聖女は夜に愛される〜国外追放されたけど吸血鬼に溺愛されて幸せに暮らしてます〜
「エリシア=ハーシェル! 今日限りで、お前を聖女の任から外す!」
王宮にある玉座の間。
声高らかに響いたのは、私に向けられた国王の宣言。
国王の名をアルバート=クリーズ。
歳はまだ二十代半ばくらい。
金糸の髪に、宝石にも負けないエメラルドグリーンの澄んだ瞳。
見た目だけなら絵に描いたような王子様。
でも中身は──器の小さいナルシスト。
一つ、自分の思い通りにならないとすぐに拗ねる。
二つ、小さなことで怒ったりすぐ機嫌を損ねる。
三つ、側近の進言に耳を貸さず、自分の気分で決断を変える。
四つ、挙句の果てに、褒められたい一心で場の空気も考えずに目立ちたがる。
なんて言い出したら延々と止まらなそうだから、この辺で切り上げるとして。
まあ、そんな人が玉座の上から、実に嬉しそうに私をクビにしたのだった。
「あ、わかりました。おっけーです」
私は軽く肩をすくめた。
驚き?
そんなもの、とっくに通り越してる。
だって、いつか言われるんだろうなーって思ってたから。
「回復しかできない役立たずの聖女め! 攻撃魔法の一つすら使えないなんて、聖女失格だ!」
ほらね。
聖女の力を万能だと思ってるのよ、この国王は。
っていうか私が攻撃魔法まで使い出したら、魔法騎士の仕事がなくなるわけなんだが。
それに回復だけじゃなくて、浄化とか結界張ったりとかしてるんだけど。
自分の功績ばかり気にしているから、私が国のためにしてきたことには気づいていないんでしょう。
「じゃあ、『回復係』とか『サポート担当』って肩書きに変えればよかったんじゃないですか?」
「うるさいうるさい!」
アルバートの顔が真っ赤になった。
ああ、これ。怒らせたな、私。
「聖女は万能であるべきなんだ! 傷を癒し、魔物を討ち、国を守る。それが聖女だ!」
「それ、誰が決めたんです?」
「俺だ!」
だめだ、こいつ。
早くなんとかするべきだったけど、もう手遅れだろうなあ。
こういうタイプが一番苦手だ。
「改めて言う! お前の力は役立たずだ! ゆえに、魔物の巣がある森へ送ることにした!」
「死ねってことですね、おっけーです」
もうどうでもよかった。
こんな国王が仕切る国とおさらばできるのなら、それもいいかもしれない。
万能じゃないと聖女じゃない?
なんとでも、自由に。
その”役立たず”がいないと国が回らないって気づくのは──いったい、いつなんでしょうね。
*
夜。
送り込まれたのは、薄暗い森の中。
冷たい風が木々の間をすり抜ける。
追放された身だけど、私は意外と平気で歩いていた。
だって、自由になれた開放感でいっぱいだったんだから。
(結界を張ってるせいか、魔物も寄ってこないなあ)
そんな時、視界の隅で何かが揺れた。
「そこのあなた、大丈夫ですか?」
近づくと、血まみれで倒れている男がいた。
声をかけても反応がない。
(あ、これ死にそう)
私はさっさと治癒魔法をかけた。
「……ぅ、ん」
しばらくして、男性はゆっくりと目を開けた。
「気づかれましたか。こんな場所で倒れるなんて、魔物にでもやられました?」
「……貴様、誰だ?」
ええ、質問に質問で返す?
しかも貴様呼び?
