エピローグ的外伝:無名の誰かの視点 「語り終える場所」
私は、この話を書き終えようとしている。
終わらせる、ではない。
語り終える、だ。
終わらせる、という言葉には、区切りがある。
正解や教訓や、意味づけが付いてくる。
でも、語り終える、という行為は、少し違う。
話すことが、もう今の自分に必要なくなる。
それだけだ。
ここまで書いてきて、何度も考えた。
なぜ、私は名前を出さなかったのか。
なぜ、固有名詞を避けたのか。
理由は簡単で、
名前を出した瞬間、この話は誰かの所有物になるからだ。
「あの人の話」
「あの事件の話」
「あの界隈の話」
そう呼ばれた瞬間、
読む人は安全な距離を取れる。
自分とは関係のない、外側の出来事として。
でも、私は、そうしてほしくなかった。
これは、特別な誰かの話じゃない。
有名人だけの話でもない。
業界だけの話でもない。
“見てしまった側”に回った、
無名の誰かの話だ。
そして、見てしまうことは、
誰にでも起こりうる。
画面の向こうで起きた出来事が、
ある日、生活の内側に入り込んでくる。
理解できないまま、
何かを選ばされる。
黙るか。
語るか。
離れるか。
残るか。
どれを選んでも、
少しずつ、自分が変わる。
私は、その変化を、
なかったことにしたくなかった。
だから、語った。
でも、語りきらなかった。
説明しなかった。
断定しなかった。
犯人を置かなかった。
それは、逃げじゃない。
完成させないための選択だ。
もし、この話を読んで、
誰かが「結局、何が言いたいの?」と感じたなら、
それは、とても正しい反応だと思う。
何も言いたくない。
何もまとめたくない。
ただ、
「こういうふうに、受け止めてしまった人間がいた」
という事実だけが、ここにある。
それで十分だ。
私は、もう以前のように、
配信の開始を待たない。
通知音に、胸を高鳴らせない。
推しという言葉も、使わない。
でも、世界から切り離されたわけじゃない。
笑うし、
仕事もするし、
また別のコンテンツに触れる。
ただ、少しだけ、
“完成させない癖”がついた。
誰かが消えたとき、
すぐに意味を与えない。
すぐに教訓にしない。
すぐに物語にしない。
その癖は、
生きるのを少しだけ、楽にしてくれた。
この話も、
いつか忘れられるだろう。
スクロールの奥に沈んで、
検索にも引っかからなくなって、
誰の記憶にも残らない。
それでいい。
残るために書いたんじゃない。
消えないために書いたわけでもない。
置くために書いた。
ここに、置く。
誰のものでもない形で。
もし、どこかで、
似たような違和感を抱えた人が、
偶然これを見つけたなら。
理解しなくていい。
共感しなくていい。
怒らなくていい。
ただ、
「自分だけじゃなかった」と思えたら、
それで、この外伝は役目を終える。
私は、これで語り終える。
物語は、閉じない。
完成もしない。
それが、
この話にとって、
一番、誠実な終わり方だから。




