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放り出されている

作者: 森かえで

少し重い内容の上、書き手の未熟さゆえ、物語は難しい表現になっております。読後感はあまり良くないかもしれません。ご注意願います。

「あの写真は使わんでほしかったなぁ」

 映っているのは高校の卒業アルバムに載っている写真で、私は桜吹雪に思いきり髪を乱されながらポーズをとっている。弾ける笑顔は、これから一年間苛めに泣くことを知らない。滑稽だと思う。

 理由を聞かれてそう説明したら、そんなことは皆知らないんだから、とまっとうな答えが返ってきた。

「でも、そもそもね、外見がキレイなのが映るほうが良いんだよ。こんな可愛い子がどうして、って、世間の関心を煽るでしょ」

「キレイでも可愛くもなかし」

「いや。いま現在の実物より、よっぽどキレイに写ってるよ」

 この人は構ってほしそうに沈黙していたけれど、黙り返してスルーする。ほどなくこの人の写真も出てきた。写真の彼は照れたように目を伏せ笑っている。

「もう少し凶悪な顔の写真にすればよかとにね」

「俺、凶悪な顔とかしたことないもん」

 彼は、自身のウェーブがかった長髪を指で弄りながら言う。退屈そう。私も退屈だ。

 春のような、冬のような、黄色く柔らかい日差しが辺りに降り注いでいる。もんしろ蝶がのんびりと私の横を通りすぎて、だからもしかすると春かもしれない。

 私と殺人犯は、野原に放り出されている。

 私と殺人犯。もっとも、そんな言い方は適切でない、らしい。叱られた。私は意識の薄れ行く間に彼を殺してしまった、ということらしく、だから

「二人の殺人犯」というのが正しい言い方、らしい。

 再び目の前の鏡に目を戻す。この鏡は両脇にくまのマスコットがついている可愛らしいもので、多分おじいちゃんの家にあるのと同じものだ。鏡のなかでアナウンサーはとうとうと原稿を読み、私と彼が死んだ日の、私の行動を露呈させていく。

「買い物かぁ、そういえば大きい紙バック持ってたね」

「そう、アローズの夏物がすごい安かったと」

「あぁ、アローズ。可愛いよねぇ」

 衣料雑貨の販売員をしていたというこの男。ふにゃりと締まりない笑顔を見せる。そうだった。この笑顔で三回刺したのだ。帰り道、表通りの木の陰だった。

 すごく痛くて、それ以上に恐かった。

 今なぜ、私は私を殺した男と、軽く会話を重ねているのか。笑顔や骨ばった手指は恐いけれど、恐いから大人しく受け答えせざるを得ないというわけではなく、私の気持ちはすとんと落ち着いていた。私は首と胸から出る熱い血の感触を覚えていて、その感触が、生とは違うところに私の居場所を作っていた。今、十九年の幸せがきちんと私を包んでいるのを感じている。だからとても、あったかいのだと思う。

 もんしろ蝶がまたやって来て、私の太ももや膝をつついて去っていく。男はごろりと横になった。私は、殺した女に殺された、この男のほうが可哀想になってくる。彼は好きなもの、やりたいこと、そんなことを頻繁に会話に織り混ぜてくる。殺してしまって申し訳ないな、と思った。

「ねぇ、私さ、どうやってあなたを殺したと?」

 頭から血を流して死んでいた、というのは先の速報ニュースで知っていた。今は目付きの悪い警察の人が防犯について熱心にしゃべっていた。

 彼は何も言わなかった。

 そのうちに、鏡から光が消えた。

「寝よっかなー」

「え、もう寝ると?」

「もう、ていうか、時間とかわからないんだよね」

「まぁ、そうだね」

 日差しの向きも風のにおいも、何も変わらない。

「寝たら、何かしら環境も変わってるかもしんないし」

 いつの間にか野原が地獄に変わっているのではないだろうか、などと思いついたけれど、そんなことは彼も考えたりしている気がする。

 横たわり芝に顔を埋めると、自分の汗のにおいがした。男が、そっとため息をつく音が聞こえた。


 寝ていると夢を見た。今まで出会った人や見聞きしたものが、たくさん現れては消えていく。これが噂の、走馬灯に例えられるものかもしれない。それにしたって遅すぎる。もう死んでしまった後なのに。


