猫の檻
猫の檻
1
僕の家には猫がいる。それも痩せこけて、今にも死んでいなくなってしまいそうなほど弱々しい。名前は分からない。知らない間に住み着いていた。それをおじさんは呪いだなんだと言っていた気がする。薄暗い部屋に一匹と一人、ただ腹をすかせてお互いの残りの寿命を数えている。
僕が覚えている限りこの猫が鳴いているところをみたことがないし、口すら開かない。鳴くほど体力がないのか、声を発すると殴られるからなのかは分からない。僕がおじさんに話しかけると殴られるのを見て学んだのかもしれない。
おじさんと2人で暮らすようになったのは僕が小学2年の頃だった。
夏休みに入り、いつもより遅くに起きた。しかし家のどこを探しても誰もおらず、いくら待っても玄関のドアが空く音はしなかった。小学生の僕にとっては有り余るほどの大きさの一軒家に一人取り残されていた。ふと、リビングの少し大きめのテーブルをみるとただこのボロアパートの住所が書いてあった。恐らく僕は捨てられたのだろう。おじさんが酔っ払って夜遅くに帰ってきた時に、よく叫び散らかしている様々な言葉で察することができた。
僕も猫もただ一点を見つめて一日が過ぎるのを待っている。おじさんは仕事をしていない。僕の親が残していったほんの少しの金をギャンブルで引き延ばしている。勝てば僕たちはご飯を貰え、負ければ何もなく腹をすかせながら明日を待つ。ただ待つ。何を。何かを。
2
ある日、僕は、ふと猫をみると猫もこちらを見つめていた。部屋の真ん中に置かれた猫の檻の中から、まるで死にゆく道端の蝉をみるように何も感情がなくただ真っ直ぐに僕を見つめていた。僕は思った。こいつが檻の中に居るんじゃない。僕が檻の中に居るんだと。僕が檻の中に居て、死にそうになってる様子を眺めている。檻の中にいるのは猫ではなく僕だと。そう言いたげな目をしている。
「お前までそんな顔をするのか。」
僕は猫に話しかけたが、猫はただこちらをみているだけだった。こんなにも弱りきっているのに何故かこの猫の瞳から光が消えていない。
すると猫は音も発さず口を開いた。
「俺とお前は違う」
そう言ったように思えた。
3
「おい、そろそろ部屋の掃除をしとけ」
ある日、おじさんは僕を蹴り、そう言って家を出ていった。横になった状態で腹を蹴られたので起き上がるのに暫く時間がかかったがふと外を見た時、夕方だと知った。僕は仕方なく掃除をすることにした。掃除をしろと言ってもこんなに大量のゴミをどう処理しろと言うのだろうか。居間にも台所にも空き缶や食べたあとの皿やゴミなど様々なものが散乱している中で分別を始めたところで終わる気がしない。幸い、ごみ袋は家に置いてあったので空き缶だけをかき集めることにした。空き缶を集めだして暫く経った頃ふと、猫の方を見ると相変わらず僕をじっと見ていた。何を考えているのかよく分からないなと思いながら僕はゴミを捨てに外に出た。外に出ると少し肌寒く、もうこんな季節だったかと思った。玄関先で遠くの空を眺めていると、遠くの方から僕と同い年ぐらいの子達が楽しそうに走ってきた。最初は鬼ごっこのつもりだったのだろうか、1人遅れて前の集団を追っかけていたが、アパートの前を通り過ぎる頃には笑い合いながらみんな一緒に走って行った。なんで僕はこんなことをしているのだろう。ふと自分の置かれている状況に疑問を感じた。僕は何か悪いことをしたのだろうか?何かしたのなら僕にその罪を教えてほしい。その罰はいつ終わるのか。僕に謝らせてほしい。この生活が終わるなら。
後から視線を感じたので振り返って部屋のほうを見ると猫が玄関まで来ており、じっと僕を見つめていた。
「別にそう思っても良いじゃないか」
僕は少し苛立ったように猫に言った。すると猫はくるっと後ろを向き奥の部屋に帰っていった。猫を見送ったあと、階下のゴミ捨て場にゴミを捨て部屋に戻った。
4
男はいつものように雀荘に向かっていた。片方の親指の部分だけ穴の開いた靴。下はボロボロの半端な丈のズボンに上はタンクトップにコートという季節外れの服装の男はよろよろと道を歩いていた。外は少し暗くなっており、道の電柱の照明が明るく光っていた。
