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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

七重に巻かれて一廻り

作者: 西脇 徳利

お久しぶりの方はお久しぶりです。初めましての方ははじめまして。趣味に合うかわかりませんが、合いましたら幸いです。

 燃える部屋から逃げ出てきた私は、家の中から物言わぬ姿で出てくるだろう兄を思った。私にとって兄はたった一人、あの兄しかいない。他にはいない、代わりもいない、そんなただ一人の兄を私は焼き殺したのだ。

 フードを目深に被り、下を向きながら自分の顔を手で覆った。涙が零れ落ちるのを止めるのではなく、自分の変貌を誰にも悟られない様に手の感覚で確かめていた。まだ、頬には鱗が少し残っている様だった。

 私は今日、祖母から聞いていたお伽話が本当だったと知った。私は、裏切られると頭から火を吐く大蛇に変貌する事ができる人間だった。

 祖母の出身の和歌山県には安珍清姫伝説という伝説がある。その類話は多岐に渡るが、あくまで最もよく知られた安珍清姫伝説のみをざっくり説明するならば、安珍という若い僧が清姫という女の子を裏切り嘘を吐き、怒った清姫が変貌した大蛇に焼き殺される話。類話では僧に名前がなかったり、清姫ではなく寡婦だったり、色々あるがそれらは伝わり方が異なる為に内容が変わったものもあるかもしれないが、祖母が言うには実話だという。

 清姫の一族は白蛇が祖先にいるとかでそうなるらしく、類話で語られる人々も私も同じ白蛇の血を引いているという。

 祖母からは、他人を信用してはいけないと言われて育ってきた。でも母は、そんなのは迷信だと言っていたから、私もおばあちゃんは少しだけおかしな人なのだと思って生きてきた。

「迷信であって欲しかったなぁ……」

 ぽつりと、口から言葉が漏れた。

 焦げ臭い匂いがする、タンパク質の焦げる匂い。それらきっと兄の体が燃える匂い。それがやけに鼻をついた。

 もしも私がこんな体質ではなかったら、兄は死んではなかったかもしれない。そう思うと私は自分の身を火の中に投げ出したくなったが、火に近づこうと歩き出すと消防隊員に止められてしまった。

「人を信じてはいけないよ、人を心から信じて裏切られ、感情のままに振る舞ってしまうと、大蛇になったまま戻れなくなってしまうからね。心が獣になって人に戻れなくなってしまうからね。ほんの少し残った理性で入水自殺した清姫様の様になってはいけないよ」

 祖母の言葉が頭を過ぎる。祖母は頬に大きな傷跡があった。今ならわかる、それはきっと戻らなくなった鱗をむりやり削いだ跡。祖母は戻りきれなかったのだ。

 ふと、本当に自分はこの能力があったからこそこうなったのだろうかと疑問に思った。

 私はこの能力がなくとも兄を殺したのではないだろうか。兄は私を裏切った、兄は私をきっと家族としてさえ見ていなかった。火を吐けずとも私は、兄を殺していたんじゃないだろうか。

 私は昔から兄が嫌いだった。でも兄が好きだった、尊敬していたし私にとって大切な人の一人である事は疑い様もなかった。私にとって兄は二種類の相反する感情が向かう相手だった。

 私の家は六人家族だった、祖母と母と父と兄と私と弟、そんな家族構成だった。祖父は物心つく頃には火事で亡くなっていた。

 兄は優秀だったが、あまり兄らしい兄ではなかった。ケーキを分ければ一番大きくて美味しそうなものを自分の為に取ろうとするのが兄で、弟も同じ、私は全員が一番満足いく様に一歩引くのが通例だった。八個しかないものを分ける時には私が二個、両親と祖母が用事でいなければ家事は私が主にやった。

 兄と弟は運動が得意で、私は運動が苦手で、兄と弟は外向的で、私は内向的で、小学校の頃には兄と比べて成績がよくないという話をよく誰かから聞いたものだった。

 でも別に、私が劣るからだけが理由で兄を嫌いになったんじゃない。それは私が兄を嫌う理由の一つとして絶対に外せないけれど、だけども、それだけで兄が嫌いだと言えるほど薄情でもない。

