私とイエニスの研究塔5
「シリー!ごめんなさい、ちょっと下ろして!」
「あ!こら、ユーフェ!」
矢も楯もたまらず、私は巨木の前に膝を突いた。
本当に不思議なもので、周囲一帯の地面は旱魃地帯のようにひび割れ状態なのに、この巨木周辺の土だけは冷たくしっとりしている。だから苔だって生えているし、幹も樹皮も触った感触は普通の木のそれそのもの。
「ちょっと、ユーフェ!ドレスの裾が汚れ」「ね、シリー!この巨木、秋や冬はどんな状態?花が咲く事はあるの?…いや、葉っぱがないと花も咲かないな。それなら光合成はどうなっているのかしら?鳥や獣が巣を作る事はある?もしか昆虫などは?あ!そもそも樹液はあるのかな?うーん、できればサンプルを採取してじっくり調べたいとこなんだけど……でも神竜リオルと呼ばれるとっても尊ーいご神木様に、ナイフなんて入れたらダメだよね?やっぱ怒られちゃう!?」
「「「…………」」」
ーーあ、あら?シリーも兵士さん達も呆然としている。
みんな私の足元をじぃっと見て固まっ………
「ハッ!ドレスに土がぁぁ!また汚しちゃって、ごめんなさい!」
「ーぷっ!あはははっ!さすが研究大好きなユーフェ!怒涛の質問攻め、誠に恐れ入ったわ。ああ、もう!そんなに興味津々なら仕方ないわね!そもそもドレスは貴女にプレゼントしたものだし、どうぞ好きなようにして!」
食べこぼしに続いて今度は土汚れ……
ついに呆れ果てたのか、ケラケラと笑い出してしまったシリー。
せっかく私の為にデザインしたというファビラスなドレスが台なしに。ああ。私って、不思議なものや珍しいものを目にすると我を見失ってしまう癖がある。探究心が人一倍強いのだ。うん、昔からこんなんだったね。
「で、殿下が大口を開けて笑っておられるだと……!?」
「うそ!?今まで意地くそ悪い笑顔か作り笑いしか見た事ないぞ!?」
「ていうか殿下、何で女口調なんだ?普段よりよく喋ってるし」
「あー、あれはなぁ。幼い頃から無神経で無口な殿下が、あの口調なら何故か気安くお喋りできるってんで、そんで、ーーイダあッ!!」
「そこの奴ら、いいからちょっと黙れ?」
「「「…………」」」
ワヤワヤと騒ぐ兵士さん達をシリーがどす黒い笑顔で黙らせた。
というか一体何を投げたのかしら?クリティカルヒットした兵士さんの額に、ベトッと黒っぽい塊が……?
「ん?ただの差し入れの紫ブドウよ。リオルは何と言っても果物が大好物だから、これを目にすれば姿を現してくれると思ってね」
シリーの胸元からナプキンに包まれた紫ブドウが一房出てきた。食べ切れなかったテーブルのお皿から持ち込んだものだろう。
ーーそれはそうと、彼は何と言った?
「ご神木が……く、果物を、食べるの!?」
「ユーフェ??」
さ、さすがは魔法と竜の実在するファンタジーな世界だ。
けれど大好物が果物で良かった。もしも動物とかの生き物だったら、それはそれは大変ホラーな事に……
「何か誤解してるわね。あのね、これは木なんかではなくて、神竜リオルなのよ。ユーフェなら、きっと貴女なら、私と同じように彼女の姿が見える筈。ーーあ、いたいた!ほら、あそこ!あの翼の付け根の辺りを見て!」
「彼女?どこに、ーーっあ!?」
翼のような形をした絡み合った枝に小さな女の子が座っていた。
その女の子は見上げる私と目が合うと、パッと嬉しそうに顔を輝かせて立ち上がり、小猿のようにスルスルと木を伝って下りて来る。
深緑色の髪に金色の瞳をした5、6歳くらいの愛らしい少女。
ーー見覚えが、あった。うん、確かに知っている女の子だ。
シリーの言う通り、彼女はミシェル時代の知り合いで………
「リ、リーちゃん?イエニス城の庭にいた、あのリーちゃんなの!?」
「うん。リーちゃんです。えへへ。ミーちゃん、三百年ぶり?」
「三百年ぶりって……な、なんかリーちゃんの身体が幽霊みたいに透けてるけど!?ええっ!!あの果物泥棒のリーちゃんが、このイエニス王国の守り神様で、そして神竜リオル様だったの!?」
ーーああ、そうだった。たった今、思い出した。
