいって言ってる」


 近藤は低い声で言った。


 「世間的にも“納得しやすい”」


「……凶器、ありましたっけ」


 小林の言葉に、近藤の手が止まった。


「記録上はな」


 近藤は報告書を閉じた。


室内に沈黙が落ちた。

 暖房の音だけが、やけに大きく響く。


「……じゃあ、なんで自殺に」


 小林が問いかける。


 近藤はしばらく考え込み、窓の外を見た。


「圧だ」


「圧?」


「事件にすると厄介な種類の圧だ。

 これ以上掘るな、ってやつ」


 小林は唾を飲み込んだ。


「上から、ですか」


「それもある。

 それに——」


 近藤は声を落とした。


「下手に掘ると、警察の失点になる」


「最初に“凶器あり”って発表しちゃいましたからね」


「ああ。

 もし凶器が最初からなかったとなれば、

 発表そのものが虚偽になる」


 近藤はゆっくり立ち上がった。


「だからこれは自殺だ。

 少なくとも、書類の上ではな」


 小林は報告書を見つめたまま、ぽつりと言った。


「……でも、誰かが調べ直したら」


 近藤は一瞬だけ、小林を見た。


「調べる奴が出てくるのは止められん」


「じゃあ——」


「その時は」


 近藤はドアに手をかけた。


「そいつが、どこまで“面倒”を引き受ける覚悟があるか、だ」


「お前もマスコミがきたら"自殺だった"と伝えろ

 ドアが閉まる。

 残された小林は、机の上の報告書をもう一度開いた。


 そこには確かに、こう書かれていた。


 ――凶器:あり。

 ――事件性:なし。


 だが、その文字が、急に信用できないものに見えた。


小林が報告書を閉じかけた、そのときだった。


 机の上の内線電話が、けたたましく鳴り響いた。


「……はい、小林です」


 受話器越しの声は切迫していた。


『本部から。至急確認してほしい案件がある』


 近藤は、すでにドアの前で立ち止まっていた。


「何ですか」


『今朝未明、○○区のマンションで遺体発見。

 二十代女性。死因は——』


 一拍、間が空く。


『絞殺です』


 小林の背中を、冷たいものが走った。


「……絞殺?」


『室内に争った形跡はほとんどなし。

 首に明確な圧迫痕。

 外部侵入の痕跡も、今のところ見当たらない』


 近藤が、ゆっくりと振り返った。


「何件目だ」


 小林は、答える前に喉を鳴らした。


「……三件目です」


 電話口の向こうで、誰かが息を呑む気配がした。


『正式には、これで三件目。

 ただし——』


 声が、さらに低くなる。


『共通点が多すぎる』


 小林は無言でメモを取った。


「被害者は全員、二十代前半から後半。死因は絞殺。犯行時間は深夜から早朝。

そして——」


『現場に、凶器がない』


 小林の手が止まった。


「……素手、ですか」


『可能性が高い』


 電話が切れる。


 詰所に、重い沈黙が落ちた。


 近藤は窓際に歩み寄り、外の曇天を見上げた。


「……始まってるな」


「何が、ですか」


 小林の声は、自分でも驚くほどかすれていた。


「連続殺人だ」


 近藤は淡々と言った。


「しかも、派手じゃない。絞殺。静かで、確実で、足がつきにくい」


「……だから、こっちの件を」


 小林が言いかけて、言葉を飲み込む。


「切った」


 近藤が続きを言った。


「一件一件、丁寧に捜査してる余裕はない。

 今は“流れ”を止めるのが優先だ」


「でも——」


「こっちの件を事件にすれば、

 人員も世間の目も、全部そっちに取られる」


 近藤は振り返らずに続けた。


「結果、今動いてる犯人を取り逃がす」


 小林は、拳を握りしめた。


「……じゃあ、こっちは」


「切り捨てだ」


 近藤ははっきり言った。


「可哀想だがな」


 小林は、ふとあの報告書を思い出した。


 ――凶器:あり。

 ――事件性:なし。


「……もし」


 小林が、震える声で言う。


「もし、こっちのが“そっち側”だったら?」


 近藤は、初めてはっきりと小林を見た。


「どういう意味だ」


「連続絞殺犯が、彼だけ自殺に見せかけた理由です」


 一瞬、時間が止まった。


 近藤は、ゆっくりと息を吐いた。


「……それを考え始めたらな」


「はい」


「警察は、最初から間違っていたことになる」


 近藤は帽子を取り、額を押さえた。


「だから考えない」


 そう言い切った。


「今は、考えない」


 しかし——

 その目には、明らかな動揺があった。

近藤は続けて言った。

「お前も今日は通報で山に向かって疲れただろう。」

小林は、昼にいたずら通報で山に向かわされていた。


「何も考えるな。」


 そして同じ頃。


 古いアパートの一室で、

 南川はニュース速報を眺めていた。


『都内で相次ぐ絞殺事件。警視庁は関連を調査中——』


 南川は、画面を消した。


 そして、ぽつりと呟く。


「……面倒が、始まったな」


 その頭に、

 公園で死んだ大学生の名前が、かすめていた。


「ここからは、別行動だ。」


「私は、この連続殺人事件について追っていく。」


「君は、金森…くんの実家に行ってくれ」


 南川と別れたあと、鮎川は一人、電車を乗り継いだ。


 目的地は、金森の実家だった。


 都内でも古い住宅街の一角。

 駅から十分ほど歩いた先に、その家はあった。


 低い塀に囲まれた、平屋建ての家。