 誰かが私を兄と比べから嫌いになった。ずっと、ずっとそうだった。

 できる兄と、やればできるだろうにやらない妹、そういう扱いが嫌いだった。努力をしない、やる気がない、できるのにやらない、やろうとしない、やっても適当にやってふと途中で別の事に意識を向けたりする。あの兄の妹だからできないはずがないのにと。

 集中しろとか、やる気出せとか、手を抜くなとか、耳にタコができるほど言われた。そしてそこに、兄はできるのにという言葉もまた聞き飽きるほどついてきた。

 私は、手を抜いていたつもりはなかった。やろうと意気込んで取り組んでいた筈だった。集中しようともしてはいた。

 でも、それを言うと、本気を出さなすぎるから、本気の出し方がわからないのだ。それはお前の怠慢のせいだと言われたり。お前にとってあるつもりでもやる気が足りていないんだと言われたり、集中なんて誰でもできるのだから、できないなんてことはないのだよと言われたり。努力が足りないのだと。

 兄も同じ様な事を私に言った。兄が自分から相談に乗ってくれるような事もあったが、それは要約すればいつだって、努力とやる気が足りない。お前は怠けている。どうしてそんなにやる気を出せないんだと責めるだけだった。

 私はずっと、自分はどうしようもない人間だと思って生きていた。人が当たり前にできる事をしようとしない怠け者なのだと。親身なアドバイスをもらってもそれを活かせない怠け者なのだと。

 中学校に上がる前に頑張る事自体を諦めた。少なくとも誰かに見える様には頑張ろうとしない様にした。そうすれば、あいつは頑張ろうとしないやつだからとそもそも期待をかけられない。期待されなければ辛くもならない。

 また、兄と比べられにくい様にも動いた。兄が運動部に入ったから、運動部には入らなかった。兄が普通科に進学したから少し特殊な科のある高校を目指した。兄が大学で理系になったから、私は大学受験をやめて専門学校を目指した。

 兄はその間ずっと自慢の兄でい続けた。高校の偏差値も高く、部活では都内ベスト4とか。同時に、私にとっては嫌いな兄でもあり続けていたが、私は人に兄の事をただ悪く言う事はしない様にしていた。家族として大切に思っているし、大切にしているなら悪く言うものではないと思っていた。

 勉強も優秀で運動もできて、顔もそれなりにいい方だと、私はそう思っていたし、話す機会があればそうやって話していた。

 優しくされた覚えはほとんどなかった。自分から相談に乗ろうとしてくれる時の兄は大抵威圧的だった。一度だけ、兄の受験期に私がノロウィルスか何かで苦しんでいた時に、体調が悪化し続ける私に、救急車を呼んだ方がいいと言ってくれたのは兄だった。病院に行くと、私はノロウィルスのせいで脱水症状が出て危険な状態だった事を知った。

 同じ受験期に私の部屋に突然椅子を投げ込んできた事があった。理由はわからなかったが、その何ヶ月か後には壁を殴って穴を開けたりしていたので、気が立っているなら仕方がないのかなと思っていた。

 私が同じ歳になってもそこまでイライラはしなかったが、それもきっと私が怠け者だからなのだろうと思った。

 転機は私が専門学校にいる時の事だった。大人のADHDというものをテレビで取り上げているのを母が見て、私の事ではと言ってきた。

 私は忘れ物もよくしていたし、不注意を叱られる事も多かった。何より、就活の時に履歴書一枚書き上げる間さえも集中できなかった。集中できてもどっと疲労して、一日に一枚の履歴書を書くのが限界だった。私の通っていた専門学校やその先の就職したい業種では高い注意力が必要とされるものだったから、私は渋々精神科を受診した。

 結果、私は多動性注意欠陥障害と診断された。その中では比較的多動性が弱く、特に注意力に難があった。つまり私は生まれつき、他の人と同じ様には集中できるわけもなく、他の人と同じ様には努力ができない。そういう人間だった。

 それがわからなかったのは、私の多動性がわかりやすいほど強くはなく、突然席を立ったり走り回ったりはしないが、じっと何もせずに式典中座ってはいられない程度の軽微なものであったからだった。

