第一話「付け焼刃」1
槌を振りかぶり、金床の上に乗せられた高音を放ちながら赤く光る物体へと何度も振り下ろす。
キン、キン、キィン───。
日差しから入り込む陽光が薄く照らす鍛冶場の中、テツジ・アンドゥーは真剣な表情で赤熱化した金属塊を打っていた。
いつからこの作業を続けているのか、テツジの顔には珠のような汗粒が浮かび、やっとこと槌を持つ両腕の筋肉は捲り上げたシャツの袖を押し上げるほどに張り詰めている。
しかし、彼に疲労した様子はなかった。
槌の動きはまるで打つべき箇所が最後まで分かりきっているかのように迷いがなく、機械のように正確な運動を繰り返している。
そして、その様子をドワーフの少女とエルフの女性が真剣な瞳で見つめていた。
彼女達の目線にはテツジの一挙手一投足の法則を見破らんとする鋭さを持っていたが、同時にそれらの精緻な動きと規則正しく響く金属を打つ音に陶酔しているかのような柔らかさも兼ね備えていた。
テツジ・アンドゥー。
本名は安藤鉄二という。
半年前、現代日本でブラック企業の事務員を務めていた40代男性の彼は過労死の後に「女神」と名乗る謎の存在の手引きによってこの世界へと転生した。
女神曰く、テツジが死んだのは彼女の手違いによるもので、お詫びとして特別な力を与えて剣と魔法の異世界へと転生させたいの事だった。
まるで会社の行き帰りに読んでいたネット小説の主人公になったかのような降って湧いた幸運に、テツジは自分が死んだ事も忘れて歓喜して幼少の頃より刀剣類に興味のあった彼は鍛冶師となるための力を希望した。
そして、それを了承した女神から鍛冶師のスキルとこの世界で生きていくために必要な住居と知識に優れた身体能力、そして「好きな物を作り、誰にも指図されることなく自由なスローライフを送る。」という目標とともにこの世界へと転生してきたのだった。
ある程度叩き伸ばした金属塊を水を張った桶に入れ、急冷する。
自らの身を挺して焼けた金属を冷やした水が蒸気となり、テツジ達を包み込む。
もうもうとした白い空気の中で、彼は転生してからのことを思い出していた。
レメディ王国という国の地方都市、古都ベルナールの外れにある森を抜けた先で広がる湖畔に用意された、鍛冶場付きの一軒家から彼の第2の人生は始まった。
森には魔物も出るため街へのアクセスは良いとは言えなかったが、ひっそりと鍛治の仕事をしながら生きていくには好都合だった。
転生したテツジが早速女神から与えられた鍛冶師のスキルを試してみたところ、このスキルは
「鍛治を行う上で必要な知識および身体能力」
と
「形状や性能を正確にイメージすることで、その通りの武器や道具が鍛造できる技術」
と
「鍛治によって作られたものであれば、見るだけでその性能がランクとして視界に表示される眼力」
の3つの要素で構成されていることがわかった。
鍛冶師という仕事への憧れはあれどな知識はなかったテツジにとって、これは非常にありがたかった。
街の市で初めてナイフが売れた時は本当に嬉しかった。
自分という存在がこの世界で認められたような、そんな気がした。
そして初めて売ったナイフの精巧な装飾や高い切れ味が呼び水となり、周辺の村の自警団や街の冒険者ギルドからまとまった数の武器の納品依頼が来るようになって生活も安定してきた。
そして先日、冒険者ギルドに登録された凄腕冒険者アランの依頼で、オーダーメイドのロングソードを鍛造する機会にまで恵まれたのだ。
煩わしい人間関係から離れられる住居、安定した収入、そして鍛冶師としての名声。
テツジは、この世界に転生した時に抱いていた夢を叶えつつあった。
水によって冷やされ、それが本来持つ硬さを取り戻した金属塊を炉の口から中に入れる。
テツジの手によって完璧な温度に保たれた炉は、みるみるうちに自身の中に入れられた物体を焼き溶かした。
その様子をドワーフの少女とエルフの女性がじっと見ている。
金属をも溶かすほどの温度に達した炉からは常人では近づくことも憚られる程の熱気が噴き出しているが、彼女達は瞬きひとつすることはなかった。
そんな2人の様子をチラリと振り返り、テツジら今度は自分の生活を一つにする2人の女性との出会いを思い返した。
ドワーフの少女は名前をアインという。
多くのドワーフと同じく低い身長と褐色の肌を持ち、手足の筋肉は同年代の人間の少女のものよりガッシリとしているため一見すると背の低い成人女性に見えなくもないが、快活そうな顔と大きく見開かれた瞳の輝きが彼女が未だ精神的にも成長途中の子どもであることを物語っていた。
彼女は遠く離れたドワーフの里の代々続く鍛冶屋に生まれたものの、女性では鍛治の仕事はできないというドワーフの掟に反発して故郷を飛び出してしまったらしい。
その道中で魔物に襲われていたところをテツジに助けられ、介抱された家でスキルによって打たれた剣を一眼見て弟子入りを志願、以来はなし崩し的に自分の弟子となっている。
とはいえ自分の鍛冶師としての腕前は女神から授かったスキルによるものであり、誰かに教えることはできない。
まさか、「自分は神様の手違いで死んだお詫びに優れた鍛冶師になれるスキルをもらって転生してきた異世界人である」と説明するわけにもいかないため、彼女には「教えるのが苦手だから見て学んでくれ」と言っている。