これ、助けないほうがよかったパターンかもしれない。
でも目の前で死なれても目覚めが悪いし、なにより私は聖女だ。
傷ついた人を助けるのが聖女の嗜み、だと私は思う。
「エリシア=ハーシェル、聖女です」
名乗った瞬間、赤い瞳が私を捉えた。
「聖女か……信用できん」
彼の声は冷たく、疑念に満ちている。
「貴様、何が目的だ?」
「目的って言われましても。傷ついた人を助けただけですよ」
「いや、おかしい。この傷は人間にやられたものだ。誰の差し金だ?」
「差し金って、何か勘違いされてません? 私は……」
「そんなこと言って俺を油断させるつもりだな」
「はあ……」
その瞬間、月明かりが彼の顔を照らした。
鋭く光る牙。閃光のように煌めく赤い目。
そして黒い髪、全身を包む黒い服。
「とどめを刺しに来たんだろう? 吸血鬼を」
……吸血鬼?
うーん、吸血鬼かあ。
あー、なんか納得。
人間離れした妖艶な姿、獣のような牙と瞳孔──だけどそれより、全然こっちの話を聞こうとしないその姿勢。
アルバートとは違う傲慢さ。
私は、ふと思った。
(よし、長居は無用だな)
聖女服を摘み上げて、形だけのカーテシーをしてみせる。
「じゃあ、吸血鬼さん。意識も戻ったことですし、さようなら」
「おい」
彼はそのまま立ち上がろうとしたが、ふらついて倒れそうになった。
「傷はまだ完治していない。このまま放っておくつもりか?」
「意識戻ったじゃないですか。それに、そんな敵意全開で『治療します』ってなると思います?」
そう言うと、吸血鬼は何か考えるような表情をしながら、じっと私を見つめた。
「貴様、名前は?」
あれれ? 私、数秒前に名乗りましたけど。
さっきから思ってたけど、会話のキャッチボール下手くそなのかな。それとも、する気がないのかな。
たぶん、両方だな。
「エリシアです」
「よし。貴様、俺の屋敷で治療の続きをしろ。お前の治癒魔法は利用価値がある」
いや、名乗った意味。
結局「貴様」呼びするなら、名前聞かなくてもよかったんじゃないだろうか。
でも、まあ。
(吸血鬼の治療、ねぇ……)
私は考えた。
ついさっき職も失ったことだし。
どうせ暇なら──ちょっと交渉でもしてみようか。
「わかりました。その代わり条件があります」
「条件?」
「当面の食事と、寝床を用意してください」
「……ふむ」
彼は私を見つめ続け、やがて薄く笑った。
「いいだろう。俺はノイン=ヴァルドだ」
「じゃあ、契約成立ですね。ノイン」
「呼び捨てか」
「そっちが『貴様』呼びなんで、おあいこです」
こうして私は、衣食住そろった──ただし吸血鬼の屋敷という、新天地へとおもむいたのだった。
*
森を抜けた先。
ずっとずっと奥まったほうに、その屋敷はあった。
いや、屋敷というより城に近い。
どこぞの貴族どころか、王宮にだって負けない規模。
外壁は漆黒。
門から庭にかけて黒薔薇が咲き乱れている。
夜の闇に溶け込むその花は、美しいを通り越して、ちょっと悪趣味。
「入れ」
ノインに促され、重厚な扉をくぐる。
中は意外にも明るく、高い天井から吊るされているシャンデリアが金色の光を放っていた。
そのまま案内されたのは屋敷の二階。
おそらく、ノインの自室。
外壁にびっしり絡まっていた黒薔薇からは想像できないほど、室内は質素だった。
広さはあるのに、置かれているのは長椅子と机、ベッドに本棚くらい。
シックな壁と床は落ち着いたもので、余計な装飾は一切ない。
「思ったよりシンプルですね」
「心外だな」
「いや、来てすぐにあんな黒薔薇を見れば……あれ、どういう趣味なんです?」
「あれは眷属が勝手にやっている」
眷属……。こっちでいうメイドとかバトラー的な感じなのかしら。
「座れ」
ノインがあごと視線でベッドを指した。
なんかずっと命令口調だな、この人……じゃない、吸血鬼。
「ノインが先に座ってください。患者優先です」
「……ふむ」
なにやら考え込むような仕草を見せて、ベッドの端に腰を下ろした。