「この数値で大きな問題なく来れたのは、あなたが他の人の思うよりもずっと頑張ってたからでしょう」

 私の知能検査の結果から、私の特徴を述べる中でさらりとそう言われた時、私は少し救われた気がした。

「現時点で困っていることもありますし、知能指数の最大が120を超えるのに最低は80近い、この振れ幅の大きさならば、手帳を取得することを考えるのも手だと思います」

 そうも言われた。それはいわゆる障害者になるという事だが、差別や偏見が怖くて保留した。

 兄や弟は結構口が悪くて、よく話が通じない相手にシンショウやガイジという障害者を揶揄する表現を使っていた。私は、色んな人から揶揄されたり逆にやけに哀れまれる存在になるのが怖かった。

 家族が揃った食卓で、その事を相談してみた。兄は何も言わず、両親と祖母はそれぞれにアドバイスをくれた。弟は何も言わなかったが、その日からシンショウとかガイジとかいう表現を使わなくなった。相変わらず口は悪くてすぐに死ね死ね言っていたのは変わらなかったが。

 次の日、兄が私の前で友人と電話しながらシンショウという言葉を使ったのを見て、私は手帳を取るのをやめた。兄には私の前ではその言葉を使わないで欲しいとお願いもした。うっかり出てしまっただけで、自分の事を大切に思っていない訳ではないのだと、私はそう思い込んだ。

 それから、私は就職を一度諦めて、文転して大学受験をした。私の付きたい職種では注意力の欠如は致命的で、死人が出る事も考えられたから諦めるしかなかった。

 薬を飲み、自分の特性をわかっての受験勉強は、それまでの勉強に比べてひどくやりやすかった。物事に取り組みやすくなって、文転したし、高校を出てから二年も間が開いていたのに、偏差値は気がつけば高校在学時よりも上がっていた。

 大学に入学して少しすると、兄は就職して家を出て行った。

 そして、さらに一年経った四月初めの今日、偶々兄は休みを取って帰って来た。父は仕事の付き合いで、母は祖母が入ったホームに行って、弟はまだ高校生だから、家には私しかいなかった。

 兄はなにげなくテレビで、某大学の入学式のニュースを見て、受験の事を思い出したらしかった。

「そういえば、俺の受験の時にお前がノロにかかった事があったよな」

「あの時は、受験の邪魔をしてごめんね」

 私が言うと、兄は本当だよと続けた。

「長引かせるものだから、家から追い出す為に救急車を呼んだりしなきゃいけなかった」

 さらに二言三言付け加えたが、兄の口から、私の体調を心配していた様な言葉は出てこなかった。受験における不安や焦燥しかその時の兄の頭にはなかったのか。そう思うと何かが崩れていく気がした。

 私が黙っていると、兄は何か不思議に思ったのか、へらへらと笑いながらさらに言葉を続けた。

「おーい? どうした? 話通じないのか? ガイジか?」

 私の事なんてただ興味がなかったんだ。そう、悟った。こっちは常にその存在に縛られているのに向こうにとっては気が向いた時だけ注意を向ける、そんな程度のものでしかなかった。

 勝手に期待して勝手に裏切られて、私は滑稽な存在だった。身体が大蛇に変貌してしまうのには初めてのことであるにも関わらず、数秒とかからなかった。

 私は衝動のままに兄の体に巻きつくと、その全身を何かが折れる様な音が何度も聴こえるまで力を込めて締め上げた。

 兄が死にかけのセミみたいに仰向けにしかなれなくなったのを見て、私は口から火を吹きかけた。

 私は兄が嫌いだった。だけども兄を信じてもいた。けれども兄は、私の事なんてどうでも良かったのだ。妹の特性もそれにどれほど苦しんでいたのかも知らないし知ろうとしない、どうでもいいと思っていたのだ。

 カーペットに火がついたのを見て、私はふと正気に戻った。そうすると体の方から人に戻っていった。消防と救急車は自分で呼んだ。

 兄が倒れていると、家の中で出火しているが消火器もないと。通報している間にもカーペットはよく燃えて、兄の服にも引火した。

 私は兄の顔を見られず、バケツに水を汲んでかけたりもしたが、大して効果がないようで、炎は消したいという私の意思に反して大きく燃え上がり続けた。

 消防車が来る頃には部屋の中はほぼほぼ炎で満たされていた。

 私が大蛇に変わらない人間だったら、兄は死なずに済んだだろうか。それともやはり、殺してしまっただろうか。

 自分の顔を覆う手に、冷たいものが触れた。それは少なくとも鱗ではなかった。もっと違う感情の表れだった。

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