表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉はVtuber  作者: からし
47/55

外伝Ⅳ業界側 黙る練習

この業界では、黙ることから教えられる。

発言の仕方より先に、発言しない場面を。


後輩としてデビューした時、最初に言われたのはこうだった。

「余計なことは言わないでね」

それは注意じゃない。生存戦略だ。


先輩は、優しかった。

雑談にも付き合ってくれるし、困っていれば助けてくれる。

でも、ある話題になると、必ず一拍、間が空く。


事務所の判断。

体調の話。

急な休止。


その間が、答えだった。


彼女が休止した時、私はまだ新人だった。

画面の向こうの世界しか知らない。

だからこそ、違和感がはっきり見えた。


説明が、少なすぎる。

言葉が、整いすぎている。


でも、その違和感を口にした瞬間、私は「面倒な人」になる。

面倒な人は、案件から外される。

外されると、次は呼ばれなくなる。


私は、黙った。


それは、裏切りじゃない。

練習だ。


「同期という距離」

同期とは、不思議な距離だ。

近すぎず、遠すぎず、同じ速度で走っているように見える。


彼女がいなくなったあと、同期のグループチャットは一瞬だけ荒れた。

「大丈夫なのかな」

「何か知ってる?」

誰も、答えを持っていない。


でも、数日後には話題が変わる。

数字。

新企画。

コラボ。


流れに逆らわないことが、優先される。


私は、その切り替えの速さに、少し安心してしまった。

安心と同時に、自己嫌悪も湧く。


流れに乗れる自分は、安全だ。

でも、その安全は、誰かの沈黙の上にある。


同期の一人が、ぽつりと言った。

「これ、変じゃない?」


その一言で、空気が凍る。

誰も否定しない。

誰も肯定しない。


結局、その話題はスタンプ一つで流された。

それが、この業界の答えだ。


「先輩の沈黙」

先輩は、何も言わなかった。

それが、一番怖かった。


長くこの世界にいる人は、言葉を選ばない。

選ぶ必要がないからだ。

言わない、という選択肢を知っている。


楽屋で、誰かが冗談めかして言った。

「妹さん、すごいよね」


先輩は、笑わなかった。

ただ、水を飲んだ。


その沈黙に、全員が察した。

触れてはいけない。


先輩は、彼女のことをよく知っていた。

無理をする人だと。

完成を求められるのが苦手だと。


でも、それを言えば、構造に刃を向けることになる。

刃を向けた人間は、消える。


だから、先輩は黙った。


それは、臆病さじゃない。

経験だ。


「完成形を見せられる側」

妹が前に出た時、私たちは完成形を見せられた。

整った説明。

選ばれた言葉。

揺れない態度。


完成形は、安心する。

安心するから、疑問が罪になる。


「頑張ってるよね」

「立派だよね」


その言葉を繰り返すうちに、違和感は自分の中で小さくなる。

小さくなった違和感は、やがて見えなくなる。


それが、一番、危険だ。


私は、配信後の控室で、妹とすれ違ったことがある。

短い挨拶。

作られた笑顔。


その奥にあるものを、私は見なかった。

見れば、黙れなくなる。


「誰の話でもある」

夜、一人で配信の準備をしている時、ふと思う。

もし、次に消えるのが自分だったら。


同じ説明が使われる。

同じ言葉が並ぶ。

同じ完成形が用意される。


それに、私は抗えるだろうか。


抗えば、仕事は減る。

黙れば、生き残る。


その選択肢が、常に目の前にある。


だから私は、今日も黙る。

でも、覚えている。


彼女が、完成を拒否していたこと。

その拒否が、回収されかけたこと。

そして、誰も止められなかったこと。


覚えていることは、抵抗だ。

小さくて、誰にも見えない抵抗。


業界は、今日も回る。

新しい名前が増え、古い名前が消える。


でも、私の中には、ひとつだけ、残っている。

完成しないまま、終わった人の輪郭。


それを忘れない限り、

私はまだ、この構造に完全には飲み込まれていない。


