じめじめとした空気が体に張り付いているようで
彼は大量の魔力を有していた。
光属性以外の物なら、大抵の魔法を使うことが出来た。それも呪文なしで。
どうにもその魔法は我々の使っている物とは、種類が違う気がするのだ。
そして、赤い瞳に黒い髪。
もしかしたら彼は……。
いや、そんなことはどうでもいい。
彼は真っ直ぐで、天然で優しい青年。それだけでいいじゃないか。
それ以外のことに何の価値がある。
私が見て感じたこと。それが全てなのだ。
✱
真っ赤な夕焼けの時間。
けれどもその赤さはここでは分からない。そんな地下奥深くに私はいた。
じめじめとした空気が体に張り付いているようで気持ちよくはない。
大きな鏡の前に立ち、上の服を脱いだ。
白い肌に浮かぶように埋め込まれている赤黒い石。
その石を中心として黒い文様が刻み込まれていた。
やはり。
昨日よりも広がっている。
何故?
この石は罪の証だ。
罪を犯した我々は、相応の罰を受けた。
この石は憑りついたものに対して根を張り、その命を吸い取る……というものらしい。
これは脅しとして埋められた筈だ。
もしまた妙なことをしたら、その石を使い、お前を死に至らしめる、というような。
事実、これまではこの石が動いているような形跡はなかった。
何時からだ?
……分からない。気付いたらこうなっていた。
何故?
何故今頃?
私は何かいけないことをしてしまったのだろうか?
今までの行動を振り返ってみるが、身に覚えがない。
いや、考えるだけ無駄か。
考えたところでその真意がわかるとも思えない。
あの時も突然だった。
彼らは今何をしているのだろう?
元気だろうか?
まあ、これも考えたところで意味はない。
それよりも、だ。
文様が全身に行き渡った時、死ぬ。と言われている。
この進行具合からすると長くはもたない。
私は死ぬ。
死ぬのだ。
とは言え、痛くも苦しく、実感が湧かない。
私が死んだら……まあ、神父はまた新たな者が教会から派遣されるだろう。
孤児院は、イルシオンに任せて……。
彼だけだと頼りないところはあるが、そこは子供たちが何とかしてくれるだろう。仲は悪くないようだし。
後は……、後は特にないな。
死ぬからと言って、特に思うこともない。
実感が湧かないからだろうか。
あの時に、私は大切なものを奪われてしまったのかもしれない。
今の人生は惰性だ。
ただ生きているだけの。
ああ、なら終わってしまっても構わないか。
だから神が終わらせてくれたのかもしれない。
嬉しくない。
悲しくもない。
理不尽だとは思わないこともないが、まあ世の中そんなものだろう。あの時、理解したことだ。
もはや、怒りもわかない。
でも、ああ、子供と彼のことは心配だ。
それだけが少し心残りかもしれない。
✱
くしゅん。
ああ、鼻がムズムズする。昨日半裸のまま考え事をしていたからだろうか?
