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スカートめくり feat. ピンクのしましまパンツ  作者: 齊藤パンティ
第一段階 彼女の後ろに静かにしゃがむ
2/19

パンツのあれやこれや

 

「うははははははははっ!白かっ!こりゃ最高だぜっー!」


 どこからか最高に阿呆らしい女声が姦しく聞こえた。その後、続けざまに高い悲鳴と怒りがあがった。


「きやーっ!って何度目よっ!」


 げしっとなにかがぶつかるような音が聞こえたあと「あでっ」と短い声も聞こえた。


「部長、今日の練習メニューは?」

「スプリントドリルの後、流しやってエンドレスリレーだよ」


 陸上部部長の渋く良い声が穏やかに響く。

 そのあとに、床になにか金属のものが落下したような音がした。


「あ、落としたよ。はい」

「あーありがとー」

「でもそんなに暑くないのに、扇子もってきてるの?」

「乙女のたしなみよ」


 どこか誇ったような声も聞こえた。

 そんな感じでショートホームルームが終わったばかりの放課後の教室は、まだ人が多く、当然のように騒々しかった。

 俺はそれらの声がもう少し薄くなるまで待とうと思い、物思いに更ける。

 そうだな、例えばクリスマスプレゼント。これは朝起きたときから、いや前日の就寝前、もっと言えば一週間前あるいはそれ以前から、その箱の中身が気になってしょうがない。誰もがそうだと思う。

 また亀を助けた誰かも、禁止されたのに箱を開けてしまったし、開けるなと言われたのにも関わらず襖を開けて恩返しを邪魔したくなってしまったりと、なにかに囲まれていたり覆われたりして見えてはいないが、存在するであろうもの、そしてやるな、見るなと禁止されたものは、どうしたってそれを犯して確かめてみたくなってしまう。そういうものなのだ。

 また少し違った話で、放射性物質や毒ガスかなんかが入った箱に生きた猫を入れるという思考実験があるらしい。その箱に蓋をした状態、つまり外から中身が見えない状態において、その箱の中の猫は生きているのか、はたまた死んでいるのか。

 答えはその箱の中では、その猫は生きている状態と死んでいる状態が重なっているという。そして蓋を開けた瞬間、つまり観測者が猫の生死を確認したとき、どちらかの事象に収束するというのだ。

 身近な話に例えるなら、引きこもりのクズが生きているのか死んでいるのかはドアをこじ開けるまでわからない、だとか、スカートを捲るまでパンツを穿いているのか穿いていないのかはわからない、だとかだ。

 もっと言えばスカートを捲るまではパンツの色さえもわからない。まあ当然だ。

 しかしそれは同時に膨大な想像力を与えてくれる。

 穿いているのか、はたまた穿いていないのか。

 あるのか、ないのか。

 また誰かが言った。カーテンを閉めた窓の向こう側には何も無く、そのカーテンを開けた瞬間に、その向こうの風景が出来上がるのだと。また、誰もいない森で木が倒れたらその木の倒れる音はするのか、という問いもある。

 つまり、観測者がいない限り、パンツも存在しなくなるのではないだろうか。カーテンの向こう側、ここで言うスカートの中身は何もない虚無であり、スカートを翻した瞬間にパンツが出現すると考えることができる。

 つまりパンツの有無は観測者であるスカートを捲る人間が決定しているということになる。

 結論を言おう。

 スカートを捲る人間にはパンツを出現させる能力があると言っても過言ではないのだ。

 スカートを捲る人間がいるから、パンツは存在しているのだ。

 ここで能力や超能力という言葉を聞くと、漫画や小説を思い起こす。

 つまり二次元だ。

 そして一つの疑問が浮かぶ。

 果たして二次元の女の子、つまり紙の上やモニターに映し出されたぺらっぺらの女の子が穿いているパンツ。それはパンツとしての魅力があるのだろうか。

 確かにそれは、現実世界でのパンツの役割を十分に果たし、さらには三次元ではおそらくありえないであろうと思われるほどの構造や不可思議なまでの布の皺、肌への凄まじい吸着力、密着力を保有する。

 つまり中身が浮き出ていることがしばしばあるのである。

 果たしてこれはパンツなのだろうか。

 もはや二次元におけるパンツは疑似的な中身そのものであり、下着という範疇を凌駕し、中身だけよりもさらに中身らしく、女の子のそこを表現しているのではないだろうか。

 つまり二次元のパンツはパンツそのものの魅力だけではなく、二次元だからこその魅力も含まれていると考えてもいいのではないだろうか。

 しかし、ある一点だけ欠ける要素がある。

 それはパンツの不確定さ、だ。

 つまり二次元に対しては、観測者、この場合読者あるいは視聴者自らがスカートを捲ることができず、穿いているのか穿いていないのかのその対峙を直に感じることができないのだ。確かに漫画やアニメにおいて、パンツを穿いているのか穿いていないかをあやふやにする演出、例えば真っ黒に塗るだとか謎の閃光を走らせるなどの表現がある。しかしそれはそれまで止まりなのだ。これ以上のパンツへのあれやこれやの起きようがないのだ。なぜなら、例えばそれが漫画であればそれはもう既に紙に印刷されてしまっており、それはもう揺らぎようのないことだからである。

