#1 未知との遭遇
学校からの帰り道、柳衛尊は家までの近道に公園内を横切っていた。公園と言っても、住宅街にある小さな公園ではない。噴水、池、遊び場、ちょっと離れた町からでも家族連れが遊びに来る大きな公園だった。
時刻は20時過ぎ。さすがにこの時間の公園に家族連れは見当たらない。それどころか、人の子1人として見当たらない。
女子高生がこの道を通るのもどうかと思いつつ、毎日使っている道だ。時は金なり。帰宅にかける時間は短いほどに素晴らしい。
「何かしら?」
いつも座っている人を見たことがないベンチ。今日はそこに黒い表紙の本が置かれていた。
誰かの忘れ物だろうか。興味本位で手に持ってみると、なんだか背筋に悪寒を感じた。表紙には文字の一つも書いておらず、裏表紙も真っ黒だ。
「デスノートでも表紙にタイトルがあるもんよ」
変わった本だなと思って中を捲ってみる。
「……なんだこりゃ」
中は白紙ではなく、見たことのない文字がびっしりと書かれていた。見たことが無ければ、当然読むことも出来ない。
『――△「「「:>~~=〇##)|^!$$”』
頭の中に突如響いた声。意味は分からない。だが、何と言っていたのかは理解することが出来た。
「――ネクロノミコン……?」
たしかにそう聞こえた。この本の名前なのだろうか。
その瞬間、背後に誰かいることに気が付いた。恐怖で身体が固まりその場から動けなくなってしまった。
数秒の後、恐怖心に打ち勝ちやっとの思いで月明りで伸びる足元の影を見る。しかしそれが失敗だった。
後ろにいる影は柳衛の背を余裕で超える大きさだ。こんな大きな影、もはや人間ではなかった。
人間ではなければ、それは一体何なのか。柳衛の心に恐怖心なんて言葉は一切なくなっていた。そんなものよりも好奇心がすべてを支配していた。
好奇心は猫を殺すと言うが、さながら柳衛は猫そのものだった。
「…………っ」
柳衛は、後ろを振り向くという愚かな選択をしてしまった。
「なん、なの……これ……?」
蜘蛛のような8個の目が赤く光って柳衛を凝視していた。大きさは人の身体を優に超えて、公園に植えてある木々の高さまで達している。身体は人型なのだが、触手のような腕が10本生えていてうねうねと動いて気色が悪い。タコと蜘蛛を混ぜたうぷな化け物と呼称するのに相応しい生き物だった。
「ポオオオオオオオオオオオ!!!!!」
化け物は柳衛を畏怖させるかのように、月の光を浴びて雄叫びを上げた。
「いやあああ!!!」
その場から逃げようとすると、触手が一本伸びてきて柳衛の腰をぐるりと一周して掴んだ。触手を叩いて放そうとするが効果はない。しかも、ベタベタしていて手が滑る。
「ポポポポポポ……」
化け物は大きな口を開けて柳衛を食べようとする。口から放たれる悪臭は、鼻が曲がってしまうのではないかと思うほど強烈だった。
「誰か、助けて!!!!」
そう叫んだ瞬間、柳衛の前に何かが横切った。そして、触手が綺麗に分断されて柳衛は地上へ落下する。
「キャッチ成功!」
柳衛は落下地点で制服を着た男子に抱き抱えられて事なきを得た。
「あ、ありがとうございます」
「お礼はあの子に言いな」
「あの子?」
男子の視線を追うと、化け物の目の前に、刀を持ったメイド服の少女が立っていた。
「ポポポボオオオオオオォォォォ!!!!」
化け物は怒り狂っているようだ。8つの目がギラギラと光り出して触手がより激しく動き出す。
「米澤、その子連れて離れて」
「りょーかい。君、走れる?」
米澤と呼ばれた男は柳衛を地面にゆっくりと降ろした。
「は、はい。大丈夫です走れます」
「じゃあ行こうか。十文字、任せた!」
「承知した」
米澤は柳衛の手を引いて走り出した。
「ポポポオオオッ!」
化け物は十文字と呼ばれたメイド服の少女に向かって触手の攻撃を繰り出す。しかし、彼女はそれを華麗に回避して2本の触手を切り落とした。
