僕と奪われた月と願い星2
甘々注意報発令。
63話と同じ筈なのに。
娘の将来の婿として気に入らない、といったクレメイア夫人のあからさまな牽制を受け、王立学園へと向かう道中僕は内心非常に焦っていた。
そしてこの時、姉上自身も無防備であったと思う。
婚約者といえど年頃の男子と馬車という密室空間で2人っきり。
けれど彼女は全く警戒心の欠片もなくて。走行する馬車が大きく揺れる度、微かに触れる膝にこちらが一々ドキドキしている事など少しも気付かないご様子。
……本当に。僕の事など異性として意識していないのだと、改めて思い知らされる。
「うわあー、親友からの手紙を封も開けずに放置だなんて、本当に立つ瀬がない!すぐに目を通して、できれば今日中にキャメルの教室に会いに行ってみよう!」
そう言って手紙の封を開けるユーフェリア姉上。
ーーけれど、その時ふと気付いた。
その手紙の差出人であるファフテマ候爵令嬢は初等科の生徒会長であり、確か淑女教育学科に籍を置いている。その淑女教育学科は本日、福祉体験のカリキュラムで王都内各地の孤児院をグループごとに別れて訪問している筈なのだ。
実はこの孤児院訪問は郊外オリエンテーションの前の週に行われる予定であったのだが、孤児達に寄付する衣類や日用品の手配が段取りミスで間に合わなかった為に延期となっていて、確か訪問日が本日に変更されていた。
ラッティナ男爵令嬢の事で丸一日外殿宮に引き篭っていた姉上は、その情報をご存知ではないのだろう。まあ、読めばその手紙に書いてあるのかもしれないが……
「姉上、その…」「あのね。手紙というと、いつもシリーの事が頭に浮かんでつい笑っしまうの。だって長年の文通友達が、まさか男性だったなんてやっぱり今でも信じられなくって!」
「!、そう……ですか」
ーーシリー、トライアルト王国の第七王子、か。
楽しそうに、そして親しげに彼の名を口にした姉上に、何とも言えない感情が込み上げてきた。
自分はどうしてもあの隣国の王子が気に入らない。容姿端麗で気さくで話しやすいシルヴェスト王子。編入して以来、彼は瞬く間に学科内外の枠を飛び越えて学園の人気者となっている。
だが、“絶対に信用してはならない”、ーーそう僕は思うのだ。単に嫉妬といってしまえば事実であるし、それまでなのだが………
「ユーフェリア姉上。……あの、もし、もしもの話なのですが、僕とシルヴェスト王子、双方の言い分が全く異なる場合があるとすれば、姉上はどちらの言葉を信じますか?」
彼には近付いてほしくない、けれど正直にそれを口にして姉上の不興を買うのは恐い。だからせめて聞いておきたいと思った。そのうちいつか、彼の行動や周囲の動きに確定的な疑惑が浮き彫りになった時、それを忠告したとしても果たして姉上は僕の言い分を信じてくれるのだろうかと。
ーーけれど。その質問に対しユーフェリア姉上は。
「そんなの、フレイ君に決まってるじゃないの!」
「え!?」
当然のように僕の方を信用すると断言した。しかも彼女は、僕の言い分が例え間違っていても構わない、間違っていたらその時は2人で一緒に正解を考えればいいのだと、そこまで言ってくれるのだ………
ーー胸が震えた。彼女が愛しい。どうしようもなく胸の奥底が熱く、急速にそれがジワジワと溢れ出てくる……!
好きだと思っていた。朝から晩まで彼女の事ばかり考えてしまうほど、何よりも誰よりもこの世で一番好きな人。彼女の事ならば、どんな些細な事でも全て把握して知り尽くしたくなる。
僕の想いはちょっと、いや、かなり尋常でないという自覚もちゃんとある。でも、それでも止まらない。もう自分ではこの想いは止められない。
だけど今よりも、これ以上もっと好きになるとは思わなかった。手放したくない。この人を、絶対この先も手放したくはない……!
ーーでは、どうすればいい?この人を、今以上に僕の元へ繋ぎ留めておくには、それには一体どうすればいいんだ?
