思わぬ伏兵
「あの……よかったらこれ」
男はおずおずと少年に袋を渡す。
「あ?」
少年は受け取った袋を不審そうに見つめる。
「これは……?」
「クッキー」
少年が袋を開けると確かにクッキーが入っていた。
隣にいた男の子が袋を覗き込もうと背伸びを始めたので、しゃがんで袋の中身が見えるようにしてやる。
「わあ、おいしそう……」
シーナからヘネラはクッキーが好きだと聞き、彼女に手伝ってもらいながら男が作ったものだ。これで仲良くなろうというのが男の狙いなのだろう。
「……で?こんなの貰っても、俺はお前のこと、認めねーからな」
と言いつつも袋の中のクッキーを取りだし、口に入れる。
男は期待のこもった眼で少年を見た。
サクサクとクッキーを租借する少年。
少年は欠けたクッキーをじっと眺め呟く。
「おいしい」
その言葉を聞き逃さなかった男は小さくガッツポーズをした。
その様子を見て何故かいらいらしてくる少年。
「おいしい、けど。これ餌付けだよな?」
思わず、こんなことを言ってしまう。作って貰っておいてその態度はないだろう、と流石の少年も思ったが、言ってしまったものは仕方がない。何を言われてもいいように覚悟を決める。……が、何の言葉も返ってこない。
男の方を向くと頭を下げられた。
「えっと、ごめん。そういうつもりは無かったんだけど……。ごめん」
予想外の反応に少年は固まる。
数秒後、ものすごい罪悪感に苛まれた。まるで弱い者いじめをしているような気分である。
「いや、俺も言い過ぎた……っていうか、その……ありがとう」
「え?ごめん。最後の方聞こえなかった」
罪悪感があったから素直になれたものの、声は徐々に小さくなり、最終的には蚊の鳴くような声になっていた。
それを自覚していたが、こいつはまた俺に恥ずかしいことを言わせるつもりなのか、と心がささくれだつ。
「何でもねえよ!」
乱暴に言い放ったその時、ちょいちょいと服を引っ張られるのに気付く。下を見ると男の子が少年をじっと見ていた。
「ぼくも、クッキー食べたい」
あー!もう!と少年は頭をかきむしり、クッキーを乱暴に手渡す。
男の子は嬉しそうにクッキーを受け取った。
口いっぱいに頬張り、栗鼠のように頬を膨らませる姿は愛らしい。
そんな三人の姿を温かい目で見守っていた神父がパンと手を叩いた。
「そうだ。三人にお使いを頼みたいのですが、いいですか?」
「は?なんで俺がこんなやつと……」
「お使いついでに村の紹介をしてほしいんです」
この世にある苦いものすべてを口に押し込まれたかのような顔をする少年だが、クッキー、貰ったんでしょう?と微笑まれ黙り込む。
神父はおとなしくなった少年を見て満足そうに頷いた。
「じゃあ、決まり、ということで。これお願いしますね」
神父は嬉しそうに、少年へメモを渡した。
✱
三人は教会を出て、道を歩いていた。
その最中、少年はずっとイライラしていたようで、男は彼に話しかけることが出来なかった。
男の子に話しかけようにも、彼は少年を挟んで向こう側にいる。話しかけにくい。
結果、会話が生まれることもなく、黙々と目的地に向かっていた。
男の居心地な悪さ限界を迎えそうだった時、救いの手が差し伸べられる。
「イルシオンはヘネラのこと嫌い?」
「そんなことないよ!大好きだから!」
話しかけてもらえた嬉しさのあまり、いらないことまで口走る。
「大好きってなんだよ!気持ち悪い」
「え……ごめん……」
男はがっくりとうなだれた。
男の子は少年を、ジトッとした目で見る。
少年は俺は悪くない、というように目を逸らした。
男の子はやれやれと男をつんつんつつく。
「でもさ、ヘネラからは嫌われてるのに、大好きって言えるのはすごい」
慰めのつもりなのだろうが、男はさらに落ち込んでしまった。