 表札には、色あせた文字で「金森」とだけ記されている。


 インターホンに伸ばした指が、わずかに震えた。


 ——今さら、何を聞きに来たんだ。


 そう思いながらも、指は止まらなかった。


 しばらくして、足音が近づく。


「……はい」


 扉を開けたのは、小柄な女性だった。

 五十代半ば。白髪混じりの髪を後ろで束ね、黒いカーディガンを羽織っている。


「……鮎川、です。金森の、大学の友人で」



 一瞬、女性の表情が固まった。

 それから、ゆっくりとうなずく。


「……そう。あの子の」


「母親の金森まゆみと言います」


 玄関に通されると、線香の匂いがかすかに残っていた。


 居間は整然としていた。

 几帳面な生活の名残が、そのまま空気になっている。


「どうぞ」


 差し出された湯呑みを、鮎川は両手で包んだ。


「警察の方……ではないですよね」


 母親が、不意に言った。


「いえ」


 即答だった。


「じゃあ、新聞?」


「それも違います」


 少し間を置いてから、鮎川は言った。


「……友人として、どうしても気になって」


 母親は視線を落とした。


「警察の方は、もう来ませんよ」


 その声には、諦めが混じっていた。


「自殺だって。そう書類に書いて、終わりだって」


 鮎川は、慎重に言葉を選ぶ。


「……金森が、自殺するように見えましたか」


 母親は、困ったように笑った。


「見えるとか、見えないとか……親でも、分からないことはあります」


 だが、すぐに続けた。


「あの日、あの子、マフラーをして出ていったんです」


「マフラー?」


「ええ。そんなに寒くなかったのに」


 鮎川の脳裏に、言葉が浮かぶ。


 絞殺。

 素手。

 凶器なし。


「警察は、持ち物にマフラーはなかったって言いました」


 母親は静かに言った。


「でも、あの子は忘れ物をしない」


 沈黙が落ちる。


 鮎川は、確信していた。


 ——金森は、あの公園で殺された。

 ——そして何かを隠すために、“刺された”。


 立ち上がり、深く頭を下げる。


「……ありがとうございました」


 玄関を出る直前、母親が声をかけた。


「あなた」


 振り返る。


「どうか、無理はしないで」


 その目は、すべてを察している母の目だった。


 家を出た瞬間、冷たい風が頬を打った。


 鮎川は無意識に、自分の首元に手をやった。


 ——マフラーを巻くように。


金森が、最後に立ち寄った場所。


 ラブホテルの廊下は、夜でも妙に明るかった。

 白すぎる蛍光灯。

 甘ったるい消臭剤の匂い。

 場違いなほど清潔で、だからこそ嫌な予感が際立つ。


「……四〇三号室」


 近藤は低く呟き、ドアの前で一度だけ呼吸を整えた。


 若い頃なら、何も考えずに踏み込んでいた。

 だが今は違う。


 ——またか。


 それだけで、胸の奥が重くなる。


 ドアはすでに開け放たれていた。

 黄色い規制線の向こうで、鑑識が無言で作業をしている。


「近藤さん」


 若い警官若林、が会釈した。


「被害者は二十六歳女性。

 会社員。チェックインは昨夜二十二時頃。

同伴者は記録はありません。」


「……一人で?」


「いいえ、後で誰かくると言いチェックインしたようです。」


近藤は、黙って中に入った。


 部屋は、どこにでもあるラブホテルの一室だった。

 派手なベッド。

 大きな鏡。

 無駄に柔らかい照明。


 そして——


 ベッドの上。


 女性は、仰向けに倒れていた。

 目は半開き。

 口元は、声を出そうとして失敗した形のまま固まっている。


 首。


 近藤の視線は、自然とそこに吸い寄せられた。


 赤黒い圧迫痕。

 指ではない。

 もっと細く、均一な痕。


「死因は絞殺で間違いありません。

 凶器は見つかっていない」


 近藤は、ゆっくりとうなずいた。


「争った形跡は」


「ほとんどなしです。

 爪の中からも、他人の皮膚組織は検出されていません」


「抵抗、してない?」


「……正確には、“できなかった”可能性が高いかと」


 近藤は、被害者の首元に視線を戻した。


 不意に、既視感が胸を刺す。


 ——マフラー。

 ——コード。

 ——柔らかくて、強いもの。


 手で絞めるより、確実で、痕が残りにくい。


「……静かすぎる」


 思わず漏れた言葉に、鑑識が首を傾げる。


「何か?」


「いや」


 だが、近藤の頭の中では、すでに答えが形を取り始めていた。


 深夜。

 一人でチェックイン。

 部屋の中で、突然、首を絞められる。


 叫ぶ時間は、ない。


「……同じだ」


 小さく呟く。


 鑑識が聞き返す。


「え?」


「いや……独り言だ」


 近藤は、ベッド脇のテーブルに目をやった。

 そこには、スマートフォンと、小さなハンドバッグ。


 中身は、きれいに整っている。

 財布。

 化粧品。

 そして——


 マフラーが、ない。


 近藤の喉が、わずかに鳴った。


「……首に巻いてた形跡は?」


「ありません。

 ホテル内にも落とし物としては届いていない」


 近藤は、深く息を吐いた。


 三件目。

 すべて、絞殺。

 すべて、凶器がない。


 そして——


 脳裏に、あの大学生の事件がよぎる。


 公園。

 腹部の刺創。

 自殺扱い。

 凶器ありと発表。


 ——だが、本当に?


