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姉はVtuber  作者: からし
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外伝Ⅱ姉視点 完成しないままで

私は、完成したくなかった。

そう言うと、たぶん多くの人は笑う。

完成することは良いことだ、立派なことだ、目指すべき場所だって。

けれど私にとって完成は、終わりと同じだった。

終わり方を誰かに決められること。

形を整えられて、丸められて、飾られて、納得されること。

生きている間の私は、そんなに綺麗じゃない。

配信前に胃が痛くなるし、コメントひとつで眠れなくなるし、元気なフリが上手になっていく自分が怖くなる。


なのに、もし私が消えたら、人はその全部を切り捨てて、ちょうどいいところだけを拾う。

「努力していた」「愛されていた」「立派だった」そうやって、私を完成品にする。


そこに私の意思はない。

私の本音もない。

私の迷いも、醜さも、弱さもない。


完成した私だけが残る。

だから、完成したくなかった。

最初に身体がおかしいと感じたのは、ある日、配信中に一瞬だけ耳が遠くなった時だった。

自分の声が自分のものに聞こえなくなって、コメント欄の流れだけが異様に鮮明に見えた。

たった数秒。

すぐ戻った。


でも、戻った瞬間に分かった。

私は、いつかこのまま戻れなくなる。

そういう種類の感覚だった。病院へ行った。検査をした。

医師の言葉は丁寧で、丁寧すぎて輪郭が薄い。


生活習慣、ストレス、休養。

言われた通りに休むと、今度は焦りが襲ってくる。

休めば休むほど、席が空く。空けば空くほど、誰かがそこに座る。

私は、そういう世界で生きてきた。

だから余計に、休むことが怖かった。

だけど、もっと怖いのは、休む私が“物語”に変換されることだった。

「頑張りすぎたんだね」「無理しないでね」優しい言葉が、いつの間にか結論になる。

私はまだ生きているのに、結論で囲まれる。

ある日、社長に呼ばれた。裏の応接室。あそこは、音が吸われる。

大事な話をする場所だ。

私はその時点で分かっていた。

大事な話というのは、大事な人のためではなく、大事な“構造”のためにある。

社長は穏やかだった。

怖いほど穏やかだった。


「少しだけ話そう」その語尾の柔らかさが、すでに決定を含んでいる。

私は正直に言った。

続けられるか分からない、と。

言った瞬間、身体が少し軽くなった。

やっと言えた、という軽さ。


でも、その次に社長が返した言葉で、すぐに重くなる。


「語られなければ忘れられる」その言葉は正しい。

だからこそ嫌だった。

忘れられたくない、って言えば、私はその場で“残る側”に組み込まれる。

残るための物語が必要になって、私の生は素材になる。

だから私は、反対のことを言った。「忘れられてもいいです」言い切った時、社長の目がほんの少しだけ揺れた。

理解できない揺れ。

私は続けた。


「完成品にされるのが怖い」社長は納得しなかった。


納得できない人の顔だった。

私はその顔を見て、確信した。

私が拒否しないと、私は私のままでは終われない。


社長は、妹の話をした。



引き継ぎ。

最善。

支える。


私は、境界線だけを引いた。

「妹は私じゃない」妹を巻き込みたくなかった、というのもある。


でも、それ以上に、妹が“私の続き”を生きるのが耐えられなかった。

私の代わりを誰かにやらせることで、私が完成してしまうから。


私は、私のまま消えたい。

消えるなら、未完成のまま消えたい。

矛盾しているのは分かっている。

それでも、その矛盾だけが私を守っていた。


応接室を出た後、私は決めた。

もし私が私でいられなくなるなら、私の意思だけは先に外へ出す。

告発じゃない。

復讐でもない。

ただ、物語にされる前に、物語にできない形で、置いておく。

それが「声」だった。

私は録音を始めた。

夜、部屋で、スマホに向かって小さく話す。

大きな声にすると、私自身が“何かを起こそうとしている人”になってしまう。

だから小さく、息をするみたいに。

内容は、断定を避けた。

誰かの名前も出さない。

