第十三話 バックアップ
知らないアカウントからのメッセージは、それきり動かなかった。
既読も付かない。
こちらが何も返さなければ、存在しなかったことにされそうだった。
《どこで話せますか》
送信。
しばらくして、返事が来た。
《ここじゃない》
《明日、昼》
《人の多い場所》
指定されたのは、駅直結の大型商業施設だった。
平日の昼間。
監視カメラも、人目も多い。
——逃げ場はないけど、消されにくい。
その選び方だけで、
相手が“慣れている”ことは分かった。
翌日、
私は帽子とマスクをつけて、指定された場所へ向かった。
事務所には、「体調不良」とだけ伝えた。
ベンチに座って待っていると、
隣に、自然な動きで人が腰掛けた。
年齢は、姉と同じくらい。
業界の人間に多い、無難な服装。
「……はじめまして」
声は、落ち着いていた。
「あなたが、連絡を?」
「はい」
「姉さんの件で」
一瞬だけ、周囲を見回す。
「ここでは、詳しくは話せません」
「でも、これだけは」
スマートフォンを差し出される。
画面には、音声ファイルの波形。
——見覚えがある。
「オリジナルの一部です」
「削られる前に、コピーしました」
「どうして……」
「私は、同じ業界の人間です」
「それ以上は、言えません」
理由は、聞かなくても分かった。
言えないのだ。
「姉さんは、最後まで抵抗していました」
「“物語”にされることを、拒んでいた」
胸が、締め付けられる。
「……それを、どうするつもりですか」
相手は、少しだけ考えてから言った。
「今すぐ公表は、無理です」
「出した瞬間、潰される」
その言葉には、実感がこもっていた。
「でも」
「“誰か一人が語る形”じゃなければ、残せる」
残す。
「小さく、断片的に」
「確証のない疑問として」
「消せない量で」
私は、息を飲んだ。
「それって……」
「ええ」
「時間をかけるやり方です」
遠回り。
でも、唯一の道。
相手は、立ち上がった。
「これ以上、会うことはないと思ってください」
「連絡も、必要最低限で」
「名前は……」
「知る必要はありません」
そう言って、人混みに紛れた。
ベンチに残された私は、
しばらく動けなかった。
スマートフォンに、
音声ファイルが送られてきている。
再生する。
姉の声。
あの夜。
今度は、少し長い。
『……もし、断ったら』
『私、消されるよね』
沈黙。
そして、あの男の声。
『“消える”じゃない』
『“残る”んだ』
『物語として』
背中が、冷たくなった。
『拒否するなら』
『別の形で、進むだけだ』
そこで、音声は終わっていた。
——殺す、とは言っていない。
——でも、逃げ道も、ない。
帰り道、
事務所から何度も着信が入った。
出なかった。
家に着くと、
ポストに、また封筒が入っていた。
中身は、一枚の紙。
《賢い選択を》
それだけ。
私は、紙を折り、ポケットに入れた。
証拠は、また一つ増えた。
でも、それは
“使える形”ではない。
それでも。
もう、
私一人の問題じゃない。
姉は、
最後まで、拒んでいた。
その事実だけは、
消されていない。
夜、
私は配信の準備をした。
いつも通りの台本。
いつも通りの笑顔。
でも、今日は一つだけ違う。
雑談の中で、
ほんの一言、
こんなことを言うつもりだった。
「物語って、誰のものなんだろうね」
質問の形なら、
答えは要らない。
コメント欄が、
一瞬でも、
考える時間を持てばいい。
小さく。
確実に。
配信は、
もうすぐ始まる。




