第九話 子供
仲里先生の口から出た意外なワードに、俺は思わず瞬きをしながら驚愕した。
「仲里先生の……罪?」
「ああ、そうだ」
仲里先生の罪。御神酒先生を過酷な道に歩ませたという罪。それは一体、何を意味しているのだろうか。
「さっき閂さんが言った通り、僕は御神酒先生の教え子だった。だけど、当時の御神酒先生はあのような思想はお持ちではなかったんだ」
「そ、そうだったんですか?」
『あのような思想』とは、おそらく御神酒先生の『救える見込みのある生徒だけは絶対に救い、救えない生徒は見捨てる』という思想のことだろう。確かに俺も、御神酒先生が初めからあんな考え方をしていたとは思えない。そこには何か理由があったはずだ。
「僕はかつて、御神酒先生に救われた人間の一人だ。だが同時に僕は、先生を茨の道に進ませてしまったんだ」
「……待ってください、それってまさか!?」
「流石にわかったようだね」
御神酒先生が進む、茨の道。それは……
「僕は御神酒先生があの思想を持つきっかけを作ってしまったんだ」
『生徒を見捨てる選択』をしてしまう道のことだ。
「ひひひひ……これは思わぬ情報が得られそうですねえ……」
仲里先生の言葉を受けて、閂先輩が口に右手を当てて笑う。
「ああ、話してあげるよ。七年前のあの時、御神酒先生に何があったのか」
そして仲里先生から、七年前の出来事が語られ始めた。
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「起立、礼!」
「ありがとうございました!」
今日の最後の授業が終わり、クラスメイトたちが号令と共に一斉に起立して頭を下げるのを、僕はどこか冷めた目で見ていた。
「おい、仲里! ちゃんと立って礼をしろ!」
「……はい」
そんな中で唯一起立していなかった僕、仲里淑行は教師からの叱責を受けることになった。
「ありがとうございました……」
大人しく立って礼をすると、教師は満足げに頷いて教室を出ていった。
別に最初から立って礼をしても良かったのだが、その時の僕は思春期特有の子供じみた反抗をすることこそが、自分の意志を通すことだと勘違いしていた。だからこのようなことをしたのだ。
僕は、この学校のやり方が気にくわなかった。
この学校は進学校であるM高校に受かる自信が無く、さらに滑り止めに私立を受けることも出来ない生徒が集まる、M高校よりワンランク下の所謂『自称進学校』だった。そのためなのか、通う生徒はM高校に進学出来なかった劣等感と、自分は少なくとも落ちこぼれではないという無意味なプライドの両方を併せ持っていた。
この学校はそんな生徒の劣等感を刺激するかのように、膨大な量の課題を生徒に課す。その量に音を上げる生徒に対しては、『そんなんじゃ、また負けるぞ?』などの言葉を浴びせ、半ば無理矢理課題をやらせる。そうすることで、有名大学への進学率を上げて、学校のひいては教師の評判を上げようとしているのだ。
僕はそういった、生徒の気持ちを自分のために利用しようとするやり方が気にくわなかった。だから自然とこの学校に反発するかのように、素行が悪くなり、成績も下がっていった。
「仲里、放課後に皆で図書室で勉強しようと思うんだが、お前もどうだ?」
「いや、僕はもう帰るよ。またね」
僕は学校に乗せられる形で勉強に精を出すクラスメイトを内心見下す日々を送っていた。僕はお前等のような踊らされる人間じゃない、僕は大人に屈したりはしない、そんな自尊心の皮を被った言い訳を心に抱きながら。
そんなある日のことだった。
「仲里くん、こんな所で何をしているんだ?」
「……御神酒先生」
どうせ自分たちの為ではないとわかっている授業を受ける気にならなかった僕は授業をサボり、使われていない教室でマンガを読んでいた。その現場を御神酒先生に見られたのだ。
当時の御神酒先生は髪も短く、物腰も柔らかで、よく快活な笑顔を浮かべるさわやかな印象の先生だった。だけど僕は、彼もまた他の教師と同じように、自らの評判のために生徒を利用する人間なのだろうと決めつけていた。
「ほっといてくださいよ。御神酒先生は僕のクラスは担当してないから、僕が何していても評価には響かないでしょ?」
「そういう問題じゃないだろう。私は教師で君は生徒だ。その関係である以上、私は君にきちんとした教育を受けさせる義務があるんだ」
先生の正論が僕に向けられるが、どうせその言葉も自らの保身から来るものだろうとしか思えなかった。授業をサボっている生徒を見逃してしまえば、後で何を言われるかわからないからだ。
「じゃあ、僕が退学すれば御神酒先生は僕を放っておいてくれるんですか?」
だから僕の自尊心は、またしてもやらないことの言い訳に使われた。
「バカなことを言うな! なぜそうやって直ぐに投げ出してしまうんだ! 君は努力したくない自分を正当化するために、教師を悪者にしているだけだ!」
「何で先生にそんなことを決めつけられないとならないんですか!? そんな証拠があるんですか!?」
反抗期特有の、子供じみた攻撃。相手の言葉に正当性が無ければ、自分の言葉に正当性が無くとも勝ったと思いこむ浅い考え。この時の僕は、勝ちか負けか、敵か味方か、そういった二極化でしか物を考えられなかった。
「確かに、君がそうだという証拠はない」
「じゃあ、僕のことを放っておいてくれますか?」
「それとこれとは別の話だ。君には授業を受ける義務がある」
「何でですか? 僕にだって学校を辞める権利はあるはずですよ?」
尚も子供じみた理論を振りかざす僕に、御神酒先生は近寄って両肩を掴んだ。
「ちょ、ちょっと……」
「いいか、仲里くん。権利だの自由だのを子供のうちから振りかざしてはいけない。なぜなら君たちはまだ、自分一人では何も出来ない子供だからだ。そんな子供が完全なる自由に放り出されたらどうなるかわかるか?」
「そんなの……その……」
「それに明確な答えを出せない以上、君にはまだ自由は早すぎる。大人しく大人の言うことを聞いていた方が安全だ」
「……」
僕はまだ御神酒先生の言葉に完全には納得してはいなかったが、この時既に、御神酒先生が他の教師たちとは違うことを悟っていたのかもしれない。何故なら御神酒先生は、僕の子供じみた反抗にも真摯に向き合ってくれたからだった。