表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

備忘録

作者: 織部登

 2023年3月6日18時26分。霧が晴れた。

 いつものように仕事でミスをして、家で一人、己のゴミクズっぷりを嘆いていた時だった。旅行中の母からLINEが届いたのを確認した直後だったので、時刻に間違いはない。

 霧が晴れたとしか言いようがない。言い換えはできる。脳内に挟まっていた曇りガラスが撤去されただとか、ドライアイスの入った風船が割れただとか。なんでもいいが、とにかく突然クリアになったのだ。

 涙と鼻水を垂らしながらみっともなく泣いていたのが、急に泣き止んで、それまでの落ち込んだ気分もどこかへ行ってしまった。かと思えば強い決意も必要なく立ちあがり、上着を脱いで荷物を片付け、やるべきことをこなしていく。

 皿洗いを済ませたあたりで、それまでの自分はいかに何もできない状態だったか、じわじわと実感が湧いてきた。

 視界は常に膜が張ったようにうっすらぼやけており、目を細めて顔を近づけないとパソコンの文字が読めない。単語ひとつひねり出すのも大変で、自分の頭で考えるよりも検索した方が速いだろうとスマホを取り出しても、何をどう検索すれば目当ての単語にたどり着くのかもわからない状態。

 今はどうだ。目は気持ちぱっちりと開いて、1月からめくっていないカレンダーの文字もよく読める。思考をまとめるための言葉もこうしてすらすら出てくる。頭がまわっている。

 頭がまわっている! 世間一般の健康的な人間はこれほどまでに複雑な思考をすることができたのか!

 ずっとつきまとっていた胸の痛みも、首を絞められているような感覚も、空腹でもないのによく鳴るお腹も、勝手に痙攣しだす左腕も肩も、全部嘘みたいだった。体が動く。

 懸念すべきは、これがあまりに突然起こったという点だ。薬やカウンセリングなどで治療を続けた結果、それらが寛解したということであれば喜ばしい。だが、めちゃくちゃに泣いていたぼろぼろの人間が急に泣き止んで元気になったのだ。手放しで喜ぶことはできない。あまりに危うい。

 躁状態というやつだろうか。それにしては自我の肥大化も万能感もない。ただ、脳内でわざと難しい言葉を思い浮かべて、それを思い出せることに多少浮かれてはいる。

 であれば、いつかは元の霧の中に戻ってしまうのだろうか。それはいつなのだろう。寝て起きて、翌朝にはまたぼうっとしてろくに頭もまわらない、はや歩きさえおぼつかないあの状態に戻ってしまうのだろうか。

ここ最近はずっと、寝て起きたら仕事にいかなきゃいけないから、あんまり夜寝るのが好きじゃなくて夜更かしばっかりしてたんだけど、仕事が嫌っていうより、今までみたいに考えごとをするのも大変な感じに戻っちゃうのが嫌だから寝たくないなんて変だなあって思うよ。寝ないと明日の仕事にひびくのはわかってるんだけど。やっぱり夜更かししちゃうよね。変だけどやっぱり嬉しかったから。またあのぼーっとした感じに戻っちゃうなら寝たくないな。嫌だな。

もどりたくないな。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