第一話「付け焼刃」3
レモーヌを弟子としてから1週間後、陽の光とともに目を覚ましたテツジは顔を洗って身支度を整えると木材の補充のために斧と鉈、そして鋸をリュックに入れ、先に起きて朝食の準備をしている2人に「行ってくるよ」と告げると湖畔の森へと入っていった。
武器道具の材料、炉やかまどの燃料、そしてこれからの冬の蓄えと考えると木材はいくつあっても足りない。
その上、やはり日本人としては身体を洗う時はしっかりと湯に浸かりたいので家をまた増築して風呂場を作ろうと思っている……折角だから、少し広めの。
なので、しばらくは毎日森に入る生活になりそうだ。
森に入っての伐採や狩りにも大分慣れた。ここに来たばかりの頃は森に入る時には魔物も出るからという理由で剣を帯びていたが、何度か撃退するうちに俺の力が魔物達に知れ渡ったのか襲ってくる魔物も居なくなったので、レモーヌを迎え入れてからは伐採道具だけを持って入るようになった。
しかし、弟子の2人がせめて護身用に短剣だけでも持ってくださいと言ってくるので、最近はナイフ1本を提げて伐採に出かけている。
どうやら弟子の2人曰く、この森に出現する魔物は並の冒険者なら手こずるくらいには強いらしいが相手取る上で特に苦労した事はない。
転生前の身体とは身体能力が違いすぎてよくわからなかったが、どうやらスキルによってこの世界の水準よりかなり上の方まで上がっているようだ。
そんな事を考えながら切るのに手頃な木を見つけると、足下にリュックを置いて斧を取り出す。見た目は素朴で平凡な小ぶりの斧だが、テツジの目にはおよそ「平凡」とは程遠い斧の真価が映し出されていた。
転生時に与えられた鍛冶師のスキル、その一部に鍛治によって作られた物の性能をランクとして見ることができる眼力がある。
今まで見てきた武器で大別すると、の悪い中古の武器ならDランク、店売りの標準的な武器ならCランク、一般向けに買える中での最高級品や王侯貴族に連なる騎士が携えているような武器はBランク、そして、一度しかお目にかかった事はないが所謂「伝説」とされている神剣がAランクだった。ちなみに、アランの依頼で打ったロングソードはAランクである。
そして、テツジがいま手に持っている斧のランクはS。これは自分に与えられたスキルの限界値を見極めるため、可能な限りの強いイメージを込めて打った物だ。切れ味は当然、あのロングソードを遥かに超える。そんな斧で木を切る自分の姿は傍目にはさぞかし異様に映るだろうとテツジは心の中で苦笑いを浮かべながら、彼はいつものように伐採を始めた。
まず、木の下に生えている鳩尾までの高さに伸びた下草を掻き分け、片足を立てて木のそばにしゃがみ込む。
次に、片手で斧の刃を幹に対して垂直に当て、もう片方の手で切る木の幹をしっかりと押さえる。
そして、斧を握る手にほんの少し──本当に、ほんの少しずつ力を加える。
すると、斧は切り口から幹へとまるで吸い込まれるように幹全体へと断面を広げながら進んでいく。
叩かず、引かず、小さな刃をただ押し当てるのみ。
それだけで分厚い木の幹がまるでバウムクーヘンのように両断されていく。
手元にはなんの感触もない。
あるのは軽い手斧が横へ横へと動いていく不思議な感覚のみ。
もし力加減を間違え、勢い余って斧を振り抜いてしまったらどうなるか…考えたくもない。
全神経を集中させて慎重に斧を動かし、斧が完全に幹を通り抜けたのを確認。
斧に刃が当たらないよう細工して作ったカバーをかけてリュックに戻し、自分とは反対方向に木の幹を押し出す。
ズゥン、という重々しい音を立てて木は倒れていった。
後に残ったのは、芸術的な断面をした切り株と何事も無かったように生えたままの下草だけだ。
これで伐採は完了、あとは鉈で枝葉を払い、ノコギリで使いやすい形状に加工していく。勿論それらも性能はSランクである、故にまだ作業には慎重さが求められる。
…はっきり言って、伐採作業にこんな物を使う必要は全くない。
作業効率だけを考えればBランクの道具を使う方が圧倒的に上だろう。
