俺が彼女のお腹がくびれていることを知っている理由
俺は今、窮地に立たされていると言っても過言ではない。いや、過言だ。今ではなく、きっと未来。必ず訪れる未来は必ず過酷で惨酷なものとなる。そう確信できる。経験なんてものは勿論ないので過去の教訓からそう確信できるという訳ではなく、俺が今やろうとしていることと、その対象を見れば想像に難くない。半分くらい嘘だけど。
その相手にこれを行うことで訪れるその未来では痛みや後悔なんかの負の感情と、さらには夢やら希望なんかの喪失感に体が支配されること請け合いだが、その感情の裏か端のあたりには達成感というか満足感というか幸福感というかそういう正の感情も生まれるはずだ。生まれてきてくれなければ困る。俺はその微かなもののために今こうしているのだから。捨て身で。外聞とかも気にせず。今後の人生を棒に振る覚悟で。いや、負の感情は体全体を駆け巡るだろうがそれはほんの一瞬で、その負の感情を追いやるように幸福が体を満たすのかもしれない。どちらにせよ、どちらなのかはもうすぐわかることだ。
ちなみにこれは誰かに指示されたとか罰ゲームの一環だとかでは断じてなく、ましてや小学生のように気になる女の子へのイタズラとかのような幼稚な原理によるものでもない。確かにこれはどうしようもなく幼稚な行為ではあるが。
これはどうしようもなく能動的で積極的、自発的な行動であり、ここには俺以外の誰かの感情やら思惑なんかは介入していない。
俺がやりたいから今こうしてやろうとしているのだ。
いざ、静かに両足を曲げ、腰を低くし始める。
その時、足の関節がそれぞれ二回ずつ微かに鳴った。本当に静かな音で、例え俺の近く、例えばすぐ隣に誰かしらいたとしても気づかないだろう。実際に俺の数十センチ前に立つその相手も全く気づいた素振りを見せず、友人と見られる人と笑い合っている、はず。こちらはその対象の背後にいるため、その表情は確認できない。しかしその揺れる長く綺麗な髪と制服の端とがそれを思わせる。
そういえばと筋肉の躍動と関節の音に対する緊張に割かれていた脳が回顧に切り替わる。回顧?まあ回顧でいいか。そういえば、彼女はここの高校の制服が誰よりもとてもよく似合っていると思う。長く青みがかった黒髪に豊満な胸部、細い腹部に適度に丸みを帯びた腰、カモシカのような綺麗な脚。体のどの部分を切り取ってそこだけを注視しても制服が似合うし、体全体を見ても制服が似合う。夏場における首筋から見える少し汗の滲む柔肌も素晴らしく魅力的だし、冬場の少し膨らんで柔らかそうな絶対領域もこれまた然り。
確かに彼女の談笑相手のこちらに顔を見せる女子生徒も、この行為の対象である彼女と共にこの高校の一位、二位を争うほどの美少女と噂に名高いが、極めて個人的に、偏見と独断で優劣をつけるのであらば、やはり俺はこちらにお尻を向けている彼女のほうが、制服が良く似合っていると思うし、尚且つ目鼻立ちも俺の好みなのだ。
別に制服フェチの気があるわけではないが、高校になってから彼女の私服自体は見たことはあるものの、私服姿の彼女を見たことがないのでそう判断せざるをえない。それに皆同じ服を着ているのであれば、こういう言い方は少しあれかもしれないが、比較がしやすい。外見で人を~だとかを良く聞くが、良いに越したことはないだろう。
といわけで俺は彼女が好みなのだ。
そんな一方的に好きなだけのはずの彼女に対してこれを行うのはいささか気が引けるところもある。
が、しかしやってみたくてしょうがない。気になってしょうがない。
もう、我慢ならないのだ。
そして右足を後ろにやや大きめに出して、さらに膝の角度を小さくする。そうすると、両目が捉えるのは彼女の後頭部から黒髪に覆われている肩甲骨当たりに移動する。その時、残念ながら彼女の美しきうなじは拝むことはできなかった。
彼女はなにか作業をする時や運動をする時などに、腰辺りまで伸びたその長い青みがかった黒髪を一括りに纏めたり、頭頂でお団子を結んだりする。その時にお目見えするうなじがこれまた素晴らしいのだ。俺はその本当に時々しか拝められないうなじを見た際には必ずこう思う。
舐めたいと。
しかし彼女は今、髪の毛を結んでいない。その髪の毛の向こう側の見えなかったうなじを残念に思いながら、俺はさらに腰を低くする。
肩甲骨を過ぎて制服の上からでは分からないが、くびれている腹部に視界が埋められる。
なぜ彼女のお腹がくびれていると知っているのかというと、いつのことだっただろうか。彼女がなにか高いところにあるものを取ろうと、背伸びをして踵を浮かし、腕を全力で上げ、なにやら躍起になっていたことがあった。…確かあれは今年か去年の文化祭のことだった、気がする。ということは、なにか取ろうとしていたのではなく、教室に飾り付けをしていたのか。まあどちらにせよ、その時彼女は腕を目一杯挙げていたのだ。これにより引き上げられて足りなくなった制服の裾から、麗しきその腹部が見えたのだ。俺は勿論当然のようにその肌に釘付けとなり、その美しき腹部は網膜に今でも焼き付いていて、今現在瞬きをしてもなお、その綺麗なおへそとそのくびれとがチラチラと再生される勢い。
その時はいつまでもそのくびれたお腹を見ていたかったし舐めてもみたかったがしかし、彼女は女の子であり、そのあられもない姿をさらし続けさせるのは俺の正義感みたいなものが許さなかった上に、いきなり舐めるの流石にできなかった。なのでそれとなくお腹の露出をやめさせるため俺は彼女に声をかけた。