「……近藤さん?」


 鑑識の声で、我に返る。


「この件、本部はどう見てる」


「連続殺人の線で、特別班が動くことになるかと」


「“全部”か?」


 一瞬の間。


「……いえ。

 例の公園の件は、含まれていません」


 近藤は、目を閉じた。


 やはり、そうなる。


 書類の上では、

 彼だけが「違う」。


 だが、現実は——


「……犯人は、学習してる」


 近藤は、ぽつりと言った。


「最初は、絞めただけだった。

 次も、同じ」


 そして——


「どこかで、“自殺に見せかける”方法を試した」


 鑑識が、息を呑む。


「それって……」


「公園の大学生だ」


「これは、全部つながってる」


 頭の中に、ひとつの最悪な仮説が浮かんでいた。


 ——もし、あの大学生が、

 最後の被害者ではなく、最初の“失敗作”だったとしたら。


 その先に待つものを想像し、

 近藤は、奥歯を強く噛みしめた。


近藤は、廊下に出た瞬間に携帯を取り出していた。


 ——嫌な予感が、消えない。


 発信履歴から小林の名前を選び、耳に当てる。


「……出ろ」


 コール音が、やけに長く感じられた。


 ――プツ。


 留守電。


 近藤は眉をひそめ、もう一度かけ直す。

 同じ結果だった。


「……ちっ」


 時刻は午前二時を回っている。

 夜勤とはいえ、小林が完全に連絡を断つことは滅多にない。


 まして今夜は——

 あの会話のあとだ。


 ——洗い直せ。

 ——俺が話す。


 近藤は、強く奥歯を噛みしめた。


「……嫌な役を押しつけたか」


 答えは返ってこない。


 翌日、小林は出勤して来なかった。


 小林のアパートは、署からそう遠くなかった。

 古い集合住宅。

 若い頃から住んでいると、本人が言っていたのを思い出す。


 駐車場に車を停め、エンジンを切る。


 ——静かすぎる。


 階段を上る足音だけが、やけに響いた。


 二階、角部屋。


 小林の部屋の前で、近藤は立ち止まった。


「……小林」


 呼びかけても、返事はない。


 ドアノブに手をかけた瞬間、

 違和感が走った。


 ——鍵が、かかっていない。


 ゆっくりと押すと、

 ドアは、抵抗なく開いた。


玄関には黒いマフラーが落ちていた


「……馬鹿野郎」


 室内は、暗かった。

 テレビも電気もついていない。


 だが、奥の部屋から——

 かすかな、影が見えた。


 近藤は、足を止めた。


 見たくないものほど、

 人は、はっきりと見えてしまう。


 ——天井から、一本のロープ。


 ——その先に。


「……小林」


 声が、震えた。


 首を括っていた。

 足は床から、わずかに浮いている。


 顔は伏せられ、表情は見えない。


 だが、首元。


 近藤の視線は、否応なくそこに引き寄せられた。



「……違う」


 喉の奥から、掠れた声が漏れた。


「……これは」


 近藤は、震える手で小林の脈を確認した。

 ——もう、遅い。


 室内を見回す。


 争った形跡は、ない。

 遺書らしき紙も、ない。


 だが、机の上に——

 一枚のメモが置かれていた。


 乱れた文字。


 急いで書かれたのが、一目で分かる。


「考察はあっていた」紙にはそう書かれていた


どうやら、小林は犯人に近づいた為殺されてしまったようだ。


 紙を握る指に、力が入った。


「……やっぱり、か」

近藤の脳裏に、ある名前が、はっきりと浮かんだ。

——金森。


 死んだはずの、大学生。


「……小林」


 床に崩れ落ちそうになるのを、必死でこらえる。


「お前は、正しかった」


 警察は、遅れた。

 犯人は、先を行っていた。


今、通報すれば。

 これは「警察官の自殺」で処理されるだろう。


 ——また、同じだ。


「……繰り返させるか」


 携帯を取り出し、

 今度は、別の番号を押した。


 南川。


高校時代の友人だ…噂で彼は身近な殺人事件を解決したことがあるらしい。


コール音が、数回。


『……誰だ』


「近藤だ」


 一瞬の沈黙。


『……面倒が、想像以上だな』


鮎川は△△公園へ向かった。


 夜明け前。

 冷え切った空気が、肺の奥まで刺さる。


 人影はほとんどない。

 遠くで犬の散歩をする人影が、ゆっくりと横切るだけだった。


 ベンチ。

 ニュース写真に映っていた、あの場所。


 規制線はすでに撤去され、

 地面もベンチも、何事もなかったかのように整えられている。


