第十七話 記録
眠れなかったわけじゃない。
目を閉じれば、すぐ意識は落ちた。
でも、夢を見なかった。
夢を見る余地すら、
この生活には残っていなかった。
翌朝、
決まった時間に起こされ、
決まった時間に食事をとり、
決まった時間に連絡が入る。
管理は、完璧だった。
だからこそ、
隙は“予定外の場所”にしかない。
私は、まずノートを開いた。
紙のノート。
ネットにも、端末にも繋がらない。
事務所は、
デジタルだけを警戒している。
姉も、
きっと同じことを考えた。
ページの一番上に、日付を書く。
次に、事実だけを書く。
・姉が「物語」という言葉を使われた日
・拒否したあと、空白が増えたこと
・私が代役を打診された時期
・配信内容と、事務所の指示が一致し始めた時期
感情は、書かない。
推測も、書かない。
消せないのは、事実だけだから。
昼、
マネージャーから連絡が入る。
「次回の収録ですが」
「今回は、かなり短くします」
短く。
余白を与えない。
「質問は、用意されたものだけ」
「雑談は、なしで」
私は、返事をした。
「分かりました」
反抗しない。
疑問も、見せない。
それが、
今の私の“仮面”だった。
収録前、
控室で一人になる。
私は、バッグの中から
小さなボイスレコーダーを取り出した。
新品ではない。
ずっと前から、家にあったもの。
電源を入れる。
赤いランプが、静かに灯る。
「……記録開始」
声は、小さく。
姉が、
どんな言葉で、
どんな間で、
話していたのか。
思い出しながら、
同じように話す。
「もし、これを聞いている人がいるなら」
「私は、選ばされました」
その言葉を、
あえて、曖昧にする。
断定はしない。
誰の名前も出さない。
でも、
“選ばされた”という事実だけは、
残す。
収録が始まると、
すべては指示通りに進んだ。
質問。
回答。
終了。
完璧な出来。
「さすがですね」
社長は、満足そうだった。
「もう、不安定さは感じません」
それは、
“壊れかけていない”という意味だった。
帰宅後、
私は、レコーダーの音声を聞き返した。
姉の声とは、違う。
でも、
似ている。
——似せているのは、私自身だ。
姉の真似をすることで、
姉が何を恐れていたのか、
少しずつ分かってきた。
夜、
あの【下書き】アプリを開く。
新しい文章が、追加されていた。
《残し方は、正しい》
《焦らないで》
誰かが、
見ている。
でも、
それは敵じゃない。
私は、
ノートとレコーダーを、
別々の場所に隠した。
一つ消されても、
もう一つは残るように。
それでも、
完全じゃない。
だから、
もう一段階、必要だった。
——第三の場所。
姉が、
最後に選ぼうとした場所。
私は、
ある人物の顔を思い浮かべた。
もう、
沈黙しているはずの人。
でも、
沈黙は、
“何も知らない”という意味じゃない。
次は、
私が会いに行く番だった。
もちろん、
事務所には、内緒で。
その準備をしながら、
私は、静かに思った。
物語は、
書き換えられ続ける。
でも、
記録は、積み重なる。
それが、
いつか、
誰かの手に渡るまで。