駅前の大通りに差し掛かった頃、通りには既に出来上がった大学生が何グループかいるのが分かった。そんな奴らを尻目に男は雀荘より先に酒が売っている自販機に向かった。酒を買い終え雀荘に向かっていると、ふと、細い路地が気になりそちらに顔を向けた。すると、猫が座ってじっとこちらを見ていた。少し痩せた身体に白い毛を縫い付けた様な、素人が作った創作物のような綺麗な見た目をしていなかった。暫くの間こちらを見つめたあと、猫はにゃーと鳴きくるっと後ろを向いて歩き始めた。男は猫が視界から消えるのをぼーっとしながら見送ったあとハッとした。自分の目的を思い出し、雀荘に向かった。
男は今までに無いくらい勝っていた。いつもゴミを見るような目で軽蔑してくるここの客と店主にギャフンと言わせる時が来た。そう思った。いつものように一万円札を握りしめ賭けをしに雀荘に来ていたが、初めは今日も負けの日だと思っていた。しかし、残り千円を切った頃、急に勝てるようになり、三万円まで増やすことが出来た。男は上機嫌になり買ってきていた酒を飲み干し外に出た。外に出るとそこは階段で路地裏を見下ろすことができた。酔いを覚ますのに丁度良いと思い少し休憩することにした。そこまで人通りの多い路地ではないがたまに奇声を上げながら何人かの酔っぱらいが通るだけだった。階段の手すりにもたれかかって風に当たっていると動物の匂いが鼻を抜けた。踊り場に目をやるとそこにはさっきの猫がおり、また、じっとこちらを見ていた。男は呂律の回らない口でさっきの勝ち試合を猫に自慢しようと近付いたその時、自分の足が地面につかず、グンッと落ちるのが分かった。男はそのまま階段を転がり落ち猫の前まで来たところで動かなくなった。すると、猫は何かに呼ばれたようにクルッと向きを変え階段の踊り場から地上に飛び降り、暗い路地裏に消えていった。
5
朝、目がさめると猫がいなくなっていた。檻に鍵はしていなかったが、決して逃げたことは無かった。窓も空いていないしドアを猫が空けられる訳でもない。可能性があるならおじさんと一緒に出ていったのか。人に飼い猫だと言われなければ置物かと間違うくらい動かなかったのに。やはりあの時、言っていた言葉は正しかったようだ。「俺とお前は違う」やはり檻の中に居るのは僕だったんだ。僕の心のなかでは仲間だと思っていた。共通の脅威となるものがいて、一緒に今置かれている状況を打破しようとしていると。しかし、実際はそう甘くは無かった。裏切られた。あとどれくらい1人で耐えれば良いのだろうか。誰もいない部屋に1人、壁にもたれて座り、何もない空間を見続けるしか無かった。
何時間か経った頃、玄関先で騒がしい物音が聞こえた。次の瞬間玄関がぶち破られぞろぞろと大人達が入ってきた。1人の男を先頭に全員似たような服の人間がこちらをみると僕に近寄ってきた。
「君はここの住民かね?」
先頭にいた男が険しい表情で聞いてきた。僕にはうなずくしかできなかった。今、気がついたのだが、もう身体が動かなかった。そういえばここ数日何も食べていなかった。僕はそこで意識が途絶えた。
6
「この子で間違いないんだな?」
柏木は連れ立って入った刑事に尋ねた。
「ええ、間違いないかと。ここの大家知らなかったようですが、周辺の住民はよくこの子がゴミを捨てに外に出てくるところを目撃しているようで、一緒に住んでいることを知っていたそうです。」
真面目そうな刑事はそう答えた。
「衰弱している救急車を呼んでくれ」
柏木はそう言い放ち外に出た。
「しかし、あの状況で何故あの少年は生き残れたんだ…」
この初めての状況に理解が追いつかなかった。
事の発端は、ある酔っ払いの男の死から始まった。2週間前、駅前の雀荘の外階段で人が死んでいると通報を受けた。恐らく足を滑らせ階段から転げ落ちたのだろうという結果になった。雀荘の店主によると外階段は普段使われることはなく施錠されており、人が外に出るなどあり得ないと言っていた。しかも地上から上がるための階段の入り口には、大量の椅子やテーブルがありそれをのけなければ上にあがることは出来なかった。
その男と一緒に打っていた客に事情聴取を行ったが事件に関係がありそうな話は一切出てこず、その当日、猫の声がすると言っていたことしか分からなかった。事件当時、身分証も何も持ち合わせておらず、その日勝った一万円札を握りしめて死んでいた。