「よし。傷の治療を続けろ」
「はいはい」
彼の隣に座って手をかざし、再び治癒魔法を流し込む。
淡い光がノインの傷を覆い、裂けた服の下の肌がみるみる塞がっていった。
「不思議な感覚だな」
「と、言いますと?」
「聖女の癒しは冷たく澄んだものだと聞いていた。だが……貴様のは、妙に温かい」
「温度の話です?」
「……違う」
その言葉の意味を考えるより早く、私は魔法を切った。
「はい、治療完了です」
「そうか」
ノインは軽く頷くと、ふっと口角を上げた。
その表情は変に艶っぽく、吸い寄せられるような赤い瞳がこちらを射抜く。
「眷属にするには惜しいな」
言うが早いか、彼の手が肩と背中に回され──ふわりとベッドに押し倒された。
ああ……そういえばここ、ベッドの上だったな。
私は冷静に、迫ってくるノインの額につんと指先を当てた。
「はい、そこでストップですよ」
指先に小さな結界を展開して、物理的に距離を固定。
人間にも効く結界、それが魔族ともなれば、効果はバツグンでしょう。
「……貴様、吸血鬼の扱いに慣れているな」
「それは違いますね。患者の扱いになれているんです」
「そうか」
体を離したノインは一瞬だけ考え込むように目を細めたあと、くつくつと笑った。
「やはり、眷属にするには惜しい」
いや、私、一言も「眷属になります」なんて言ってないんですけど。
なんて気持ちを飲み込みながらも、笑った顔が意外と無邪気で──なんか人間よりも人間くさいかも。
って、それはさすがに思い込みすぎか。
「……それより!」
ごほんと咳払いをして、私はぴしっと人差し指を立てる。
「条件のご飯ください」
「貴様、今のやり取りのあとで、よくそんなこと言えるな」
「はい。食欲は人間の欲求ですから」
「やはり貴様、愉快な人間だな」
呆れたような口調なのに、ノインの赤い瞳はどこか楽しげに揺れている。
「契約は……悪くない選択だったようだ」
からかわれているのか、気に入られたのか。
どっちなのかは、正直まだよくわからないけど。
でもまあ私も、この契約を悪いものとは思わなかったかもしれない。
*
屋敷での生活は、なんというか……やたら快適だった。
治癒をする患者もいない。
結界を張る必要もない。
浄化なんてしたら、ほとんどの眷属がいなくなる。
つまり、聖女の仕事はゼロである。
それでもノインは、交換条件の衣食住を変わらず用意してくれた。
ここまでくるともう、快適を通り越して──暇だ。
平日の昼間からゴロゴロして、突拍子もない願いを嘆いてしまいそうになるくらい、とんでもなく暇だ。
そういう理由で、廊下を意味もなくうろうろしていたら、背後からそっとあたたかな重みが落ちた。
「寒いだろう」
振り返ると、ノインが当然のように自分の上着を肩にかけてきた。
寒さなんて感じていなかったのに、布から伝わってくる彼の体温に、肩の力が少し抜ける。
「私、別に寒くなんかないですよ?」
そう言いたかったけど──満足そうに口角を上げているノインを見て、わざわざ水を差す気にもなれなかった。
そんな世話焼きっぷりは、それだけに留まらず。
食事のとき、「これ、美味しい」と言ったら「貴様は、もっと食べるべきだ」と皿に山盛り追加され、掃除でもしようと庭に出たら「貴様は家政婦ではない」とさっさと掃除道具を取り上げられた。
……いや、優しいっていうか、これ、甘やかされすぎでは?
いい加減、なにかすることを見つけないと、人として腐っていく気がする。
なんでもいいから、何かないか。
「うーん」と唸りながら中庭を歩いていると、遠くからノインと眷属の声が聞こえた。
(なんの話してるんだろう)
黒薔薇が咲き乱れる中にいるノイン。
彼の趣味じゃないそうだけど、やけに似合っていて、そばにいる眷属が場違いに見えるほどだった。
「ノイン様、なぜあの聖女を眷属にしないんですか? 人間なんて、血を吸えばすぐじゃないですか」
……はい?
