ゆらゆらと揺れる炎
「ねえ、僕は何をしたらいいと思う?」
男がまだ小さな子供に尋ねる様は少し滑稽だ。しかし、男がそのことを気にしている様子はない。それどころか、かなり真剣な表情をしている。
このまま何もしない居候として居続ける訳にもいかないので男も何かをしようと必死なのだ。せめてご飯の準備くらいは、とキッチンを覗いたわけである。
そんなことを知る由もない少女の中で男は年で差別をしない、誰にでも真摯な対応を取る人物としてインプットされ、少なからず好意的に思われていた。
「じゃあ……これ洗って皮をむいてください」
茶色の丸いものがいくつか入った籠を男に渡した。
「これは?」
「じゃがいも。スープに入れるんです」
「へえ……」
手に取ると思ったよりごつごつとしているのがわかる。芋には土がこべりついていた。
男は籠を流しに置くと、目を閉じる。
すると空中から魔法陣が浮かび、水が流れ落ちた。
「すごい!イルシオンさんも魔法が使えるんですね!」
少女はキラキラと目を輝かせる。
「も、っていうのは……?」
男は芋をごしごしと洗いながら問う。
「神父様と、あとはヘネラ……あ、あの一番大きな男の子は火の魔法を少し使えるんです」
「へえ、そうなんだ」
たしか気の荒そうな少し怖いこだったっけな……。神父様とけんかしてて……とここまで思い返した所で男は手を止める。出会った時に言われた言葉が気になったのだ。
「そういえば、僕、嫌われてるのかな……」
目を伏せ、はあ、とため息を吐いた。
少女に宛てた訳でもない消えてしまいそうな独り言。
然しそれを少女は拾っていたようで、
「そんなことないと思いますよ。誰に対してもあんな感じですし……」
肉を切り分けながら、フォローを入れる。
これではどちらが年上なのか分からない。
「だといいんだけど……」
再び手を動かそうとして、芋を洗い終わったことに気が付く。
男は少女の方をちらりと見て、芋をじっと見つめる。
暫くした後、また少女の方を見た。今度は丁度肉を切り終わった少女と目が合う。
「あ、えっと、これ、次、どうしよう……?」
「え?……あー、もしかして料理したことなかったんですか?」
「うん……いや、本当にごめんね。手伝うはずが逆に邪魔してる……」
しょんぼりとする男。
もしかしたら彼は元は貴族だったのかもしれない。それなら、料理が出来ないのも納得できる……と少女は思った。
「今から覚えればいいだけの話ですから、そんなに落ち込まないでください」
あまりにも男が落ち込んでいるので、少女はなんだか悪いことをしてしまったような気持ちになっていた。そっと肩を叩くと男はがばっと顔を上げる。あまりにも急な動きだったので少女はビクリと肩を震わせた。
「覚えればいい、ということは教えてくれるの?」
男は少女を驚かせたことに気づいていないのか、その目は期待で満ちていた。
「当たり前です。私に任せてください!料理は得意ですから!」
少女は、左腕を上げ、力こぶを作った。少女の細腕ではほとんど筋肉は盛り上がらなかったが。
「ありがとう!」
礼を言いながら、少女の両手を握りぶんぶんと降る。
「あの、えっと名前……なんだっけ?」
「シーナです」
「シーナ先生!!」
「え?先生?」
困惑する少女に男は畳み掛けるように言う。
「教えてくれるので先生ですよ!あ、なので敬語はいらないです」
かなり興奮しているのか早口だ。
「いや、イルシオンさんも敬語……」
「呼び捨てで!」
「……じゃあ、イルシオンも先生と敬語はやめてよ」
ムスッとした顔の少女。
「えー。でも先生だし……」
同じく不服そうな男。
暫くにらみ合う二人。
「じゃあ、私も敬語に……」
「わかった。先生と敬語はやめる」
少女は即答した男をみて満足げに頷いた。
「じゃあ、皮むきだけど、まず見本を見せるわね」
そういって、じゃがいもを一つ取り出すとスルスルと皮をむいていく。その手際の良さは流石、孤児院の毎日のご飯を作っているだけのことはある。