「フレイ君は、私にとってこの世で一番だもの!だか、ーー!?」
不意打ちの如くキスをした。
そうすれば、強引にでもそういう仲になってしまえば、義理堅い姉上を完全に僕のものにできると短絡的に思った。逆に「いやらしい、軽蔑する、信頼を裏切られた」ーー、そう言って嫌われる可能性の方が高かった筈なのに、それでも僕はキスをした。
「なっ、んでっ!こっ、ーーんむーっ」
一度では全然足りなかった。ようやく触れる事の叶った姉上の唇は、もぎたての果実のようにしっとりと柔らかくて、想像していた以上にとても気持ちいい。もっともっと欲しいと、噛み付くように何度も角度を変えて彼女の唇を貪り尽くす。
蕩けるように甘美な時間だった。
好きな人とキスをする、ーーその行為は天にも昇る心地で。全身のあらゆる感覚と神経が歓喜に打ち震え、もはやどうしようもなく興奮していた。
ーーだからこそ。頭突きで抵抗された時には絶望した。
「……嫌で、ある、と」歓喜と至福の夢のような心地から一転。みるみると血の気が引いていく。ーーああ、僕は今、何という事を……!
何年もかけてコツコツと築き上げた彼女との信頼関係を、この一瞬の過ちで全て目茶苦茶の台なしにしてしまったのだ……
もう、終わりだ。何もかもが終わりだ、ーーと、そう思ったのに。
「フレイ君、ちょっと、よろしいですか?」
「…………は、はい」
詰られると思った。そして絶交を言い渡される。当たり前だ、それだけの事を僕は彼女にしてしまったのだから。
もう大嫌いだと、顔も見たくないし今後会うのも御免だと、王女身分を自ら返上してレストワールの領地に引き篭ってしまう事だって充分に有り得る。考えてみれば、それこそが彼女の本当の望みであるわけで………
ーーしかし、彼女から突き付けられた言葉は。
「本来ならっ、こういう事をするのなら、したいのなら、ちゃんと手順を踏んで順番を守ってから、ーーっ、その、し、しましょうね!」
は???
ーー絶望して耳がおかしくなったらしい。
けれど顔を上げた先の姉上は、どう見ても照れていて。
「だから!「嫌」なんかではない、という事です!」
「他の娘にはしないでね?だったら、もう嫌です」
そんな可愛い事を言ってそっぽを向く。顔を真っ赤々にして。
つ、つまりそれは、この先もキスしてもOKという………
もしかしてユーフェリア姉上も、ーーえ?ま、まさか!僕と同じ気持ちに……いつの間にかなっていた……??
ーーて、手順!順番!って、何だっただろうか!?
あ!先ずは告白か!そして交際!デート!その手順を順番通り行えば、存分に好き放題(※そこまで言ってない)キスしても良いと!
涙が出そうだった。天は自分を見放してはいなかったのだ!
ーーならば今すぐに告白を!引くほどの熱烈な愛の告白をと、精一杯意気込むものの。最悪な事に、そのタイミングで馬車は学園へと到着してしまう。
ああ。両想いがようやく確認できるチャンスだったのに……
しかし、せっかく一生に一度の初めての愛の告白。どうせならばムード満点の場所できっちり仕切り直そう。そういえばちょうどこの時期、姉上のお好きな紫陽花がたくさん咲いている場所がある。授業後にそこで待ち合わせるのも恋人らしくていいかもしれない。
そう思い付いて提案すれば、笑顔で「いいね!楽しみに待ってます!」と、嬉しそうにはにかむ姉上。
ーー幸せだった。
エスコートして馬車を降りた先、昇降口までの道のりは不思議とキラキラと雑草さえも眩しく光り輝いて見えて。世界はこんなにも明るかったかと、まるで狐につままれたような感覚だった。
ついつい幾度も横に寄り添う姉上を見てしまうけれど、その度に彼女は幸せそうな笑顔を僕に向けてくれた。うん、可愛い過ぎる……
ああ、どうか神様お星様。ユーフェリア姉上と共にいられるこの幸せが、明日も明後日も明々後日も遥か永遠に続きますようにと。
僕はそう真剣に願わずにはいられなかった。