眷属にする? 血を吸う?
そういえば、彼、吸血鬼でしたもんね。
すっかり忘れてましたよ。
っていうかそれ、私にやる気満々の会話じゃないですか。
「あの女を眷属にする気はない」
「ええ、どうされたんです?」
「眷属よりも……契約相手にしておきたい。眷属にしたら自由がなくなる。あの女は、あのままがいい」
「……ノイン様って、たまに不思議なこと言いますよね。吸血鬼っぽくないと言いますか」
「ほっとけ」
“自由がなくなる”か。
あれだけおせっかいを焼いてくるくせに、そこは妙に放任主義なんですよね、この吸血鬼。
まあ、ありがたいけど。
ありがたいけど──やっぱり、甘やかされすぎて人としてダメになっていく未来が見える。
(よし、なにか仕事を見つけよう)
そう心に決めた私は、そっとその場を離れた。
*
次の日。
私は屋敷の周辺を確認するために、森の中を軽く散歩をしていた。
(まあ、わざわざ吸血鬼の屋敷にくる魔物もいないでしょうけど)
安全対策のつもりで結界をかけた。
といっても、別に大げさなものじゃない。
ただ、ふわっと魔力を広げただけ。
(結界魔法も久々に使ったなあ)
足元では光の粒がゆらゆらと揺れている。
薄暗い森の中に一筋の光が差し込んで、まるで“天使の梯子”、みたいな。
……別に、誰かに褒められるわけでもないけど、ちょっと満足。
そんなときだった。
遠くから、馬の蹄の音と甲冑がぶつかる金属の音が聞こえる。
魔物が出す音じゃない、人工的な音。
「聖女エリシア=ハーシェル! いるんだろう!?」
あ、なんか懐かしい怒鳴り声まで聞こえてきた。
森に現れたのは、金糸の髪にエメラルドグリーンの瞳を持つ、あのナスシスト国王──アルバートだった。
もちろん、忠実な騎士たち数名を従えている。
まさか、私を追いかけてきた?
いや、追いかけてきたんだろうなあ。
「エリシア、貴様が生存しているのはわかっている! 聖力だけはあったからな! どうせ死んでないんだろう! 国に戻れ! 魔物被害で国が危機だ!」
(うわあ、めっちゃ叫んでるじゃん……)
どうやら、“役立たず”がいなくなった弊害が国に訪れたみたいだ。
私を追放した国が困るのは時間の問題だと思っていたけど──思ってたより、早かったな。
(それよりも)
この世界の男は、女子を『貴様』で呼ぶ決まりでもあるのだろうか。
「うーん」と考えてみる。
(だけど……)
ノインに言われるときとは、全然感じ方が違う。
国王に「貴様」と言われてもイラッとするし、ただうっとうしいだけなのに。
ノインに言われると──威圧的なのに、どこか安心するというか。
なんだか、甘やかされているような気分になる。
見下しでもない、敵意もない、傲慢さ……は、ちょっとあるけど。
だからかもしれない。
ノインにそう呼ばれるのは、イヤじゃなくなってたかも。
「見つけたぞ、エリシア!」
……しまった。
よかれと思って張った結界が、逆に私の居場所を知らせる結果になるなんて。
タイミングが悪いのもいいところだ。
「お久しぶりですね、アルバート様」
とりあえず、礼儀たけは見せておこう。
これも聖女の嗜み、だ。
「早く国へ戻れ! 今なら貴様の傲慢な態度も、すべて許してやろうじゃないか!」
役立たず呼ばわりして追放したくせに、謝罪も誠意もなく、ただ「戻れ」と言うだけ。
そんなものに、誰が従うというのだろう。
いや、従う人間なんていない。絶対に、だ。
「あなたの許しなんて別にいりませんし、望んでもいません。国へ戻るつもりも、ありません」
「……強制送還だ! 捕えろ!」
相変わらず、こっちの都合はおかまいなし。
攻撃魔法の一つでも習得しとけばよかった──そう思った瞬間。
「貴様ら、人の領地で何をしている?」
飛び交う「貴様」に、思わず苦笑いをしそうになる。
だけど、今の声は私に向けられたものじゃない。