では、何故わざわざ危険を冒してまでSランクの道具を用いて伐採を行うのか?理由は簡単だった。
テツジは例の剣の写しを作って以降、鍛冶師という生き方に急速に飽きつつあった。
初めのうちは楽しかった。イメージすれば生前に憧れていたどんな武器も面白いように作れたし、誰かの依頼で鉄を打てば感謝と称賛を浴びられた。名声が仕事を呼び、仕事が富を呼んだ。
だが、それだけだった。
鍛治仕事というものは、見慣れてしまえば退屈なルーチン作業のようなものであった。
真っ当な鍛治師であれば違うのだろう。日々、自らの技術を進歩させる新しい発見がある最高の仕事なのだろう。
しかし、自分にとっては違う。
何せイメージすればなんでも作れるのだ。
試行錯誤もなければ成長もない。
スキルが命じる通りに動作を続ける退屈な作業を繰り返すだけだ。
さらに、近隣の街で評判が高まりすぎたせいでひっきりなしに依頼が来る。
テツジ自身はスキルで得た身体能力のおかげで休まずに打ち続けても平気であるしそうすれば早く終わるのだが、弟子の2人はそうはいかない。
適宜休憩を挟む必要があるため何だかんだで時間がかかる、退屈な作業だというのに。
そして長時間の作業の末に仕事を終わらせても、疲労もなければそれによって自分の中で変化するものもないので何の達成感もない。
無論、報酬として金は貰えるが、そもそも殆ど自給自足の生活をしている上にこんな人里離れた山奥では金を使う機会などそうそうない。
弟子達や顧客からの賞賛も最初のうちは心地良かったが、弟子たちはともかくとしてそこまで親しくもない客から何も考えずにただただ腕を振るだけで出来た商品を褒められても、タチの悪い嫌味のようにしか聞こえなくなってきた。
まるで、出来の悪いソーシャルゲームの周回を大して欲しくもないアイテムの為に毎日させられているような日々。憧れていたスローライフというものがここまで退屈だとは思っていなかった。
とはいえ、楽しみがないわけじゃない。この世界に来た直後に能力の限界を試したくて作ったSランクの武器や道具の性能を味わうのも楽しみの一つだ。転生した時から内心文句を言いながら使ってきたが、いつ見てもその切れ味に惚れ惚れする。
しかし、これはいくらなんでもあの2人を含めて他の人間には見せられない。
国宝級の武器をも凌ぐ切れ味の斧を所持しているなんて知られたら、どう考えても面倒な事になる。だからこうして、こっそりと独りその切れ味を楽しんでいる。
他にも、鍛冶師に必要な能力の一部として与えられた火や風を起こす魔法を気まぐれに使ってみるのもなかなか楽しい。
この魔法もスキルと同じでイメージを具現化できるようになっているのだが、イメージ次第で火球を投げつけられたり、風の刃を作り出して石などを切断できたりする。
…そして、それらとは別のとっておきの楽しみもある。
(まぁ、そっちは最近忙しすぎて全然出来てないんだけどな。)
そんな事を考えながら倒した木を加工し終えると、持てるだけの木材を家の近くの資材置き場…と言っても単に四方を縄で囲っただけの地面だが、そこまで運ぶ。
(結構デカい木だったからな、何往復することになるやら。)
心の中で少し愚痴りながら家の近くまで歩くと、玄関の前に2人の男女の憲兵がいた。
1人は痩せた男。黒い軍帽に黒いマント、そして前の間マントから覗く黒い軍装。
一見すると威圧感の塊のようにも見える服装だったが、腰の低そうな表情とやや垂れ下がった糸目がその印象を中和していた。
年齢は…よく分からない、俺と同じくらいにも見えるし少し貫禄のある若者にも見える。
…が、服装以外は総じて印象に残りにくい男だった。
もう1人は金髪の女性、こちらは男の方とは対照的に目を引く容姿をしていた。
首元から腰までを覆うピッタリと閉じられた皺ひとつないマント、華美にならない程度に品よく装飾の施された軍装、そして、何よりレモーヌにも引けを取らないほどの美しい面貌。
凛とした印象を受けるが、よく見れば顔立ちは想像される年齢の割に幼いように見える。
…マントのサイズがいやに大きいようだが、愛くるしい顔の割にガタイが良いのだろうか?
