第2話 『聖都アウレリア、黄金の檻』
聖都アウレリアは、陽光そのものを神の所有物にしたような街だった。
純白の尖塔が連なり、黄金の装飾が道を縁取る。
祈りの声が風と混ざり、街全体が一つの儀式のように呼吸している。
——美しい、だからこそ吐き気がする。
エルナは馬車の窓から、その光景を眺めながら薄く笑った。
「ここが……“神の都”です」
隣でリュシアンが恍惚とした声を漏らす。
純粋な信仰の目は、時に最も残酷だ。
真実を見ようとしないから。
「本当に……光に満ちていますね」
エルナは“聖女”の声で応じた。
柔らかく、どこか遠くを見つめるように。
リュシアンが誇らしげに胸を張る。
「神がこの地を選ばれたのです。
ここでは、嘘も罪も、必ず神の光に照らされる」
——なら、私はどう映る?
エルナは窓の外に自分の姿を映した。
白衣の裾。金糸の刺繍。穏やかな笑み。
完璧な“信仰の象徴”が、そこにいた。
その奥に潜む憎悪など、誰にも見えない。
到着した聖堂区では、教皇庁の高位神官たちが整列していた。
石畳に光が反射し、彼らの法衣が神々しく見える。
「辺境の聖女アニエス殿、よくぞお越しくださいました」
出迎えの声が響く。
「教皇猊下は現在ご多忙のため、まずは代理として――」
その瞬間、空気がわずかに変わった。
列の最後方に、一人だけ動かぬ影があった。
黒衣の異端審問官。仮面の男。
「……再会ですね、聖女殿」
ノア・ヴァレンタイン。
“疑う者”が、もう待っていた。
エルナはわずかに口元を上げた。
「まあ……またお会いできるとは光栄ですわ」
ノアの声は低く、刃のように冷たい。
「奇跡を演じる者が、神の座に立つ。
それがどんな結末を呼ぶか、私は見届けたい」
「演じる、とは失礼ですね」
「では、証を見せてください。聖女殿」
目と目が合う。
その瞬間、ノアの瞳の奥に一瞬、微細な光が走った。
——解析眼。
同類の視線。
(……見抜けるの? 私を?)
胸の奥で、警鐘が鳴る。
歓迎の儀式が始まった。
アウレリア最大の聖堂で、百名を超える神官たちが祈りを捧げる。
中央には、アニエス——エルナのための光の柱が立ち上がる。
「新たなる聖女に、主の祝福を——」
合唱とともに、空間が光に満ちた。
エルナは静かに目を閉じる。
掌に熱が宿り、空気が震える。
見せろ、奇跡を。
彼女は意識の奥で、術式構造を展開した。
構築式第十層《神光環》——模倣起動。
光が花のように広がり、天井の聖像を照らす。
群衆が息を呑む。歓声が上がる。
成功だ。
だが、その瞬間。
——ギィンッ。
光の輪の端で、異質な波長が弾けた。
解析式が干渉されている。誰かが、術を“覗いている”。
エルナの脳裏に、淡いノイズが走る。
(……誰? この干渉……)
光が揺らぎ、彼女の視界の中にノアの仮面が浮かぶ。
無言のまま、彼は祈りの姿勢を崩さない。
——だが、その手にわずかに刻まれた式符が見えた。
異端審問官専用:真実探査式。
彼は今、神聖魔術の“真偽”を検証している。
(……なるほど、あなたも“見てる”のね)
エルナは微笑み、式を一段階強制上書きした。
「——光よ、欺け」
爆ぜるような輝きが聖堂を満たす。
光の洪水の中で、すべての探査式は飽和し、崩壊した。
沈黙。
そして次の瞬間、歓声が再び沸き起こる。
「神の御業だ!」
「新たな聖女が誕生した!」
ノアの仮面が、わずかに傾く。
敗北の色はない。ただ、興味の光。
「……なるほど。嘘をつくにも、美学がある」
儀式が終わり、夜の回廊。
リュシアンが心からの笑みを向けてきた。
「本当に、神の祝福がありましたね。僕は……感動しました」
エルナはその笑顔を見て、胸がわずかに軋む。
彼女を信じ、守ろうとする男。
その信仰を、彼女は利用している。
「ありがとう、リュシアン。……あなたがいてくれて、心強いです」
「当然です。僕はあなたの剣ですから」
純粋な言葉ほど、罪は深い。
彼が自分の剣を向ける日が来ると知っていながら、
彼女はその言葉を受け入れた。
深夜。
エルナの部屋の扉が、静かにノックされた。
「……開いています」
入ってきたのは、やはりノアだった。
仮面を外し、初めて素顔を晒す。
青白い肌。鋭い眼差し。だが、その奥には痛みの影。
「あなたの“奇跡”——理屈がある」
「理屈がなければ、人は信じませんわ」
「だが、それを“神の御業”と呼ぶのは、異端です」
「あなたたちがそう決めたから、でしょう?」
沈黙。
蝋燭の火が、二人の影を壁に重ねる。
「……私は、あなたの敵ではない」
「では、なぜ私を追うの?」
「あなたが“真実”に近づきすぎているから」
その言葉に、エルナの胸が僅かに震えた。
「……真実、ね」
ノアは背を向け、扉に手をかけた。
「教皇庁は、奇跡の正体を知っている。
だが、それを公にすれば“神”は死ぬ」
振り返らずに言い残し、闇に消えた。
エルナは静かに呟く。
「……なら、私は神を殺すわ」
月光が窓辺を照らし、白い衣が淡く光る。
その瞳の奥で、〈解析眼〉がゆっくりと輝いた。
——神の都は、もう静かに焼け始めていた。




