最終外伝:妹の数年後
「名前を呼ばれない生活」
数年が経った。
正確に何年かは、もう覚えていない。
覚える必要がなくなった、という方が近い。
朝は普通に起きて、
仕事に行って、
帰ってくる。
名前を呼ばれることはあるけれど、
それは役割を伴わない名前だ。
記号でも、象徴でもない。
ただの、私。
それが、思っていたよりも、ずっと難しかった。
最初のうちは、何もないことが不安だった。
スケジュールが白い。
予定がない週末。
誰にも期待されていない感じ。
期待されていない、というのは、
自由と同じ形をしているけれど、
慣れるまでは怖い。
私は、何度もスマホを手に取った。
何かを更新しようとして、
やめた。
更新する理由が、もうない。
姉の名前は、
今では、ほとんど見かけない。
たまに、古い切り抜きが流れてくるくらいだ。
最初は、それを見るたびに、胸が痛んだ。
次第に、痛みの場所が分からなくなった。
消えたわけじゃない。
生活の中に溶けただけだ。
私は、姉の続きを生きなかった。
それを「逃げ」だと言う人もいるかもしれない。
でも、あの時の私は、
逃げないと、壊れる場所にいた。
前に立っていた頃、
「自分で選んだ」と言った言葉を、
今でも覚えている。
あれは、嘘だったのか。
そう聞かれたら、私は少し考える。
嘘じゃない。
でも、本当でもない。
選ばされた選択肢の中から、
一番、誰も困らなさそうなものを選んだ。
それが、あの時の私だ。
姉は、私に何も託さなかった。
期待も、願いも、役割も。
ただ、一つだけ残した。
「続きにならなくていい」
あの言葉の意味が、
分かるまでに、時間がかかった。
続きにならない、というのは、
何もしないことじゃない。
何かを背負わない、ということだ。
私は、今、背負っていない。
それだけで、呼吸が楽だ。
たまに、夢に姉が出てくる。
夢の中の姉は、配信をしていない。
ただ、笑っている。
完成していない笑顔。
途中で言葉を噛む声。
その姿を見るたび、
私は目が覚めて、
静かに思う。
——ああ、これでよかった。
姉は、物語にならなかった。
私は、続きにならなかった。
だから、二人とも、
誰のものにもならなかった。
それは、華やかじゃない。
評価もされない。
拍手もない。
でも、生きている。
それだけで、十分だ。
私は、今日も名前を呼ばれない場所で、
自分の一日を終える。
それが、
私が選び直した人生だ。
ありがとう。




