第二話 交渉、そして入学式
やっぱり、幽霊であろうと生きている人間であろうと、赤の他人、しかも異性と一緒に暮らすというのは困る。
いや、いつかは女性と一つ屋根の下で一緒に暮らしてみたいという気持ちはあるんだけど、それは恋人または結婚相手としたいのであって、このような「幽霊と同居」という形ではないのだ。
だから岡嶋さんにはできれば出て行って欲しいんだけど、無理矢理追い出すのはできなかったのでアプローチを変えてみることにした。彼女を説得して納得してもらい、穏便に出て行ってもらおうと思ったのだ。
しかしこれが大変揉めた。
「他に行くところなんてないんですから、追い出されたら困ります」
「成仏したらいいじゃないか」
「じゃあ天国はどう行ったらいいのか教えて下さいよ」
「……むう」
そんなの知るわけがない。そもそも死後の世界そのものを信じていなかったんだし。
「そんなの知らん」
「あー、無責任だ。自分も知らないくせに「成仏したらいいじゃないか」なんてよく言えますよね!」
「とにかくここは僕の部屋なんだから、居られたら困るんだ。あんただって自分の家に赤の他人が居座っていたら困るだろ」
「それはそうですが」
「他の幽霊達はどうしてるんだ?」
「他の人達ですか?」
岡嶋さんは少し考えて、
「その場所に縛られて動けなかったり、ふわふわとあちこちうろついてたり、誰かにぴったりくっついていたり……ですかね?」
いわゆる、地縛霊や浮遊霊、憑依霊などと呼ばれるものだろう。
そうだ、岡嶋さんはどのタイプの霊なんだろう。もしも岡嶋さんが地縛霊なら、ここから動く事はできないんじゃないか。
そうなると大変だ。どんなに説得しても動けないなら意味がない。
「岡嶋さんは、もしかして地縛霊なのか?」
恐る恐る聞いてみる。
「いいえ? よくお出かけしてますけど?」
「あ、そう……」
ホッと一安心する。移動できるなら説得のチャンスはありそうだ。活動的な人のようで良かった。
「だったら他に居心地の良さそうな場所を探すことだってできるだろ。他にないのか、住めそうなところが」
「あら!あらあら! 自分の家には居たらダメだけど、他人様の家なら住み着いていいとおっしゃいますか。安村さん、ずいぶんと身勝手なことをおっしゃいますね!」
「いや、そういうわけじゃ…って待て! あんたは今! まさに今! 他人の家に勝手に住み着いてるだろ!」
「ここに住んだのはわたしが先ですぅー」
「今契約してるのは僕なの!」
何だろう、この人と話してるとすごく疲れる。
いや、元々疲れてはいるんだけど、更に疲れさせられる。
「無理に追い出そうとしたって無駄ですよ。わたしここに戻って来ますからね?」
「むう」
その通りだ、つまみ出しても壁抜けして帰って来られてはどうしようもない。
「どうしてここに居たいんだ? 何か未練とか、忘れ物でもあるのか?」
「……」
岡嶋さんは黙ってしまった。もしかして、触れちゃいけないことだったんだろうか。
岡嶋さんは深刻な表情で僕を見つめる。高まる緊張感と不安、ごくりと唾を飲み込む。
「そういえば、どうしてでしょうね?」
「……はぁ?」
緊張感が一瞬で消えた。
「何だか記憶が曖昧なんですよねー。自分がどうして死んじゃったのかもよく覚えてないし」
「なんで死んだか覚えてないのか」
「はい、ぜんぜん。気がついたら空っぽになったこの部屋にいたんですよ」
「家族か誰かが片付けたのかな」
「たぶん」
「じゃあ実家に帰ったらいいんじゃないか」
「実家ですかー」
うーん、と唸って、
「それも考えたんですけど、なんかここにいないといけない気がして帰る気になれないんですよね。理由は分かんないんですけど」
「……分かんないことだらけじゃないか」
「そうなんですよー、ほまってまふ」
「ポテチを食いながら言うな」