しばらくぼんやりとそんな2人を眺めていたが、慌てて思い直す。
憲兵と言えばこのレメディ王国における警察機構だ、どうしてそんな連中が家に訪ねてくる?
何か知らない内に犯罪行為に加担していたのかもしれないと思い、ここ数日の行動を振り返ってみたがとんと思い当たる節がない。
節がない…が、憲兵が来ているのは事実。
(取り敢えず話を聞きに行くか。)
そう考えたテツジは木材を置くと、対照的な2人に近づき
「すみません、何か御用ですか?」
と尋ねた。
すると男の方が振り返り
「あぁ、これはどうも。私、憲兵隊特務課に所属しておりますオーロクという者です。こちらは同課のハイデッカー氏。」
と言って憲兵らしからぬ腰の低さで自分と隣の女性を紹介すると、人の良さそうな笑顔を浮かべながらこちらへにじり寄ってきた。
ハイデッカーと呼ばれた女性の方は軽く頭を下げる。
軽い会釈だけでもどこか気品を感じるその所作に目を奪われていると、オーロクと自己紹介した男はとんでもない事を言い出した。
「私たちは王国南西部の街道はずれにある森で起きた殺人事件について捜査を行なっていましてね。アンドゥー武器工房の工房主、テツジ・アンドゥーさんはどちらにいらっしゃいますか?」
……殺人事件?
テツジは困惑した。
全くもって覚えがない。
森の近辺に出る魔物ならともかく、殺人など犯した事はない。
ベルナールの街へ納品に行った際にアイン達に絡んできたならず者たちを返り討ちにした事はあったが、連中は目の前で元気に逃げていった。
しかもベルナールとこの自宅があるのは王国の北部、南西部からは遠く離れている。
……本当に、全く持って覚えがない。
「……テツジ・アンドゥーは俺です。だが、殺人などやった覚えはないし、この森とベルナールの街以外に行った事はない。何かの間違いでは?」
若干混乱しながらも毅然として答える、曖昧な返事で濡れ衣など着せられたらたまったものではない。
すると、男は申し訳なさそうな顔をしながら弁解を始めた。
「あぁ、あぁ、これは大変失礼いたしました。あなたがテツジさんでしたか、お噂はかねがね伺っております。」
「近くの街でこちらの森にある工房を紹介していただいた際も、それはそれは腕の良い職人さんだと聞いています。お忙しい身であるとは重々承知しており恐縮なのですが、どうかお話を──」
「そんなお世辞は結構、とにかく俺は殺人事件などに関わった事など無いんだ。何かの間違いだろうからもう帰ってくれないか。
」男の発言を片手で遮り、苛立ちを抑えながら強い口調で拒絶する。
話のわからん男だ。
遠く離れた王国南西部の事件に、森と街を行き来するだけの俺がどう関わるというんだ?
前の世界でもここでも公務員ってのは無能なようだ。
決まり通りにやるだけのお役所仕事の繰り返しで、自分の頭で考えるという事をしないんだろう。
世界が変わっても税金泥棒ってのは存在するらしい、呆れたものだな。
そんなことを思いながら目の前の男を睨みつけていると、強い口調に気押されたのか彼は両手でどうどうと宥めるような動作をした。
「いや、どうかお話を最後までお聞きになってくださいな。私達はあなたが人を殺しただなんて思っていません。そもそもこの事件は殺人事件としては既に解決済みで、後の処理は殺人課に引き継いでおりましてね。」
「ただ、この事件には殺人の経緯とは別に私たち特務課が取り扱うべき事柄がありまして、それについて少々お話を伺いたいだけなんですよ。」
「どうぞお手間は取らせませんので、ここは一つご協力をお願いします。」
……目の前の男の恐縮振りからするに、どうやら本当に殺人の疑いをかけられたわけではないらしい。「だったら最初からそう言えばいいじゃないか、誰だっていきなり自分が殺人事件と関わりがあるような言い方をされればこんな態度にもなる。」
少し安心しながらも、紛らわしい言い方で不安な思いをさせられた事にはしっかりと抗議しておく。
すると目の前の男は恐縮しきった様子で
