ビッグホーンドーム
欧州、そして満州に立て続けに異常事態が起きていた頃、米国は今後の方針を決めかねていた。
欧州では英仏とドイツが戦争を始めていたが、何故か1ヶ月程度で事実上休戦してしまっていた。
そして、極東ではよくわからないおとぎ話の中から現れた生物に日本が敗北したとの知らせが届いていた、
米国では今後どうするか、様々な案が出されていたが、欧州での戦争が拡大しなかったことから戦争は終わったとの機運が高まっていた。
散々批判してきた日本もよくわからない出来事で満州から叩き出され、満州奪回のためとして中国戦線を縮小し、日米交渉の土台自体が崩壊している状況では交渉継続の根拠がなかった。
日ソが満州に出現したドームを巡って争ってくれたら御の字とばかりに、中国大陸から日本軍が撤退したことを理由として対日制裁案を取下げ、石油や資源輸出を優遇する措置に出ていた。
それだけでなく、技術提供を申し出ると二つ返事でそれまで拒否していた満州での資源開発を受け入れると言い出した。
日本がよほど困っていると見た米国は、様々な技術提供や資源輸出を行った。
1942年にはそのかいあってか戦況は好転していく。
更にどんな権益を要求するかと考えていた8月の終りにロッキー山脈の東の外れにあるビッグホーン山脈で不思議な目撃事例が報告される。
雪男やキングコング、宇宙人に慣れっ子の米国政府はいつものこととして気にも止めなかったが、秋にあまりに山火事が頻発する事態にようやく件の与太話に目を向けることになった。
8月には一度、9月には山火事と共に三度、10月になるとビッグホーン山脈を越えて目撃事例が報告される様になった。
既に欧州では異界への侵攻が行われ、極東では日ソが異界からの侵攻を受けている。
おとぎ話の様な話だが、北米にもそんな事態が起きても不思議ではないと考える程度には米国政府は欧州や満州での事態を受け入れていた。
出てくるのはローマの軍勢かはたまたケンタウロスか。
だが、調査に向かった飛行機はことごとく帰ってこなかった。
山岳地帯に何かあるとの情報だけが政府にも民間にも知られていた。
事態が動いたのは1943年2月に入ってからだった。
地元のハンターが翼竜の様なものを撃ったと言うのだ。
目撃例だけなら既に寄せられていたが、撃ったのは初めてだった。
件のハンターは更にその生物を仕留めようと山に入った。しかし、ハンターは3日経っても帰ってこなかった。
この為捜索隊が組織され、山にはいる。
その日の夜、山裾の町が文字通り炎に包まれる事になった。この事件では翼竜の目撃情報が多数寄せられ、米国政府はビッグホーン山脈にドラゴンが住み着いたと発表し、軍に討伐命令を出す。
これが米国を悲劇へと引き込んでいくが、この時は知るよしもなかった。