「もぐもぐ、困ってます」
「説得力ないぞ」
「いやいや、本当に困ってますって。私だってスッキリして成仏できるものならしたいですもん」
いまいち信用できないが、とにかく岡嶋さんがこの部屋にいなきゃいけないと思ってしまう理由、それが分かって解決しない限り、岡嶋さんは成仏することも、よそへ移り住むこともできないということらしい。
いっそ僕がよそへ移り住むのはどうかと考えてみたが、「本当に幽霊が出るなんて思わなかったから部屋を変えてほしい」なんて、今更言えるわけがなかった。
つまり、打つ手なし。
今は岡嶋さんと同居するのを認めるしかない、という結論しか出てこないのであった。岡嶋さんを説得するはずが、気付いたら自分が妥協する方向で考えることになってしまった。どうしてこうなるんだろう。
密かに憧れていた都会でのひとり暮らしの生活を、まさかこんな形であきらめることになってしまうなんて。
「分かった、岡嶋さんはここに居ていい」
「えっ」
岡嶋さんは一瞬キョトンとしたが、すぐにぱっと表情が輝いた。
「ただし、ここにいる理由がなくなったらすぐに引っ越してもらうからな。そして共同生活をする以上はルールを決める。それが条件だ。いいね?」
「はい! オッケーです!」
犬の尻尾が生えていたら千切れんばかりに振っているだろうな、というくらい岡嶋さんは喜んでいる。全く、こちらは不安でいっぱいだというのに。
「もしルールを破ったらチョップだかんな」
そう釘を刺したら、岡嶋さんの輝いていた顔が一瞬で固まり、青い顔でカクカク震えながら、
「ワカリマシタ」
と、ロボットのような声で答えた。……そんなに痛かったか。
翌朝、寝不足の体をムリヤリ覚醒させて朝食の準備を始めると、岡嶋さんが押し入れの中から、襖を通り抜けて出てきて、
「おはようごらいまふー」
と、寝ぼけた様子でふわふわと現れた。
正直、目が覚めたときは、昨夜のことは夢だったらいいなーと思っていたんだけど、残念ながら現実だと確認させられた。
朝食後、岡嶋さんは部屋の片付けを手伝ってくれた。
意外なことに彼女はかなり片付けが上手だった。
荷物の持ち運びはできないけれど、彼女の指示通りにやると要領よくテキパキと作業が進んだ。
昨日の悪戦苦闘はいったい何だったんだろう。
家の近所のことについても色々教えてくれた。ここのお店は食料品が安いとか、日用品の品揃えはここが良いとか、評判の良い病院はどこなのか、とか。
正直なところ、とてもありがたかった。何しろ初めて住む土地、初めての引っ越し、初めての一人暮らしと、初めてづくしなので不安が多少はあったから。
「ありがとう、助かった」
とお礼を言うと、
「あら、素直」
と、すごく意外そうな顔をして、
「うむうむ、そうであろう、そうであろう。よいよい、苦しゅうないぞ」
と、得意満面でふんぞり返ったので、
「調子に乗んな」
と突っ込むと「えへへー」と笑った。
何か、調子狂う。
そしていよいよ大学の入学式当日。
部屋の片付けも無事に終わり、何とかこの日を迎えることかできた。
「いってらっしゃーい」
用意しておいた新品のスーツを着て、岡嶋さんに玄関で見送られて駅に向かう。
家族以外に「いってらっしゃい」と言われるのは初めてだからか、何か変な気分だ。
行きの電車はかなり混雑していた。
テレビドラマやニュース等で、通勤通学の時間帯の電車は混雑するものだと知ってはいたが、いざ体験してみると想像以上にきつい。
つり革をまともに握ることもできず、人の塊に押され流され、大学の最寄り駅で無事に降車できるかどうか不安でたまらなかった。
幸いなことに大学の最寄り駅では降車する人が多かったので、人の流れに乗って降りることができた。しかしそのまま改札口へ向かわずに、駅のホームのベンチに一旦座って息を整える。