そしてもう1人、エルフの女性の名前はレモーヌ。
アインとは対照的にスラリとした長身と透き通るような白い肌をした麗人であった。
人間の美的感覚に照らし合わせた時に最も美しく映る多種族はエルフであるという言説もあるが、それを差し引いても彼女の美しさは人目を惹くものだろう。
服装こそ鍛冶場で働くための作業着という色味のない物であったが、煤汚れや汗粒もその美貌を引き立てるための装飾品とすら思える程にその姿は完成された美しさを持っていた。
そんな彼女の容姿に唯一の欠点を挙げるとすれば、首元に嵌められた首輪だろう。
少し赤錆びながらも重々しい金属製の首輪。
奴隷の証である。
これを嵌められた者は王国の法に則り、奴隷商と主人の間で交わされた奴隷契約に縛られて生きる事になる。
そう、レモーヌは奴隷である。
彼女もかつてはそこそこ名の知れた鍛冶師であったが、多額の借金を背負い奴隷へと身を落としてしまったそうだ。
しかし受注の増加に対応するため、即戦力おなる鍛治仕事の人手を欲したテツジによって買い取られて以来は使用人として鍛治仕事だけでなく家事の一部や事務仕事も行っている。
最初のうちは食事は残飯でいい寝る時は床でいい、ご主人様の大切なお仕事を手伝うなどとんでもない、などと遠慮していたが奴隷とも分け隔てなく接するアインのおかげで段々と馴染んでいってくれたらしい。
今では同じ食卓を囲み、温かいベッドで眠り、鍛治仕事を任される事に後ろめたさを感じる事なく過ごしてくれている。
彼女は痛く感謝していたが、テツジにとっては大したことではなかった。
奴隷である前に、1人の女性として大切に扱うのは当然だ。
そんな2人の視線の先にある金属塊が適切な温度になったことを確認したテツジは、再びそれを金床の上に載せて鍛造を続けるのだった。
熱し、叩き、冷やす。
どれほどの時間、これを繰り返しただろうか。
気づけば金床にあった金属塊は1本のロングソードへと姿を変えて机の上に置かれていた。
とは言え、握りには何も巻かれておらず鍔にも一筋の彫りすら無い、そんな素っ気ない姿であったが、その寒々しさが一層このロングソードの持つ機能を雄弁に物語っているように見える。
肉を切り、骨を断ち、生命を奪う。
そんな形状をしていた。
それを、2人が見ている。
自ら鍛造した剣を誇らしげに眺めるテツジと違い、他の2人の目には感嘆と恐れが共存していた。
敬虔な信徒が、神の有する神々しくも圧倒的な力を目にしたかのような、そんな恐れであった。
「これが、この間のアランの依頼で打ったロングソードの『写し』だ。手に持ってくれてもいいが、切れ味は同じだからくれぐれも気をつけてくれ。」
テツジがそう言うと、2人は無言のまま頷き代わる代わる剣を手に取って注意深く観察し、それが終わると剣を机の上に戻して深々と頭を下げた。
「師匠、『特注品の写しを打って欲しい』などという無理なお願いを聞いてくださりありがとうございました。そして分かってはいた事ですが、この剣を見て自身の力不足を痛感いたしました。この領域に少しでも近づけるよう、これからも精進したく思います。」
そうドワーフの少女が言い終わるとエルフの女性も
「ご主人様、私からもお礼を申し上げます。私たちエルフの鍛治にも、これほどの業物はございませんでした。かような剣の誕生に立ち会えたこと、この奴隷の身に余る光栄でございます。」
と言って剣とその打ち手であるテツジを讃えた。
「ありがとうアイン。そしてレモーヌ、前にも言ったがご主人様と呼ぶのはやめてくれ、俺はそんな大層な人間じゃない。」
2人の言葉を受けたテツジは鷹揚に答えると、剣を手に取る。
「それに今日のこれはアインに頼まれたからってのもあるが、もう一つ大事な理由があるんだ。」
そう言うとテツジは剣先をピタリとレモーヌの白い首元に向けた。
2人の間に緊張が走る。
レモーヌはハッとした顔になり、何か覚悟を決めたように目を閉じた。
アインは悲壮な顔になり、テツジの腕を止めようと弾かれたように駆け寄った。
しかし、そんな2人に構わずテツジは小さく剣を振り──レモーヌの首にかけられた金属の首輪、奴隷の証を両断した。
留め具を切り落とされた首輪は地面に落ち、ガシャンという大きな音が鍛冶場に響き渡る。
そして、その音が止んだ後にテツジは口を開いた。
「レモーヌ、今までよく働いてくれた。所有者テツジ・アンドゥーの名において、今この時を以て君を自由身分とする。」
何が起こったのか分からないのか呆けている2人を交互に見て、テツジは改めて
「レモーヌ、これからは正式に俺の弟子としてこの工房を支えてくれ。」
と告げると、片手をレモーヌへと差し伸べた。
言葉の意味を理解したレモーヌは感極まったように目元に涙を溢れさせながら、口元を手で隠していた。
そして、アインもまた顔一面に笑顔を浮かべながらレモーヌに抱きついて
「良かったね、良かったね!レモーヌさんっ!」
とはしゃぎ、レモーヌもまた涙に震える声で
「はいっ…!よろしく…お願いしますっ…!」
と答え、差し出された手を両手で握りしめた。
煩わしい人間関係から解放され、自分を慕ってくれる仲間たちと共に好きなことをして生きていく。
転生する時に思い描いていた理想の生活を手に入れたテツジは、明るい未来に想いを馳せて口角を上げたのだった。