限りなく事実に近いものであったが推測は事実ではない。ほんのわずかにしても嫌われていない可能性が捨てきれていなかった男の希望は今ぶった切られたのだ。
思わぬ伏兵もいたものである。
流石の少年も男のことが哀れに思い同情的な目線を向けていた。
が、この男、落ち込むのも早いが切り替えも早い。
これから仲良くなればいいではないか、と思いついたようである。
「そもそもヘネラ君は何故僕のことが嫌いなの?」
「何故ってそりゃ」
「ヘネラはシーナが好きなんだよ」
「え?どういう?」
「おい!」
謎の暴露をした男の子は少年にパチン。とでこピンをされた。
男の子は涙目にはなっているものの、泣かないようおでこを押さえ、耐えている。
「シーナが好きだから、シーナが気にかけているイルシオンが気に食わないんだ」
「おい!」
またもや少年はでこピンをしようと男の子に詰め寄るが、間に男が割り込んできた。
「すごい!僕応援してるからね!手伝えることがあったら何でも言って!」
少年の顔をじっと見つめ詰め寄った。
「お、おう」
その勢いに思わず、後ずさる少年。
ジリジリと近寄る男。その様は獲物を追い詰める肉食獣のようだ。厄介なのは本人にその自覚がないことだろう。
しばらく続いた攻防は
「ねえ、早くいこうよ」
という男の子の冷え切った一言で終わりを迎えた。
✱
「おっ!今日も来てくれたのか!じゃあ、宜しくな」
ついてそうそう、おじさんに話しかけられた少年。
「おう!任しとけ!」
と返事をすると、バケツを持って、駆け出した。
何をするつもりなのか、と疑問に思いながらも、大人しくついていく男。
と男の子。
少年が立ち止ったのは牧場の前だった。
中では複数の牛たちが自由に歩き回っている。
少年は男についてこい、というと牧場の中に入り、適当な牛に近寄った。
しゃがみこむと、付け根を親指と人差し指で絞り込み、牛の乳を搾る。
初めの1、2回はバケツを置かずに。
それ以降は、牛の腹の下にバケツを置いて作業をした。
男は少し離れたところからその様子を見ている。
暫くすると、少し乳の入ったバケツを男に突き出した。
「見てただろ?やってみろ」
男は神妙な顔で頷く。
「ほら、あの牛も乳牛だから」
と一匹の牛を指差す。
バケツを受け取りそろりそろりと男が牛に近寄る。
「モー!!!!」
牛が物凄い勢いで駆け出した。まるで命の危機が迫っているかのような逃げっぷりである。
唖然とした顔で牛を見る三人。
男は憮然とした顔でほかの牛にも近づいてみる。
だが、男が近づいたと同時に逃げ出す牛たち。
「ねえねえ」
男の子は男の服を引っ張る。
「がおーって言いながら、走り回ってみて」
男は拒否しようとするが、男の子に期待のこもった眼で見つめられ、引くに引けなくなる。
バケツを地面に置き、大きく息を吸う。
「が、がおー」
やけくそになりながら走り回る男。
モーゼの樹海のように羊たちは逃げ惑う。
その様子を見て笑う男の子。
少年はムスッとしているが、口元が僅かにひくついている。
堪えきれなくなったのかプッと噴き出した。
✱
「はあ、はあ……」
両手を膝にあて、しゃがみこむ男。
「……とりあえず、お前はあっちで掃除でもしてて。邪魔だから」
ひとしきり笑い、落ち着きを取り戻した少年はしっしと男を追い払う。
「う、うん」
しょんぼりとしながら男は牛のいないところへと去って行った。
「ちょっといいすぎ、だとおもう」
「仕方がないだろ?実際邪魔なんだし」
「うんまあ……」
腕を組み鼻で笑う少年に何とも言えない顔をする男の子。
「でも、いい人だよね」
今までの少年の態度を咎めるような問いに、まあ、と言葉を濁らせる。
「僕、二人が仲良くしてくれると嬉しいなあ」
