第八話 生きた場所、帰る場所
市立図書館を出て、僕たちは川守神社を目指して出発した。
というのも、川守神社へのアクセスを調べてみたところ、矢上駅から電車で約一時間、バスに乗り換えて10分程度でたどり着けるらしく、今日中に行って帰ってこられると分かったからだ。
川守神社への行きかたを調べているうちに分かったことだが、東川松村は昭和のはじめ頃までは存在していたらしい。その後いろいろあって最終的に市町村合併で市の地区の一つになったという。
「戦で負けて滅ぼされたわけではないから、幸いでござるよ」
そう言って吉兵衛さんは穏やかに笑った。
駅から出発したバスは閑静な住宅街をのんびり走っていく。川守神社前というバス停で下車すると、その名の通りにバス停のすぐ目の前に川守神社があった。
神社の敷地はコンビニ六軒分くらいの広さで、その奥にこじんまりとした本殿と拝殿が建っている。小さいながらもどっしりとした造りの立派なものだ。敷地内のものはみんなきれいに管理されていて、地元の人たちに大事にされていることが推察できる。
「ここ、いい神社ですねー、空気が澄んでる感じ」
岡嶋さんは気持ちよさそうに深呼吸している。
「お社は昔のままでござるな。いや、年月が経っておるので古くはなっておりますが、形はそのままでござる」
吉兵衛さんが懐かしそうに言った。
「拙者の家は、ここから東へまっすぐ五町ほど歩いたところでござるよ」
ちなみに町とは昔の長さの単位で、五町をメートルに変換するとだいたい545メートルくらいである。道路地図であたりをつけて、その場所を目指して歩き始めた。
「神社の周りは田んぼがずーっと広がっていて、家がぽつぽつと点在するような村でござったが、もうその頃の面影はまったくございませぬな。田んぼがすっかりなくなって、こんなに家だらけになっておるとは」
「やっぱり寂しい?」
岡嶋さんが恐る恐る尋ねると、
「寂しくないと言えば嘘になりますな。ですが、仕方のないことでございましょう。諸行無常、全ては流れていくものでござる。こんなに人が多く住むようになったということは良き土地である証、良いことでござるよ」
そう言って吉兵衛さんは微笑んだが、次の瞬間に険しい表情になって立ち止まった。僕と岡嶋さんに「止まれ」と片手で合図し、三歩ほど前に進み出て、
「何奴じゃ、そこで待ち伏せておるのは分かっておる、姿をあらわせ」
吉兵衛さんが怒鳴ると、住宅の塀の影から鎧を着た侍が姿をあらわした。
鎧の形からして、大名のような上級武士ではなく一般の武士のようだ。歳は僕たちよりも10歳くらい上に見え、背は吉兵衛さんよりもやや低いが体つきは恐ろしくがっちりとしている。顔は無表情だが敵意に満ちた目が冷たく光っていて恐ろしい。明らかに生者とは違う冷たい気配を漂わせているので、すぐに彼も幽霊だと分かった。
「其方、種間吉兵衛か」
「いかにも、拙者は種間吉兵衛である。お主は何者じゃ」
「たわけ、わしの顔を忘れたか」
そう言われて、吉兵衛さんは侍の顔をじっと見つめた。
「もしや、植木藤右衛門か」
「思い出したようじゃな」
植木藤右衛門はニヤリと笑った。
「戦でお主に討たれて以来、ずっと復讐のときが来るのを願いながらこの世をさまよい続けてきたのじゃ。ここで再び会えたのはまさに千載一遇の好機、今度はわしがお主を討つ」
そう言って植木藤右衛門はぬらりと太刀を抜いた。
「己の負けを認められず、この世にしがみついておるとは未練がましい奴よ。お主は拙者には決して勝てぬ、それを今改めて教えてやろう。安村どの、岡嶋どの、離れていてくだされ」
吉兵衛さんの姿が鎧を着た武者の姿に変わり、刀を抜いて構えた。
吉兵衛さんは刀を中段に構え、植木藤右衛門は上段に構えて、じわりじわりと間合いをつめていく。
まさに一触即発、すさまじい気迫に圧倒されて息苦しい。下腹部が冷えて力が抜けていくような感覚もある。恐ろしさのあまり小便を漏らしそうになる、というのは本当なんだな、なんてことを考えてしまう。
「ちえええええええい!」
植木藤右衛門が、鼓膜が破れるかと思うほどの雄叫びを上げて吉兵衛さんに斬りかかった。上段の構えからの一撃はまるで雷光のような速さで、吉兵衛さんの首元めがけて振り下ろされた。
「やあああああ!」
吉兵衛さんが動いたのは植木藤右衛門が動くのと同時だった。身を少し屈めるのと同時に刀を平らに構え、藤右衛門に体当りするかのように突っ込んだ。
