第一話「付け焼刃」序
封魔官アレックス 第1話 付け焼き刃
序
インベルズ家の御者、コーベイは優秀な従僕であった。
30年に渡り私事で忠勤を欠かすことはなく、よく神を信仰して善の心を養い、休みの日は酒場で知り合った者達と陽気に歌って過ごしていた。
コーベイは優秀な従僕であった。
常に主人を信じ、身の不幸は全て自分の至らなさが招くと考えていた。
自分の走らせていた馬車が3人の野盗に襲われて主人共々命を脅かされる今の状況にあっても尚、彼はその責を会合からの帰りを急いで街道を外れて森を突っ切る抜け道を選択した主人にも、野盗たちに手も足も出ず打ち倒された護衛の冒険者にも求めることはなく、ただ自分の不徳が招いたことだと考えていた。
彼は背後に自分の主人を庇いながら、両手でその「不徳」を握り締めて野盗達を睨む。
それは1本のロングソードだった。
装飾一つない飴色の鞘、鈍い光沢を湛える鍔、手に吸い付くような握り(グリップ)と剣を支える重厚な柄尻。
おそらくこの剣の持ち主、あるいは打ち手は道具を殊更に飾ることを良しとしなかったのだろう。
作りこそ見事だったが、取り立てて人目を引くような華やかさは無い。
抜剣を防ぐ革紐を括り付けられて武器屋の安物棚に転がされていても誰も気に留めず、店主すら存在を忘れ、朽ちるがままにされていく。
そんな、面白味のない剣だった。
そして彼がそれを手にした経緯もまた、面白味のないものだった。
主人から頂いた休日、いつものように酒を飲み気が大きくなったところを路地裏で怪しげな露店を開いていた男に呼び止められて、酒の勢いで勧められるがままに買ってしまったのだ。
その男曰く、さる高名な冒険者のために特注で打たれた剣とのことだったが、今思えば怪しいものだ。
翌日、酔いの醒めた目で剣を見た彼は深く悔いた。
一介の御者にすぎない自分が、剣を買うなど罰が当たるに違いない、と。
コーベイは優秀な従僕だった。
彼は従順で、弁えていて、無知であった。
しかし、いつまでも悔いていても仕方がない。
目の前には野盗達の頭目と思しき男が薄ら笑いを浮かべながら曲剣を弄び、その後ろには部下と思しき2人組が倒された冒険者達から金品を漁っている。
後悔は程なくして恐怖へと変わった。
当然だが、コーベイに剣の心得など無い。
馬車の手入れと馬の世話、あとは主人が小煩い家令に秘密で酒を飲みたい時の小間使い。
それが彼の全てであった。
対して、目の前の野盗達は貴人の護衛を買って出るような腕前の冒険者を苦もなく殺害できるほどの実力の持ち主である。
彼などは羽虫も同然。
剣を交えれば、間も無く彼はそこらに転がる冒険者達と同じ末路を迎え、主人も後を追うだろう。
生まれて初めて見た、殺し合いとその結果。
自分も辿るであろう運命に彼の足はすくみ、手は震えていた。
勝てるわけがない。
逃げてしまいたい。
死にたくない。
しかし、数十年の従僕としての生活がそうさせたのだろうか。
彼はの両手はゆっくりと剣を持ち上げ、上段に構えた。
力の差を認め、降伏したかった。
何もかも振り返らず、逃げてしまいたかった。
地に伏せ、命を乞いたかった。
だが、主人に仕え続けた五体がそれを許さない。
厳しくも、優しい主人。
誰にも誇れる立派な主人。
彼女を守る為、彼の四肢はひとりでに動き出す。
両目で目の前の敵を見据え、四肢は戦いの姿勢を取る。
身体から震えが消える。
意図した事ではない、彼の心は未だ恐怖の中にある。
しかしこれはいかなる奇跡か、あるいは彼に眠っていた何かの才能が開花したのか。
心と身体が完全に乖離していた。
肉体が、精神を凌駕した。
無論、剣の心得を持たぬ彼の構えは文字通り素人同然ではあったが、少なくとも彼の状態は戦える最低限の領域に達したのだ。
そんな彼の様子に頭目の男は少し驚いた後、その不格好な構えを見てすぐに鼻で笑った。
しかし、彼の姿勢は揺るがない。
彼の身体は悟っていた。
彼我の戦力差は隔絶しており、まともに戦えば勝ち目はない。
不用意な動きは禁物。
しかし、彼の身体は確信もしていた。
勝機はある。
一つは相手の気構え。
目の前の男は今、確実に油断をしている。
表情は嘲りに緩み、得物を構える事もせず、体重はだらしない立ち姿を支える片足にかけられている。
当然だ。
戦意があるとはいえ、男からすれば彼など脅威ではないのだから。
道端の子猫が威嚇をしたからといって武器を構えて警戒する者はいない。
二つ目は体格。
彼はさほど大柄というわけではないが、それは目の前の男も変わらない。
筋力に差はあるかも知れない、しかし体重にはそこまでの差は無い筈。
であれば油断しているところに体重を乗せて上段から剣を振り下ろせば、いかに相手が場慣れした野盗達の頭目と言えどその勢いを殺し切ることはできまい。
おそらく怯むか、体制を崩す。
その隙にとどめを刺す。
これは、主人を守る策であり相手を殺す業。
生まれてこの方誰も傷つけることなく生きてきた善良な男が、窮地にあって閃いた殺しの業。
その技を実行する為、彼は動きを止めたまま機を待つ。
生死の狭間、異様なほどに引き伸ばされる時間の感覚。
今や彼にとって1秒は半日にも等しく思えるほどに長い時間だ。
その半日が、少しずつ降り積もる。
微動だにせず、敵を見据える。
どれほどの時が経っただろうか。
頭目から笑みが消えた。
しかし、それは彼を油断ならぬ相手と看做したからというより睨み合いに飽きたからだろう。
機は近い。
頭目は剣を肩に当て、呆れたようにため息をつく。
まだだ。
頭目は持っていた剣を杖代わりに地面に突き、退屈そうに欠伸をする。
まだだ、待て。
彼は己の非力を自覚していた。
生半可な隙を突いても勝利することはできない。
動くとすれば、頭目が自分を完全に意識の外に放り出した時。
それを待て。
頭目の首が、ゆっくりと動く。
後ろを振り返り、部下の野盗達と何やら話そうとして喉が動き。
未だ言葉にならぬ息が口から漏れた。
━━今!!
雄叫びを上げ、彼は掲げた剣を渾身の力で以て身体ごと振り下ろす。
予感したのは鋼を打つ鈍い感覚、あるいは肉を裂く悍ましい感覚。
だが、彼の両手はどちらも感じることはなかった。
初めまして、スクラントンと申します。
一から話を考えて文章に起こすのは初めてですが、温かく見守っていただけると嬉しいです。