第十話 役割
親友は、戻ってこなかった。
失踪、という言葉は使われなかった。
「連絡が取れていない」
「しばらく距離を置きたいらしい」
そういう、柔らかい言い方だけが周囲を回っていた。
彼女の部屋は、そのままだった。
生活感も、途中で止まったメモも。
ただ、姉に関するものだけが、きれいに消えていた。
——誰かが、整理したみたいに。
私は、その事実を口にできなかった。
口にした瞬間、
次に消えるのが誰か、分かってしまいそうだったから。
事務所では、次の大きな企画が動いていた。
「特別配信、やりましょう」
社長が、穏やかな声で言う。
「“継承”を正式に語る場です」
「隠すより、物語として出した方が、守れます」
守れる。
その言葉は、魔法みたいだった。
「……何から?」
「最初は、あなたの想いでいい」
「辛かったこと」
「迷ったこと」
「それでも続けると決めた理由」
それは、
全部“用意されている感情”だった。
打ち合わせの帰り、
マネージャーが小さく囁いた。
「もう、ここまで来たら」
「途中で止める方が、危ないですよ」
危ない。
何が?
誰にとって?
控室に戻ると、
台本が机の上に置かれていた。
【特別配信:継承の真実】
ページをめくる。
姉の苦悩。
家族の絆。
妹としての決意。
そして、最後にこう書いてあった。
【この選択は、誰の強制でもない】
私は、その一文から目を離せなかった。
配信当日。
スタジオは、いつもより静かだった。
スタッフの数が多い。
カメラも増えている。
カウントダウンが始まる前、
社長が近づいてきた。
「大丈夫ですか」
「……はい」
声は、思ったより安定していた。
「あなたは、もう十分やっています」
「誰にも、否定させません」
否定。
それが、何を意味するのか分からないふりをした。
配信が始まる。
私は、台本通りに話した。
姉がどれほど大切な存在だったか。
突然失ったこと。
それでも、この場所を守りたかったこと。
コメント欄は、涙と応援で溢れた。
《ありがとう》
《あなたは間違ってない》
《これからも一緒に》
一緒に。
どこまで?
話の途中、
ふと、言葉が喉で止まった。
——本当は、違う。
そう言いかけた瞬間、
イヤーモニターから、静かな声が流れた。
「大丈夫」
「次の行です」
社長の声だった。
私は、続きを読んだ。
配信が終わると、
拍手が起きた。
スタッフが、安堵した顔をしている。
「完璧でした」
誰かが言った。
何が、完璧なのか。
もう、考えなくなっていた。
その夜、
私は鏡の前に立った。
笑顔を作る。
頷く。
首を傾ける。
全部、自然にできる。
——私は、妹だ。
——私は、引き継いだ人間だ。
でも、
それ以上でも、それ以下でもない役割
になっていた。
机の引き出しにあるUSBを見た。
鍵は、まだかかっている。
でも、
それを守っているのが自分なのか、
それとも、事務所なのか、
もう分からなかった。
スマートフォンに、通知が来る。
《感動しました》
《救われました》
誰かが、救われている。
その代わりに、
誰かが、沈んでいる。
私は、画面を閉じた。
そして、
次の配信の台本を開いた。
——読むしかない。
この役割から、
降りる方法を、
私はもう知らなかった。