 逆に三次元ではどうだろうか。現実世界では日によって、時間によって、その人がパンツを穿いているのか穿いていないかが変化するだろうし、なんといってもその人の、パンツを穿くか穿かないか、また色や柄の選択などという「意志」という揺らぎ、可能性が介入する。そしてそこに加えてスカートを捲るのか捲らないかの二筋の可能性も足され、スカートの中身の存在についての夢想、意想をいくらでも巡らすことができる。

 確かに二次元のあの独特なパンツも悪くない。

 しかし、やはり本物のパンツには適わないのだ。スカートの向こう側には、パンツがあるのか、パンツがないのか、それとも虚無なのかと、無限に夢が広がっているのだ。

 まあ虚無だとか言われてもよく分からないので、ここで、パンツを穿いているのか、それとも穿いていないのか、という二様にしよう。

 仮に穿いていたとしたらそのパンツの色は何色なのか、ピンクか青か。柄は、水玉か縞か。紐かローレグかハイレグかTバックかそれともビキニか。逆に穿いていないなんてことあり得るのだろうか、いやあり得ない。しかしもし穿いていなかったら。その人がとんでもない変態さんだったら、どうだろうか。いやそんな変態さんなんて創造物でしか現れないだろう。そんな変態なんてこの世界にはいるはずがない。しかしもしこの世界が現実のそれではなかったとしたら。もしこの世界が漫画や小説かなんかの世界だったら、そんなとんだ変態さんがいてもおかしくないだろう。

 そしてこの世界が現実のものだなんて誰に証明できるのだろうか。誰にこの世界がデータ上のものではないと証明できるだろうか。誰にスカートの中身がないと証明できるのか。誰にパンツを穿いているのかを証明できるのだろうか。誰にパンツを穿いていないのか証明できるのだろうか。

 確かに本人の口からパンツを穿いているのかパンツを穿いていないかを言ってもらえれば、一応の証明、証言にはなるだろう。しかしその言葉が真実かどうかは誰にも証明できない。なぜならその言葉にいくらでも疑ってかかることができるからだ。

 そこでだ。

 仮にここで神かなんかの絶対的な存在の言葉によって、ある超絶美少女が絶対にパンツを穿いていると示されたとしよう。そしてその確実に絶対にパンツを穿いている女の子へとスカート捲りを繰り出し、両目がその女の子のパンツを捉えたとして、果たしてそれはパンツなのだろうか。

 確かに神か何かによってそれはパンツだとされている、もしくは神により創造されしパンツだ。しかし、だ。しかし、それは本当にパンツなのだろうかと、これもまたいくらでも疑うことができる。神にとってのパンツが俺にとってのパンツではないかもしれないし、神が見せている幻想かもしれないし、いくら神がパンツだと言ってもそれを疑うなんて容易い。

 さらには色についても議論の余地があるだろう。仮に神様が赤のパンツですよ、と言ったとする。そして実際にそのパンツを見たとき、俺はそのパンツの色を赤色と捉えるのだろうか。日本人は虹に含まれるのは七色としているが、どこかの国では四色だったり五色だったりと差異が生じているらしい。このように、神がそのパンツを赤だとしても、もしかしたら俺にとってはその色はピンク色かもしれないではないか。この場合、つまり俺がそのパンツの色をピンクとした場合、なぜ俺はそのパンツの色をピンクとしたのか。さらに、スカートを捲りそのパンツを認識し、そのパンツをピンク色とし、本人に向けて「ほほう、ピンク色ですか。素晴らしいですね。」と一言丁寧に感想を述べたとしよう。この俺の言葉に対してそのパンツを穿いているその相手はきっと羞恥と怒りに包まれるだろうが、もしここでその彼女が神の言葉なしに「ピンク色じゃないわっ赤色のパンツよっ」と俺の感想にそれこそ顔を真っ赤にしながらも反論したら、このパンツの色の差は何によって生まれたのだろうか。そしてさらに第三者にこのピンクだか赤色だかのパンツを見せたとき、その人はそのパンツを何色というのだろうか。仮に桃色のパンツだと言ったとしよう。同じパンツでもその色がピンクと赤と桃と意見が分かれる。果たしてこの差は何に起因するのだろうか。俺は何を以ってそのパンツをピンク色としたのだろうか。