「ポポォォ……ポポポポォォォ!!!」
今度は4本の触手を地面に突き刺した。残り3本の触手は十文字を狙って攻撃する。地中を潜った触手は十文字を超えて柳衛たちを狙っていた。
「米澤、そっち行った!」
「なんでさー!?」
「知るか」
逃げている方向から2本の触手。後ろを振り返り戻ろうとするも、残りの1本の触手が邪魔をする。
「こりゃダメだな。終わりだ。遺書でも書くか?」
「不謹慎なこと言わないでくださいよ!どうにかしてください!」
「そんなこと言われてもなぁ」
同時に3本の触手が2人に向かって襲い掛かった。もう駄目だとすべてを諦めた瞬間、ギン!という金属が擦れるような音がして目の前で火花が散った。
触手は思わぬ攻撃に追撃を諦めたらしく、地面に潜って姿を消した。
「たす……かった?」
2人の周りには人型のお札がぐるぐると円を描くように空中で踊っていた。
「大丈夫かーい」
「米澤、あんた無力の癖に何してんのよ!」
男女の声がしてその方向を見ると、米澤と同じ学校の制服を着た二人が歩いてきた。
「遅刻してくるよりはマシだと思うぞ、鳥コンビ」
「鳥コンビ呼ぶなっていつも言ってるでしょ!」
鳥コンビと呼ばれた片割れ。青い縁の眼鏡をかけた女子高生の方は頬を膨らませて反論する。
「フフッまつりん、ボクたちの『愛』を形容する名称が存在する。それは、とても素晴らしいコトだと思わないかい?」
金髪のイケメン男子高生は決め顔でそう問いかける。
「思う訳ないでしょうが。それで、いま暴れてるアレは何なの?」
「鷲宮が見えてるってことは、系列として邪神なのは確かだな。そうなると、十文字に任せるのが一番だろ。俺たちは尊ちゃんを保護して逃げようぜ」
「女の子1人に任せて自分は逃げるわけね」
「ったよ。さっきは無力とか言ってた癖してよぉ。――そんじゃあ柳衛ちゃんを頼んだよ」
米澤はそう言って、十文字と怪物の元へと戻って行った。
「そうだ、自己紹介がまだだったわね。私は鷲宮。そこの金髪は市ノ瀬よ。尊さんって言ったわよね。怪我はない?」
「はい。服がヌメヌメしてるぐらいです」
「それは幸運ね。ところで、その手に持っているものは何の本なの?」
「あっ、この本……」
すっかり忘れていた。あの怪物に襲われている間も手放さずに、何故かずっと持っていた。
「ベンチに置いてあったんですけど、手に取ったらあの怪物が襲って来て……」
「それが原因なのは明確ね。市ノ瀬はどう思う?」
「同意見だよ。詳しく調べる必要があるから渡してくれるかい」
そう言って市ノ瀬は柳衛に手を差し出した。
「はい」
柳衛は市ノ瀬に本を渡そうとした瞬間、本が強烈な青白い光を放ち、手元を離れて空中に浮かんだ。
「い、市ノ瀬!」
「――式神・四方結界!」
市ノ瀬が叫ぶと人型のお札が3人の前に現れて、四方に展開し光の結界を作った。
しかし、それは何の意味もなかった。本はゆっくりと柳衛に向かって進み始めて結界を貫通したのだ。
「ボクの結界が効かないのか!?」
「尊さん!逃げて!」
逃げてと言われても、すぐに足が動かなった。本は急加速して柳衛の胸に飛び掛かって来た。
「……え」
しかし、衝突して来た痛みは一切感じなかった。それもそのはず。
柳衛の身体に本が吸収されていたのだ。
「市ノ瀬どうなってるのよ!」
「ボクにも一切分からないよ!とにかく引き抜こう!」
市ノ瀬と鷲宮が柳瀬の元へ駆けつけ、同時に手を触れようとした瞬間、2人は弾かれるようにして元来た場所へ吹き飛ばされてしまった。
「っ!……尊さん、本を引き抜いて!」
「で、出来ません!首から下が全然動かないんです!」
そうしている間に、本は半分近く身体に取り込まれてしまった。
「よぉ、2人して何寝転んでるのさ」
