3.ファーストコンタクト
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2026年11月18日9:19-日本海側旧世界基準EEZ境界線外5km-
海上保安庁第八管区に属する巡視船『つるが』の船内は騒然としていた。10km先で飛び回っていた怪物が消えたと思えば、大型の飛行物体が『つるが』に時速350kmで向かって来ているのだ。
乗務員40名の命を預かる船長の吉田は管区本部指示を踏まえ、重大な決断を迫られている。
「本部からは、『戦闘機が飛来する場合には武器の使用は厳禁。必要に応じて威嚇射撃はこれを許可する。なお先方から攻撃された場合は現場海域から可及的速やかに退避。生物の場合は撃墜を許可』と指示が来ている。先ほどの飛行物体はデカイ怪物だったが、敵はどっちだ?」
吉田は敵の正体を確認する素振りを見せるが、本心ではいずれにせよ撃墜命令を出す算段であった。
射程の限られる巡視船が高速飛行物体に発見された以上、約200km先とはいえ、足の遅い巡視船では高速で迫る飛行物体から無事に退避することは不可能に近い。
頼みの航空自衛隊の支援も遅れる可能性が高い。事前ブリーフィングによると、自衛隊機のスクランブル発進は通常よりも手続きが複雑しているという。
これは、防空識別圏を含めた周辺空間における航空自衛隊の支援は、未知の周辺国に対する武力による威嚇になりかねないという高度で政治的な判断があったためだ。
つまり、未知の飛行物体から乗務員を守るには殺る覚悟を決めるしかない。
加えて、ここには政府に対する細やかな嫌がらせの意味もあった。自衛隊と在日米軍は北方における大規模な作戦計画を遂行しているはずである。
『はずだ』と言うのは、この作戦は極秘事項であり、自衛隊及び本庁高官に強いコネを持つ吉田のような人間しか知らないためだ。
そして、件の奪還計画の一環として、政府は舞鶴に配備され、力強い味方として海上保安庁を支援する第3護衛隊群を、北方に派遣してしまったのだ。
吉田の怒りはまさにここにある。異世界の地理や情勢を把握せぬまま、大した武装を持たない巡視船を前線に配備し、本土防衛の一翼を任せるなど言語道断だと言うのだ。
なるべく本土に向けて退避行動を取るが、日本のEEZ外を航海していた巡視船『つるが』は航空自衛隊の防空識別圏には到達できそうにはなかった。
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2026年11月18日9:20-防衛省地下指揮所-
E-767AWACSは日本海上で警戒活動に当たっており、巡視船『つるが』と睨み合っている未知の生物の他に、新たに7つの飛行物体を400km先の遥かなる空で確認していた。その情報は直ちに防衛省地下指揮所に送られる。
「総理、これは由々しき事態です!何としても巡視船を救わなければなりません!」
神戸防衛大臣は最高指揮監督権を持つ大泉に対して、電話越しに撃墜許可を要求していた。
本来であれば、総理大臣の大泉はこの場所に詰めておく必要があった。しかし、とある政治パフォーマンスを完遂するため、彼は指揮所を離れている。
「神戸君、言いたいことは理解した。だが、法律上の問題は?異世界国家の偵察の可能性は?」
「総理、その点は安心して下さい。手順を踏めば、違法性はありません。今回の目標は翼竜のような生物であり、福井県知事による要請に基づいた災害派遣の害獣駆除を名目として、武器使用を解禁できます。異世界国家の場合ですが、当該国との国交はないので問題ないでしょう。武装勢力であると政府見解を発表すれば良いのです!」
法務省官僚や防衛省官僚に尋ねる時間はなかったので、間に合わせの法解釈を述べた。後々問題になりかねないが、通話記録は残っていない。残されていたとしても、マイクロクロスカットのシュレッターにかける。再現は間違いなく不可能だ。ことの真相は悪魔の証明なる。
「懸念は多いが、了解した。国民を守る行動であれば仕方ない……進めてくれ」
大泉の許可が出た。出鱈目な法解釈とは別に、神戸は、今回の件が公海上における出来事であることは隠している。大泉の決意が揺らげば、巡視船の船員を見殺しにしかねない。日本国民の人命とルールであれば、日本国民の人命を優先するのが神戸であった。
「小松基地のF-15Jに出動命令……あと、『生物型の害獣であるため、警告なしの撃墜を許可する』とのお墨付きも与えてやりなさい!」
