第十二話 努力
自分が特別な人間だと気づいたのは、中学生の頃だった。
「すごいな借宿。このクラスで唯一の百点だぞ」
「借宿くんって、頭いいんだね」
「借宿には敵わねえなあ」
俺を称賛する、数々の言葉。俺が特別な人間だということを認める言葉。
そして、俺は努力せずとも他人より優れた結果を出せる。それが俺が特別な人間だという、何よりの証拠だった。
例えばテストが返ってきた時、こんなやりとりがあった。
「借宿くん、テスト前にどれくらい勉強した?」
おそらくはどの学校、どのクラスでも行われているであろう、このやりとり。こういった質問をされると、俺は決まってこう答える。
「いやあ、そんなには勉強してないよ」
そして、俺の返答に質問をした相手は決まってこう返す。
「本当に!? 勉強しないのにあんなに点数とれるの!?」
この言葉を聞くのがたまらない。相手は俺が特別な人間であると、自分より上の存在であると認めている。それがたまらない。
「たまたまヤマが当たっただけさ」
もちろんこれはウソだ。俺は授業を聞いて、教科書をパラパラと読めば、学校の定期試験程度なら楽々と高得点を取れる。俺はそういう人間なのだ。他人より少ない努力で、他人より上にいくことが出来る。それが誇らしかった。
「そういえば、上室くんはどうだったの?」
俺に質問をした男子は、別の男子に質問した。
「いや……平均点くらいしか取れなかったよ」
「そっかー」
質問をした男子はその返答に無難な返事をしていたが、俺は上室を見下さずにはいられなかった。心の中で大笑いしているのを、表に出さないようにするのに必死だった。
この上室という男は、クラスでも真面目クンとして知られている。休み時間や放課後も、ほとんど図書室で勉強している。今回のテストでも相当に勉強したのだろう。それなのに、この点数なのだ。
おそらく上室は『出来ない』人間なのだろう。どんなに努力しても、どんなに勉強しても、俺のように特別な人間には敵わない。そんな人間なのだろう。
努力せずに出来る人間と、努力しなければ出来ない人間がいるとしたら、前者の方が優れているに決まっている。そして俺は前者だ。俺は無駄な努力などせずとも優れた成績を残せる。人の上に立てる。
無駄な努力をする人間はバカだ。バカはバカらしく、自分はどんなに努力しても無駄だと認め、選ばれた人間に嫉妬し、決して越えられない壁に絶望し、惨めな思いを抱えて生きるべきだ。それが俺のような特別な人間のストレス解消になる。その方が有意義だ。
無駄なことは嫌いだ。人間は疲労を最小限に抑えるために賢くなったはずなのだ。だから賢い人間とは、いかに無駄な行動をしないかを工夫している人間のことを指すのだろう。そう、俺のように少ない努力で優れた結果を出せるように。
きっと俺には輝かしい未来が待っているのだろう。これから進学校であるM高校に進学し、一流と言われる大学に入り、一流企業に入社し、他人をこき使う側になる。そう信じて疑わなかった。
だがそんな俺の人生が狂い始めたのは、予定通りM高校に入った後だった。
「借宿、お前今回のテストどうだった?」
「あ、いや、普通、だったかな……」
「ふーん……あんまり勉強してなかったのか?」
「ま、まあね、今回はこんなもんだろ」
屈辱だった。選ばれた、特別な存在である俺が、クラスメイトに見下されるような態度を取られることが。そしてかつて見下していた、上室のような扱いを受けていることが。
違う。こんなものは俺じゃない、何かの間違いだ。俺は努力しなくても人の上に立てる人間なんだ。無駄な努力をする奴ら、こんな進学校で部活に精を出し、無駄な汗を流す奴らを見下す資格のある人間なんだ。間違ってもこんな扱いを受けるような人間ではない。
しかし現実は、俺は特別どころかクラスでも下の方の成績に落ちぶれている。俺が思い描く自分の姿と、現実の俺の姿が大きくズレている。このことは俺を混乱させた。
そんな中、俺は一人の男の存在を知る。その男の名は、萱愛小霧。同じ塾の友人を自殺に追い込んだ事がバレたことで、同じ学年どころか学校中から嫌悪の視線を向けられている生徒だった。頻繁に嫌がらせを受けているせいなのか、成績も俺より下だった。
二年に上がって萱愛と同じクラスになると、俺はここぞとばかりに萱愛を罵倒した。当然だ、俺にはその権利がある。萱愛は学校中から見下される存在なのだ、俺が見下して何が悪い。むしろこれがあるべき姿なのだ。俺は他人を見下し、他人の上に立つ存在だからだ。
だが萱愛は、俺が気にくわない態度を取り続けた。
「萱愛、こんな問題も解けないのか? それに『人殺し』の癖に、生きてて恥ずかしくないの?」
「借宿、他人にそんな敵意を含んだ言葉を向けるもんじゃない。敵意を向ければ、相手にも敵意を向けられるからだ。それに君は俺よりも自分の心配をした方がいい」
萱愛は生意気にも格上である俺に説教を始めた。実に腹立たしい。自分の立場をわきまえない行動だ。
そして俺がもっと気にくわない事実があった。それが、萱愛が数学教師の御神酒に気に入られているということだ。この御神酒という教師は、見込みのある生徒だけを優遇するという噂が立っていて、教師の間でも孤立していた。だが俺にとって最大の疑問点は、そんな方針を取る御神酒が、特別な存在であるこの俺を優遇せずに俺より格下である萱愛を優遇しているということだ。
何故だ。何故俺じゃなく萱愛を優遇するんだ。俺の方が優れた人間のはずなのに。あんなクズに肩入れするなど、無駄な行為であるはずなのに。
だから俺は職員室で、御神酒に意見をぶつけてみた。