第二十七話 譲歩
社長との再会は、事務所ではなかった。
指定されたのは、外のホテルラウンジ。
人目があり、声を荒げられない場所。
それ自体が、
すでに譲歩だった。
社長は、先に来ていた。
コーヒーを前に、静かに待っている。
「座ってください」
いつもより、柔らかい声。
「状況は、把握しています」
「想定より、広がりましたね」
“想定より”。
制御できると思っていた、という言い方だった。
「だから」
社長は、テーブルの上に、
一枚の紙を置いた。
【発表案(修正版)】
内容は、こうだ。
——姉は、体調不良により入院していた
——回復の見込みが立たず、活動継続が困難になった
——家族と協議の上、妹が引き継ぐ判断をした
死亡、という言葉は、
やはり、ない。
「これを出します」
社長は、淡々と言った。
「事実です」
「嘘は、書いていない」
嘘じゃない。
でも、
全部でもない。
「世間が求めているのは」
「詳細じゃありません」
「線を引ける説明です」
線。
引かれた瞬間、
それ以上、踏み込めなくなる線。
「これで、要求は収まります」
「記者も、次に行く」
私は、紙を見つめた。
「……姉の“拒否”については?」
社長は、首を横に振った。
「それは、物語にならない」
即答だった。
「誰も、救われない」
「誰も、得をしない」
得。
「あなたも」
「これ以上、消耗しない」
消耗。
それは、
“黙っていれば守られる”という意味だ。
私は、
紙を置いた。
「これは、譲歩じゃない」
社長の眉が、わずかに動く。
「形を変えただけです」
「空白を、別の空白で埋めている」
社長は、
小さく、ため息をついた。
「あなたは」
「本当に、厄介ですね」
それは、
褒め言葉でも、
評価でもなかった。
「では、聞きます」
社長は、
視線を、まっすぐ私に向けた。
「あなたは、何を出す?」
その質問は、
初めて、対等だった。
「名前?」
「音声?」
「それとも、感情的な告白?」
私は、首を振った。
「……何も」
社長が、目を細める。
「正確には」
「何も足さない」
沈黙。
「事務所が、何を言わないか」
「どの言葉を、最後まで使わないか」
「それを」
「皆が、もう見ています」
社長は、
しばらく、言葉を失った。
「沈黙は」
「もう、武器じゃない」
私は、
静かに続けた。
「説明を避け続けること自体が」
「説明になっています」
ラウンジのざわめきが、
遠くに聞こえる。
社長は、
紙を折りたたんだ。
「……分かりました」
それは、
降参ではない。
再計算だ。
「では」
「こちらも、何も足しません」
同じ言葉。
違う意味。
「時間が、解決するか」
「要求が、さらに強くなるか」
「見てみましょう」
立ち上がる社長を、
私は見送った。
彼は、
一度だけ振り返った。
「あなたのお姉さんは」
「厄介でした」
それだけ言って、
去っていった。
夜、
【下書き】アプリが更新される。
《譲歩=時間稼ぎ》
《でも、要求は減らない》
親友からも、
短い一文。
《向こう、迷ってる》
私は、
ノートを開いた。
今日の出来事を、
事実だけで書く。
・修正版発表案
・死亡という言葉が、再び避けられたこと
・社長が「何も足さない」と言ったこと
そして、
最後に、一行。
——何も足さない者と、何も語らない者は、同じではない。
次は、
世間が、
「それでは足りない」と
はっきり言う段階だ。
それを、
誰も止められない。