「……綺麗すぎる」


 呟いた瞬間、背後から声がかかった。


「一般の方は、立ち入らないでください」


 振り返ると、制服姿の警察官が立っていた。

 二十代後半。

 巡回中らしく、手には懐中電灯。


「あ、すみません」


 鮎川は一歩下がった。


「ここ、もう事件は終わってるんで」


 警察官は事務的に言う。


「自殺として処理されてます」


「……そうですよね」


 鮎川は一瞬ためらい、それから名乗った。


「H大学の学生です。

 亡くなった金森と、同じ学部で」


 警察官の表情が、ほんのわずかに変わった。


「……そうでしたか」


 一拍置いてから、言葉を選ぶ。


「自分は若林です。

 この公園の巡回担当で」


「鮎川です」


 鮎川は、ベンチを見つめたまま言った。


「ここで、一人で腹を刺すのって……

 簡単だと思いますか」


 若林は、即答しなかった。


「判断は、上がしてます」


 だが、声に迷いが混じった。


「現場、最初に見たんですよね」


「……ええ」


「変だと思いませんでした?」


 若林は、懐中電灯のスイッチを切った。


「思いましたよ」


 鮎川の視線が、若林に向く。


「ただ」


「ただ?」


「それを“事件”にすると、

 別の何かが止まる感じがして」


 曖昧な言い方だったが、

 逆に本音だった。


「別の何か?」


「……今は言えません」


 若林は、ベンチに目を向けた。



「……何か、探してるんですか」


 若林が、ぽつりと聞いた。


「はい」


 鮎川は、息を吸ってから言った。


「金森、あの日……マフラーをしてませんでしたか」


 一瞬だった。

 若林の眉が、ほんのわずかに動いた。


「……どうして、そう思ったんですか」


「母親から聞きました。

 家を出るとき、マフラーを巻いてたって」


 若林は、懐中電灯を持ち替え、公園の端に目をやった。

 まるで誰かに聞かれていないか確認するように。


「……現場には、ありませんでした」


 低い声だった。


「持ち物としても?」


「ええ。

 財布、スマホ、鍵。

 それだけです」


 鮎川の胸が、静かに締めつけられる。


「落とした可能性は」


「この公園、狭いですから」

 若林は苦笑した。

「落ちてたら、まず誰かが気づきます」


「……持ち去られた?」


 若林は、答えなかった。

 代わりに、ベンチの下を照らす。


「現場検証のとき、首元を見ました」


 鮎川は息を呑んだ。


「刺し傷のせいで、あまり注目されなかったけど……

 首に、うっすら跡がありました」


「圧迫痕……?」


「断定はできません」

 若林は、すぐに付け加えた。

「自殺って前提が、最初からあったんで」


 冷たい空気が、二人の間を通り抜ける。


「……じゃあ」

 鮎川は、言葉を選びながら続けた。

「もし、マフラーで首を絞められて、そのあと――」


「その話は、ここまでです」


 若林が、はっきり遮った。


「これ以上は、職務違反になる」


 だが、彼は背を向ける前に、小さく言った。


「……でも」


 足を止める。


「もし、マフラーが見つかったら」


 鮎川は、若林を見る。


「それは、自殺じゃなくなる」


 若林は、それ以上何も言わず、巡回路の方へ歩き出した。


 残された鮎川は、ベンチに近づき、そっと腰を下ろした。

 冷たい木の感触が、太腿に伝わる。


 ——マフラー。

 ——首。

 ——凶器なし。


 連続絞殺。

 消える“柔らかい凶器”。


「……やっぱり、繋がってる」


 鮎川は立ち上がり、公園を見渡した。


 金森が、最後に立っていた場所。

 そして、何かを奪われた場所。

そのときだった。

 ポケットの中で、スマートフォンが震えた。


 画面に表示された名前を見て、鮎川は一瞬、息を止める。


 南川


「……はい」


『今どこだ』


 余計な前置きのない声だった。


「△△公園です。今、ちょうど——」


『分かった。もうそこは離れろ』


 即答だった。


「え?」


『警察の内部が、動き始めてる。

 しかも、いい方向じゃない』


 鮎川は、思わず周囲を見回した。

 若林の姿は、もうどこにもない。


「何があったんですか」


 一拍。


『公園の担当刑事が死んだ』


 世界が、わずかに傾いた。


「……え?」


『自殺扱いになる。ほぼ確実に』


 南川の声は低いが、冷静すぎるほどだった。

「じゃあ——」


『明日だ。

