私とイエニスの研究塔4
“ミシェル・ラド・イエニス”ーーそれは、私の前々世の名だ。
当の本人であるこの私でさえ思い出したくもなかったその名を、現イエニス王家の直系である彼、ユージリーン・アド・イエニスが知っている。
それは何故……?
だってミシェルは12歳という若さで子も成さずに死んでしまったし、知らぬ間に書類上の夫であったという従兄弟のラージスも、本人から聞いた話では彼女と時を同じくして死んだという。
あのラージスには腹違いも含めてたくさんの兄弟がいたし、その後は彼らのうちの誰かが王として即位したと考えられる。全ての元凶となった簒奪王のあの伯父が、禁呪返しを受けて尚も生きていられた筈がないのだから。
ーーならば。現在のイエニス王家の直接の先祖でもないミシェル姫の名は、イエニス王家の正式な系譜に記されているかも定かではなく。仮にあっても生・没年月日のみの簡素なものでしかないだろう。
そんなミシェルの名を、どうしてシリーが知っているのか?
「わけが分からない、そんな顔をしているね。ならば手っ取り早く彼女に引き会わせよう。私の知る彼女、神竜リオルの成れの果てに」
「神竜リオルに、私を?」
シリーは神竜と知り合いらしい。けれど成れの果てって……?
「誰か言付けを!私は今から外へ出る!砦周辺の警備を一時厳重に強化するよう、レクサス中尉に伝えよ!」
「ははっ!直ちに申し伝えます!」
「殿下ー!身辺警護の近衛兵は如何なされますか!?」
「それも召集してくれ。少数で構わない」
シリーの命令に扉の外にいた兵士達が返答する。
……見張りの兵士がいたんだ。しかも複数??
ここにはあの侍女軍団だけでなく、兵士らも相当な数が詰めているのだろうか?それもシリーの言葉一つで、即座に彼の手足となって動く組織的で忠実な配下の者達が。
「外へって……まさか、私をこの塔から出してくれるの?」
「いいえ。残念だけれど、外といっても庭に少し出るだけ。そしてここは塔というよりも、れっきとした砦で居住も兼ねた私の城でもあるわね。レッド・ミハーラル砦。過去には侵略の要として使われた堅牢無比な鉄壁の砦よ」
レッド・ミハーラル砦……私はイエニスの砦にいるんだ……
それにシリーの話し方が元に戻っている。
何だかあちらが本来の素の彼、というような気がしてきた。もしかして私をできるだけ恐がらせまいと、あえて今まで通りにオネエ言葉を使ってくれている……?
「いやあぁ!ユーフェ!ドレスのそこ、果物が落ちてシミになっちゃってるじゃないの!これ落ちるのかしら!?取り敢えず早く拭いて!」
「えっ、あっ! うそぉっ!?」
「もう!ユーフェってば、どこか抜けてるのよね!ホントに一時も目を離せないわ!そして淑女としての自覚がまるで足りなーい!」
「うっ。ごめんな、さい……」
や、やっぱりこっちが天然かもしれない。
悪戦苦闘してドレスのシミ抜きに成功すると、その後はそのまま散歩にでも出るような気楽さで部屋の外へと連れ出された。
ーーあ、先ほどの兵士達のうち、その場に残ったであろう人が「おお!」と、私の姿を見て丁寧な会釈をしてきた。
こっちは強引に誘拐された身の上である筈なのに、身支度の侍女らも含めて何故こうも賓客のような扱いをされるのだろうか?
その意図するところは、本当の企みは一体何なのか??
てんで予想もつかないけれど、とにかく今はこのシリーの後をついて行くしかない………
*********
レッド・ミハーラル砦は、所謂砦の機能を兼ね備えた古城だった。
侵略の要に使われたというからには、砦の大部分が対戦争用の頑丈な造りをしている。中の設備も主に兵士の集団訓練所だったり作戦会議室だったりと、または武器倉庫や弾薬庫、火薬倉庫に兵糧倉庫といった厳めしく物々しい建物ばかり。
私のいた部屋はその砦中央にそびえ立つ石塔の六階。
重々しい石畳みの螺旋階段を下り、そこから延々と続く曲がりくねった回廊をひたすら進んだ先には、ズラリと立ち並んで待ち構えていた兵士達。
「ようこそ姫君!外套をどうぞ!」
「嫁だ!嫁が来たあ!超難攻不落と言われた殿下にもついに春が!」
「可愛い!そして若い女性の素顔を見られるの、どんだけぶり!?」
「うおおー!まだめっちゃ若いよ!色白で黒髪のお姫様だー!」
「ひいっ!!」
何故か大はしゃぎの兵士さん達。彼ら全員に食いつかんばかりの視線を向けられ、思わず後ずさってしまった、その瞬間ーーーー
「い、きゃああああっ!!」
あ!と気付くよりも前に、シリーの手がロングドレスの膝裏と背中に回り、私を一瞬で横抱きに抱え上げていた!
「「「おおおおーーっ!!!」」」
「お、おお下ろして!何コレ!何するのっ!?」
「はいはい。悪いけどちょっとだけ我慢してね。イエニスの大地は呪いの所為でいくら整備しても直ぐにガタガタになってしまうの。軍用か旅装用ブーツでしかまともに歩けやしないから」
「え!?」
言われて即座に見下ろせば、ボコボコと地割れだらけの足元。
視界に入る見渡す限りの土がカラカラに乾いていて、あちらこちら陥没したり突起したりと異様な光景が広がっていた。
「呪いの所為でこんな……!?」
「そうよ。イエニスの大地はどこもこのように干からびているの。だから穀物も野菜も育たない。いくら雨が降り注ごうとも、水をどれだけ足しても決して大地は潤わない」
「酷い……。イエニスの国中の大地が、全てこんな風なの?これでどうやって民は暮らしていけるの?だって生活用水は?飲み水は?」
「雨は大地をすり抜けて地の底を流れていくから井戸水は出るのよ。そして神竜リオルのおかげで果物がなる種の樹木や苗だけは育つ。民は主にその果物を水分代わりに摂取しているわ」
「神竜リオル……その神竜は、イエニスの守り神なんだね……」
その神竜がいなければ、イエニスはとっくの昔に滅びていただろう。
そして前々世の自分が原因で、まさかこんな事になったなんて………
「あのね、ユーフェも、いいえ、ーーミシェル姫もそのリオルを知っている筈よ?本人が貴女に会った事がある、と言っているのだから」
「私と、ミシェルと会った事がある……?」
「ーーほら、着いたわ。あれが神竜リオルよ」
「え!?ーーあ、あれが神竜!?」
そこには胸高100を超える巨大な幹の木が立っていた。
根本まですっかり緑色に苔むせた、神木のような荘厳な大木。ただ葉は一枚も生えておらず、複雑に絡まる太い枝がまるで翼のように天へ伸びていた。




