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夜が来る  作者: Red Cap
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竜田遥

 時刻は夜の7時を過ぎていたが、外は暑く少し生ぬるい風が吹いていた。街頭が車道を照らし、影が二重にも三重にも見える。空と山の境界にはまだ赤みがかった光が残っていた。夕方まではひぐらしが鳴いていたのに、と考えたところで、(はるか)は自分がひぐらしを見たことがないことに気がついた。セミはわかるがセミの見分け方が分からない。小学生のころは近所の男たちに混じって虫捕りをしていたが、狙うのはいつだってカブトムシやクワガタばかりだった。セミはあまり人気が無かったのか、誰も採ろうという友達はいなかったように思う。ただそんなことをしてきたからか、昔から男っぽいとよく言われ、女の友達と同じくらい男友達がいる。

 7月も後半に差し掛かり、既に高校は夏休みに入って一週間が経っていたが、遥は誰かと遊びに行くということは無かった。受験勉強というビッグイベントが差し迫ってきているため、家と塾を往復する日々だ。塾には同じ高校の生徒も何人か通っているため、友達に会わない日は無かったが、楽しい時間ではなかった。最近になり少し張り詰めたような空気が感じられるようになり、勉強に力が入っていない遥は場違いのような気がしていた。

 今日もやる気が無かったため、早々に塾を飛び出し、家でだらだらと参考書を開いて時間を潰していたが、夕飯の後になって無性に甘いものが食べたくなったため、近くのコンビニへ向かっているのだった。コンビニまでは歩いて5分とかからないため、tシャツにジャージというラフな格好のまま歩いている。もし遥が都会に住んでいたならば父親もそんな格好で出歩く娘を咎めたであろうが、山に囲まれたこの町ではその必要はない。民家に混じって点在する田んぼからは、蛙の声が聞こえてくる。遥の家は駅からは少し離れた国道に面しており、車が行き交っているためか寂しくは無かった。家からコンビニの途中にあるバス停は、錆びついた上からペンキを塗り直したためか、表面に皹のような模様が入っている。1時間に一本ほど、隣の市へ行くバスが走っているが、この時間にそのバスに乗る人は繁華街へ行く人くらいだろう。

 コンビニの入り口のガラスには羽虫が何匹か止まっていた。それらが着いてこないように素早く店内に入り込む。中には数人の男子中学生と、見知った顔がいた。雑誌コーナーの隣、漫画を立ち読みしているのは遥のクラスメイトである(けい)だった。

 見た目は女であるし、生物的にも女ではあるが、突如性別が変わるという珍しい症例の持ち主で、昔はよく遥と遊んだり、高校でもよくつるんだりと仲は良かったが、慶が自分より女らしくなってしまってからは、なんとなく避けるようになっていた。ショートカットの遥よりも少しだけ短い髪で、何が面白いのか笑いを堪えた顔をしている。

 慶が気づく前に遥は棚の影に隠れるようにして店内を物色し始めた。甘いものを欲してわざわざやってきたのに、特に食べたいものが無いということに気がついたが、せっかくだからと遥は普段から食べているチョコアイスを選んだ。

「あれ、遥?」

 そそくさとレジに向かおうとしていた矢先、少しかすれたような声に呼び止められた。

「あれ慶?久しぶりじゃん」

 たった今存在に気がつきましたよ、という体を装って遥は親しげに返した。慶は遥よりもきちんとした格好をしていた。といってもジャージの代わりに細身のジーパンを履いているという程度の差ではあったが。

「暑く無いの?今日みたいに蒸し暑いとあたしは履けないわ」

 自分が少し劣っている格好をしていると感じたためか、思わず遥はそう言っていた。

「いや家にいるときは俺もそんな格好なんだけどさ。家出るとき親が着替えろってうるさくて」

「あんたんとこ厳しそうだもんね。あたしの家は自由だよ〜」

 そういうと慶は羨ましいと口を尖らせて笑った。

「遥ってさ、オープンキャンパスとか行った?」

「いやどこも行ってないよ」

「今度行こうと思ってるんだけど行かない?親に送ってもらうんだけど一人じゃなんと無く嫌だからさ」

「あー、塾とかあるからなー。後で詳しい情報教えてよ。空いてるか調べとくね」

 他に特に話したいことも無く、強いて言うならさっさと慶と離れたかった遥は、手に持っているアイスのことを思い出し、溶けてしまうからと先に店を出た。店にいた中学生たちが、自分よりも慶を見ていたことが恨めしかった。別にあんな歳下に好かれても嬉しいとは思わないが、遥は嫌な気持ちになった。

 家に着いてから落ち着いて食べようと思っていたはずだったが、遥は歩きながらアイスを食べ始めた。コーティングしてあるチョコレートは、少し力を入れるとパキッと小さな音を立てて割れた。アイスは一口目は美味しいのに、と遥はいつも思う。食べ終わるまで美味しいままだったことは一度も無かった。まだ硬いままのアイスを齧りながら、遥は先ほどの慶の言葉を反芻した。そろそろ進学先を決めなければならないが、したいことも学びたいことも無かった。推薦を使えばそこまで苦労しなくても大学へは入れるのだろうが、自分の人生は何も変化が無く続いていく予感がして踏み出すことが出来ない。刺激が欲しいのではない。変化が欲しいのだった。いっそのこと慶のように性別が変わったりしないだろうか。何かはきっと変わるだろう。男になりたいわけではない。むしろなれるならもっと可愛い顔に生まれ変わりたい。自分は人並みの幸せが欲しいのだろうか。高校生活の残りを彼氏でも作って過ごしたいのだろうか。今のはるかにはそれすら分からなかった。

 ちょうどバス停に差し掛かったとき、バスがもう少しでやってくることを知った。もしここでバスに乗り込んだらどうなるのだろう、と遥は思う。多分自分は繁華街の近くで降りるのだろう。この辺りでは一番大きい夜の街を遥は想像した。もしかしたら名前も知らない男に抱かれるのかもしれない。それでもいいかもしれない。何かは変わるだろう。そう妄想して遥は自嘲した。その前に補導されるのがオチだろうし、そんな勇気は自分にない。ため息を着いてまっすぐ家に帰った。親との会話は無かった。

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