そこへ米澤と十文字が戻って来た。
「今日はたこ焼きパーティーでも出来そうだぜ」
「米澤!そんなこと言ってる場合じゃないわよ!」
「ん、どうした――尊ちゃん、大道芸出来たの?」
「このアホ!十文字ちゃん、お願い!」
「了解」
米澤の隣にいた十文字は地面をひと蹴りしただけで柳衛の近くまで飛んできた。
「本に触れると鷲宮さんたちみたいに弾き飛ばされちゃいます!」
「……」
十文字は無言で頷くと、一歩ずつ前進していく。彼女は弾かれる場所を探しているようだった。
「十文字!」
彼女の名前を呼んだのは米澤だった。何か考えがあるのだろう。全力疾走で柳衛の元に向かっている。
彼なら助けてくれる。柳衛は希望に満ちた表情で米澤を動向を注視した。
「そんな面倒なことしてねえで突っ込めばあああああああああぁぁぁぁ――」
想いは儚く散った。
米澤が本に触れた瞬間、勢い良く弾かれて池にまで飛ばされてしまった。池にドボン!と着水したのはいいが、水飛沫が周囲に撒かれて一瞬だけザァーと雨のようになる。お陰で近くにいた柳衛と十文字はびしょ濡れになってしまった。
「何やってるのよ米澤!尊ちゃん大丈夫!?」
「大丈夫……じゃないです」
米澤が触れた衝撃で、本が身体の中に吸収されてしまった。
現状に気づいた鷲宮と市ノ瀬が走って柳衛の元に戻って来た。
「まつりん、この状況を部長にどう報告するのさ」
市ノ瀬が顔を真っ青にして呟く。
「どんな状況を私に報告するんだ?」
その声に、市ノ瀬は青を通りこして白くなった。
「頴川ぶちょぉ……」
市ノ瀬が後ろを振り返ると、黒髪ロングで前髪がお嬢様カットの女子高生が優雅に近づいていた。
「十文字、状況を説明して」
「米澤が全部悪いです」
「その米澤はどこにいるのかしら?」
「ここにいまーす」
米澤は墓から這い上がったゾンビのように泥だらけの恰好で戻って来た。
「どうしたんですか昴流パイセン」
「今回の事態は米澤が原因ってことでいいわね」
「……あれ、もしかして何かやっちゃいました?」
「やってるのよ!大問題よ!」
とぼける米澤に鷲宮が詰め寄って来た。
「あんたが変なことしなければ十文字ちゃんが解決してくれたはずなのよ!」
「そんなこと言われてもなぁ」
「そんなことだぁ?――こっのおおおぉ!」
「まつりん落ち着いて。こんなのいつものことじゃないか」
市ノ瀬が鷲宮を鎮めている。この様子だと、彼は普段から鷲宮のお目付け役と言ったところだろう。だとすれば米澤が『鳥コンビ』と呼んでいたのに納得がいく。
「とにかく!」
頴川の一声で全員の動きがピタリと止まる。彼女は部長という役割以上に権力の持った人物なのだろう。
「詳しい話はあなたに聞くわ。十文字以外は撤収。いいわね」
その言葉に鷲宮は肩をすくめてからその場を去った。市ノ瀬は柳衛にニコリと笑ってかっら彼女の後を追いかけた。
「柳衛ちゃん、今度は学園で会おう」
顔についている泥を拭ってから「そんじゃ」と手を振って米澤はのんびりと公園を後にした。
柳衛は「今度は学園」という言葉に引っ掛かりを覚えつつも、今は何も考えないことにした。
「十文字、ここで起きたことを短くまとめてくれ」
頴川は3人の撤収を見届けると、十文字を呼び立てた。彼女は頴川に10秒ほど耳打ちをすると、隠れるように頴川の後ろへ下がった。
一方の頴川は数秒の耳打ちで何があったのかを理解したようだ。一瞬だけ渋い顔をしてから頴川は柳衛に向き直った。
「さて、自己紹介がまだだったね。私の名前は頴川昴流。頴川学園超常現象検証部の部長をしている。突然だが、君には頴川学園の転入と超常現象検証部の入部を指示する」
頴川の言葉に柳衛は理解が追い付かない。
「……………………はい?」
たっぷり時間をおいても間抜けな返答をするのがやっとだった。
十数話で終わる読み切りでーす。