城壁と夜明け前
花咲く森を抜けると、そこには城壁に囲まれた街。
街の明りが弱々しくだが夜空を明るくしている。
「ここが海鳴国で一番東に位置する『森への街』よ」
高さにしては学校の三階建て校舎くらいか……その城壁には篝火が燃えていた。
城壁が備えているのだから、当然、入口を護る守衛もいる。槍に甲冑という姿。
守衛がいるぐらいだから身元不明の俺達が中に入れるか心配はしたが、フレイさんと守衛がいくつか言葉を交わすだけで、すんなりと城壁を越す事が出来た。
「どう見ても日本の街並みじゃないよな……外の城壁といい、中世のヨーロッパって感じだな」
「だよね~。映画のセットみたい」
俺の言葉に遥が頷く。
中世のヨーロッパ、ライトノベルに出てくる剣と魔法の世界。ゴブリンやオーク、そんな魔物がいるような世界。やっぱりここは俺達が元居た世界じゃない。
そしてフレイさんに連れて来られたここは……
「ここよ」
フレイさんがこの辺りに来た時の拠点とする宿屋兼食堂、それがこのラナ亭。
一階が食堂部分で、二階が宿泊部分になっているらしい。
木製に鉄の鋲が打たれた扉を開けると騒がしい人の声が漏れてくる。
「堅気じゃなさそうな人がいっぱいいるよ」
「遥。聞こえちゃうから。気持ちは分かるけど聞こえちゃうから」
……筋肉隆々の男たち、鎧を着込んだり、腰に剣をぶら下げた男も大勢いる。顔に深い傷が刻まれた男、こちらに敵意のような鋭い視線を向ける男、中には片腕の無い男もいる。とにかく男臭いムンムンとしたにおいが目に見えそうだった。そして男たちの中にいる露出度の高い女性が何人か。
このお姉さんたち……雰囲気的に言えばコンパニオン的な……?
それに対して俺は詰襟の学生服、遥と彼方もセーラー服の学生服。
こりゃ、めっちゃ入りづらい……けどフレイさんは気にせず中へと入って行く。
明らかに場違いな俺たちはフレイさんに続く。
木製の床に、木製のテーブルと椅子。ここも中世を舞台にした映画のセットのよう。
「あら、フレイ、久しぶりじゃない!!」
そう言ってフレイさんの前に立ったのはエプロン姿の中年の女性。
「久しぶりね、ラナ。変わりは無いようで嬉しいわ」
「変わりが無いのはフレイ、あんただろ。私はもうすっかりおばちゃんさ……ん?そっちの三人は?」
「ちょっとした知り合いよ。この子がアキラ、こっちの子がハルカ、こっちはカナタよ。三人とも、彼女がこのラナ亭の店主ラナ」
「どうもです、藤倉暁です」
「私は高崎遥。こっちの超絶に可愛いのが私の妹、高崎彼方なんです!!」
「ちょっ、姉さんやめて」
と言いつつ嬉しそうじゃないかぁ……
「……高崎彼方です」
「……あまり聞いた事の無い名前だねぇ……どこの国の……」
ラナさんが言い掛けるが……
「ラナ、部屋はあるかしら?しばらく面倒を見てもらいたいのだけど」
とフレイさん。
これ以上は聞かないでという意味なんだろうな……俺たちの存在を詳しく説明する気は無い、または出来ないという事……つまり異世界に転移するなんて事は普通じゃない……という事なのか、よく分かんねぇ。
「もちろん大丈夫さ。でも長く貸せるのは二人部屋を二つだけでねぇ」
「構わないわ。私とアキラが一緒に部屋を使うから。ハルカとカナタは姉妹だし一緒で構わないでしょう?」
「私は彼方でもフレイさんでも、暁くんとでも、誰でも大丈夫だよ~」
「姉さんダメ!!フレイさんはともかく、暁とは絶対にダメ!!」
「バ、バカ野郎、お前、俺は紳士だぞ。遥と一緒の部屋だって……はふぅん……何もしねぇよ!!」
「『はふぅん』って何!!?今、姉さんと一緒の部屋で何を想像した!!?」
「暁くん、何か想像したの?」
「してない!!してないから!!で、でも良いんですか?フレイさんは俺と一緒で?」
話を、話をズラさないと!!