「次は自分かもしれない」

私は、後輩だ。

後輩という立場は、盾がない。

先輩は「経験」で守られ、同期は「数」で守られる。

後輩は、どれにも属しきれず、個人の愛嬌と運で浮いている。


だから、あの件のあと、私は自分の身体をやたら気にするようになった。

喉が少し痛いだけで、配信前に検索する。

「声が出ない 前兆」

「ストレス 失声」

そんな単語を、夜中に何度も打つ。


笑えるくらい、臆病になった。


でも臆病になる理由が、ちゃんとある。

この業界では、体調不良は「事情」じゃなくて「素材」になるからだ。


休む。

すると、「頑張りすぎたんだね」が出る。

少し戻る。

すると、「無理しないでね」が出る。

戻れない。

すると、「美談」の部品が揃う。


その流れを、私はあの日から、はっきり見てしまった。


現場の空気は、変わっていないようで、確実に変わった。

スタッフの言葉が丁寧になった。

“配慮”が増えた。

でも、その配慮は人間のためじゃなくて、炎上しないための配慮だと、私は分かってしまった。


私が所属しているグループの会議で、ふとこんな言葉が出た。

「不測の事態に備えた代替案も、今後は必要かも」


代替案。

それは、私が私じゃなくなる可能性を、最初から織り込むということだ。


私は笑って、冗談みたいに返した。

「やだなぁ、代替って私じゃないじゃないですか」


誰も笑わなかった。

その瞬間、背中に冷たいものが走った。

冗談として流せない空気。

現実として議題に乗っている空気。


——ああ、これが構造なんだ。


帰り道、私はスマホを握りしめた。

ファンのコメントを開く。

優しい言葉が並ぶ。

応援、愛、期待。


期待。

その言葉が、急に重く見えた。


期待は、善意だ。

善意だから、拒否しにくい。

拒否しにくいから、受け入れる。

受け入れれば、続ける。

続ければ、いつか限界が来る。

限界が来たら、物語が始まる。


私は、その連鎖を断ち切れるだろうか。


その夜、配信の準備をしながら、鏡の前で笑ってみた。

いつもの笑顔。

いつもの声。

いつものテンション。


でも、心の奥で思っていた。

もし私が消えたら、この笑顔は“完成品”になる。

「いつも明るかった」

「頑張っていた」

「みんなを元気づけた」


そうやって、私の迷いも、私の弱さも、全部切り落とされる。

完成品になった私は、きっと可愛い。

きっと扱いやすい。

きっと安全だ。


それが、怖かった。


私は、あの先輩のことを思い出す。

何も言わなかった先輩。

水を飲んだだけの沈黙。


沈黙は、賢い。

でも、沈黙は、連鎖する。


黙る練習をした人間は、黙り続けるのが上手い。

上手いから、止められない。


私は、止めたいと思った。

止めたい、という気持ちがあるだけで、私はまだ飲み込まれていない。


じゃあ、どうやって止める?


その答えが、私にはなかった。


ただ、ひとつだけ決めたことがある。

「自分の言葉」を残す。


物語になる前に。

美談になる前に。

誰かの都合で整えられる前に。


私が休むなら、私が言う。

私が辞めるなら、私が言う。

理由も、綺麗にしない。

格好良くまとめない。

未完成のまま、言う。


それは、勇気がいる。

でも、勇気がいるからこそ、意味がある。


私はまだ、何も起きていない。

それでも、起きてからじゃ遅い。

起きてからは、選べない。


「選べない時は、選ばされている」


あの言葉が、私の中に残っている。

私は、選べるうちに選ぶ。


それだけを、胸の奥で繰り返した。


「同期が折れる瞬間」

同期の一人が、静かに消えた。

炎上も、告知配信もない。

ただ、次のスケジュール表から名前が消えただけだ。


「契約、更新しなかったらしいよ」


その情報は、噂話みたいな形で回ってきた。

誰も詳しい理由を知らないし、知ろうともしない。

理由を掘り下げると、自分の足元が揺れるから。


同期は、特別目立つタイプじゃなかった。

爆発的に伸びたわけでもない。

でも、安定していて、空気が読めて、使いやすかった。


“使いやすい”