リーちゃんというこの少女は、ミシェルがまだイエニス城でその国のお姫様として暮らしていた時、お城の庭園に毎日のように忍び込んではそこの果実を勝手に食べていた女の子だ。
不思議なもので、彼女はいつまで経っても誰にも気付かれず見付からず、広大な庭園に当時は実り放題だったプラムや柿や木苺を木に登って好き放題にもぐもぐと食べていた子なのだ。最初は幼女が一人でなんでこんな所に!?と驚いたけど、こういう世界の平民の子供はとっても逞しいんだなぁーと、感心して見て見ぬ振りをしたんだっけ。そして毎日見かけるうちに、何気に一言二言とお喋りするようになって、そのうちお友達になったんだよね。
実は王様だった父が伯父に殺された時も、このリーちゃんがいち早く私の部屋まで駆け付けて知らせてくれて、それで何とか伯父の手の者に捕まる事なく、母を連れて無事に城を抜け出せたのだ。
お城から脱出する抜け道も、このリーちゃんが教えてくれて……
「その後、結局ミシェルは長生きできなかったけれど。リーちゃん、あの時は助けてくれて本当に有難う。でもどうしてそんなに身体が透けているの?リーちゃん、大丈夫?」
勿論あの時のリーちゃんはどこも透けてなんかいなかった。
どこからどう見ても普通の女の子で、まさか果物泥棒の逞しい少女がこんな凄い神竜様だったなんて………
「神竜としての神力をほとんどを使っちゃってるからね。だから人型を不完全にしか維持できないの。今のリーちゃんはね、そこのラージ君とミーちゃんにしか見えてないんだよ?」
ーーえ? 私とシリーにしか、ミーちゃんの姿が見えていないの?
「ちょっとお尋ねしますが!あの、そこの兵士さん達。ここにいる小さな女の子、見えてますか?」
「へ!?ーーおおお、お姫様に話しかけられたよ!?」
「ええと!…み、見えませんが、何か気配はしてますね!」
「そうそう!何だか急に甘い香りがプンプンと漂っています!あとですね、ちょっと酸っぱいカンジの香りも、ーーうごぉっ!」
「神竜に失礼な事を言うな?あと、女性の匂い云々を口にするな?」
「「「ひいぃっ!今日の殿下、何かめっちゃ恐いよ!?」」」
シリーが今度はライチを投げていた。あれはちょっと痛いんじゃ………
「ええと……本当にリーちゃんが見えてないんだね」
「うん。リーちゃんはね、13の神竜のうちの一体、“緑樹竜”リオルージェ。あまねく大地を豊潤に満ち足す神力を持っているの。けれどその神力はもはや尽きかけ、そろそろ限界なんだよね………」
「え……!?」
「竜眼を持たないリーちゃんには、イエニスの大地の呪いを完全に解く事ができなかった。でも、きっとミーちゃんならできる。神竜以上の優れた頭脳を持って生まれたミーちゃんは、この世界の異端児で特別。しかもあの天竜に愛され、命を懸けたほどのお姫様」
「…………………」
ーーとんでもなく、嫌な予感がする。
リーちゃんの瞳が、絶対に逃がさないぞと言っているようで。
「聡明なる知の姫君のユーフェリア姫。お願い、どうかこのイエニスの大地の呪いを解いて?禁呪返しでねじ狂った大地の異常な流れを、元の正常な状態に戻して?」
*********
塔に戻った後、私はただ呆然と椅子に座り続けていた。
窓からはほの暗いオレンジ色の明かりが差し込んでいて、どうやらいつの間にか日の入りの時刻になっていたよう。
ーー世話焼きの侍女が一人、私の傍に立っている。
「ごめんなさい。やらなきゃいけない事ができちゃった」
「……そうですか」
「うん、責任取らなきゃだし、そうでなくても見捨てられないし」
「貴女の所為とは思えませんが……けれど姉上らしいですね」
「ごめんね、せ、せっかくここまでっ、来てくれたのに……!」
「……大丈夫ですよ。僕も手伝います。エルディも、みんなも姉上に協力してくれます。きっと直ぐに解決して、そして一緒にエルドラシアに帰りましょう」
そう言って優しく抱き締めてくれる侍女。
頭部をすっぽりと覆ったブルカ風のヴェール越しには、あの大好きな翡翠色の瞳が微かに見えていた。
秘宝のルーティンパネルカードに緑樹竜リオルージェの恩恵はありません。