「あら、一緒の部屋だと私を襲ってしまうのかしら?」
「暁くん大胆だね~」
「誰彼構わず……獣ね、まさに性の獣。性獣」
フレイさんは不適に挑発するような表情。
遥は楽しそうに。
彼方はひんやりした冷たい視線。
ラナさんは笑っている。
それに何だ、性獣って……
「いや、そういうわけじゃ……一応、俺は男だし、部屋が無いなら何か別のトコでも……」
「ふふっ、冗談よ。もしアキラが襲って来たら返り討ちにしてあげるわ」
「確かに世界一とも名高い剣士様だからね、フレイは」
とラナさんが言う。
「フレイさんが世界一の剣士って……?」
「その言葉通りさ。フレイ・フルランスと言えば、この大陸全土に名前が知れる凄腕の剣士だからね」
「じゃあ、間違いを犯そうものなら俺は死にますよね?」
「だったら間違いを犯して死んで」
「彼方、お前は本心で言ってそうで怖いよ……」
「暁くん、死ぬの?」
「死なねぇよ!!」
「あははっ、とりあえず私の子供を紹介するよ。リナルナ、レナロナ、こっちにおいで!!」
出て来たのは二人の女の子。年齢的には俺たちと同じくらいに見える。
「登場ですぅ!!」
元気な感じと。
「フレイさん、お久しぶりです。母さんこちらは……」
清楚な感じ。
うむ、二人とも可愛い。
「しばらく部屋を貸すアキラ、ハルカ、カナタだよ。ほら、お前達挨拶しな」
「リナルナですぅ!!よろしくですぅ!!」
元気と通り越してうるさいような……それに反応するように遥が。
「遥ですぅ!!よろしくですぅ!!」
なんか対抗しだした。
「初めまして、レナロナです。よろしくお願いします」
「高崎彼方です。お世話になります」
「藤倉暁。よろしく」
うるさ……元気な方がリナルナ。
清楚な方がレナロナ。
「二人とも、四人を部屋に案内して。フレイ、少し経ったら降りてきな。何か食べる物を用意しておくから」
とラナは言いながら厨房へと戻る。
ラナの言葉に遥が目を輝かせた。
「ご飯!!」
「お母さんのご飯はこの街でも有名ですぅ!!」
「本当ですかぁ!!?」
「本当ですぅ!!お母さんのご飯は美味しいですぅ!!最高ですぅ!!」
「うわぁい、今から楽しみですぅ!!」
「ですですぅ!!」
「ですですぅ!!」
「……」
果てし無くうるさい。
だがそんなリナルナの喉元に……
「ですで、ギャアッ!!」
ズドンッ!!とレナロナの手刀がめり込んだ。
リナルナ、白目を向いて気絶。
「はい、静かになりましたので部屋に案内しますね」
レナロナはリナルナ首根っこを掴み上げ、ズリズリと引き摺りながら部屋へと案内するのだった。
結局の部屋割りとしては俺とフレイさん、隣の部屋に遥と彼方である。
シンプルな部屋。木製の机と椅子、クローゼットが一台、木製のベッドが二台。
しかしそれにしても……
「疲れたわぁ」
俺はベッドの上にそのまま倒れ込んだ。
遥に告白して付き合えると思ったら、異世界に飛ばされて死に掛かっている。そしてその遥……俺に関する記憶が無い。
本当に異世界なのか?
異世界だとして、日本語が通じる、そして世界が似ている……作られたバーチャルな世界なんじゃないのか……分からん……分からんて……
……
…………
………………ん?
一瞬だけ寝ていた?
んしょ、と起き上がると……
「うおぉぉぉぉぉっーーー!!!!??」
髪を下ろしたのだろう、フレイさんの輝くような白く長い髪。そしての白い肌。
「あら、起きちゃったの?」
と振り返るフレイさんの胸。
全裸。
おっぱいが!!おっぱいが丸見えや!!
「ちょ、ちょっと、おっぱいさん!!じゃなくてフレイさん胸ぇ!!」
「アキラが寝ているうちに着替えちゃおうと思ってね」
「だ、だからって、男が部屋がいるのに」
は、初めて、な、生でおっぱい見たいの初めてだよ!!しかも美人のお姉さんの!!
前屈みになったその時である。
部屋の扉の外で……
「暁くん!!どうしたの、今の悲鳴!!?」
遥の声である。
「暁。中にいるの?フレイさんもいますか?」
彼方もいる。
こ、こんな所を見られたら絶対に誤解される!!
一つの部屋、裸の美人女性、前屈みな俺……これは絶対に誤解される!!
焦った俺は思わず……
「ニャ~」
猫マネ。
いやいや、こんなトコで猫マネしても何の意味も無いだろ!!
「あれ、猫さん?今の猫さん?ねぇ、入るよ?」
クソッ、ダメか!!この状況を回避出来ないのか!!?
いやぁぁぁ~勘違いされるぅぅぅっ!!