男は、ほぼ毎日店にやってくるが、負けて帰るのがいつものことだった。しかしその日は勝ちに勝ち店主も客も不思議に思っていたのだそう。その日から2日経った頃ふと、店の掃除をしようと外階段にいらなくなった椅子を捨てに行ったところ、いつもくる客がそこで死んでいるのを発見し、通報を受けた。状況から見て事故死として処理された。柏木は事件の後処理のため男の周辺を捜査しているとき、もう1人、男と別に住民がいたのではないかと言うことが分かった。柏木はその情報が出るやいなや、手隙の刑事何人かを集め男のアパートの調査の協力を要請した。何日か過ぎた頃、男の名前と住所が分かった。死んだ男の名前は堺敬太郎。駅前の雀荘から20分ほど離れたボロい2階建てのアパートに住んでいることが分かった。
後日、柏木は何人かの刑事を集め、直ちにその男のアパートに向かった。インターホンを鳴らしてもドアを叩いても何も返事はなかった。鍵は丁寧にかかっており、大家は離れたところに住んでいるので、合鍵を直ぐに取りに行ける距離ではなかった。普段はここで諦めて後日訪れるのだが、柏木は今、入るしかないと思った。いわゆる刑事の勘というやつだろう。柏木はそう思いドアをぶち破った。ドアが開いた瞬間ブワッと逃げ場所を見つけたかのように動物が腐った匂いがぬるりと顔撫でて柏木の後方に消えていった。マズイ。柏木は急いで部屋に入った。するとそこに大きめの人形かと思うほど生気のない痩せこけた少年が壁にもたれて座っていた。
「君はここの住民かね?」
柏木は今にも死にそうなその少年に尋ねた。少年は辛うじてゆっくり頷くことが出来たようで頷いたあと何も反応しなくなった。柏木は急いで他の刑事に救急車をよこすように言い残し、アパートの住民に事情聴取をするべく外に出た。
柏木はアパートの住人に事情聴取を行ったあと、署に戻ってこれまでの出来事を整理していた。すると、たまたま通りかかった同僚の町田が声をかけてきた。
「進展あったんか?」
町田には少しだけこの事件の捜査を手伝ってもらった事もあって顔を合わせると捜査の進展を訪ねてくる。
「あったんだが、不可解な点が多すぎる。」
実際柏木は今置かれている状況が理解出来ていなかった。男の部屋には子供1人が住めるような環境が整っていなかった。ましてや、人が住むなどもってのほか。ゴミは散乱し、殆どの食べ物が腐っており、部屋中異臭を放っていた。大家からは、部屋から悪臭がすると再三忠告されていたが一切改善されず。困っていたところこの事件が起きた。しかし奇妙な事に、ペット用の檻はへやの真ん中に置いてあったが、ペットフードやペット用のトイレなど動物を飼うためのものが無かった。しかもペットであろう生物の毛が落ちておらず本当に居たのかは分からずじまいである。アパートの住人が言うには玄関先で部屋の中にいる何かと話している声が何度か聞こえたことがあり、その相手が人では無いことは確かだと話していた。ある住人は部屋から男が出てきた時に猫がどうとか言っていたところをみたが部屋に居たかは定かではない。
柏木は町田に軽くこの事件の状況を話すと「まぁ頑張れよ」と自分から聞いてきたのにも関わらず、何とも言えない表情で励まし、キャバクラに行く予定があるからとそそくさと帰っていった。
7
1週間後少年が目を覚ましたとの報告を受け、柏木は病院に向かった。
「猫に裏切られたんです。」
少年は柏木が部屋に入り、警察と名のるとそう言った。
「猫?」
暫くの間沈黙が訪れた。
「猫はいつからあの部屋にいたんだい?」
「知らないうちに住み着いていました。勝手に僕が友達だと思い込んでたみたいでした。」
少年はこちらに目を合わせずじっと窓の外を見ていた。
「では君のおじさんは猫が居ることを知っていたんだね?」
「分からないです。おじさんは僕らのことを見てなかったので。」
「見てなかった?」
柏木はその少年の言い方に違和感を覚えた。
しかし、それからは何も返事がなく、じっと窓の外を眺めているだけだったのであきらめて帰ることにした。結局分かったこととしては、あの部屋に猫がいた事のみだった。柏木は署に帰るために野外の駐車場に向かった。外は少し日が傾いており少し冷えてきた。
「堺歩、君はいったい何をみたんだ。」
肌を刺すような冷たい風に苛立ちをぶつける様に柏木はそう呟いた。
家にいるとき、マンションの2個隣の部屋から猫の声がして、猫って檻に入れるのかなぁとか、外に出したりしないのかなぁ、そういえばうちのマンションペット禁止だったよなぁとか思った時に、猫が見ている世界では実は人間のほうが檻に入って生活しているように見えているのではないかと思い、この作品を書いてみました。
拙い文章で分かりにくいところもありますが読んでいただきありがとうございます。