「はい、仰るとおりで…。どうも私はこういった気遣いができなくていけませんなぁ。奥さんにもよく言われるんです、『あんたはもう少し相手の気持ちを考えて喋んな』ってね。いやはやこの歳にもなってお恥ずかしい限りで。」
…こいつ、結婚してたのか。
「全くその通り、奥さんの言う事をよく聞くといい。」
「オーロクさん…だったか?取り敢えず立ち話も何だから話は家の中で聞こう。」
テツジは若干負けた気になりながらも、気を取り直して家の中へ案内しようと自宅の方へ歩き出した。「はい恐れ入ります…しかし驚きましたなぁ。」
「何がだ?」
オーロクの感心したような声が後ろから聞こえてきたので振り返る。
「あなたの態度ですよ。私たちみたいな憲兵がやってきて『話を聞かせてくれ』だなんて言ったら、大体はしょっ引かれるんじゃないかって不安そうに手が震えたりしたり額に冷や汗を浮かべたりするもんなんですが。あなたは実に堂々としていらっしゃる。」
……まぁ、終電終わりの時間に歩いて帰るような日々を送ってたせいで警察の職質には慣れっこだからな。
などと答えるわけにもいかないので一般論を返しておく。
「そう特別な事でもないだろう、何もやましい事がないなら堂々としていればいい。」
「いやごもっともな事で…しかしまぁ、憲兵の中には融通の効かないのもいますから気をつけてくださいね。」
「覚えておこう。ところで、そこのお嬢さん。」
テツジはオーロクと話しながら黙ったままの隣の女性に水を向けた。
「……はい?私ですか?」
「ああ、ハイデッカーさんと言ったかな、目の前で強い口調で言い争ってしまってすまない。」
「しかし、俺も1人の人間として自分の身は自分で守らないといけないからね。どうかそう萎縮しないでほしい。」
そう言ってテツジは彼女に微笑んだ。
憲兵という立場であっても彼女はまだ若い。目の前で大の男が強い口調で詰め寄っていれば若い女性としては恐怖を感じるだろう。
生前の職場で上司から大声で怒鳴られている時に同じフロアにいる女性社員たちが居心地悪そうにしていた事を思い出す。
自分なりに彼女をケアしたつもりのテツジだったが、ハイデッカーさんは表情ひとつ変えないままの凛とした顔で
「いえ、お気になさらず。これも仕事ですから。」
と短く答えただけだった。
糸目の冴えない男性と、愛くるしい顔立ちをしたクールな女性。
本当に対照的な2人だ。
そんな事を考えながら自宅の玄関まで案内してドアノブに手をかけると、テツジはふたりにせをむけたまふと浮かんだ疑問を尋ねた。
「そういえば、さっき殺人事件としては捜査が終わってるけど…特務課?として俺に聞かなければならない事があるって言ってたよな。」
「はい、その通りで。」
返事をしたのはオーロクだった。
低くも親しみやすい声にテツジは質問を重ねる。
「特務課ってのはどんな仕事をしている部署なんだ?」
対して興味のない質問だった。
異動してきた新しい同僚に
「趣味は?」
「休日何してる?」
「どこ出身?」
と聞くのと同じ。
単なる会話のとっかかり程度、返事を聞いて適切に反応し
「私はコミュニケーションを正常に取る事ができますよ」
と理解してもらうためだけの質問。
(やれやれ、こんな所でも社交辞令が口をついて勝手に出るとはな。)
(これも、元ブラック社畜の──)
「私たち特務課の任務はね、常識外れの力を持ってこの世界の外側からやってきた連中、転生者を見つけ出す事なんですよ。」
「───────────。」
…………は?
今、なんて?
…………転生者?
その単語はまるで巨大な歯車機械の中に乱雑に放り込まれた小石のように、テツジの脳の動きを止めた。
ドアノブを握る手が震えそうになる衝動を必死で抑え込む。
そんなテツジの様子を知ってか知らずかオーロクは話を続けている。
「そんで発見後は行状を調査……あぁ失礼、いきなり転生者だなんだと言われてもピンときませんよね。またやってしまいました、どうもすみません。」
声質に合わない彼の軽い語り口も、もはやテツジの耳には半分も聞こえていない。
彼の額を、冷たい汗が流れ落ちた。