 幼稚園の先生。校庭の記念碑。おじさん。説教してるお父さん。大学の図書館。初めての動物園。

 毎日見ていたものもあれば、忘れてしまっていたはずのなんだかマニアックな記憶もある。小さくてとりとめもなくて、だからこそいとおしく大切な輝きに思える。ひとつひとつ、体ぜんぶで覚え込んでいく。

 自分で自分を、いま現在の、生命が絶たれている存在として再構築するような感じ。記憶の流れの中でその断片を拾いあげ、そして目に触れなかったものは捨てていく。シンプルで身軽な体になってどこぞへ足を踏み出すのだろうか。だとしたら、この走馬灯はきっぱりと世界を隔てるための儀式めいたものになる。

 私の、今の野原ばかりの世界、次に訪れる世界。

 私は、私という存在が死してなお途絶えていないのは本当は奇跡的なできごとだと思っていて、だから、これから、なんてものがあるかどうかも怪しい。今拾っている記憶もどうなるかわからない、と考えてしまうと、思考をぐぅっと停止せざるを得なくなる。

 今の私に意味はあるのか。先は、見えない。

 いきなり、泡を吹く男の顔が度アップで現れた。今、横で寝ているはずの人だった。

顔が紫色なのが、街灯の薄い光でわかる。白目をむいて、頬をぴくぴく痙攣させている。

 自分の爪が、男の薄く柔らかい首の肉に食い込む感触。私はこの人を、故意に殺してしまっていたのか。死ぬ間際の自分にだいぶショックを受ける。ナイフに抵抗するときに突き飛ばしてしまったくらいだろうと、キレイに考えていた。

 なぜ、殺した?私もその時は首と胸の傷を受け、死ぬ間際だった。男の殺害に、実際は後に野原でまったりとくっちゃべる羽目になったものの、その当時は何の意味もなかったはずだ。

 目の前はだんだんと暗くなり、男の姿は消えていく。

 次に見えてきたのは、旧友の冷たい瞳だった。久しぶりに見る、高校の制服。机や椅子。

 苛めは、少女たちの気まぐれによるものだった。気まぐれで苛めに遭う、自分の小さな存在が嫌いになった。

 こんなのはいらない。早く、別の。別の記憶。強く念じていると、公民の授業で教えていた老年の講師の姿が浮かんできた。

 その日の空みたいにつぅんと青い、半袖のカッターシャツ。黒板には日本政治のしくみが図解されている。しかし先生は大きく路線を外し、東洋哲学の流れについて語っている。

 そうだった。先生は良い言葉をたくさんくれた。泣きながらもずっと学校に通えたのは、この人のおかげかもしれない。

 優しくさらさらと、先生の顔が消えていく。風景が高校から、小学校の音楽室に移る。ベートーベンの顎。

これを撫でると頭が良くなると言われていて、顎のところだけ手垢で黄色にくすんでいる。

 そして、校長室の前に飾られた消防車の絵。紫陽花とあま蛙。卒業式、握手する友達と事務員さん。

 十九年分の記憶。経験。嫌なこともあったけれど、私は人や自然と共に生きることができて、とても幸せだった。今も私の身体を包んでいるであろう野原や青空、また可愛く舞う蝶々なんかを思い返す。これがまさに、人生の幸せを映した輝きなのだろう。

 ふと、気づく。小さな音が耳のなかで、響き続けている。ぷちぱち、泡が弾けるような。耳鳴りだろうか。

 事務員さんの顔が、ずるりと横に伸びる。ひょろ長い柿の木が現れる。これは、おじいちゃんの家にある。渋柿の木。葉はなく、実が二つ、三つだけなっている。

 私の視界が、その実の一つにじわじわ寄っていく。ぷちぱちの音がどんどん、大きくなって、響いてくる。

 あぁ、これは実が熟している音なんだと気づく。果実を発酵させて果実酒をつくるときのように、柿の実が自身を、泡を出しながら煮やしている。

 オレンジ色が水っぽく滲んで、盛り上がって沈む。私の頭の中も、じゅくじゅくじゅくじゅく、うずいている。じっと、それを感じる。


 にがい。夜の味血のにおい。ほうちょう。

 なんであの時涙をこらえたんだろう。

 きっと、悔しかったのに。たっぷりの血溜まりを見て生を遠く感じたとしても。

生と分け隔てられたところに居場所を持ったとしても。

 私はもっと永く、幸せを手に入れられたはずなのに。


 柿の実から濃い苦い果汁が、ぽたぽた垂れて、枯れ枝が軋んだ。

 気がつくと野原に寝そべっていた。隣では私を殺した男が寝て、なにやら二、三唸っている。

 男の声と一緒に、平坦な女の人の声もぼそぼそ聞こえてくる。凶器と見られる刃渡り二十センチの包丁は女性の遺体の足元に落ちていました。と、聞いたところで、呻き声が聞こえ、ゆっくりと男が起き上がった。