「神父様、風邪ですか?」
心配そうにこちらを覗き込むイルシオン。
「うーん。そうかもしれませんね」
仕方なく、内容があまり入ってこず同じページが開きっぱなしだった本を閉じる。
本棚にしまおうと立ち上がった途端、ふわりとした浮遊感を覚え、気づいた時には体がぐらりと揺らいだ。
何とか踏ん張ることで、転ぶのを未然に阻止する。
「大丈夫ですか?休みましょう」
慌てて駆け寄ってくるイルシオン。
「これぐらい問題ないですよ」
本棚の方に向かおうとすると、本を強奪された。
何をする。
取り返そうと手を伸ばすが、宙を掴む手。
「駄目です。休みましょう」
イルシオンにしては珍しい、有無を言わせないような口調に、思わず呑まれる。
その僅かな間に腕を掴まれ、引っ張られた。このままベッドに連れて行くつもりなのだろう。そう理解していたものの、何故か手を振り払う気にはなれず、そのまま連行されたのであった。
✱
「はい、あーん」
「いや、自分で食べられますから……」
どうやら、シーナが牛乳粥を作ってきてくれたらしい。それはいいのだが、いいのだが……。
何故、食べさせようとする。
この年で少女にご飯を食べさせて貰うのは、羞恥以外の何物でもない。
「はい、あーん」
そんな私の心境を知ってか知らずか、笑顔で同じことを繰り返すシーナ。
笑顔が迫ってくる。恐ろしい。
顔を逸らしてみるもののあまり効果はない。見えていなくても何故か笑顔の視線を感じるのだ。
ついに私の方が観念し、口を恐る恐る開けるとスプーンを押し込められた。
もごもごと口を動かす。
おいしい。
おいしいが……。
またもやスプーンが突き出される。
その手をたどると見えたのは笑顔。
そしてまたあの言葉を放つのである。
「はい、あーん」
何故彼女はそこまでして、人にものを食べさせたいのか。
そもそも物を食べさせたいなら子供に行えばいいのである。
何故、私に。
そんな事を考えている間にスプーンは目の前まで迫ってきていた。
止む無く口を開ける。
その繰り返しだ。
何度か繰り返すうちにまあ、こういうのも悪くないか、と思えるようになった。
なんだか、シーナも嬉しそうだしな。うん。
✱
コンコン
扉がノックされた。子供たちの中で私の部屋に入るのにノックをするような子がいたかな?と疑問に思いながらも声を掛ける。
「どうぞ」
コンコンコンコンコンコン……。
ドアは開かずノックの音が鳴り続ける。だんだんとノックの間隔が狭くなっている。
これは開けてほしい、ということなんだろうなぁ。
さて、何を持ってきてくれたのかな、と思いながら、ベッドから起き上がり、ドアを開ける。
ヘネラが立っていた。
バケツを重そうに抱えている。
中身は……大量の氷?
まあ、ほんの僅かに熱が出ているようだから、冷やすための氷なのだろうということは分かる。ただ、何故そんなに大量に?
「ふう」
バケツを机に置き、額を拭うヘネラ。いや、まあ、お疲れ様。
「ほら、氷持ってきてやったぞ!」
胸を張る彼は褒めてほしそうだ。
「ありがとうございます。然しなぜそんな、大量に?」
「イルシオンの奴が張り切りすぎたみたいでなあ。俺はこんなにいらないって言ったんだけど、全部持って行った方がいいって五月蠅くてよ」
なるほど。それで全部持ってくるとは。いつの間にか二人とも仲がよくなったらしい。良いことだ。
「せっかく全部持ってきたんだから、全部使ってやるぜ!」
「え、一個でいいですよ。あんまり多いと風邪悪化しそうですし」
ヘネラは無言で氷を詰め込んでいる。
無視か。そうか。
風邪であまり集中できなくとも簡単な魔法ぐらいならば使えるのだ。
「荒ぶ雷よ、我の怒りを、代弁したまえ」
バチッ。
「痛てっ」
静電気程度の電気を食らったヘネラは、慌てて氷を手放す。
「何すんだよ!」
「そんなに氷は要らないです」
「いいだろ!俺せっかく神父様のこと思ってやったのにその仕打ちはないだろ!」
この人でなし!と顔を顰めるヘネラ。
……ふむ。
「そうですか……私の為だったんですね、それはすいません」
「分かりゃいいんだよ、分かりゃ」
どこかほっとしたような表情で、またもや氷入れを再開し始める。だから何度ももう必要ない、と言っているのに……。
「ところで、ヘネラくん」
「なんだ?」
と答えるも腕は止めない。こちらを見向きもしない。
「口うるさい神父がいない生活はそんなに楽しいですか?」
ギクリ、と肩を震わせるヘネラ。
やはりそうだ。
どうもヘネラは私の風邪を長引かせたいらしい。
この糞ガキ……と怒鳴りたくなる気持ちを抑えこみ、笑顔を向ける。
にも関わらず、何故かヘネラは後退り、私から距離を取った。
そして扉の前まで来ると、ひらりと体を翻し脱兎のごとく逃げていった。
予想外すぎて、しばらく呆然とドアを見つめていた私だったが、落ちている氷袋を拾い上げ、首の下に置く。
うん。気持ちいい。
さて、風邪が治ったら、あのクソ餓鬼にどんなお仕置きをしてやろうか、なんてことを考えるうちにの眠りの底へ沈んで行った。