神戸の指示が指揮所内に響く。前政権時により開始されたハト派自衛官の追い落としにより、指揮所には神戸に反発する者は数名しかいない。その少数派も、口に出して反抗するほどの度胸は持ち合わせていなかった。
自衛官の異世界勢力に対するファーストコンタクトは、コーネリウス帝国に対する問答無用の先制攻撃となるのである。そして、神戸を含めたタカ派による独断は、日本を戦争の道へと確実に進めていく。
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2026年11月18日9:27-小松基地-
『福井県知事からの要請により、我々はF-15Jによる災害派遣を行う。防衛大臣の判断により、無警告の撃墜が許可されている!これは大物だぞ!帰ったらドラゴン肉でステーキだ!』
飛行班長の松下は離陸直前に隊の全員に向けて少し軽口を述べたつもりであった。だが、緊張し切った他の隊員からの返事は薄い。事務的な連絡があるだけであった。
『ノリが悪い!』
松下三佐が吠えるがやはり誰も反応しない。これだから若い連中は面白くない。だが口にすればパワハラなので口にチャックする。
緊急性の高い作戦であるため、アフターバーナー全開でF-15Jは離陸して作戦空域へと向かっている。
離陸直後に即背面で90度旋回する技を魅せたF-15J4機は全速力で巡視船『つるが』救援に向かうのであった。
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2026年11月18日10:00-日本海側旧世界基準EEZ境界線外5km-
約40分後、時速350kmで飛来してくる飛行物体が巡視船の北西10kmに到達する。
「射程に入り次第、本船左舷に近づく飛行物体に対して威嚇射撃を行う!威嚇射撃後、敵が引き返さない場合は直ちに正当防衛射撃を実施!撃墜せよ!」
吉田は怒りに任せて威嚇射撃を命令した。射程に入ると同時に、30mm単装機銃が高速飛行物体を目がけて火を噴く。射程は約5.1km。飛行物体の隊列を崩すことに成功する。
だが、正当防衛射撃を始める直前、ようやく到着したF-15Jにより、巡視船つるがの役目は終わりを告げた。度重なる海上保安庁及び航空自衛隊の要請により、防衛省はスクランブル発進を許可。
小松基地よりF-15Jが出撃し、全速力で現場海域へ駆けつけたわけだ。近年のアップデートにより無人航空機等への対処能力を身につけた30mm単装機銃は、その力を示すことなく退場することとなる。
「遅いじゃないか……」
巡視船『つるが』の船長吉田は小声で呟く。その間に、F-15Jが発射した射程70kmに及ぶAIM-7F/Mが頭上を飛び去っていった気がした。
「レーダーに反応なし……全機撃墜です!」
船内が歓声に包まれる。生き延びたことは元より、敵の実力は自衛隊の足元にも及ばないと判明したからであった。
「さて、上にはお灸を添えてやらんとな!我々は捨て駒じゃないんだから……」
吉田は海上保安庁の対応を大々的に取り上げてやるつもりだ。危うく人身御供になりかけた。これを問題としなければ、同じ目に遭う不幸な人間を増やしかねない。
「覚悟しておけよ!」
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大陸暦1890年11月18日10:05-コンスタンツ港-
「火力強化型ワイバーンからの通信途絶……撃墜された模様です!」
通信兵の報告に偶然居合わせた航空軍のネロ大佐は頭を抱える。短時間でワイバーン7匹を撃墜できるほどの戦力がコンスタンツ港より300km先の海域に集結しているのだ。
「事前の報告によると、敵は巡洋艦1隻のみだったはずなのですが……」
「囮りだ!騙されたのだ、我が軍は!」
アマンダ王国は正攻法では勝ちえない敵国であるとは教えられたが、実際に敵にすると、こうも卑怯な手を用いるのか。敵に出し抜かれた悔しさが、顔に現れるのを感じた。
「如何致しましょうか?」
「首都の航空軍司令部並びに海軍司令部に報告を……コンスタンツ空海司令部には、私が直接報告する!」
ネロは書類に事件の経過を書き起こすと、通信兵に報告の文面を渡す。そして、当の本人は急いで司令部へと向かうのであった。
数時間後、コーネリウス帝国の赤竜艦隊はコンスタンツ港から緊急出航する。アマンダ王国の侵攻を阻止するためだ。