第三十話 一致しない
きっかけは、
とても小さなものだった。
地方紙の、
短い記事。
見出しにもならない扱い。
——「関係者の証言」
内容は、
一段落しかなかった。
姉が入院していたとされる時期、
当該病院での入院記録は確認できなかったという。
病院側は「個人情報のため詳細は言えないが、
少なくとも当時、その名前での入院は把握していない」としている。
断定していない。
否定もしていない。
ただ、
一致しないと書かれているだけだ。
それだけで、
代理説明は、
静かに音を立てて歪んだ。
SNSでは、
騒ぎにはならない。
その代わり、
同じ文が、
何度も貼られる。
《入院してたって言ってたよね?》
《病院名、出してないのに?》
《じゃあ、どこで?》
問いが、
一段、具体的になる。
事務所の公式は、
沈黙を続けた。
それが、
答えに見えてしまう段階に、
入っていた。
昼過ぎ、
別の記者が、
過去の動画を掘り起こす。
姉が、
最後に出演した配信。
そこでは、
こう言っている。
「最近、病院行ってないんだよね」
冗談っぽく。
軽く。
でも、
時期は、
“入院していたはずの時期”と、
重なる。
《あれ?》
《この発言、どう説明するの?》
代理説明は、
もう追いつけない。
代理は、
その場にいなかった。
姉と、直接話していなかった。
だから、
事実の温度を知らない。
夜、
事務所から、
新しい文書は出なかった。
代わりに、
法務名義で、
短い一文が出る。
《一部報道について、事実確認中です》
確認中。
——遅い。
【下書き】アプリが、震える。
《一点突破》
《“入院”が崩れた》
親友からも、
短い連絡。
《証言》
《もう一つ、来る》
私は、
ノートを開いた。
今日の出来事を、
事実だけで書く。
・地方紙の記事
・病院側のコメント
・姉の過去発言との不一致
・法務の「確認中」
書き終えたあと、
一行だけ、付け足す。
——物語は、現実と一致しない瞬間に壊れる。
姉は、
きっと、
この“ズレ”を恐れていた。
だから、
物語になることを、
拒んだ。
夜、
社長から、
初めて、感情のある文面が届いた。
《……どこまで知っている》
疑問符が、なかった。
私は、
返事をしなかった。
返事をしないことが、
今は、
一番の答えだった。
画面の向こうでは、
まだ誰も、
犯人の名前を口にしていない。
でも、
物語を作った人間
という輪郭は、
はっきりし始めている。
それだけで、
十分だった。
次は、
この矛盾を、
誰が説明するのか。
——代理ではない。
——法務でもない。
残るのは、
一人だけ。
私は、
静かに、
その名前を、
胸の中で呼んだ。