その言葉が、胸に引っかかった。


彼女は、折れたわけじゃない。

多分、先に気づいたんだ。


このまま続けたら、

いつか自分は完成形にされる。

それを拒否するには、

まだ選べるうちに降りるしかない。


そういう計算。


私は、勇気だと思った。

同時に、逃げだとも思った。

どちらの感情も、否定できない。


同期が最後に送ってきたメッセージは、短かった。

「ごめん、先に降りるね」


謝る必要なんて、どこにもない。

それでも謝るのは、この業界で生きてきた証拠だ。


私は、返事に迷った。

「お疲れさま」

「ありがとう」

「元気でね」


どれも、物語の終わりに使われる言葉だ。


結局、私はこう送った。

「分かった」


それだけ。


分かった、という言葉は、

肯定でも否定でもない。

引き止めもしない。

美談にもならない。


同期は、すぐに既読をつけた。

それきりだ。


その夜、私は一人で考えた。

もし自分が同じ選択をしたら、

周囲はどう反応するだろう。


「賢い判断」

「もったいない」

「逃げた」


どれも、私じゃない誰かの言葉だ。

私の理由は、どこにもない。


完成形にならないために降りる。

その理由は、外から見ると理解しにくい。

理解されないものは、評価されない。

評価されないものは、静かに消える。


それでいいのか。

それとも、悔しいのか。


分からないまま、

私は次の配信準備をした。


画面の向こうでは、

また新しい後輩がデビューする。

初々しい声。

緊張した笑顔。


誰も悪くない。

それが、一番、厄介だ。


先輩が、楽屋でぽつりと言った。

「昔も、似たことがあった」


私は、その言葉に反応した。

先輩は、少しだけ目を伏せる。


「名前は覚えてない」

「でも、形は同じだった」


形。

原因じゃなく、形。


人が消えて、

構造は残る。


私は、その言葉を、胸の奥にしまった。

忘れないために。


同期は、今、何をしているだろう。

普通の生活をしているかもしれない。

この業界のことを、思い出さない日もあるだろう。


それが、少し羨ましかった。


でも、私はまだ、ここにいる。

選べるうちは、選ぶために。


「先輩が語らなかった過去」

先輩が昔の話をする時、そこには必ず“欠け”があった。

名前がない。

日付が曖昧。

結末が語られない。


「前にも、似たことがあった」


そう言って、先輩はそれ以上、踏み込まない。

まるで、そこから先に言葉を進めると、何かが壊れると分かっているみたいだった。


私がその話を聞いたのは、収録が終わったあとの、誰もいない控室だった。

機材の電源が落ちて、耳鳴りみたいな静けさが残っている。


「似たことって……どんなですか」


私がそう聞くと、先輩は少し困った顔をした。

困ったというより、選んでいる顔だ。

言葉を選んでいるのではなく、言わない部分を選んでいる。


「今と、同じだよ」

「急な休止があって」

「説明があって」

「誰かが前に出て」


それだけ。


「原因は?」

「事件だったんですか?」


私の問いに、先輩は首を振った。


「事件じゃない」

「でも、事故でもない」


曖昧な言い方。

でも、その曖昧さが、かえってリアルだった。


「じゃあ……何だったんですか」


先輩は、しばらく黙ったあと、こう言った。


「完成させようとしたんだと思う」


完成。

その言葉を、先輩の口から聞くとは思わなかった。


「本人が、限界だって言ってた」

「休みたいって」

「でも、周りがね」


先輩は、言葉を切った。

それ以上は、言わない。


「周りが、物語を用意した」


その一文を、先輩は、私の代わりに言ってくれた。

声は低く、感情がない。


「結果として、その人は消えた」

「名前も、今は出てこない」


私は、背中が冷たくなるのを感じた。

忘れられた、という意味じゃない。

思い出される形を、誰も選ばなかったという意味だ。


「変わらなかったんですか」

私がそう聞くと、先輩は、はっきりと頷いた。


「変わらなかった」

「だから、今も起きてる」


先輩は、水を一口飲んだ。

あの日と同じ仕草。

沈黙で、話を終わらせる合図。


私は、理解した。

先輩は、何度も同じ光景を見てきた。

そして、そのたびに、黙ることを選んできた。


それは、諦めじゃない。

経験の結果だ。


声を上げた人が、どうなるか。

構造に刃を向けた人が、どう消えるか。

それを、先輩は知っている。


「じゃあ……私たちは、何もできないんですか」


その問いは、半分、泣き言だった。


先輩は、少しだけ考えてから答えた。


「大きくは、できない」

「でも、小さくはできる」


小さく。


「忘れないこと」

「完成形を、そのまま信じないこと」

「次に誰かが限界を言ったら、

 “物語”にしないこと」


それは、革命でも改革でもない。

制度も変わらない。

数字も守れない。


ただ、人が人のままでいるための、最小限の抵抗だ。


「それって……意味ありますか」


私の問いに、先輩は、少しだけ笑った。


「意味がないから、消費されない」


その言葉が、胸に残った。


意味があるものは、使われる。

使われたものは、すり減る。

すり減ったものは、また捨てられる。


意味がないものは、残る。

誰にも気づかれない場所に。


私は、その夜、帰り道で空を見上げた。

都会の空は、星が少ない。

でも、ないわけじゃない。


見えにくいだけだ。


業界は、今日も回る。

新しい物語が作られ、消費される。


それでも、私は、先輩の言葉を覚えている。

小さく、意味のない抵抗。


完成形を、そのまま信じないこと。

それだけで、私は、まだ選べる側にいる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