 昼。人目のある場所がいい』


「……どこですか」


『駅前のカフェ。

 お前も知ってるだろ。ガラス張りの、落ち着かない店だ』


 あの店か、と鮎川は思い浮かべる。


『他の担当警官も来る』


 その一言で、胸の奥がざわついた。


「……分かりました」


『今日は、もう何もするな』


 少し間を置いて、南川は付け加えた。


『一人で動くな。

 犯人は、“気づいた奴”から消してる』


 通話が切れた。


 スマートフォンを握ったまま、鮎川はしばらく動けなかった。

 冬の公園は、あまりにも静かだった。


 翌日。


 昼下がりのカフェは、妙に明るかった。

 大きな窓から差し込む光が、テーブルの木目を強調している。


 鮎川は、店の奥、壁際の席に座っていた。

 コーヒーは、ほとんど口をつけていない。


 先に来ていたのは、南川だった。


 相変わらず、よれたコート。

 だが、目だけは冴えている。


「……寝てないですね」


 鮎川が言うと、南川は肩をすくめた。


「寝ると、余計な感情が入る」


「それ、健康に悪いですよ」


「健康を気にする仕事じゃない」


 そのとき、ドアベルが鳴った。


 二人同時に、顔を上げる。


 入ってきた男は、年齢よりも老けて見えた。

 背筋は伸びているが、目の下に濃い影。


 近藤


 周囲を一度だけ見回し、まっすぐこちらに向かってくる。


「……待たせたな」


「いや」


 南川が短く答えた。


 近藤は椅子に腰を下ろすと、コーヒーも頼まずに言った。


「時間がない」


 その言葉に、鮎川の背筋が伸びる。


「小林刑事の件は、自殺で処理される」


 近藤は、淡々と告げた。


「遺書なし。

 だが“精神的に追い詰められていた”で押し切るそうだ」


 南川は、鼻で笑った。


「雑だな」


「上は急いでる」


 近藤の視線が、ふっと鮎川に向く。


「君が、金森くんの友人か」


「……はい」


 一瞬の沈黙。


「いい目をしてる」

 近藤は、低く言った。

「嫌な現実を、まだ直視できてない目だ」


 褒めているのか分からなかった。


「本題に入るぞ」


 近藤は、声を落とした。


「連続絞殺事件。

 三件。すべて凶器なし。

 柔らかいものを使っている可能性が高い」


 鮎川は、喉を鳴らす。


「マフラー……ですよね」


 近藤の目が、細くなった。


「君も、そこに行き着いたか」


 南川が、テーブルに肘をついた。


「で、公園の件は?」


「除外された」


 近藤は、はっきり言った。


「最初から“自殺”と決めた以上、

 連続殺人に含めると、全部が崩れる」


「つまり——」


「犯人は、警察の判断を利用した」


 近藤は、苦い顔で続けた。


「最初の“死”を、ノイズにした」


 鮎川の頭の中で、点が線になる。


近藤は、カフェの窓の外を一度だけ見てから、ゆっくり口を開いた。


「整理するぞ」


 その声は、捜査会議のそれだった。

 感情を削ぎ落とし、事実だけを並べる声。


「まず最初に起きたのが——連続殺人だ」


 鮎川は、無言でうなずいた。


「被害者は、二十代の女性。

 都内各所。深夜から早朝。

 死因はすべて絞殺」


 近藤は、指を一本立てる。


「第一、第二の事件は、典型的だった。

 室内。外部侵入の痕跡なし。

 凶器は見つからない。

 つまり、持ち去られているか、最初から“残らない方法”だ」


 指を二本目。


「そして、第三の連続殺人」


 近藤の声が、わずかに低くなる。


「この三件目が、重要だ」


 鮎川の喉が鳴った。


「三件目が起きたのは——

 金森が死んだ、その夜だ」


「……同じ日?」


「同じ“時刻帯”だ」


 近藤は、淡々と告げる。


「深夜二時前後。

 場所はラブホテル。

 被害者は二十代女性。

 死因は絞殺」


 沈黙。


「警察は、この三件目までを“連続殺人”として把握していた」


 近藤は、三本目の指を立てなかった。


「だが、その同じ時間。

 別の場所で、もう一つの死が起きている」


 鮎川は、分かっていた。


「……公園」


「そうだ」


 近藤は頷く。


「都内の公園。

 大学生の女性、金森。

 腹部に刺創。

 そして——自殺扱い」


 鮎川の拳が、膝の上で硬くなる。


「ここが、分岐点だ」


「分岐点?」


「連続殺人は、すでに三件。

 世間に知られれば、特別班が立ち、騒ぎになる」


 近藤は、淡々と現実を語る。


「そこへ、同時刻にもう一件]