出した瞬間、物語は敵を得て、戦いになる。

私は戦いたいんじゃない。

戦いになったら、また消費される。

だから、記録だけ。

私は何を怖がっているのか。

何を拒否しているのか。

何が選べなくなっているのか。

短い言葉で、繰り返した。

「選べない時は、選ばされている」その一文は、私のための言葉だった。

自分が弱いと認めるための言葉。

助けて、と言えない自分が、せめて境界線だけは残すための言葉。

妹のことを考えるたび、胸が痛んだ。


優しい子だ。

優しいから、巻き込まれる。

優しいから、引き受ける。

優しいから、壊れる。


私はそれが怖かった。だから、録音の最後にだけ、妹に向けた言葉を残した。

直接名前は呼ばない。呼んだら、遺書みたいになる。

遺書になれば、また物語になる。

だから、ただ一言だけ。


「続きにならなくていい」


その言葉が届くかどうかは分からない。

でも、届かなかったとしても、私はやるべきことをやったことになる。

私の意思を、私の外に置いた。

その頃、身体は少しずつ言うことを聞かなくなっていた。

朝起きた瞬間に、今日の自分が昨日の自分と繋がっていない感覚がある。

配信を開けば“いつもの私”を求められる。

いつもの私。

そんなものは、もうどこにもないのに。

私は笑って、喋って、手を振って、終わった後にひとりで吐く。

吐いても、何も出ない。

胃液だけ。

空っぽのまま、また明日が来る。

私は思った。

もし私がいなくなっても、世界は続く。

事務所は続く。

ファンも続く。

だからこそ、怖い。


私だけが完成品になって残る。


私の未完成は消される。

だから、未完成のまま残したい。

矛盾した願いを叶えるには、物語にならない形で残すしかない。声は、物語より先に届く。

届いてしまえば、誰かが勝手に完成させる前に、ひっかかる。

ひっかかってくれればそれでいい。

救いじゃなくていい。

正義じゃなくていい。

ただ“整えられる前の私”が存在したという事実だけが、どこかに残ればいい。

私はそれを、静かに願っていた。


「置いた声の行き先」

声を置いたあと、すぐに何かが変わったわけじゃない。世界は相変わらずで、朝は来るし、スマホには通知が並ぶ。置いた声がどこへ行くのか、私は知らなかったし、知ろうともしなかった。知った瞬間、それは「結果」になる。結果になれば、また物語が始まる。だから私は、置いただけで、見送らなかった。


録音は、親友にだけ託した。直接会って渡したわけじゃない。会えば、きっと表情で全部伝わってしまう。泣くかもしれないし、止められるかもしれない。だから、何気ないメッセージの流れの中で、リンクだけを送った。説明も、前置きもない。あの子なら、それで分かる。そういう信頼だった。


親友は、すぐには返事をしなかった。それが、ありがたかった。すぐ返ってくる「大丈夫?」や「どういうこと?」は、優しいけれど、私を現実に引き戻す。私は、まだ現実に戻りたくなかった。戻ったら、判断しなければならなくなる。判断は、私から“未完成でいる権利”を奪う。


数日後、短い返信が来た。「受け取った」。それだけ。質問も、感情も、ついていなかった。胸の奥が、少しだけ緩んだ。理解された、というより、預けられた感覚。これでいい、と思った。


その頃、妹は少しずつ、前に出る準備をしていた。私は直接それを見ていない。でも、分かる。空気で分かる。家族の中で話題が慎重になり、言葉が減り、みんなが“決まったこと”として扱い始めるあの感じ。決まったこと、という言葉ほど、誰も責任を持たないものはない。


妹は、優しい。優しいから、質問を飲み込む。優しいから、「分からない」を自分の中にしまう。私は、その優しさが怖かった。あの子は、私よりもずっと、空気に馴染める。だから、完成形にされるのも早い。


私は、できるだけ、妹に会わないようにしていた。会えば、顔に出る。出れば、物語の材料になる。姉妹の絆、支え合い、涙の対面。全部、完成形の部品だ。私は、それを一つも渡したくなかった。


体調は、日に日に波打った。良い日もあれば、何もできない日もある。良い日は、「まだいける」と思ってしまう。悪い日は、「もう無理だ」と思ってしまう。その揺れが、一番、厄介だった。どちらかに決められない。決められない時間が長いほど、周囲が決め始める。