ドアノブが回る。
ガチャッ
扉は開かない。
「……鍵くらい掛けてあるわよ」
と言うフレイさんは既に黒い外套を身に纏っていた。
そして扉を開ける。
「あ、フレイさん。今、暁くんの悲鳴が」
「ごめんなさいね。少しうるさかったかしら」
「暁は?」
遥と彼方が部屋の中を覗き込む。
「お、おう、二人とも、ど、どうした?」
「どうしたじゃないよ。暁くん今凄い声出してたじゃん」
「あ~うん、別に対した事は……」
「アキラの体を見ていたのよ」
「暁の体?」
「まぁ、暁くんハレンチ!!」
「ちょ、ちょっとフレイさん!!は、遥、違うぞ!!」
「二人が想像しているような事じゃないわ」
フレイさんは笑って続ける。
「アキラはオークに殴り飛ばされているから。体に痛んでいる所が無いか見ていたのよ。ちょっと痛かったみたいね」
「あれやっぱりオークって言うんだ……」
俺が見たあの怪物はオーク。元の世界での想像上の怪物……こっちの世界では現実にいて、やっぱりオークと呼ばれる……偶然のわけが無いか……
「でも大きな怪我は無いみたいだから大丈夫よ。だから二人とも、食堂の方に先に行ってなさい。ラナが食事を用意してくれているわ。色々な話は食事の後にしてあげるから」
「美味しいと言われるラナさんのご飯!!よし、彼方、食堂行こう!!」
「分かった。じゃあ、フレイさん、先に行ってますね」
先に遥と彼方が食堂へと向かう。
「た、助かった……」
「ほらアキラも先に行ってなさい。私も着替えてから行くから」
「着替え?」
「おっぱいさんはこの下にまだ何も着ていないの。確認する?」
フレイさんは笑いながら外套を少しだけ捲って見せる。
「俺も先に行ってますね!!」
★★★
確かにラナさんの食事は美味しく、お腹もいっぱい。
異世界だからとゲテモノ料理に類する物も無く、どれもこれも片っ端から平らげた。
その後に色々と話をするはずだったが、オークと戦って疲れた後にお腹いっぱいにもなれば、そりゃ眠くなってしまう。
また明日という事で俺はベッドへと倒れ込んだ。
疲れたなぁ……でも遥も彼方も無事で良かった……これからはもっとしっかり二人を守って……守って……
……
…………
………………
俺は夢を見た。
それははっきりしない昔の記憶。昔の事で全部は忘れてしまったが、たまに断片的な夢としてみる過去の話。
家から少し離れた場所。そこに大きな敷地と建物を残す廃工場があった。
もちろん立入禁止ではあったが、当時の子供達は遊び場として出入りしていた。そこには俺も遥も彼方もだ。
そして事故に巻き込まれる。
たまたま俺達三人が廃工場に居る時、地下ガス管に溜まっていたガスに引火して大爆発を起こしたのだ。
爆音と土煙の中、大怪我をした遥を背負い、泣きじゃくる彼方の手を引きながらその場を逃げ出した事は覚えている。
あの時の俺は遥を守ってあげられたのか、それとも守れなかったのか……どっちだったのだろうか……
………………
…………
……ドンドンッ
俺を睡魔の底から引き上げたのはノックには強過ぎる音だった。
そして人が動く気配。フレイさんだ。
俺はベッドで上半身だけ起こす。
部屋の中はまだ薄暗い。まだ夜明け前だろうか。
「フレイさん?今の音は?」
「さぁ、何かしらね」
フレイさんが扉を開けるとそこに立っていたのはラナさんだった。ただその表情は緊張したように強張っている。
「悪いね、フレイ。ちょっといいかい?」
「構わないわ」
フレイさんが部屋が出て数分程度だろか、すぐにフレイさんは部屋へと戻る。
「アキラ。すぐにハルカとカナタを起こして。動ける用意を」
鋭い口調と表情で何か大変な事態になっている事は想像出来る。もちろん何が起こっているのか質問したいが……とにかく話は後!!
そんな切迫した雰囲気を感じる。
「分かりました。そのまま三人で待機してます!!」
「何かあったら呼ぶわね」
フレイさんは笑った。
俺は制服を着込むとそのまま隣の部屋に。
扉を強めにノックする。
ドンドンッ
「遥!!彼方!!起きろ!!」
ドンドンッ
「おいっ、起きろったら起きろ!!おんだらぁ~起きろぉ~!!」
ガチャリ
「うるさい死ね何?」
「分からん。分からんけど緊急事態っぽい。遥も起こしてくれ」
「……分かった。ちょっと待ってて」
扉の向こうから、姉さん起きて早く着替えて、なんて彼方の声が聞こえる。彼方も察しが良い方なので特に説明がいらないのは助かる。
しかし死ねってあの野郎、何なの?