[しかも不可解な死」


「……だから」


「切った」


 近藤は、はっきり言った。


「公園の件は“自殺”にした。連続性を断ち切るために」


 南川が、低く笑う。


「ずいぶん思い切ったな」


「現場は、そういう判断の連続だ」


 近藤は視線を逸らさない。


「結果、連続殺人は三件で止まったように見えた」


 鮎川は、息を詰めた。


「……“ように”?」


「その二日後の深夜だ」


 近藤の声が、わずかに重くなる。


「四件目が起きた」


「……え」


「被害者は、警察官だ」


 鮎川の目が、見開かれた。


「小林刑事だ」


 言葉が、空気を切った。


「彼は、自宅アパートで発見された。

 首を吊った状態だった」


「……自殺?」


「そう処理された」


 近藤は、一瞬だけ目を伏せた。


「だが、状況が揃いすぎている」


 近藤は、三つの点を指でなぞるように机を叩いた。


「二十代女性の連続絞殺三件。

 同時刻の“切腹自殺”。

 その翌日の、警察官の首吊り」


 カフェの雑音が、遠くなる。


「偶然で片づけるには、無理がある」


「連続殺人は若い女性のみ…全員絞殺なのに、その後の二つの事件は自殺に扮した殺人…」

鮎川は気づく


「この事件犯人が別の可能性はありませんか?」


その発言をした後テーブルは異様な雰囲気になっていた。



【東京・12月某日】


通知音は、思ったよりも軽かった。


《〇〇さんとマッチしました》


 画面に表示された名前を、彼は指でなぞる。

 二十六歳。都内勤務。

 プロフィール写真は、作りすぎていない笑顔。

 警戒心が強すぎず、弱すぎもしない。


 ちょうどいい。


 彼は、すぐにはメッセージを送らない。

 三分。

 いや、五分だ。


 焦らない男、という印象を与えるには、そのくらいがいい。


《はじめまして。

 写真、雰囲気いいですね》


 テンプレだ。

 だが、テンプレほど疑われない。


 相手が既読をつけるまで、画面を閉じる。

 その間に、頭の中で組み立てる。


 ――仕事の話は、深く聞かない。

 ――恋愛観は、共感だけして否定しない。

 ――「真面目そう」と言われたら、少し照れる。


 返事は、すぐに来た。


《ありがとうございます。

 〇〇さんも、優しそうですね》


 彼は、わずかに口角を上げる。


 “優しそう”。


 この言葉を使う相手は、危険だ。

 だが同時に、最も扱いやすい。


《そう言われること、よくあります》

《でも、意外と抜けてますよ》


 自分を少し下げる。

 相手の警戒心を、ほんの少し緩める。


 会話は、順調だった。


 仕事。

 最近観た映画。

 寒くなったね、という、どうでもいい季節の話。


 そして、彼は待つ。


 相手が「会う」という言葉を口にするまで。


《よかったら、今度お茶でもしませんか》


 その一文が表示された瞬間、

 彼は、心の中で静かに数を数えた。


 一。

 二。

 三。


《ぜひ。

 平日の夜とか、大丈夫ですか?》


 場所は、相手に決めさせる。

 時間も、相手に合わせる。


 主導権を握っているように見せて、

 実際には、すべて相手の選択に見せかける。


 それが、後で効いてくる。


 約束が決まると、彼はスマートフォンを伏せた。


 部屋は、静かだった。

 余計な物は、何もない。



 彼は、それを手に取らない。

 まだだ。


 ――焦るな。


柔らかいものは、凶器にならない。

 残らない。

 持ち去れる。

 そして、誰も「それ」を探そうとしない。


 マフラーが必要だ。


「……次は、丁寧に」


 独り言は、誰にも聞かれない。


 彼の中では、

 それはもう「殺し」ではなかった。


 ――手順だ。


 そして、その手順は、

 誰にも見抜かれていないと、

 彼は、まだ信じていた。


南川は、ミルクも入れずにカップを回していた。

 中身はほとんど減っていない。


「……金森の件さ」


 不意に切り出したのは、南川だった。


 鮎川と近藤の視線が、同時に向く。


「やっぱり、凶器がないのはおかしい」


 近藤は、わずかに眉を動かした。


「警察発表では“あった”ことになっている」


「“ことになってる”だけだ」


 南川は即座に返す。


「押収記録がない。管理番号も振られてない。それって、最初から“扱われてない”って意味だ」


 鮎川が、息を詰めた。


「……じゃあ、警察は嘘を?」


「嘘って言うと大げさだな」

 南川は肩をすくめる。

「“決めた結論に、辻褄を合わせただけ”だ」


 近藤は、黙ったままコーヒーに口をつけた。

 肯定も否定もしない。


「切腹ってさ」

 南川は続ける。

「やたら都合がいい」


「都合がいい?」

 鮎川が聞き返す。


「日本人にとって、分かりやすい自殺の型だ。

 腹部に一本、深い刺創。

 争った形跡なし。

 それだけで、“考えなくていい事件”になる」


 南川は、人差し指でテーブルを軽く叩いた。


「でも現実には、腹を刺すって相当きつい。

 本能が、全力で止めにくる」


「……ためらいが出る」

 近藤が、低く補足した。


「ああ」

 南川はうなずく。

「なのに、刺創は一本で、深い。迷った形跡がない」


 鮎川の背中を、冷たいものが走った。


「じゃあ……」


「先に、別の死因があった可能性が高い」


 南川は、はっきり言った。


 カフェの雑音が、一瞬遠のく。


「首だ」

 南川は自分の喉元を、指でなぞる。

「絞められてる」


 近藤の目が、わずかに細くなった。


「連続殺人と同じ?」

 鮎川が、声を抑えて言う。


「同じ“系統”だ」

 南川は言い切る。

「柔らかい凶器。マフラーとか、布とか。