深呼吸し、小声で「こりゃ、きついな…」とこぼさずにはいられなかった。地元の電車やバスでも混雑することはあったが、比べ物にならない。
電車は高架の上を走っているため、駅のホームはその高さに合わせて作られていた。ホームから見える景色は見晴らしが良く、ずっと遠くまで平野の街が広がっているのが見える。こんなに大きな街を見たことがなかったのでちょっと感動した。
反対側を見るとこちらは山手で、少し離れた所に山地が横たわっている。山をちょっと登ったあたりまで住宅地が広がっており、その中に大きな建物が見える。あれが今日から通う大学の校舎だ。
ベンチから立ち上がって改札口へ早歩きで向かった。改札を通ってエスカレーターで地上に降り、駅の北口へ出ると、目の前にバスターミナルがあった。
バス乗り場は全部で3つ。だが、大学行きのバスが出る乗り場がない。入試の時に利用したバス停が何故か無くなっていた。
慌ててバスターミナルを探しまわったが、やはりどこにも大学行きのバス乗り場がない。どうしよう、と焦っていたところに、
「キミ、もしかして長坂大学の新入生か?」
と、背中から声をかけられた。振り向くと、そこに一人の女性が立っていた。
背が高く、モデルのようにスラっとした体格、長い黒髪を後頭部で一つにまとめている。
白のシャツの上にデニム風のブラウスを着て、濃い紺色のスキニーデニムパンツを穿き、歩きやすそうなスニーカーを履いている。
とても颯爽とした感じの美人で思わず見とれそうになったが、メガネの奥の目が鷹のように鋭く、目があった瞬間に思わず体が硬直してしまった。すごい眼力だ。もし甲冑を着ていたとしても違和感がない。
「ん? 違ったか?」
女性が怪訝そうな顔をしたので、
「いえ、はい! そうです、新入生です」
と、慌てて返事した。
「そうか、大学行きのバス停を探しているのか?」
「そうです、入試の時にはちゃんとあったんですけど」
やはりな、と言って女性は溜息をついた。
「先週までバスターミナルの工事をしていてな、うちの大学行きのバス停はずっと臨時の場所に設置されていたんだ。キミが入試の時に利用したのがそれだな。もう工事は終わって本来の場所に戻っている。付いておいで」
そう言うと、彼女は早足で歩き出した。慌てて後を付いて行く。
「あの、長坂大学のかたですか?」
「うん? そうだ、一応キミの先輩ということになるな。早く並ばないとバスに乗れないかもしれないぞ、急げ」
先輩はどんどん歩いていく、早い。僕は小走りで付いて行った。
通学バスの乗り場は駅の出入口からかなり離れたところにあった。まるで仲間はずれにされているかのようだ。これじゃ分かりづらい。
既にバス待ちの人が長い行列を作っていた。その内、半分近くがスーツを着ている。僕と同じ新入生だろう。……バスの座席に座れるだろうか。
「バスに乗るときに運転手に学生証を見せるのを忘れるなよ? 見せないとタダで乗れないからな」
「乗車するときに学生証を見せるということは。バスは前から乗るタイプなんですか?」
「そうだ。もしかしてキミは他の県から来たのかな?」
「そうです、地元のバスは後ろから乗るタイプだったから……」
「やっぱりな。ここの人間なら、前から乗るのか後ろから乗るのかをわざわざ聞いたりしないものな。ちなみに私も大学合格してこちらに引っ越してきたクチでね。私の地元のバスも後ろから乗るタイプだ」
「そうなんですか。……もしかして、学生証を忘れたことが?」
「参ったな、キミはなかなか鋭い。大学までの運賃はそんなに高くないが、うっかりミスで予定外の出費をするのは痛いだろう? 気を付けたほうがいいぞ」
こんなにキリッとしている人でもそんな失敗をすることがあるんだな。ちょっと微笑ましい。
そんな話をしていたら、大学行きのバスがやって来た。