ある日、配信の準備をしながら、ふと、鏡の中の自分を見た。そこにいたのは、“戻れるかもしれない人”でも、“消える人”でもない。“待たれている人”だった。待たれている、という状態は、期待と同じ形をしている。期待は、裏切る前提で存在する。私は、その視線に耐えられなくなった。


その夜、もう一つだけ、声を足そうか迷った。妹の名前を呼んで、直接伝える言葉。でも、やめた。直接伝えた瞬間、それは遺言になる。遺言は、必ず物語に組み込まれる。私は、遺言を残したくなかった。私はまだ、生きている。生きている人間が残す言葉は、遺言じゃない。


だから、あの一文だけでいい。「続きにならなくていい」。それ以上は、誰かの解釈に委ねる。解釈される余地を残すこと自体が、完成を拒む行為だった。


数日後、体が、はっきりと限界を示した。朝、目を開けた瞬間、今日という日が、自分の中に入ってこない。時計を見ても、時間が進んでいる実感がない。私は、その感覚を“静かな断絶”と呼んだ。恐怖はなかった。むしろ、納得に近いものがあった。


その時、思った。私は、もう十分、生きたのかもしれない。十分というのは、量じゃない。選べる余地が残っているかどうかだ。私は、選べなくなっていた。でも、選ばされる前に、拒否はできた。声を置いた。境界線を引いた。それでいい。


妹が前に立つと聞いたのは、その少し後だ。直接じゃない。断片的な情報のつなぎ合わせ。私は、何も言わなかった。言えば、止めるか、背中を押すか、どちらかになる。どちらも、私の役目じゃない。私の役目は、完成しないことだった。


私は、最後まで、完成しない。完成しないまま、手を離す。そう決めた時、不思議と、身体の痛みが少しだけ遠のいた。痛みが消えたわけじゃない。ただ、意味を持たなくなった。意味を持たない痛みは、耐えられる。


置いた声が、いつ、誰に届くのかは分からない。届かないかもしれない。それでもいい。声は、置いた時点で、私の手を離れた。物語にされるかどうかは、もう私の問題じゃない。