 持ち去れるし、残らない」


「……だから、凶器がない」


「そう」


「腹の傷は、“上書き”だ。

 本当の死因を隠すための演出」


「彼は寝込みを襲われたのさ」


「もう俺はこの事件の全貌がわかっている。」

「さあ、金森君の実家に向かおう。」


南川の言葉が落ちた瞬間、

 テーブルの上の空気が、わずかに張り詰めた。


「……実家に?」

 鮎川が聞き返す。


「ああ」

 南川はカップを置き、初めて真っ直ぐ近藤を見た。

「“確認”だ。

 もう推理は終わってる。残ってるのは裏取りだけだ」


 近藤は一瞬、目を伏せた。

 それから、静かにうなずく。


「……分かった」

 声は低いが、迷いはなかった。

「俺が動く」


 その一言で、意味は通じた。

 “個人”ではなく、“警察”として行く、ということだ。


「鮎川」

 近藤が視線を向ける。

「君も来るか」


 鮎川は一瞬、言葉を失った。

 だが、すぐに首を縦に振る。


「……行きます」


 南川が小さく笑う。

「いい目だ。

 これから見るものは、たぶん一生残るぞ」


その日の夕方。


 警察署の裏手にある、目立たない駐車場。

 捜査車両が二台、エンジンをかけて待っていた。


 乗っているのは、近藤の信頼する刑事たちだった。

 年齢も階級もばらばらだが、共通点が一つある。


 ――口が堅い。


「状況説明は移動中にする」

 近藤が言った。

「今回は“任意同行”だ。

 だが、最悪のケースも想定しておけ」


 誰も質問しなかった。

 全員、ただうなずく。


 南川は後部座席に深く腰を沈め、窓の外を見ていた。

 街は、いつもと変わらない。

 人が歩き、洗濯物が揺れ、夕飯の匂いが漂う。


「……日常だな」

 ぽつりと呟く。


「だからこそ、だ」

 近藤がハンドルを握ったまま答えた。

「犯人は、そこに紛れる」


金森家の前に着いたのは、日が落ちかけた頃だった。


 車が二台。

 スーツ姿の男たち。

 それだけで、空気が変わる。


「……近所の目がある」

 若い刑事が小声で言う。


「構わん」

 近藤は即答した。

「もう、隠す段階じゃない」


 インターホンを押す。


 ――ピンポーン。


 しばらくして、足音。


「……はい」


 扉を開けたのは、金森の母親だった。

 鮎川の姿を見て、わずかに目を見開く。


「……また、来たの?」


 だが次の瞬間、

 背後に並ぶ警官たちを見て、表情が変わった。


「……警察、ですか」


 近藤が一歩前に出る。


「突然、失礼します」

 深くは下げないが、誠意のある角度で頭を下げる。

「警視庁の近藤です。

 息子さんの件で、もう一度お話を伺いたい」


 母親は、しばらく黙っていた。

 それから、小さく息を吐く。


「……やっぱり、終わってなかったのね」


 その一言で、

 南川は確信した。


 鮎川、南川、近藤、若林は居間に通される。


 線香の匂い。

 遺影。

 整いすぎた空間。


「答えたくないことは、無理にとは言いません」


 マユミは、ゆっくりと座布団に腰を下ろした。


「……何を、知りたいんですか」


 南川が、静かに口を開いた。


「息子さんが何をしていたかご存知でしょうか。」


「ええ」

 

南川は淡々と続ける。

「二十代女性の絞殺事件。

 三件とも、凶器はマフラーの可能性が高い」


 母親の唇が、かすかに震えた。


「……あの子の部屋からも」

「マフラーが、一本なくなっていました」


 鮎川が、息を呑む。


「警察には?」

 近藤が低く尋ねる。


「言いました」

 母親は、首を横に振った。

「でも、“関係ない”って」


 南川は、そこで初めて母親を見た。


「――息子さんは、犯人じゃない」


はっきりとした断定だった。


「え……?」

 鮎川が、思わず声を漏らす。


「息子さんは“使われた”側です」


 母親は、そこで一度言葉を切った。

 喉の奥で、何かを飲み込むような仕草。


「黒いマフラーが、なくなっていました」


 空気が、ぴたりと止まる。


 鮎川は息を詰めたまま、母親を見る。

 近藤は、視線を逸らさない。

 南川だけが、静かにうなずいた。


 母親は、膝の上で手を組み直した。


「最初は、どうでもいいと思ったんです。

 マフラーなんて、どこかに置き忘れたんだろうって」


 声が、わずかに揺れる。


「でも……」

 

 母親は、遺影を見た。


「連続絞殺のニュースを見てから、

 それが、急に怖くなった」


 近藤が、低く尋ねる。


「息子さんが、そのマフラーを

 外で使っていたのを見たのは、いつですか」


「亡くなる前の日です」


 即答だった。


「夜。

 電話があって……“少し出てくる”って。

 その時、首に巻いていました」


 南川は、ゆっくりと視線を落とす。


「その夜、息子さんは——」


「帰ってきませんでした」


 母親は、淡々と言った。


「朝になっても。

 昼になっても」


 沈黙。


「警察から連絡が来たのは、その日の夜です」


 南川が、ぽつりと告げる。


「……公園で亡くなっていた」


 母親は、うなずいた。


「“自殺だ”って」


「その後、警察官の方が一人で来ました」


「……小林さん、と名乗っていました」


 近藤は、目を閉じた。


 南川は、完全に確信した表情で、ゆっくり息を吐く。


「やっぱり、そこか」


 母親が、静かに続ける。


「あの人、何度も来たんです。

 “息子さんのことで確認がある”って」


「どんな内容を?」


「連続殺人の話です」


 空気が、重く沈む。


「“疑われている”って、私に言いました」


 鮎川の喉が鳴る。


「……疑われてる?」


「ええ。

 “凶器がマフラーかもしれない”