「牧之さん、俺が代わろうか?」
彼女は女子としては背が高い方ではある。しかし頭一つ分とまではいかないが俺のほうがいささか長身だ。女の子にこういう作業をやらすのも気が引けるところもあるし。ということで建前とともに立候補。
「う、ほっ、ああ、本立野さん。何か用ですか?今、取り込み中なのです、がっ」
彼女は誰に対しても敬語でしゃべる。彼女と仲の良いもう一人の美少女である三津さんとしゃべる時も敬語だ。もちろん、俺とも。
「飾りつけ、大変じゃない?俺が代わろうか?牧之さんが怪我してもあれだし」
「え、本当ですか?ほっ。じゃあ頼んじゃいましょうかね。少し疲れてきたところなんです。ほっと」
彼女は短く声を出しながら足場にしていた椅子から降りる。結んでいた長いポニーテールとスカートをきれいにはためかせながら、ふわりと背中に羽でも生えている天使かなんかと見間違えるんじゃないかと思うほどに、軽やかに床へと降りた。同時に背後になにか煌めく粒子、光みたいなものが舞った気がした。その粒子が舞い落ちるのと同様に、彼女の着地の際の足音なんて聞こえなかった。
しかし残念ながら大胆にはためいていたスカートでもその中身までは露わにはしなかった。もう少し重力が軽かったらと、非常に大規模に悔しく思う振りをした。ついでにふわりと彼女の髪の毛の香りか柔軟剤かなんかの香りが俺を優しく包む。おぉふ。優しいはずなのに心残りなんかは吹き飛ばす。
「本立野さんは良い人ですね。気に入りました」
「そ、それはどうも」
なんだ、このどきどきは…もしかして、これが、恋?そう阿呆になる振りをしてみる。
そのうるさい心臓に気づかれないように、誠に遺憾ながら彼女からのいい香りと好意から距離をとるため、彼女の乗っていた椅子に上る。ふわふわと不安定な足で、これまた不安定な椅子の上にぐらぐらと立ち上がる。ああ怖い。
「気をつけてくださいね。あ、支えておきましょうか?」
椅子の下駄で二メートル以上となった俺を見上げるように上目遣いで、小さく首を傾げながら提案してくる。もうその優しい言葉と可愛い仕草で十分です。それに胸元がもう、ぐふふ。しかしこんな風に彼女とお近づきになれる機会なんてそうはあるまい。それに普通に怖い。
「じゃあ…」と彼女に対して申し訳ない心持ちでもって頼もうとする前に彼女はもうすでに椅子に手を添えていた。
「あ、ありがとう」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます」
ここで再び後悔の念に苛まれる。作業を代わるのではなく、今の牧之さんのように牧之さんの作業を支えてあげればよかった。そうすれば上を見上げるだけで…ぐふふ。しかしそれはもう叶わない。大人しく飾りつけを始める。
それにしても折り紙の輪飾りを張り廻らすなんてなんだかちゃちに見える。アニメや漫画なんかの文化祭だともっとこう、大々的で派手な装飾だが、こんな田舎の高校はこの程度だろう。まあそのお陰で飾りつけはすぐに終わったのだが。
「ありがとうございました」
椅子をかたかたと小刻みに揺らしながら牧之さんの椅子からの降臨なんて比べ物にならないほどに姦しく着地する。ふぅ、怖かった。ここだけの話、少し高所が苦手だったりする。こういう少し高いだけでも足元が心許ないだけで、もう冷や汗がだくだく。やっと安定した地に足がついたことで、牧之さんには気づかれないように安堵する。
大丈夫。額に汗が滲み、膝に手をついていて、さらにその手で隠しきれないほどに足がいつか見た椅子のように小刻みに震えていて息が若干上がっているが、牧之さんには気づかれないだろう。なぜかって?それはもう彼女が作業を終えた俺の近くにいつまでもいる必要がなく、俺は未だに床へと視線を落としていて確認していないが、彼女がまだ俺の目の前にいるはずがないからである。俺のこのへたっている姿は彼女には見られないだろう。
荒くなった呼吸と震えが収まったところで、膝から手を離し腰を伸ばす。
するとどうだろう。
「大丈夫ですか?高いところが苦手なら代わって頂かなくてもよかったのに。でもそれでも代わってくれたんですね。やっぱり本立野さんは良い人のようです」
優しく美しい顔と声に迎えられた。
そして少しばかり格好の悪いところを知られてしまい、いささかバツが悪い。
「はい、これで汗拭いてください」
「あ、ありがとう」
手渡されたのは薄いピンク色のハンカチ。おずおずと受け取り、申し訳程度に額へとハンカチをあてる振りをする。ついでに気づかれないように細心の注意を払いながら、さりげなくハンカチの匂いを嗅いだ。おぉぅふ。
「あ、あー洗って返した方がいいよね」
「いいえ、大丈夫ですよ」
牧之さんは相変わらずの柔らかい笑顔で両手を俺の前で開くのであった。俺はその柔らかそうな御手に汚してしまったハンカチをこれでもかというほどに謝意を込める振りをしながら静かに置いた。その時、手と手が軽く触れあってどぎまぎしたのは内緒だ。…ん?手当たったっけ?このあたりはなんだか記憶が曖昧だ。まあいいか。
そしてハンカチを受け取った彼女は目が線となった笑顔を光の粒子とともに輝かせた。
そんなわけであの日見た彼女のお腹が括れていることを俺は知っているのである。今は制服と黒髪の毛先に隠れてしまっているが、彼女が去年よりも膨よかになっていなければ、彼女のお腹は括れているのだ。指か舌なんかを這わせてみたい。