「…おはよぉ」

「うん」

 アナウンサーが続ける。死因は失血死でした。

「…ねぇ」

「なんね?」

「なんで俺を殺したの?」

 男の目は少し潤んでいる。

「別にさぁ」

「うん」

「道連れにしても何の意味もないじゃん」

「…うん、そうだよね」

 男は黙って私を見ていたが、ふと目を逸らす。

「あーぁ!」

と唸ると、また野原に突っ伏した。

 じゃあ貴方にとって私の死にはどんな意味があったんだ。言おうかとしたけど、言ったって何にもない。

 ニュースは長い。鏡についているくまのマスコット。にこにこと笑っている。

 ふと、おじいちゃんの笑顔を思い出した。そうだ、ほくほくの笑顔で、可愛いだろう、この鏡持っていっていいぞ。小学生のときだか、言ってくれた、ような。

 これが最後に拾う記憶なのだと、わかった。 終わりは悲しかった。もう手に入れられないのが嫌だった。野原の輝きなんていらないから、意味もなくなっていいから、もっといっぱい拾いたい。もっと永く、生きたい。おじいちゃんにもお父さんにも先生にも会いたい。みんなに会いたい。

 悲しいと思ったのは、初めてだった。嗚咽が沸いた。

 男が顔だけこちらに向けて、

「え、何、泣かなくても…」

と、目をみはる。

 瞬間、私は男の首に手をかけていた。

 私の手は迷いなく男の気道を遮った。指の的確さの一方で、頭の中は熱い血が渦巻いてなんだかよくわからない。

 男が目を見開きこっちを見ている。熟れた渋柿が地面に落ちる音がした。まだ盛り上がって沈む。盛り上がって沈む。ぷちぷち音が聞こえる。これは頭の中が煮える音なのか。男の口角の泡が弾ける音なのか。

 目眩がする。

 それと同時に世界が転じる。


 夜の表通りの樹木の影、視界は暗く、ちらちらしている。縁石を枕に、男が仰向けに倒れているのが見えた。

「え」

 白目を剥いて、多分息もしていない。私は、細く荒く、呼吸をしていた。胸のとこいたい。血はどくどくと下半身まで流れて、足元に赤いみずたまりを作っている。

 死ぬ直前の景色だ。

 今さっきまでの野原と空は死後の世界ではなかったのだ。走馬灯のような記憶の噴出、このタイミングも、全く間違っていなかった。

 一瞬、生き返れているのかな、と思った。けれど、意識はどんどん朦朧としてきているし、踏ん張る足の力もなくなってきている。やっぱりお別れ。また悲しくなって泣けてきた。

 わざわざ野原のところから戻ってこなくても、あのまままっすぐに意識を手放せれば良かったんじゃないか、と思った。今の私がまた拾って持ち帰れるものはと言えば、夜の闇と風のぬるさと、男の亡骸だけだ。

 おじいちゃんの居間で殺されたたら死の間際にも良いものいっぱい見れたかなぁとか、変にどうにもならないことばかり頭に浮かべながら。膝から土に崩折れ、目の前の夜が、ずっと繋がってきた世界が、閉ざされていった。私はまた、知らない世界に、あるいはただの闇に、放り出されていく。

 涙が何滴か、私より先に落ちた。

読んでいただいてありがとうございます!


一応、補足というか;

人を殺すことは、例えどんな場合であっても、いけないことだと思っています。この物語では、男も女も。

ただし、女の罪は男の罪が作り出したものです。殺生の罪は巡ります。

その意味では、最初の罪作り、男の方が許されざることをしたとも言えるかと思ってます。


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― 新着の感想 ―
[一言] 「映る」は写真の場合、「写る」ですよね。
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