振り返ると、黒衣をひるがえしたノインが立っていた。
「お前は……仕留め損ねた吸血鬼!」
アルバートの声が森に響く。
そして初めて会ったときに治療したノインの傷は、彼たちにやられたものだと知る。
「仕留め損ねた、だと?」
ノインの赤い瞳が暗闇の中で一層鋭く光った。
その威圧感に、騎士たちが無意識に一歩後ずさりする。
「貴様らが一方的に襲いかかってきたくせに、よく言う」
「魔物を退治するのは当然だろう!」
「退治?」
ノインが嘲笑うように口角を上げた。
「俺がいつ、人間を襲った?」
「吸血鬼は人の血を吸う化け物だ!」
「愚かだな」
ノインは冷ややかに笑い、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「血は必要だ。だが、俺は無関係な人間を襲ったことは一度もない。血を吸うのは、契約を結んだ相手だけだ」
「……っ」
「先代の国王にもそう告げている。貴様は一体、なにを見てきたんだ?」
……そういえば。
ノインの屋敷にいる眷属たちは、みんな彼を尊敬しているし、心から慕っている。
どこぞのナルシスト様の部下みたいに、顔色をうかがって従ってるわけじゃない。
その違いは、言葉にしなくても明らかだった。
「そんなもの……!」
アルバートが言いよどんでいる間に、ノインが続けた。
「貴様らは『魔物退治』の名目で俺を襲い、こちらの平穏を乱している」
「そ、それは……」
「つまり、真の害悪は貴様らの方だということだ」
「……ならば! 我が国へ襲撃してくる魔物はなんだと言うんだ!」
「知らん。だが、貴様らが原因で起きていることだ。面白半分で蜂の巣でもつついたんじゃないのか」
アルバートの顔が青ざめていく。
(ああ、図星だったんだんだろうなあ)
どうせ、手柄でも求めて魔物の縄張りにでも踏み込んだんでしょう。
承認欲求と自己顕示欲の塊みたいな国王だし。
今までは私が結界を張ったり浄化をしてたから、国まで被害が及ばなかっただけ。
それを、本人はまるで理解していなかったらしい。
「貴様は、どうしたいんだ?」
ノインが私のほうへと振り返る。
その表情は、いつもの皮肉めいた笑みじゃなくて──真剣そのものだった。
「この男たちと一緒に行くのか?」
「行きません」
即答した。
ためらいなんて、一秒もいらない。
「私はもう、あの国の聖女じゃありません。それに……真実を知らずに『魔物退治』を叫ぶような人たちと、一緒にはいられませんから」
ノインの目が、わずかに和らいだ気がした。
「なにより私は、まだこの吸血鬼と契約中ですし」
「そうか」
そう言った彼の声に、ほんのかすかに安堵が混じっているのがわかった。
普通なら気のせいで片づけるような微細な声色。
それに気づいたのは──きっと私が、この吸血鬼に慣れすぎたせいだ。
……いや、慣らされた、のかも。
「エリシア! 貴様、化け物の言いなりになるつもりか!?」
アルバートの絶叫が森に響く。
でも、その声はもう私の心には届かない。
「化け物って、誰のことですか?」
私はにっこりと、営業スマイルを浮かべた。
口角だけは愛想よく上げて、でも目は笑ってないやつ。
「人間と共存しようと努力している方々のことでしょうか? それとも、一方的な偏見で他者を攻撃する方々のことでしょうか?」
「な……!」
「どちらが本当の『化け物』なのか、よく考えてみてくださいね」
アルバートの顔が、みるみる赤くなっていく。
怒りか、恥か、それとも図星か。
たぶん全部なんだろう。
追放される直前に見たときより、その顔は赤かった。
「話は終わりだな。この女を返すつもりはない」
ノインが無造作に歩み寄り、私の背後に立つ。
次の瞬間、片腕がするりと私の肩に回され、ぐっと引き寄せられた。
背中越しに伝わる体温と、耳元にかかる低い息。
「もう、俺の女だ」
(……俺の、女!?)