二人のこの動きは一瞬のことだった。
藤右衛門の刀は空を切り、吉兵衛さんの刀が藤右衛門の胸を貫いた。
吉兵衛さんが刀を引き抜くと、藤右衛門は胸を押さえて二、三歩ほどたたらを踏んで、がっくりと膝をついた。
それを見届けて、吉兵衛さんは無表情のまま刀を鞘に収める。カチン、という音が響いた瞬間、僕と岡嶋さんは腰が抜けてその場に座り込んでしまった。
「お二人とも大丈夫でござるか?」
吉兵衛さんが僕たちに手を差し伸べようと歩み寄ってきたとき、藤右衛門が突然立ち上がって吉兵衛さんの背中に斬りつけた。
「ぐわぁ!」
悲鳴をあげて仰け反る吉兵衛さん、だが倒れることなく足を踏ん張り、後ろを振り向くと同時に抜き打ちで藤右衛門の胴をはらった。
「ぎゃあー!」
藤右衛門はよろけて倒れそうになったが、ぐっと踏みとどまって吉兵衛さんの額に刀を振り下ろす。
「ぬわー!」
吉兵衛さんは額を押さえてよろけたが、すぐに態勢を整えて藤右衛門に斬りつける。
「ぎゃー!」
「ぐわー!」
「いてぇー!」
「こんにゃろー!」
斬り合いを繰り返すこと十数回、ちなみに一度も流血したり外傷を負ったりすることはなかった。
まるでコントだ。
僕と岡嶋さんは自力で立ち上がり、近くの自販機で二人分お茶を買って飲みながらその様子を眺めていた。
「「おのれ! なぜ死なぬ!」」
吉兵衛さんと藤右衛門は肩で息をしながら同時に怒鳴った。
「「そりゃもう死んでるからなぁ」」
僕と岡嶋さんも同時に小声でぼやいた。
やがて吉兵衛さんと藤右衛門はぐったりとその場に座り込んだ。二人ともしばらくゼエゼエと肩で息をするだけで一言も喋らなかったが、ようやく落ち着いてきた頃、
「これでは決着がつかぬではないか」
と、藤右衛門がつぶやいた。
「そうじゃ、もう今となっては何も成すことはできんのじゃ。我らが成し遂げたかったことは全て、生きているうちにしかできぬことだったのじゃ」
吉兵衛さんが、少し無念そうな色の混じった声で答えると、藤右衛門はフフフと笑って、
「お主の言うたとおりじゃ、わしは、未練にしがみついておった。見苦しいことじゃ」
そう言うと、藤右衛門はすっと立ち上がった。
「わしは故郷に帰る。先祖代々の墓に参って、父母と妻や子らに詫びるとしよう。種間吉兵衛、迷惑をかけてしまって申し訳なかった」
そう言って藤右衛門は吉兵衛さんに頭を下げた。すると吉兵衛さんも立ち上がって、
「このような形ではあったが、再び植木どのに会えてよかった」
と言って、藤右衛門に頭を下げた。
「では、さらばじゃ」
「さらばでござる」
藤右衛門はすっきりした表情で吉兵衛さんと僕たちにお辞儀をすると、背中を向けて歩き出した。その姿はすぐに景色に溶け込むようにして消えてしまった。
「さあ、我らも参りましょうぞ。もうすぐそこでござる」
いつの間にか鎧姿ではなくなっていた吉兵衛さんがそう言った。
吉兵衛さんの家があったと思われる場所は、普通の住宅街の一角で、わりと最近建てられたと思われる新しい家があるだけだった。ただ、そこにある家の表札には「種間」と書かれていた。
この種間さんが吉兵衛さんの子孫なのかどうかは分からない。
分からないが、吉兵衛さんは満足そうに笑っていた。
「安村どの、岡嶋どの、
ここまで連れてきていただいて、まことにありがとうございました。
何の縁もゆかりもない拙者のために尽力していただき、感謝の念に堪えませぬ。
タケどのとキヨどのから色々教えていただきました。
大坂の陣が終わって徳川の世となり、
その徳川の世も終わって明治という世が始まり、
外国との大いくさに敗れ、また新たな世が始まり、今に至ると。
多くの辛いことや悲しいことがあったが、まだこの国は残っておりました。
東川松村も、こうして姿を変えて残っておりました。
嬉しゅうございますな、こうして、未来が見られるなんて。
本来ならば見られなかった景色ですからな。
かつての村の面影は川守神社にしか残っておりませぬが、
間違いなくここは拙者の故郷でござる。
拙者はここで産まれ、ここで生きていたのでござる。
拙者の父母も、兄弟たちも、村の仲間たちも、みんなここにいたのでござる。
これからどのように変わろうとも、ここは拙者の愛する故郷でござるよ」
吉兵衛さんがそう言うと、信じられないことが起こった。
周囲の景色が、住宅街から長閑な田園地帯へと一瞬で変わったのである。