 “家にあったなら提出しろ”って」


 近藤の拳が、わずかに震えた。


「証言ありがとうございます。」


「それでは、これから犯人の告発を行います」


「ちょっとまて今日は確認だけなんだろ!」

「しかも、この中に犯人はいないはずだ」

鮎川が急いで南川を止める。


「いいや、少なくとも小林刑事を殺した人はこの中にいる」


「俺たちは初日に別行動をしたのは覚えているかい」


「俺は、その日、公園の現場に向かった。」


「君とも会ったね」

南川は若林に向かって言った


「公園にマフラーが落ちていた」


「そんなはずは…」

近藤が否定する。

それを無視するように南川はカバンから黒いマフラーを取り出す。


「これは金森君の物で間違えないですね」

南川はマユミに問う。

マユミは黙っている。

「これは公園内の針葉樹に落ちていました。」


「その日、鮎川君から金森君のマフラーのマフラーがなくなって居ること聞いていた」

「前日に自殺があった影響から公園内はガラガラだったから目立っていたんだよ」


「マフラーが落ちているだけで何なんだよ。」

「実際、凶器はマフラーじゃないかもしれないじゃないか」

鮎川が言う。


「ああ、確かに君の言うとおりだ。」

「そのフードを被った何者かが置いて行った」


「そうですよね…マユミさん」

南川がもう一度、マユミに問う。

「マユミさんが一連の犯人って言いたいのか!」

「自分の息子を手にかける訳ないだろ」

マユミが答える前に鮎川が反応した。

「鮎川君…うるさいぞ。学部は違うとはいえ、同じ大学とは思えん。」

「マユミさんはマフラーを置いて行った何者かを尾行していたのだよ」


一同が凍り付いた。


「その夜、あなたは公園に戻ってきました」

「そして、マフラーのある針葉樹を探し始めた」

「まあ、先に俺が回収したのですけどね」

南川が淡々と語る。


「フードの男は誰ですか」


マユミは遂に口を開いた


「刑事の小林さんです」


「なっ!」

近藤が何かを言おうとするが、それを遮るように南川が続ける。

「もう俺からの説明はいいでしょう。」

「マユミさん説明をお願いします。」


「はい」


「探偵さんの言う通り、そのマフラーは息子の物で間違えありません」

「息子が死んだ次の日、近藤さんが事情聴取でここに来ましたね」

「その事情聴取を終えた後、小林さんが追加の事情調査があると言い"一人"で来ました」

「鞄から資料を出すときに見えてしまったんです…息子の黒いマフラーが入っているのを」

「そして、彼は息子と関係のない事件の話をし始めたのです」


「それは連続殺人の話ですか」

南川が問う


「はい」

「まるで息子が犯人候補のような口ぶりでした」


「そんな事情聴取をした試料はない」

近藤が否定する


「ええ、私が彼を殺したときに部屋にあったので処分しました」

「彼、パトカーじゃなくて徒歩で来たんですよ」

「それで私は、彼の動向が気になって彼を尾行したのです」

「そして、探偵さんの言う通り公園にマフラーを置いての見て、小林刑事が私の息子を殺したと確信しました」


「ありがとうございました、これで事件が解決できます」

南川は満足したかのように言う。


「つまり、小林さんは金森に容疑をなすりつけようとした…」

鮎川が言う

「あなたが小林さんを殺したんですか」

鮎川が問うがマユミは口を閉ざしている。


「近藤はわかっているだろう。」

南川が近藤に向けて言う。


「はい。」

「小林が連続殺人と金森の死を偽装をしました」

「正直、彼が犯人とは認めたくないが、彼には一つ不可解な事がある」

「金森君が見つかる前に、一つ通報があったんだよ。」

「山で首を括った遺体がある…とね。

「警察署はその時、連続殺人で忙しかったし、あの山は自殺の名所だったから本来はだめだけど、金森一人で向かわせた」

「結局、遺体は見つからなくて、いたずらとして処理されたんだが、それが少し違和感に感じたんだよ。」


「その遺体は金森くんだったんじゃないかな?」

「それを公園にもって行きなすりつけようとした…」

不服そうに近藤は言う


「その理屈だと、切腹も納得できるな」


「遺体を首吊りに見せようとするのは大変な事だ」


「そうなると、小林は自殺ということになる」

「そうですよねマユミさん」


「はい」


「私は彼の家を突き止めて、公園に戻りマフラーを取りに行きました」

「彼が死んだの知ったのは、今この時です。」


「じゃあ何故…小林さんは自ら…」

鮎川がぼそりと言う

「最初に言ったろ、この中に小林刑事を殺した人が居ると」

「それは…私だ」

「実は、私もフードの男を尾行しドアについてるポストにこの黒いマフラーを入れてきた」


「なっっ!」

鮎川は南川がぶっ飛んでいる事を再確認した。


「これが俺の告発だ。状況証拠から連続殺人の犯人は小林刑事、そして、その犯人は天才探偵の南川を恐れ自殺した」


「そして、鮎川君にはすまないが、金森君は自殺で間違いない」


「満足か鮎川君」

南川は鮎川に問う。


「金森の件は満足しました…連続殺人犯が小林さんなのはこじ付けなんじゃ…」


「君はほんと馬鹿だな」

「犯人が死んでた方が"面倒”じゃなくなる。」


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