いやいや、いつからそうなったんですか?
眷属にするってことですか?
それとも、なんか別の意味が?
っていうか、不覚にも心臓がドキッとしたんですけど。
……いや、違う違う、そういうのじゃない。
ときめきとかじゃない。
たぶん、びっくりしただけ。きっとそう。
「くっ……! 裏切り者と化け物を殺せ!」
「俺は、血をもらう相手とは契約を結ぶし、人間を襲うこともしないと言ったが……降りかかった火の粉は払ってもいいと思っている」
静かなのに、背筋がぞくりとする声。
その場の空気が一瞬で張りつめる。
そして、アルバートが剣を振りかざすよりも早く。
何の前触れもなく、鋭い風のような衝撃がザンッと彼の頬をかすめた。
アルバートの頬から血がつうと伝い始める。
私はたまらず息を呑んだ。
ノインは手を空で切っただけ。
それだけで、こんなことができるなんて。
「ここで死ぬか、国を守るために魔物と戦ってやられるか……好きなほうを選ぶんだな」
威圧──圧倒的な力の差。
さすがのアルバートでも、それを実感したようだ。
頬の血を押さえ、震える足で後ずさりする。
騎士たちも同様に、あたふたと逃げ惑っていた。
「貴様ら……! 今日は勘弁しておいてやる! 次会ったらタダじゃおかない! 覚えてろよ!」
馬を引いて、一目散に逃げていくアルバートたちの背中を見送った。
声だけは勇ましいけど、逃げる必死さが丸見え。
「どうしてみんな、去り際に同じようなことを言うんでしょうね」
「負け惜しみだろ。弱い犬ほどよく吠える、というじゃないか」
「あんなのと犬を一緒にしたら、犬に申し訳ないです」
「それもそうだな」
背後でノインが肩の力を抜いて笑った。
その顔は、やっぱり──人間よりも人間味があるなって思ってしまった。
*
後日。
あの国がどうなったか、風の噂で耳にした話。
聖女がいなくなった国は、案の定、魔物の被害で大混乱。
新しい聖女も呼べず、結界も浄化も間に合わない。
国民は反乱を起こしているとかで、すでに手のつけようがないらしい。
地図から消えるのも時間の問題、と囁かれているほどだとか。
(ま、当然の結果というだけの話ね)
同情するでもなく、私はただ右から左へ聞き流した。
*
夜の庭園。
咲き乱れる黒薔薇にも、もうすっかり慣れてしまった。
今ではこの少し毒のある賑やかな景色がないと、なんだか物足りないとすら感じる。
頭上には満天の星空。
冷たい光が花々を淡く照らし、風が黒薔薇の香りをそっと運んでくる。
隣を歩くのは、もちろんノイン。
月光を浴びた横顔は、やっぱり人間離れしていて──でも、どこか安心する。
「もうこの暮らしにも慣れたか?」
「はい。おかげさまで」
あれから私は平穏にノインと暮らしている。
ノインの治療はとっくに終わってるけど、契約もそのまま継続中。
衣食住を提供してもらう代わりに、屋敷の掃除やちょっとした手伝いをする毎日だ。
聖女というよりは、ほとんどメイドみたいな生活だけど。
暇を持て余すよりはずっといいかなって。
それでもノインの人を甘やかす才能は健在だ。
おかげで夕食後にこうして庭園を歩くのも、すっかり日課になってしまった。
私たちは噴水のそばにあるベンチに腰掛けた。
噴水には妙な銅像が飾られているし、ベンチにも無駄に凝った彫刻が彫られている。
これまた悪趣味だなあ……なんて思ったけれど、眷属たちがノインのために用意したものだと考えたら、少しだけ微笑ましく見えてくるから不思議だ。
「今日は貴様にあるものを用意した」