僕たちが立っているのはアスファルトの道路ではなく踏み固められた土の道であり、遠くに見える山脈のふもとまで青々とした田んぼが広がり、茅葺屋根の民家がぽつんぽつんと建ち、広く青い空が僕たちの頭上にある。空には大きな白い雲が浮かび、田んぼの青くみずみずしい稲の若葉にその影を落としている。かすかに花の香りがする風が吹き、稲の葉がさらさらと音を立てて波打った。
目に見えるもの全てが色鮮やかで、美しい村だと思った。
「おお、おおお……! 東川松村じゃ……! ずっと、ずっと、帰りたいと願っておった、拙者の故郷じゃ……!」
これが吉兵衛さんの東川松村。
「吉兵衛、ただいま戻りました!」
吉兵衛さんは大粒の涙を流しながら、目の前の民家に入っていった。
すると、太陽が突然まばゆい光を放ち、目を開けていられず目をつぶった。
恐る恐る目を開けると、周囲の景色は元の住宅街に戻っていた。
吉兵衛さんの姿はどこにもなかった。
「吉兵衛さん、ちゃんと帰れたみたいですね」
「成仏したってこと?」
「たぶん」
「……そっか」
顔をあげると、さっきより少し灰色に霞んでいる空が広がっていた。
「無事に解決したのか、それはよかったな」
休日明け、僕は大学へ行って、放課後に部室で皆本先輩に頼まれたお寺のリストを渡し、無事に東川松村を見つけたことを報告した。
「たくさんの人に助けてもらったおかげです」
武蔵国の手がかりを教えてくれて、僕が大学へ行っている間は吉兵衛さんと一緒に手がかりを探し回ってくれた岡嶋さんと、タケじいとキヨじい。
幽霊についてのアドバイスと御神酒をくれた六花のマスター。
古地図の閲覧の仕方を教えてくれた図書館のスタッフ。
古地図を描いた人や現代まで残してくれた人。
古地図のデータベースを作ってくれた人等々、色んな人のおかげで吉兵衛さんは故郷へ帰ることができたのだ。僕と岡嶋さんだけでは絶対に無理だっただろう。
「皆本先輩も、ありがとうございました」
「私は何もしてないぞ? むしろお礼を言うのは頼みごとをした私のほうじゃないか?」
皆本先輩はそう言って、リストを眺めながら何かメモをとりはじめた。
皆本先輩がわざわざ古地図に描かれたお寺のリストアップを頼んだのは、昔のお寺や神社は今でも残っていることが多いから、それが手がかりになるかもしれないと、それとなく僕に気づかせるためだったのではないか、と思っている。
お礼を言ったときから、ずっと皆本先輩はこちらのほうを見ようともせずにリストと原稿用紙ばかり見続けているところから察するに、この人は多分、お礼を言われることが苦手なんじゃないだろうか。
ならば、これを指摘するのは野暮な気がする。
ちゃんと解決できたことを伝えて一言お礼を言った。この人にはそれでいいのかもしれない。
大学から帰ったあと、岡嶋さんと一緒に六花へ行ってタケじいとキヨじいとマスターにもお礼を言った。
マスターは「一つ功徳を積んだな」と言って、店内に貼ってあった情報提供を求める張り紙を丁寧に剥がした。
タケじいとキヨじいも「二人ともよく頑張ったなぁ」と褒めてくれた。
「成仏は早いほうがいいからな、って、ワシらが言える立場じゃねぇけどよ。無事に帰れたならよかったぜ」
「吉兵衛さん、いいお侍だったねぇ」
「そうですね」
四人でしんみりしていると、マスターが小さなグラスを六つ持ってきた。グラスに注がれているのは例の御神酒だろう。
「兄さんは未成年だからソフトドリンクで勘弁な」
当然ながら僕の分だけサイダーだった。
五人それぞれグラスを持ち、捧げるように掲げて、
「種間吉兵衛さんに」
マスターがそう言うと、みんな同じ言葉を繰り返してグラスを一気に飲み干した。
一つだけテーブルに置かれた、酒が注がれたままのグラスを眺めながら、楽しそうに酔っ払っていた吉兵衛さんの姿を思い出した。
ふと、岡嶋さんが成仏するときも、今回のような感じで消えてしまうんだろうか。などと考えてしまった。
「どうしました?」
つい岡嶋さんの顔を見つめてしまっていたようだ。慌てて「なんでもない」と言ってサイダーのおかわりを頼む。
「あ、もしかして、私に見とれちゃってましたー?」
「うるさい」
「なんだ、やっぱりお前ら付き合ってんのか?」
「違います」
ちょっと胸が痛んだような気がしたんだけど、幽霊トリオにからかわれたせいで完全に分からなくなってしまった。