裏側の僕と牙城の神竜5
ーーくッ!油断した!
逃げようにも両腕を後ろ手でギリギリと捻り上げられ、全く身動きができない!
くせ者王子によってイエニス国境沿いの砦に連れ攫われたユーフェリア姉上。その姉上の運び込まれた行き先を追っていた僕は、いつの間にか接近していた少年に背後を取られていた。
言い訳ではないがこの少年、微塵も気配を感じさせなかったのだ。
不審者への対応も俊敏で手慣れたもの。軍国主義国家では、若い兵士でもこんなレベルが普通なのだろうか……
本気を出せば反撃できなくもないが一体どうすべきか。
姉上の身柄がまだあちら側にあり、尚且つ正確な居場所も把握できていない以上、この段階で身バレするのは非常にマズい。仮に逃げ果せたとしても砦の警備は今より一層厳しくなる事だろう。
最良の対処手段と成りうる選択肢候補を必死に逡巡していると、やがてその少年が口を開いた。
「はあ、君ねぇ。殿下が遊学先から帰還された今の今で早速これかい?ーーまったく、油断も隙もありゃしないね!顔も頭も身分も良くて、何よりも現在も平然と生き残ってるしたたかな王子って、玉の輿狙いの侍女には大層魅力的なんだろうけどね?でもまあ、無断侵入の色仕掛けってのはダメでしょ?」
「は?色仕掛け?」
ーー!?、自分の声のトーンが、違う??
あ!たった今気付いたが!月の大精霊殿の気まぐれ変幻の魔法で、まさか声帯まで女に……!?
「ん?君、殿下の将来のお妾さんポジ、狙ってんでしょ?勝手に寝所に忍び込もうとした侍女、これまでの過去にどんだけいたと思ってんの?フッ、残念だけどムダムダ!あの冷血の氷王子と言われるラージリーン殿下に、ハニートラップなんて安っぽい罠が通用するわけがないの!こうね、ーー“寝所を汚すな乱すなメス豚、家畜扱いで処分される前に一刻も早く出ていけ”、がいつもの決まり文句だから!」
将来の、妾狙い……ではやはり奴はイエニス王国の王子!しかも妾、というからには上位の王子で、本当の名はラージリーン、と。
ーーしかし、“冷血の氷王子”???
僅か二ヶ月の在籍期間ではあったが、僕の知る限り王立学園での奴はウザいほどお喋りで明るく社交的。ふざけた女性みたいな話し方が逆にエレガントでクールだとも言われ、学科や学年を問わず王立学園の人気者となりつつあった。
そんな姿は周囲を欺く為の演技だったのだろうが……それでも奴のこの王国での印象が余りにも違い過ぎてやしないか……?
と!いかん、今は目の前のこの少年を何とかせねば!
「だから君ね、お」「っ申し訳ございません!み、道に、迷いまして!色仕掛けだなどと、そのっ、私如きが、決してそのような大それた事は…!」
「ん?ーえ?え?」
何とか謝り倒してやり過ごす事にする。ここはまだ塔へ続く連絡通路であるし、うっかり踏み込んでしまったで押し通そう。
「あの!お恥ずかしい話なのですが、実は酷い方向音痴でして!ーーだって、こんなにだだっ広い砦ですし似たような長い回廊ばかりで!っだからその、誓ってわざとここへ立ち入ったわけではっ!」
「へ?……そ、そう?や、まあ、確かにこのレッド・ミハーラル砦の回廊はやたら長くて曲がりくねってるよねえ。ここね、万一敵兵が侵入してきても、大将が詰める中央塔まで辿り着きにくい設計構造になってるからさ。……ん?あれ??もしかして君、ホントに迷ってただけ!?」
やっておいて何だが、どうやらこんなんでやり過ごせそうだ。
気配に隙はないが案外頭は隙だらけの少年だったようで、捻り上げられたままだった手の拘束が途端に緩む。
しかし、警戒の視線は向けられたままで……
「うーん…。念の為に顔を見せてもらっておこうかな。いいかい?二度は見逃せないよ、次はないからね?ーーゴメン、じゃあ失礼!」
「っあ!?」
「っえ!?」
少年の喉から、ひゅっ!と息を呑む音がした。
不審者たる侍女の顔確認にと、僕の被りもののヴェールをたくし上げた彼は、その状態でそのままでガキィッと固まった。
ーーマズかった、のだろうか!?