ただ一つだけ、確かなことがある。私は、最後まで、選ばされることに抵抗した。その抵抗は、小さくて、静かで、誰にも拍手されない。でも、それが私だった。


未完成のまま、置いていく。それが、私の選択だ。


「妹を見る距離」

妹が前に立ち始めたことを、私は「見て」いない。

正確には、見ないようにしていた。


画面を開けば、すぐ分かる。

声のトーン、話し方、視線の置き場。

私が積み上げてきたものの上に、妹が立っているのは一目瞭然だった。


でも、私は画面を開かなかった。

それは逃げじゃない。距離だ。

近づけば、物語に引き戻される。

遠ざかれば、私はまだ「私」でいられる。


家族の会話の中で、妹の話題は慎重に扱われた。

名前を出す前に、少し間が空く。

「最近、あの子は……」

言葉の続きは、誰も断定しない。


断定しない優しさは、ときどき残酷だ。

断定しないことで、決定が先延ばしにされる。

先延ばしにされた決定は、気づいた時には他人の手にある。


妹は、私よりもずっと「ちゃんとしている」。

そう思う瞬間が、何度もあった。

空気を読む。言葉を選ぶ。場を壊さない。

それは才能だし、努力でもある。


でも、その「ちゃんと」が、一番危ない。


ちゃんとしている人は、壊れていることに気づかれにくい。

ちゃんとしている人は、「大丈夫?」と聞かれても「大丈夫」と答えてしまう。

ちゃんとしている人は、完成形にされるのが早い。


私は、完成形にされるのが怖かった。

妹は、完成形になってしまうことに、まだ気づいていない。

その差が、私たちの距離だった。


一度だけ、偶然、妹の声が流れてきたことがある。

家族がつけていたテレビ。

ほんの数秒。

私は、反射的に席を立った。


逃げた、と思われてもいい。

聞いてしまえば、私は姉として、何かを言わなければならなくなる。

「無理しないで」

「やめてもいい」

「あなたはあなたでいい」


どれも正しい。

でも、どれも、物語の言葉だ。


物語の言葉は、人を救うふりをして、役割に縛る。

私は、妹を縛りたくなかった。

だから、見ない。聞かない。評価しない。


それが、私にできる、最後の距離の取り方だった。


体調が悪化した日の夜、私はぼんやりと天井を見ながら考えた。

もし私が、物語にならなかったら。

もし私が、きれいに消えなかったら。

その空白は、妹にとって、どう映るだろう。


たぶん、何も映らない。

空白は、空白のままだ。


それでいい。

空白は、誰のものにもならない。


私は、誰かの続きになりたくなかった。

同時に、誰かに続いてほしくもなかった。

妹が妹として生きるなら、私の物語は、そこで終わる。


終わる、というより、閉じない。


閉じない物語は、完成しない。

完成しない物語は、評価されない。

評価されないものは、消費されない。


それが、私の望んだ形だった。


最期が近いと分かった時、不思議と焦りはなかった。

やり残したことを数える気にもならない。

やり残しは、完成を前提にした言葉だ。


私は、最初から完成しないと決めていた。


妹に何かを託すこともしなかった。

期待も、役割も、願いも。

それらはすべて、重い。


ただ一つ、置いていったのは、拒否だ。

「続きにならなくていい」

その拒否だけが、妹の自由に繋がる可能性を持っている。


それで十分だった。


私は、妹を見送らなかった。

見送るという行為は、物語の終わりを確定させる。

私は、終わりを確定させないまま、距離を保った。


未完成のまま、手を離す。

それが、私のやり方だった。


「物語にならなかった結末」

私の終わりは、劇的じゃなかった。

少なくとも、私自身の中では。


何かが壊れる音もしなければ、特別な言葉もない。

ただ、ある瞬間から、身体と意識の間に薄い膜が張ったような感覚があった。こちら側で考えていることが、向こう側に届かない。逆も同じ。痛みはあるけれど、それは遠くで鳴っている音みたいで、私の中心には触れてこない。


その状態を、私は「静か」と呼んだ。

怖くはなかった。

むしろ、ようやく周囲の音量が下がったような安心感があった。


誰かに看取られる場面も、涙に濡れた会話もない。

そういうものを想像する余裕すら、もうなかった。

私は、自分が“どう終わるか”よりも、“どう終わらないか”の方を考えていた。


物語にならない。

それだけが、最後まで私の中に残っていた。


もし、私の死がはっきりと説明され、原因が整理され、順序立てて語られていたら。

もし、「惜しまれた」「早すぎた」「才能があった」とまとめられていたら。

その瞬間、私は完成してしまう。


完成は、綺麗だ。

綺麗なものは、扱いやすい。

扱いやすいものは、誰のものでもない。


だから私は、語られないことを選んだ。

正確には、語られない形になるように、動いた。


声を置き、拒否を置き、距離を置いた。

それでも完全に制御できるわけじゃない。

人は、空白を嫌う。

空白があれば、何かを当てはめたくなる。


それでもいい、と私は思った。

何を当てはめられても、それは“正解”にならない。

正解にならない限り、私は完成しない。


私がいなくなったあと、世界は続いた。

それを、私は疑っていなかった。

事務所は回り、配信は続き、妹は前に立つ。

それ自体は、悲劇でも救いでもない。ただの流れだ。


重要なのは、その流れの中に、私の意思が回収されなかったこと。

回収されなかった意思は、どこにも属さない。

どこにも属さないものは、消費されない。


私は、誰かの教訓にもなりたくなかった。

「こうならないように気をつけよう」

「頑張りすぎるとこうなる」

そういう形で使われるのも、物語の一種だ。


私は、失敗例でも、成功例でもない。

ただ、拒否した人間だ。


拒否は、分かりにくい。

拍手されない。

賞にもならない。


でも、拒否は確かにそこにある。

そして、拒否された側は、ずっとそれを覚えている。


それでいい。


妹が、いつか、自分の役割を降りる日が来たら。

その時、私の声を思い出すかどうかは分からない。

思い出さなくてもいい。


ただ、「続きにならなくていい」という感覚が、どこかに引っかかってくれれば、それで十分だ。


私は、最後まで、完成しなかった。

完成しなかったから、正しくもならなかったし、美しくもならなかった。

でも、その歪さの中にだけ、私がいた。


物語にならなかった結末。

それは、失敗じゃない。


それは、選択だ。


私は、静かに、そう思っている。

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