「なんでしょう?」
こんなふうに呼ばれるのにも、すっかり慣れてしまった。
慣れってすごい、改めて。
ノインが歩み寄り、私の髪にそっと触れた。
「やはり、似合っている」
月明かりに照らされた彼の微笑みは、驚くほど優しい。
指先から伝わる感触と距離の近さに、心臓が一瞬だけ跳ねる。
それから、ふわりとほのかな香りが漂ってきた。
視線の横、私の耳元で白く細長い花弁が揺れていた。
「これ……お花ですか?」
「白百合だ。俺が育てた」
「ノインが……花?」
「そうだ。貴様に似合うと思ってな」
私は目を丸くした。
ノインが花の世話をしているなんて、まったく想像ができない。
でも、私のために、私を思って育ててくれてたと思うと──すごく愛おしいものに思えた。
「ありがとうございます」
だから、そう言った私は、たぶん少し照れてたかも。
そのとき──。
「エリシア」
ずっと「貴様」としか呼ばれなかった名前が、月明かりの下で静かに響いた。
胸の奥が星の瞬きみたいにきらきらと弾ける。
この感情は、驚きじゃなくて──嬉しさだった。
ノインは私の肩に手を添え、身を寄せる。
そして、次の瞬間。
首筋に柔らかいものが触れた。
温かく、軽く、でも確かに伝わる彼のぬくもり。
私は思わず小さく息をもらした。
「これは、眷属の契約じゃない」
彼の赤い瞳が、月明かりと星の光を受けて輝いている。
その視線が私を射抜くようで、大きく心臓が跳ねた。
「俺の嫁になれ」
続けられた言葉に思わず息が止まる。
頭では「落ち着け」と必死に言い聞かせるのに、体は勝手に彼のぬくもりを求めているようで。
まっすぐな視線から目が逸らせない。
首筋に触れた唇の感触が胸をくすぐる。
(なんだろう、この気持ち……)
ドキドキが止まらない。
恥ずかしいけど、嬉しい。
怖いけど、離れたくない。
「……そうですね。聖女だけど吸血鬼の花嫁っていう肩書きも、悪くないかもしれません」
照れ隠し、みたいな言葉だったかも。
素直に「はい」と言えなかったけど、ノインはそれがわかってたみたいに小さく笑ってくれた。
「では、契約条件もそれに合わせて変えよう」
「変える必要あります? 私は今のままでも、じゅうぶんありがたいですけど」
首を傾げた私に、ノインは優しく微笑んだ。
「エリシアを、一生愛する。と」
風が吹き抜け、黒薔薇がさらりと揺れる。
甘い香りと夜風の心地よさが、胸の鼓動をさらに速めた。
「……はい。では、私も。ノインを一生愛しましょう」
ノインはもう一度、首筋にキスを落とした。
「……それ、くすぐったいです」
「そうか? ならば……」
彼は私のあごを優しく持ち上げる。
それがどんな仕草で、何を意味するかなんて、わかってたから。
だから、応えるように、そっと目を伏せて──。
月明かりに照らされた庭園で、私たちは永遠の愛を誓う口づけを交わした。
*
それからの日々は、穏やかで、そして幸せだった。
黒薔薇の咲く庭園を二人で歩いて、食卓を囲んで、からかい合いながら笑い合う。
星空の下で交わした約束は、今も変わらず私の胸の中で輝き続けている。
聖女と吸血鬼。
少し変わった夫婦だけど──ううん、だからこそ、この愛はきっと誰よりも確かなもの。
だから私は、これからもずっと、彼の隣で生きていく。
お読みいただきありがとうございました!
本当はもっと甘やかしとか当て馬登場させたかったんですが、今回は泣く泣く見送りました…
ブクマ、評価が励みになりますのでよろしくお願いします★★★★★