 いや、待て。あれ、この話なんか違う気がする。俺の見ているピンクは他人の見ているピンクとは違う色なのか、みたいな話だったような気もする。あとモノクロの部屋に住む秀才なメアリーさんの話もあったな。このメアリーの話は確か、今まで色を見たことなかったメアリーさんがそのモノクロな部屋から出て初めて色を見たときに何を学ぶかみたいな感じだった気がする。つまり何が言いたいかというと、メアリーさんの穿いているパンツの色は確実に黒か白なのである。それはつまり、ぐふふ。きっとメアリーさんは金髪碧眼で巨乳で愛溢れる人だろう。ぐふふ。いや、そもそも彼女は色を見たことがないので金髪はあり得ないか。まあいいや。

 色についての話はなんだかよく分からなくなってくるので話を戻そう。

 もし仮にこの世界が二次元であったら、スカートの下にパンツを穿いていない女の子がこの場にいてもなんら不思議ではない。むしろ二次元、特に成人向けの漫画ではよくあることだ。だとしたら、もしこの世界がR指定の世界であったら、俺がここで誰か女の子のスカートを捲ったとして、そのはためくスカートの向こう側には、それがあるのだろうか。パンツがあるのだろうか。そしてもしパンツを穿いていた場合、そのパンツは何色なのか。

 これらの想像はいくらでも膨張し暴走し、時間なんてものはすぐに過ぎてしまう。しかしこうやって過ぎた時間を俺は決して後悔はしない。するはずがない。

 なぜなら俺はスカート捲りが、パンツが好きだから。

 しかしこのパンツの妄想と夢想、希望や夢なんかはスカートを捲った瞬間に途絶えることになる。穿いているのか、穿いていないのか、何色なのか、紐かビキニか、それらのせめぎ合いがあるからこそスカート捲りへの妄想は捗り、夢を与えてくれるのだ。

 つまり、スカートを捲って両目がパンツの有無、それからパンツの色、パンツの種類を認識してしまったところで、すべてが終わってしまうのだ。

 夢も希望も。

 確かにスカートを捲りパンツを拝めれば、そのパンツから何かしら崇高なものを享受できる。しかし、スカートを捲る前におけるパンツの有無を、パンツの色を、ぐふふと妄想していた方が何倍も何十倍も有意義なのだ。

 だとしたらスカートを捲らなければいい、と誰かが言うかもしれない。

 確かにスカートを捲らなければ夢が永遠に続くことになる。いつまでも脳内でパンツを楽しみ続けることができる。

 しかし、俺は捲りたいのだ。

 スカート捲りも好きだし、パンツも好きだから。

 クリスマスのプレゼントや、恩返しされたおじいさんと同じように、中を確かめたいのだ。スカート捲りは社会的に禁止されているため、カリギュラ効果も発揮される。

 つまり俺はスカートを捲りたいのだ。

 しかしスカートを捲りパンツを目に捉えた時点で失うものがある。

 ならばスカートを捲っても、その中身を見なければ良いのではないだろうか。そうすれば夢が途切れずに済む。

 しかし例えば俺が目隠しをした状態でスカートを捲ったとしよう。

 果たしてこれはスカート捲りと言えるのであろうか。

 確かになにかを捲ったのかもしれないが、それが本当にスカートであったのか証明のしようがないだろう。なぜなら見えていないから。例えば捲られたその相手がどんなに「スカートを」捲られたと主張してもその言葉が真実であるとも限らないし、俺と被害者以外の第三者が同じように主張したとしてもその言葉をいくらでも疑うことができる。そして例え見えていたとしても、それが果たして本当にスカートなのかとも疑える。

 さらには目を隠した状態では、スカートを捲った後お目見えするであろう、その麗しきパンツを見ることができない。

 中身、つまりパンツの見られないスカート捲り。

 果たしてこれは本当の意味でのスカート捲りと言えるのだろうか。

 確かに、夢は見続けられる。

 しかしパンツは見られない。

 果たしてスカート捲りとは。

 そんな感じで、ぐぬぬ、ぐふふと夢かパンツかと脳内で堂々巡りをしていると、教室から人が減る。そして数分後、教室の人間が十人弱に減ったところで意を決して立ち上がった。ついでに教室のどこに彼女がいるのか視線を巡らせ確認し、その彼女を目指して、高鳴る心臓と滲む汗を気にしながら近づく。できるだけ足音が立たないように、できるだけ、風が起きないように、極めて慎重に。

 そして彼女の背後におっ立つ。

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