男はその様子を微動だにしないでじっと見つめていた。まるでその動きをコピーするかのように。
ポトリ。
水の入ったボウルに皮のむけたじゃがいもを入れる。
「次は一緒にやってみる?」
「いや、多分一人でできると思う」
「ふーん」
見ていると簡単な作業に思えるが、ごつごつとしたじゃがいもの皮をむくのは意外と難しいのだ。まあ、初めてで自分でやってみたくなる気持ちは分からなくもない。一度失敗してその難しさを知るのも悪いことではないだろう……そう思ってじゃがいもを渡した少女だったが……。
予想に反して男は手際よく皮をむいていく。それも少女と同じぐらいのスピードで。
少女がここまで包丁の扱いが上手くなるまでに何年もかかった。それを、この男は見ただけでできるようになってしまったのである。釈然としない少女。だがそんな思いもすぐ吹き飛んだ。
「やった!出来た!これどうかな?」
男がじゃがいもを持ってきたのだ。その心底嬉しそうな様子に、もやもやしている自分が馬鹿らしくなったのだ。
「いいんじゃないかな?上手だと思う」
「ほんとに?やった!褒められた!」
✱
男は呑み込みがかなり早く、少女がやって見せただけで、まったく同じことが出来る。
そのため、料理の支度はいつもの二倍の速さで進んでいくことになった。
それを陰から見ていた少年は慌ててドアを開ける。
「ご飯の準備進んでるか?火なら俺がつけてやっても……」
ばあん!とドアを開け、得意げな顔で登場……
「あ、別にいいわよ。イルシオンが手伝ってくれるし」
したが、少女に冷たくあしらわれる。
「……は?」
「だから、イルシオンにつけてもらうから、べつにいいわ」
「……」
顔面蒼白の少年に男がそっと近づく。
「えっと、火つけたいなら、譲る、よ……?」
男は少年の肩を慰めるように叩いた。
「変な気を使うんじゃねぇよ!誰がつけるか!ばーか!」
キッと男を睨みつけると、少年は出てきたドアへ走って引っ込んで行ってしまった。
ばたん!とドアを乱暴に閉じた音が室内に響き渡る。
「……また、嫌われたような気がする」
「気にしないほうがいいと思うわ」
「……うん」
男はうなだれながら、魔法で火をつけた。
ぱちぱちと音を立て燃え始める。
「そういえば、さっきのヘネル君がいつも火をつける係……だったのかな?」
「そうね」
少女はかまどに鍋を置く。
仕事を奪ってしまって申し訳ないなと男は心の中で少年に謝る。
「じゃあ、神父様は?」
多くの魔法の使える神父はやることが沢山あるのだろうな、と思い、尋ねてみる。所が帰ってきたのは意外な返事だった。
「あの人は……キッチン出入り禁止なの」
「え?」
男は、少女の方を見た。
それから、竈の中に目を向ける。
ゆらゆらと揺れる炎を見ると少し落ち着いてきた。
再度少女を見る。何度見ても少女の顔は真剣そのものだ。
「え?何故そんなことに……」
「神父様はね、壊滅的に料理が出来ないのよ」
「……」
男はいつもにこにこしている神父のことを思い出すが、とてもそんな風には見えない。
「嘘じゃないのよ。本当なんだから!」
男の心の中を読み取ったかのようなタイミングで少女は言われ、そんなに自分は顔に出やすいだろうか、と男は自分の顔を触る。触ってみても、いつもと同じ顔をしているようにしか思えない。
少女の方を見てみると、まだ頬を膨らませている。
「う、うん。疑ってはないけど……意外だなあ、って」
「そうね……神父様なんでも出来そうなのに……」
少女は神父の作った料理の数々を思い出し、遠い目をした。
「まあ人間なんだから、不得意なことぐらいあるわよ。そこを私たちがカバーすればいいだけの話」
少女の言葉になるほどと男は頷く。
つまり、自分が料理上手になれば神父の手助けができる……?そう考えた男は、料理上手になろう、と決意したのであった。