「良いよ。入って」
「どうしたの暁くん、まだ眠いよ~」
「いや、俺にもよく分からん。いきなりラナさんが部屋に来て、そしたらフレイさんが二人を起こして動ける用意をしておけって」
「フレイさんに理由は聞いてないの?」
彼方は少し怪訝な顔をする。
フレイさんが何かを企んでいるのではないか?そんな彼方の顔。
「フレイさんが俺らをどうにかするつもりなら寝ているうちにどうにかするだろ」
「そうだけど」
「彼方はフレイさんを疑ってるみたいだけど、私はフレイさん信用出来ると思うなぁ~。暁くんもそう思わない?」
「正直、分からないけどさ。でも俺には悪い人には見えないんだよな」
「何で姉さんはそう思うの?」
「光がそう言っているような気がする」
遥がそう言って両手を広げると、その手に光の粒子が集まる。やがてそれは幅広い白銀の剣を形作った。
「それが遥の剣か……重くない?」
剣の幅が広い、遥の顔が隠れてしまう程に幅広い。そのまま盾にでもなりそう。これメチャクチャ重量あるだろ?
「それが全然重くないんだよね~」
ビュンッビュンッ
「危な!!お前、そんなのここで振り回すなよ!!」
「姉さん、そのまま暁の首を斬り飛ばして」
「お前の言う事は怖いよ!!」
「暁くんも持ってるんだよね?」
「持ってるけどさ。俺のは遥のと違って刀身が黒いんだよな」
何処からかも分からない。黒い煙が発生し、煙は集まり片刃の黒刀、闇夜となる。
「彼方のと一緒だね」
「ちょっと姉さん」
「やっぱりお前も持ってたか。俺が一人の時、三つの流れ星が流れててさ、そのうちの一つが俺に落ちて来たんだよ。それがこの剣だとすると、もう一つは遥の剣だろ。だったら残りの一つは彼方なんじゃないかって」
「暁くんになら隠す必要は無いんじゃない?」
「別に暁に隠してたわけじゃない」
彼方は言いながら両手を前に。次の瞬間。黒い剣が両手に一本ずつ握られていた。突然に現れる。
俺や遥の剣に比べその刀身は短い。人の指先から肘くらいまで長さの短剣。
二本の短剣はやはり黒い刀身をしていた。しかし俺の黒刀とは違い短剣自体が青白い炎を纏ったように発光している。
その光を見て、俺の率直な感想。
「なんか不気味だな」
「それは私も思った」
「ね、姉さん、そんなハッキリと……私自身も不気味だと思うけど……」
彼方が二本の短剣を下げると、短剣は現れた時と同じくパッと消える。タイムラグ無しに出したり消したり出来るらしいな。
「俺の剣が魂を蝕む闇夜。遥の剣が光。お前のは?」
「分からない。姉さんは『剣が教えてくれた』って言うけど。私には何も。暁の剣は?」
「俺にもそういうの無かったな。剣の名前だってフレイさんに教えて貰ったんだし。この剣の色が関係してんのかな?」
「姉さんの剣は話し掛けてくるんだよね?」
「んん~話し掛けるってよりも感覚的に伝わるって言うか、うん、説明するの難しいから放棄」
「放棄ってお前ねぇ……」
「でも|光()から色々と伝わるんだよねぇ~フレイさんは味方だって感覚とか。この感じは説明出来な……」
遥の言葉と動きが止まる。何かを考えるように。
「ん?遥?」
「……」
「姉さん?」
「……」
「遥?どうした?お腹痛い?」
「そうじゃないよ!!|光()から伝わってくるんだけど、なんか胸がザワザワするの!!」
遥は窓際に向かい、窓を開ける。
俺と彼方も遥に続き、窓の外に視線を向ける。
「おい、あれ……」
遠くに揺れ動くあれは火か?
薄暗い向こう、この街を囲む城壁だろう、その上でいくつもの炎が右往左往と動いているのが分かった。
そして見下ろした通りには甲冑を着込んだ衛兵が慌しく行ったり来たりと。そして怒号に近いものも聞こえる。
ガチャッと扉が開いた。フレイさんだ。
「三人ともいるわね?」
「いますけど、どうしたんですか?なんか外もうるさいし」
フレイさんは一度大きくため息を吐いて。
「……街がオークに囲まれているわ」
「囲まれてるってここですか?あのデカイ怪物ですよね?」
あのデカイ獣面の怪物。
……確かこの街だって囲んだ城壁を見た感じ、それなりの広さがあったはず。それを囲んでいるって……
「報告では少なく見積もって6000体ね」
6000体のオークに囲まれる。
ん?6000……
「……ろっ!!?」
じょ、冗談だろ?
あのオークが6000体?しかも少なく見積って?それがここを囲んでる?
ど、どうなる?え?ど、どうすりゃいいの?
かくして、オーク6000体との戦いが今始まるのだった。
続きます。