チラチラと少年を見る男の子。
思いっきり目を逸らす少年。
見られることに耐えられなくなった少年は話題を逸らす。
「しかし、何であいつ牛にあんなに嫌われててんだ……?」
「さあ?」
ご先祖様が牛に悪いことをしたのかもしれないね、と真顔で言う男の子に少年はうーんと首をひねった。
✱
部屋の中で呆然と立ち尽くす三人。
それもその筈。部屋は埃だらけで、蜘蛛の巣が所々に張っていた。
先程の牧場では牛の世話のお礼に牛乳が貰えた。
今回は、野菜を分けて貰いに来たわけだが、その代わりに、とお願いされたのがこの部屋の掃除である。
倉庫として放置してあったが、娘夫婦が引っ越してくる為、綺麗にしたいのだとか。
「さて、掃除するか」
少年は布をぎゅっと握り、気合を入れるかのように呟く。
あのごみ山の隙間には虫が潜んでいるかもしれない。そう思いながら、近づこうとする少年を男がとめた。
「いい方法思いついたかも。ちょっと待って」
男は目を閉じる。
すると、小さな風が巻き起こった。風に吹かれたゴミや埃が部屋の端に集まる。
「すごーい!」
男の子は嬉しそうに風の動きを見ている。
「水拭きも出来る?」
「うーん。どうだろ」
再び男が目を瞑り集中する。すると複数の布がふわりと浮かび上がり辺りを拭き始めた。
布だけが動いている姿は何とも不思議な光景だ。
「できたね」
「できたね」
顔を見合わせた二人はイエイとハイタッチした。
「いやいや、イエイじゃないよ。ちょっと待て、え?なにこれ。お前どうやったのこれ」
今まで呆然と見ていた少年は、男にグイッと詰め寄る。
「え?どうって。綺麗になーれって感じ?」
「なんだよそれ!そんなわけねーだろ!」
興奮気味の少年は男の両肩を掴んだ。ぶんぶんと男の体を揺さぶる。
「落ち着いてー。イルシオンが可哀想ー」
男の子の声にはっとし、慌てて男を開放する。
「まあ、いいじゃん。部屋綺麗になったし」
「そうそう」
にこにこと微笑む二人に、少年は眉を顰める。
「いい、のか……?」
混乱している様子の少年の呟きは誰に届くこともなく消えていった。
✱
「そういえば、掃除のとき、なんであんなに慌ててたの?」
全ての用事を終えた後、夕飯の準備を手伝ってくる、とどこかに行ってしまった為、ここに男はいない。
どこに行くでもなく適当に歩いていた少年は立ち止まる。
「俺達人間が魔法を使うときって、ほかの何かに力を借りてるんだよな。でもあいつのは、違うっていうか。まるで自分の手足でも使うかのように魔法を使ってたからさ」
「それって凄いことなの?」
そう尋ねる男の子の顔はオレンジに染まっていた。
「凄いとか、凄くないとか、そういう次元の話じゃないっつーか」
答える少年の顔もオレンジに染まっている。
少年は視線を落とし、道端に生えていた草をぐりぐりと踏みつけた。
「なんだろうな、イルシオンが、こう、別の世界の住人、みたいに思えて……」
なんかよく分かんねえけど、とさらにぐりぐりと足に力を入れる。おかげで地面は軽く抉れていた。
「それってイルシオンのこと心配してるってこと?」
隣にいた男の子はぴょんと飛び、少年の前に移動する。
「な」
「名前呼んでるし、少しは認めてるってことだよね」
ね?と上目使いで首を傾げる男の子に喉を詰まらせる。
「別に、あいつのことは嫌いじゃねーし。ま、まあ?少しは役に立つんじゃねーの?」
ぼそぼそと呟く少年の顔が赤く見えるのは夕日のせいだけではないだろう。
「それならいいんだ」
男の子は満足したように歩き始めた。
慌てて追いかける少年はその後ろ姿にふと疑問を投げかける。
「なんでそんなに俺とあいつ仲を気にするんだ?」
「友達に友達が増えたら嬉しいでしょ?」
そういって男の子は照れ臭そうに微笑んだ。