まさか砦で働く侍女の顔を全員把握していたとか?……いや。このように全身覆い隠す侍女服であるのならば、みだりに顔を見るのも見せるのも禁じていると思われる。
女子に変幻した今の自分は……幾重にも布を身体に巻き付けたタイプの床まで届くロングワンピース。後ろで括っていたプラチナの髪が何故か腰下まで伸びていて、とにかく胸が大きくて邪魔で仕方がない。
小精霊らの情報に間違いがなければ、これが侍女でも別段おかしくはない筈だが……?
金色混じりのあちこち跳ねた派手な赤毛、くっきりとした目鼻立ちで肌色がエルドラシア王国にはない紅茶色。先ほどまで一分の隙もなかったその少年が、今はポカーンと惚けた顔で意味もなく口をパクパクと。
若いのに、彼は何か持病があるのだろうか?
「う、あ、やっ!ーーて、手荒な事してゴメンね!君のように天使みたいな女の子がまさか色仕掛けなんてっ、そんな事っ、するわけがないよねぇ!」
「……はい?」
「いや!逆に日頃から散々言い寄られてて困ってそうだ!そのっ…大丈夫かな!?この砦の兵士らって、殿下の容赦ない厳しーい教育でお行儀のいい奴らばっかだけど!君、しつこく付き纏われたり口説かれたりとかしてるんじゃない!?」
「??、は、はあ??」
少年の顔が赤くなったり青くなったりと忙しない。というか何なんだ?彼は何が言いたいんだ?
「ああと!これでも俺、腕には結構自信があってさ!一応このレッド・ミハーラル砦の大将でラージリーン殿下の右腕!“鷲獅子のラファイエ”って、みんなには呼ばれてる!ーーだからさ!何か困ってる事があったら喜んで力になるよ!」
ーーは、はあッ!?
こんな年若い少年が、砦の大将でくせ者王子の右腕!?
しかし意味不明だ。人の顔を見て何故こうも態度が激変する?
それに“天使みたいな女の子”、とはユーフェリア姉上の事を言うのであって、彼女こそが常日頃からそこいらの男どもらに狙われている天使で妖精で世界一の花で宝石で時に女神で女王でもある。最近などは特に熱烈な信奉者も増え続け、僕は姉上の身が心の底から心配で心配で堪らない。それも当人の姉上にその自覚が全くない、というあの警戒心の極薄さ!それ故にこうして今、うっかり拐かされるといった大変な事態に、ーーー
ーーと!今はこんな事を考えている場合ではなかった!
大将という話が本当ならばマズい!ここは一旦この場から引かねば!
「あの!とにかく申し訳ございませんでした!疑いは晴れたようですし、それでは私、これで失礼させていただきます!」
「あっ!ーーちょ、ちょっと待って!君の名をっーー」
「いいえ!永遠にさようなら!」
誰が名乗るか!盛大に顔を顰めた自分は、邪魔なスカートの裾をたくし上げてその場から逃げ去った!
ーーくっ、全力で走っているというのに身体中に鳥肌が立っている。
あの“鷲獅子のラファイエ”と名乗った少年にはもう二度と会ってはならない、という警告が怒涛の如く押し寄せてきていた。
よく分からないがこの顔をむやみに出さない方がいいらしい。
頭の大きなヴェールを元通りに被り直しつつ、急ぎ足で別の建物へと移動した。
*********
「あっ!すみません、もし、そちらの侍女殿!」
「!?」
一難去ってまた一難。
ユーフェリア姉上がいると思われる中央塔から遠ざかってしまった僕に、再び声をかけてくる男が。
「ーーな、何か、ご、ご用でしょう、か?」
「あ、ええ。これは申し訳ございません、どうやら間の悪い時にお声をかけてしまったようですね。とてもお急ぎでしたか?」
「っぜい、っ、ええと……」
何とか乱れた呼吸を整えて相手へと向き直る。
濃紺色の短髪と瞳の落ち着いた風情の三十代くらいの男性。身なりはいいが腰が低い。高貴な者に仕える若い執事か使用人か?
自分のその予想は大いに的中した。
「ああ、申し遅れましたが、私はイシャンという者です。光栄にも、現在は第一王子となられたラージリーン殿下の執事の任を古くから務めているものでして。どうぞ、今後はお見知りおきを。ーーそれでお手数だとは思いますが、殿下のいらっしゃる中央塔はどちらでしょうか?今からご案内をお願いできませんか?」
ーー今度はくせ者王子の執事……!?




